村上隆すらも敵に回した希代の批評家・黒瀬陽平が語る日本アート

東京オペラシティ アートギャラリーで開催中の『絵画の在りか』展は、24作家、101点の作品というボリューム感で、次代を担う若手アーティストの絵画を俯瞰できる展覧会。しかし、そもそも「現代絵画」とは何なのでしょうか? 写真や映像、CGなど、さまざまな視覚表現が溢れ返る「現代」において絵画を描く意味とは?

そんな展覧会に、若い出展アーティストたちと世代も近い、美術批評家・キュレーターの黒瀬陽平さんとご一緒し、「同じフィールドにいるプレイヤー」ならではの、作品に対する率直なお話をうかがいました。カオス*ラウンジ(黒瀬陽平や、美術家の梅沢和木、藤城嘘を中心とした現代美術グループ)での活動を始め、現代アートに対する各所での歯に衣着せぬ発言で知られる黒瀬さんは、この現代絵画の現状をどう見ているのでしょうか。アーティストや絵画に対する愛憎をベースにした、黒瀬さんの批評という名の叱咤激励。「会場にすでに足を運んだ」または「これから行きたい」という方は、ぜひご自身の感想と照らし合わせ、楽しんでみてください。

アメリカという巨大な束縛から「自立する」ために脚がついた絵画?

今展は、101点の日本の若手作家の現代絵画を集めた意欲的な展覧会とのことで、一部の作品はロビーも使って展示されています。そんな展覧会で一番初めに紹介されていたのは、蛍光ピンクに着色され、2本の脚で立っている大きな作品。南川史門による『4つの絵画と自立するための脚』です。キャンバスに描かれ、展示室の壁に掛けられているのが絵画であるという一般的な価値観を、のっけから気持ち良くうち砕いてくれます。

南川史門『4つの絵画と自立するための脚』©Minamikawa Shimon
南川史門『4つの絵画と自立するための脚』©Minamikawa Shimon

黒瀬:すごく懐かしい感じがします。1930年代くらいに生まれて、戦後に活躍した人たち――赤瀬川原平さんや篠原有司男さんのような、攻撃性を持った戦後アヴァンギャルドの世界観を思い出します。あの世代の人たちは、アメリカという巨大な束縛から自由になりたかったんだと思うんです。だから、欧米からやってきたアートの制度や因習など、既成のものをとにかく破壊しようとした。もちろん、今になってそんな素朴な振る舞いを繰り返すことに意味はないですが、失われてしまった過去のアヴァンギャルドを懐かしく思ったり、カッコいいと憧れる気持ちはあるでしょう。言ってみれば南川さんの作品は、『ALWAYS 三丁目の夕日』みたいな、懐かしい時代のアートをシミュレーションしているように見えますね。

「自立する」ために脚がついた絵画。初めは鮮やかな蛍光ピンクにばかり目を奪われていましたが、黒瀬さんのお話を聞いた後では、その作品タイトルからも、たしかにいろんなイマジネーションが広がっていく感じがしました。長い歴史が紡いできた絵画という表現は、モチーフや技法、コンセプト以外に、絵画史のどの文脈を参照して制作しているのかという点も、その作品の個性に繋がっているのです。

出会いの経験が刻まれない、自分だけの風景画

黒瀬さんが次に目を留めた作品は、「風景の記憶」をテーマとする竹崎和征の『三縄』。デジタルノイズのような細かい紙片のコラージュに覆われた画面を観て、「これが風景?」と思われた方、おそらくあなただけではありません。この作品はアーティストが旅先で描いた200枚ほどのスケッチをカッターで細かく裁断し、ランダムに張り合わせて大画面を作りあげた作品なのです。

竹崎和征『三縄』©Takezaki Kazuyuki
竹崎和征『三縄』©Takezaki Kazuyuki

黒瀬:新しいかたちの風景画を追究しているのだと思うのですが、僕が気になったのは、作品の向かう先が旅先で出会った多様な体験ではなく、1つのパターンに回収されていることなんです。旅先で知らなかった文化に接触すると、ショックを受けたり、今までになかった視野を持てたりするじゃないですか。だけど、この作品にはそういった出会いの経験が刻まれていない。旅には出たけれど、その旅の記録を自分のフォーマットで統一して、ひたすら同じ「風景」を描いている。つまり、そこで出会った人や出来事、歴史文化などに心を閉ざしているように見えてしまうんです。なぜ、そこまで強固な姿勢なのかな? と気になりますね。

