長野新幹線からローカル線に乗り換えて30分あまり。しかし、住所をたどってみても、そこにはスタジオらしき建物はありません。閑静な住宅街に現れたのは、大きな日本家屋の一軒家。庭も丁寧に手入れがなされています。ここは(((さらうんど)))のサウンドコンポーザーとして知られるCrystalさんのプライベートスタジオ兼実家。近所に家族と住む別の家を借りながら、実家の一室をプライベートスタジオとして利用しているそうです。ポップセンス溢れる楽曲と、イルリメさんの穏やかな歌声、ダンサブルなアレンジでリスナーから高い評価を集める(((さらうんど)))。この実家兼プライベートスタジオで、Crystalさんはいったいどんな音楽とともに育ち、どんな音楽を生み出そうとしているのでしょうか。お気に入りの機材と共にたずねてみました。
テキスト:萩原雄太 撮影:豊島望
Crystal(くりすたる)
1995年からDJ活動を開始。(((さらうんど)))のメンバーでもあるK404とのTraks Boys名義で、2007年に1stアルバム『Technicolor』、2008年に2ndアルバム『Bring The Noise』を発表。また川崎工場地帯の某屋上にて行われているパーティー『DK SOUND』では、Traks BoysとしてレジデントDJを勤める。2012年にクラブミュージックと歌モノを融合させたポップバンド(((さらうんど)))を結成。同年1stアルバム『(((さらうんど)))』リリース。2013年には待望の2ndアルバム『New Age』を発表し、さらに大きな話題を呼んでいる。
お爺ちゃんのアドバイスにより親戚全員から
資金を集めて手に入れた初めてのシンセサイザー
最近、実家の一室にプライベートスタジオを移されたばかりということで、1,000枚あまりのレコードが床に積まれたままのCrystalさんのスタジオ。さすが、DJをされているだけあって、ざっと見るだけでも気になるジャケットのレコードが目に入ってきます。そんな彼が、初めて音楽に目覚めたのは、小学校6年生の頃に観た映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のエンディングテーマ、TM NETWORKの“BEYOND THE TIME(メビウスの宇宙を越えて)”だったそう。一瞬で心を奪われた少年はお小遣いを握りしめ、同曲が収録されたアルバム『CAROL〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』を買うため、一目散にCD屋さんに走りました。
Crystal:機械に制御されたシーケンスのフレーズがカッコ良かったし、サックスも入っていてアーバンな感じもあり、ガンダムをイメージした宇宙的な広がりもあったんです。ちょっと言うのが恥ずかしいんですが、部屋で聴きながら1人で踊っていました(笑)。それで、中学1年生の頃に買ったのが、YAMAHA「B200」という小室哲哉モデルのシンセサイザー。“Get Wild”など、小室さんが実際に曲で使っている音が入っているというものです。ただ、当時14万円もして、とても子供のお小遣いでは手が出せない金額。おじいちゃんに相談したら、親戚全員に「何故その楽器が欲しいのか」を手紙で書いて資金を少しずつ集めろと言われました(笑)。それで、ようやく集まったお金でシンセを買うことが出来たんです。
そして、今まさにプライベートスタジオとして使用しているこの部屋で、Crystal少年はシンセサイザーに熱中。小室哲哉を入り口にして、彼の音楽的志向はどんどんと広がっていき、友達とT-REXのコピーバンドを組んだり、MOTLEY CRUEやBON JOVIなど、現在の音楽性とは異なるハードロック / ヘビーメタルにも傾倒していったそうです。しかし、そんなCrystalさんの音楽趣味を大きく変えてしまったのが、あるバンドの登場でした……。
