相対性理論の初期メンバーとして、曲作りやサウンドプロダクションに大きく貢献した真部脩一さん。バンド脱退後は、進行方向別通行区分、古都の夕べ、総勢10人+αのブルータルオーケストラ・Vampilliaのコアメンバーとして活動しながら、女性シンガー・ハナエなどへの楽曲提供やプロデュース業、CM音楽制作など、多岐にわたって活躍し続けています。どこかオリエンタルで中毒性の高いメロディー、言葉遊びを多用したシュールな歌詞など、彼が作り出したポップミュージックの新しい方程式は今なお鮮烈。その秘密に迫るため、プライベートスタジオにお邪魔しました。これまで語られてこなかった、彼のパーソナルヒストリーです。
テキスト:黒田隆憲 撮影:豊島望
真部脩一(まべ しゅういち)
作曲家・作詞家・プロデューサー。1985年、福岡県生まれ。大学時代、先輩のバンド・進行方向別通行区分にギタリストとして加入。活動停止後の2006年9月、相対性理論を結成。2012年に脱退。以降、CM、映画及びアーティストへの楽曲提供の傍ら、復活した進行方向別通行区分をはじめ、Vampilliaなどのバンドメンバーとしても活動している。
レンタルビデオのパッケージを
眺めるのが大好きだった小学生時代
福岡出身の真部脩一さんは、4歳から10歳までピアノを習っていました。習い始めたきっかけは、その頃好きだった幼稚園の先生がピアノ教室を開いていて、そこに通いたいだけだったとか。
真部:ずっと、ぼーっとしている子どもでしたね。ビデオのパッケージを眺めるのが好きで、小学生の頃、住んでいたマンションの1階にあったレンタルビデオ店へ一人で行って、パッケージに書かれているキャッチコピーを読みふけっていました。その映画をワンセンテンスで的確に説明しているのが面白くて。それは、今の作詞とか曲作りにも影響しているかもしれないですね。基本となるキャッチーなモチーフを探して、それを発展していくやり方とか、トレーラー(予告編)を先に作ってそれに沿うように作品を作っていくようなやり方は、そこから得たアイデアかなと思います。
小学生の頃から、ジャズが大好きだったという父親のレコードを盗み聴きするようになり、モダンジャズに夢中になります。中でもバルネ・ウィラン(フランス出身のジャズサックスプレイヤー)のベスト盤を繰り返し聴いていました。
真部:ベスト盤の1曲目に“危険な関係のブルース”という曲が入っていたんですけど、アドリブからテーマに戻っていく瞬間が大好きで。もちろん、当時はアドリブ部分はよく分からなかったのですが、「ここはスリリングだな」っていうのは感じるじゃないですか。戦隊モノとかを見ていて、バラバラに戦っていた5人が、集まってポーズを取ったときのカタルシスに似ているというか(笑)。あとは、父親のレコード棚に紛れていたブラックミュージックもよく聴きました。マイケル・ジャクソンやマーヴィン・ゲイ、Smokey Robinson & The Miraclesといったモータウン系のアーティスト、それからアレサ・フランクリン。他にも、Pointer Sistersのようなディスコや、The Fifth Dimensionのようなポップミュージックも好きでした。それまでは『にこにこぷん』と『ポンキッキ』で流れる音楽を聴いてたんですけどね。“ちょんまげマーチ”(『おかあさんといっしょ』で流れていた楽曲)から『Nefertiti』(1967年発売、マイルス・デイヴィスのアルバム)までが、自分の原風景と言えると思います。
「相対性理論っぽい」と言われる音は
どこから生まれた?
真部さんが作る音楽の特徴は、モーダルなフレーズはモダンジャズから、ポップスの黄金律はモータウンから、そして躍動感あふれるリズムはディスコやファンクによって形成されたのかもしれません。しかし、実際に真部さんが初めて曲を作ったのは、相対性理論を結成してからでした。
真部:そもそも音楽をやることにはそれほど興味がなかったんですよ。進行方向別通行区分という先輩が組んでいたバンドがあって、大学生のときにそこに加入することになったのが、初めてのバンド活動でした。ボーカルの田中さんが中学時代の怖い先輩で、田中さんに怯えつつも、やってる音楽自体はすごく面白かったので、彼らのライブがあるたびにビデオカメラを担いで観に行ってたんです。進行方向別通行区分の音楽は説明するのが難しいんですけど、アート・リンゼイ(アメリカ出身のギタリスト。前衛的なパンクバンド・DNAの元メンバー)ばりの不協和音と、桑田佳祐ばりのいい声といいメロディーがぶつかり合っているというか(笑)。
あるとき、進行方向別通行区分のギタリストが脱退することになり、その後任として真部さんが加入することに。曲作りは田中さんが行っていましたが、アレンジはメンバーに丸投げだったため、そこで考えたギターのフレージングが、後の相対性理論にもつながる真部さんのオリジナリティーとして確立していきます。
真部:世間的に「相対性理論っぽい」とされている、ペンタトニック(1オクターブに5つの音が含まれる音階)のいいメロディーという要素は、進行方向別通行区分からの影響もありますね。進行方向別通行区分では、ペンタトニックでフレーズを作る必要性にかられていたんですよ。なぜかというと、田中さんのギターがあまりにもいろんな音が鳴りすぎていて、僕はなるべく少ない音で効果的にリフを作ることを考えていたから。ただし民謡臭くなったり、ブルース臭くなったりしないような、透明感のあるペンタトニックにしたいと。それがすごくかっこいいんじゃないかと思ったんです。
気軽な気持ちで始めたバンドが
相対性理論だった
そんな進行方向別通行区分ですが、メンバーの就職活動を理由に一旦解散することに。その後、相対性理論を結成することになります。
真部:当時僕も就職活動をしていたんですけど、すでにバンドが日常になっていたので、急になくなってしまったことが寂しくて。それで、就職をしても週末に遊びでバンドがやりたいなと思い、身近な人を集めて作ったのが相対性理論でした。で、曲を書ける人がメンバーの中にいなかったので、「よし、じゃあ俺が書こう」と。ベースを弾くことにしたのも、集めたメンバーの中にベーシストがいなかったからという理由だけなんです。
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