黒瀬陽平
黒瀬陽平

この黒瀬さんの言葉にはドキリとさせられました。情報が溢れ返る現代社会では、もしかしたら新たな旅の道中でさえも、どこか見知った予定調和な経験をなぞることになっているのかもしれません。テクノロジーのおかげで、どこにいても自分にとって快適な環境を手に入れられる現代。アーティストの制作姿勢や作品は、もしかしたら私たち自身が、何気なく選んでしまっている生活の一部を鏡のように写し出しているのかもしれません。

ナチュラル・ボーン・アーティスト「岩永忠すけ」の思考スケッチを観る

回廊を抜けて広い展示室に入ると、そこには大小さまざまのバラエティー豊かな絵画が展示されていました。ものすごく巨大な作品があるのも現代絵画の特徴の1つでしょうか。展示室に入ってすぐ、目に飛び込んできた抽象画は、黒瀬さんともお友達であるという、岩永忠すけさんの作品『heptagram』でした。

岩永忠すけ『heptagram』2013年 個人蔵 ©Iwanaga Tadasuke Courtesy of ShugoArts
岩永忠すけ『heptagram』2013年 個人蔵 ©Iwanaga Tadasuke Courtesy of ShugoArts

黒瀬:岩永さんは本当に面白い人です。彼の良いところは、ただの「画家」ではないところ。常に面白いことを考えていて、それがときに絵画になり、音楽になり、漫画にもなる(ロックバンド「真美鳥Ulithi empress yonaguni san」でボーカルとギターを担当し『ピラニア』などのアルバムや、マンガ『TAKIJIRO』を発表している)。この作品も「展覧会で観るのが場違い」と感じさせてくれるところがいいですね(笑)。新鮮な抽象画というか、美術教育を受け、訓練された作家と比べると、びっくりするくらい自由。絵画というよりも、岩永さんというアーティストの思考スケッチとして観るとより楽しいと思います。

西洋の美術史では、抽象表現を発見したワシリー・カンディンスキーやピエト・モンドリアンの系譜に属する、絵画史上で正統派とされる抽象表現があります。しかし、こうした抽象表現に由来しない自由さを湛えているのが岩永忠すけの抽象画なのだそう。まさにナチュラル・ボーン・アーティストな彼の、他の作品も気になるところです。

「なんのために絵画をやっているのか? アーティストはその根拠を漠然とでも持ち、多少荒っぽくてもデカいことを言っていいと思うんです」(黒瀬)

そして一方、その近くには、西洋の絵画史的文脈を踏まえた抽象画もたくさん展示されていました。今井俊介さん、高橋大輔さん、八重樫ゆいさんなど、黒瀬さんとも世代がそれほど遠くなく、最近はギャラリーや美術館で個展を開くなど、注目を集めている期待の若手作家たちの作品です。しかし、そこには美術批評家・黒瀬さんなりの複雑な思い、期待の裏返しがあるようでした。

今井俊介『untitled』2013年 白木聡氏・鎌田道世氏蔵 ©Imai Shunsuke Courtesy of HAGIWARA PROJECTS
今井俊介『untitled』2013年 白木聡氏・鎌田道世氏蔵 ©Imai Shunsuke Courtesy of HAGIWARA PROJECTS

黒瀬:今展の作家に限らず、日本の若手作家には、アメリカの抽象表現主義(1940年代~に興った絵画運動、ジャクソン・ポロックなどが代表作家)や、それ以降のアメリカ現代美術の潮流から影響を受け、その延長線上で絵を描いている人が多いと感じます。美術批評家の沢山遼さんが今井さんの絵画を、ネオダダの巨匠ジャスパー・ジョーンズが描く星条旗とは違い「空気を孕んでいる」と図録に執筆されていますが、僕はそうした既存文脈との小さなズレではなく、もっとアーティストの大きなビジョンが知りたい。なんのために絵画をやっているのか? アーティストはその根拠を漠然とでも持ち、多少荒っぽくてもデカいことを言っていいと思うんです。なぜ皆、小さなズレや小さなリアリティーばかりを語って、大きなビジョンを明示しないのか。僕にはそれがずーっと疑問なんです。微妙な差異を追求する作業から、世界で活躍できるアーティストなんて生まれたことがない。

大変辛辣な言葉に聞こえるかもしれませんが、黒瀬さんの言葉が一気に熱を帯びたのが印象的でした。現在では批評家・キュレーターとしての活躍がめざましい黒瀬さんですが、もともとは今展の作家たちと同じように絵画を描いていた美術家でもあります。「美術」という同じ世界にいる以上、もちろん美術史や過去のアーティストの偉業を知っているべきですが、そこからどう自由になり、切実な問題として、大胆に歴史を更新できるのか。それが黒瀬さんの関心事なのです。そしてこのようにも続けました。