Crystal:中学3年生の頃にMANIC STREET PREACHERSがデビューして、それを聴いた瞬間から、それまでの音楽の聴き方が変わってしまいました。音楽性だけでなく、メンバーのリッチー・ジェームスがインタビュー中にナイフで「4REAL」と腕に刻み込んだ事件や「1stアルバムを世界1位にして解散してやる!」といった彼らの姿勢は僕にとって初めてのパンク体験だったんです。それまでは音楽に没頭しつつも、放課後はバスケ部で部活に励むなど、バランスの取れた中学生だったつもりだったんですが、高校に入ってからは家でずっと音楽を聴いていたり、ギターを弾いたり、やさぐれた毎日を過ごしていましたね(笑)。
鬱屈した思春期の気持ちにピッタリはまった
生意気な姿勢のインディーロックのアーティストたち
エンターテイメントなスタジアムロックが好きだった少年は、MANIC STREET PREACHERSの衝撃を受け洋楽インディーロック少年に変貌。折しも時代はグランジ / オルタナティブロックが花開いた1990年代前半。イギリスではMy Bloody ValentineやThe Stone Roses、アメリカではNirvanaやDinosaur Jr.、BECK、さらに日本でもフリッパーズ・ギターやスチャダラパー、電気グルーヴなどが登場し、Crystalさんにとって、より身近に感じられるアーティストが次々と登場した時代でした。とりわけ、Crystalさんが魅せられたのは、彼らの音楽から感じる「生意気さ」だったそうです。
Crystal:音楽性もさることながら、一番共感出来たのはその生意気な姿勢。学校も好きじゃなかったし、鬱積したモノがあった思春期の気持ちにピッタリとはまりました。高校生の頃は、長野市唯一(?)の輸入盤屋に足しげく通ったり、レコード店CISCOの通信販売で、短い紹介文からどんな音なのかを想像して、12inchレコードを取り寄せることも楽しかったです。派手なトランスみたいなレコードを掴まされたこともあれば、逆にデトロイトテクノのカール・クレイグを掘り当てたり。同級生でそのあたりの音楽に詳しい人がいなかったので、興味がありそうな友達に「絶対かっこいいから!」とレコメンドして仲間にしていったんです。そういう意味では、DJをやっている今とあまり変わっていませんね。当時から、自分の好きなモノを色んな人に広めたいと思っていたんです。
あのCDも、このCDも使うことが出来る
ものすごい可能性と広がりを感じたDJという表現方法
その後、大学入学を期に上京したCrystalさん。長野県とはまったく違う情報量、多くの人々。そして日本でも盛り上がりを見せ始めていたクラブミュージックシーンの現場など、音楽大好き少年にとって、大きな転機になったことは言うまでもありません。初めてのクラブ体験は、現在の代官山UNITと同じ場所にあった「なんていう名前か忘れてしまった」というスペース。そこで石野卓球出演のイベントを体験し、さらにクラブカルチャーの虜へとなっていきました。
Crystal:長野にいたときは、クラブやライブハウスもあまりなく、音楽はもっぱらリスニングが中心だったんですが、上京してクラブに行くようになると、それがガラリと変わりました。ちょうどそんなときに『remix』という音楽雑誌で「DJ入門」という特集が組まれていたんです。ターンテーブルを2台使えば曲を混ぜられるといった基本的なことを読んで、「家にあった、あのCDもこのCDも使えるんじゃん!」と、DJという表現にものすごい可能性や広がりを感じたんです。すぐにDJセットを買いに走ってましたね(笑)。
クラブ初体験後、Crystalさんの音楽生活は、テクノがその中心を占めるようになったそうです。中でも衝撃を受けたアーティストは、デトロイトテクノの雄ジェフ・ミルズ。新宿LIQUIDROOMで行われたイベントで「異次元というか、完全に違うものを見ちゃった……」と、その衝撃を振り返ります。
Crystal:当時、僕のDJスタイルも完全にジェフ・ミルズの影響を受けていて、ハードなテクノやミニマルテクノのレコードを素早くどんどんつないでいくものでした。テクニック的にはとても難しいんですが、今思えばある意味一番DJが上手かった時期かもしれませんね(笑)。
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