黒瀬:同じような系統の作品の中では、この青木豊さんの絵画は少し他の人と違っていて、まだ可能性があるように感じました。おそらく、他の人たちよりは新しいトレンドを参考にしているのでしょう。たとえば、昨年カイカイキキギャラリーで個展があったアンセルム・ライラみたいな、最近の抽象画ですね。マネといえばマネですが、僕にはこうしたシンプルな構造の絵画を自信満々に出す勇気はないですし、(誤解される恐れもあるのに)いい度胸しているなと(笑)。このちょっとナメている感じというのが、結構いいと思うんです。いろんな不確定要素はありますが、何か他と違うコンセプトや理論武装があれば、一気に海外の壁を突破できるかもしれませんね。僕自身の方向性とは違うので加担する気はないけれど、誰かに批評を書かせてみればいいのにと思います。

青木豊『untitled』展示風景 ©Aoki Yutaka
青木豊『untitled』展示風景 ©Aoki Yutaka

青木豊さんの作品は、一見乱雑に描かれているように見えますが、じつはとても繊細で丁寧な仕事によって作られた作品です。透明な絵具で盛り上げて描いた山脈にスプレーで着色し、それにより筆跡を際立たせています。また、塗り残しのように見える下地部分は、マスキングテープを使用してわざと残したもの。偶然にはみ出た絵具のように見える箇所も、マスキングを使って描いているのだそうです。歴史的な文脈でいえば、フォーマリズム(形式主義)や1960年代後半頃に発生した日本現代美術の動向「もの派」との繋がりも感じさせる絵画でした。

「再構築=編集」の概念や作法は、1970年代生まれ作家のトレンドワード?

そして、今展の作品は抽象絵画だけに留まりません。具象絵画やインスタレーションに展開して絵画とは何かを問いかける作家もいます。千葉正也さんはそんなアーティストの1人。絵画の画面には、画家のアトリエに散らばっていそうな多数のアイテムと独特の色合い。日常にあるものを配しているにもかかわらず、どこか現実離れしていて、何か難しい比喩を包み隠しているかのような気配も漂わせています。さらに、インスタントカメラで撮った写真が貼付けられた意味深な人物画や、絵画と一体化して木材をつなげた立体作品のようなものも。この世界観は何に由来しているのでしょうか。

千葉正也『犬のように歩き回った偉大な男』2009年 白木聡氏・鎌田道世氏蔵 ©Chiba Masaya Courtesy of ShugoArts
千葉正也『犬のように歩き回った偉大な男』2009年 白木聡氏・鎌田道世氏蔵 ©Chiba Masaya Courtesy of ShugoArts

黒瀬:千葉さんはとても人気がある作家さんですね。でもじつは僕、あまり得意じゃないんです(苦笑)。たとえばこの作品『犬のように歩き回った偉大な男』は、ポートレイト(人物画)という古典的な絵画の要素をバラバラに分解しているんですね。単にバラバラにしているだけではなく、元々存在していた要素に、違うものを混ぜ込んで、異なるイメージにリンクさせている。チェキで撮った写真が人物像に描かれているかと思うと、その写真内に撮られているのはポートレイトとは全く関係のないものだったり。あるいは、千葉さんが好んで採用しているジオラマのようなモチーフ配置は、絵画というものの人工性を強調していて、人の手によって編集された虚構であることを示しています。このように、絵画という表現メディアの人工性を強調し、身近にある工業製品や日用品で、絵画の世界を脱構築していく手法は、田中功起さん(2013年『ヴェネチアビエンナーレ』日本代表)らがかつて徹底的にやっていたことです。田中さんの場合は映像ですが、僕らが見知ったもので既存のメディアをバラバラに解体したり、組み立て直したりする。でも、その積み木遊びのような方法をやり続けて何に向かって行きたいのかが、僕には曖昧に感じるんですね。

2012年に東京都現代美術館で行われた『MOTアニュアル2012 Making Situations, Editing Landscapes 風が吹けば桶屋が儲かる』展は、黒瀬さんが千葉さんとの関連を指摘した田中功起さんも参加している展覧会です。この展覧会では彼らの作品スタイルを「編集」という言葉を使って説明していました。「再構築=編集」の概念や作法は、彼らの世代のトレンドワードなのかもしれません。

未来を担う才能だからこそ、現在には課題もある

会場奥で来場者を待ち構えているのは、大野智史が大画面にプリズムを描いた絵画『PRISM bye bye Sunset』。今展のメインビジュアルにも同作品が用いられているように、今展のアーティストの中でも、多くの人から注目を集め、期待されている若手の1人。原生林やプリズムなどのシンボルを使って、自然と人工との対峙をテーマに探究を行なう作家です。

大野智史『PRISM bye bye Sunset』展示風景 ©Ohno Satoshi
大野智史『PRISM bye bye Sunset』展示風景 ©Ohno Satoshi

黒瀬:大野さんとも面識があります。知的好奇心が旺盛で、バイタリティのあるアーティストだと思っていました。でも、この作品はちょっと構成要素が少なすぎて単純かな。細密にびっしりと描かれたプリズムも、僕からすると作品の一構成要素に過ぎないし、プリズムと大画面、シルバーの下地に楕円型を描いているということで、3つくらいの要素で成り立っている絵画に見えます。デザインとしてシンプルにしたほうが面白いと判断したんだと思うんですが……。

絵画では、色彩やモチーフを多層的に描くことで、それぞれの持つ意味やイメージの重なりからも、情報のボリューム感を出すことができます。黒瀬さんからすると、大野さんほどの力量がある作家であれば、現在よりももっと情報のボリューム感を出すことができるのではと感じたのでしょう。そして今後への期待を込めて、さらに黒瀬さんが課題を指摘したのが、力強いストロークでダムやダム湖を描く横野明日香の作品です。

横野明日香『curve』展示風景 ©Yokono Asuka
横野明日香『curve』展示風景 ©Yokono Asuka

黒瀬:画面の中に人が出てこない不思議な雰囲気の作品ですね。おそらく、1990年代後半から2000年代前半くらいに流行った具象絵画に影響を受けているんでしょう。海外であればリュック・タイマンス(ベルギー出身の画家)以後に出てきた画家や、日本であれば長谷川繁さんとかが近いかもしれません。こういう風に整理すると、作家は嫌がるんですよ(苦笑)。でも、客観的に見ると文脈的に共有されているのはそっちだから。こういう画風で行くのなら、先行世代がいることは前提にしなきゃいけない。その上で何をやりたいかが重要で、それがまだ見えてきていないように思います。ダムをモチーフにしていますが、なぜダムなのか、深読みしようと思えばできなくはないですが、まだ深読みさせるだけの要素が揃っていないような気がします。

威風堂々とした大画面に強いストローク。聞いたところ、これまで3年以上もの長い間、彼女はずっとダムやダム湖だけを描いてきたそう。黒瀬さんも「先ほどの青木さんもそうでしたが、横野さんは個展で観てみたい作家ですね」と話すなど、さらに深く広く作品世界を知りたいと感じた絵画のようでした。

「同時代に生きる、同じプレイヤーという感覚で今日話してきました。僕は絵画がどれだけ面白いかということを、ある程度知っているつもりだし、だからこそ、今の作家には絵画を狭く捉えて欲しくないと思っています」(黒瀬)

鑑賞中、作家や作品に対して厳しい意見であっても忌憚なく発言していただいた黒瀬さんですが、先に紹介したとおり、じつはご自身も画家として活動していた時期がありました。そのあたりについてもストレートに聞いてみました。

黒瀬:先のことはわかりませんが、たぶん……もう絵は描かないんじゃないかと思います。「なぜ描かないんだ?」って、ときどき聞かれますが、それは僕に才能がないからですよ(苦笑)。実際に絵を描く力と、理論を考える力とは全く違います。その両方が備わっている人は凄くラッキー。僕は自分がキュレーションした展覧会が、インスタレーション作品だとも思っているけれど、そういう説明は世の中では通用しないから、批評家でキュレーターという肩書きにしているだけなんです。だから、作品はずっと作っているつもりなんですけれどね。

風能奈々『数多夜一夜物語』展示風景 ©Funo Nana
風能奈々『数多夜一夜物語』展示風景 ©Funo Nana

作家と批評家。それぞれ違う立場から補いあってシーンを作り上げていくのは、アートの世界だけに限りませんが、黒瀬さんが少し独特なのは、批評家やキュレーターであることが、じつは彼にとって作家活動でもあるという、そのハイブリッド感なのかもしれません。さらに黒瀬さんはこうも続けてくれました。

黒瀬:僕は(今回の参加アーティストたちと)同時代に生きる、同じプレイヤーという感覚で今日話してきました。僕は絵画がどれだけ面白いかということを、ある程度知っているつもりだし、だからこそ、今の作家には絵画を狭く捉えて欲しくないと思っています。今日も何人かの作品に対して言ってしまいましたが、戦後のアメリカ抽象表現主義~ニューペインティングという流れは、世界の絵画史全体を俯瞰してみると、ごく短い期間だけ一部の地域に現れた、非常に特殊な絵画のムーブメントなんですね。現代の日本のペインターが、そのような特殊な時代の絵画を参照して、小さなズレを狙う変化球のような作品を生み出したとして、いったいどれだけの必然性を持つでしょうか。僕の考えるアーティスト像は、誰よりも知的好奇心に満ち溢れ、1つの時代や場所にとらわれずに、色々なところから情報を引っ張ってこれる人のことです。作品を生み出すときに、どの時代にアクセスし、どの領域から学ぶかは、無限の選択肢があるはずです。絵画史だけじゃなく芸術史全体、いや、世界の文明史を広く見渡してみて、作家が本当にシンパシーを感じるものを直感的に選んで行けばいいと思います。

「アーティストが世間の空気を読んで、表現することに迷いが生じるのはおかしい」(黒瀬)

最後に展覧会全体を振り返ってみて、今後のアートシーンを担う若手アーティストについて、黒瀬さんが今伝えたいことを伺いました。

黒瀬:2011年に東日本大震災が起こった直後、いろんなアーティストがさまざまな表現を行ないましたよね。だけど最近、今展もそうですが、震災をテーマにした作品が明らかに少なくなってきたと感じるんです。もちろん、単に震災をテーマにすれば良いわけではありませんが、震災の間接的な影響すら見えない表現ばかりになってきているのは、ちょっと不安を感じます。もしかしたら、アーティスト側が世間の空気を読んでしまって、声高に表現することを「不謹慎」だと感じたり、迷いがあったりするのかもしれません。でも歴史的に見れば、2011年以降の20~30年って、3.11以降の社会として位置づけられるに決まっているんですよ。それを考えればもっと過剰なくらい表現してもいいし、「今、フクシマと言っている奴が50年後に残るんだ」という覚悟があるくらいでもいい。芸術のムーブメントは、常に世界の動きと連動しています。新しい社会の動向だったり、ショッキングな事件が起こったとき、それを表現によって受け止め、乗り越えていこうという強い意志が、新たな芸術を作り出してきたのではないでしょうか。だから、僕と同世代のアーティストたちが、いったいどのように震災を受け止めたのか、もっともっと知りたいと思っているんです。

中園孔二『無題』展示風景 ©Nakazono Koji
中園孔二『無題』展示風景 ©Nakazono Koji

さて、『絵画の在りか』展の作品を前にして、黒瀬さんが語ってくれた作品や現代絵画をとりまく状況を、みなさんはどうお感じになられたでしょうか。1つの絵画作品に対して、感じ方や考え方に1つの正解があるわけではありません。今展を訪れたあなたが、別の歴史的文脈を発見したり、別の課題を見出したりしても、それは間違いではないのです。視点の異なる様々な見方が複合的に絡まり合うことで、絵画の持つ世界が拡張し、それによってアートシーンがさらに活気づいていきます。絵画について自由に知的に語ること。それはアーティストを支え、新しい時代の絵画史を編むことにもなります。多くの知的で自由な見方が、絵画の世界をより豊かにするでしょう。ぜひ会場を訪れて、あなたなりの絵画に対する言葉を見いだしてみてください。

イベント情報
『絵画の在りか The Way of Painting』

2014年7月12日(土)~9月21日(日)
会場:東京都 初台 東京オペラシティ アートギャラリー
時間:11:00~19:00、金・土曜11:00~20:00(最終入場は閉館の30分前まで)
出展作家:
青木豊
厚地朋子
千葉正也
榎本耕一
福永大介
風能奈々
今井俊介
岩永忠すけ
鹿野震一郎
小西紀行
工藤麻紀子
政田武史
松原壮志朗
南川史門
持塚三樹
中園孔二
大野智史
小左誠一郎
五月女哲平
高木大地
高橋大輔
竹崎和征
八重樫ゆい
横野明日香
休館日:月曜(祝日の場合、翌火曜)、8月3日(日)
料金:一般1,000円 大・高生800円
※中・小学生以下無料

プロフィール
黒瀬陽平 (くろせ ようへい)

1983年、高知生まれ。美術家、美術評論家。東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻博士後期課程修了。『思想地図』公募論文でデビュー。美術からアニメ・オタクカルチャーまでを横断する鋭利な批評を展開する。また同時にアートグループ「カオス*ラウンジ」のキュレーターとして展覧会を組織し、アートシーンおよびネット上で大きな反響を呼ぶ。著書に『情報社会の情念 —クリエイティブの条件を問う』(NHK出版)。



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