グラフィックデザイナー、イラストレーターとして、大企業から、同年代の仲間によるプロジェクトまで多彩に活躍。さらに自身がデザインしたキャラクターブランド「DEVEAR(ディベアー)」でも、PARCOやLOFTなど数多くの企業とコラボレーションを果たしている大西真平さん。その仕事量の多さや、作風の幅広さには圧倒されますが、なんと大学を卒業する頃までは、政治運動をパロディーにしたコンセプチュアルアーティストを目指していたそうです。アーティスト志望だった青年が、商業デザインも手掛けるクリエイターに転身していった背景には、世の中の枠組みを利用して真剣に遊ぶ大西さんならではの生き方や思想がありました。既成の枠にとらわれるのではなく、枠を利用することで輝くクリエイティブの本質とは?
テキスト:宮崎智之
撮影:CINRA編集部
- 大西真平(おおにし しんぺい)
- 1978年生まれ、鳥取県出身。2002年東京造形大学美術学部絵画科卒業。2009年11月独立。プロジェクト毎に幅広いレンジのビジュアルを制作、落とし込みまで担当する。アパレルブランドのグラフィックや、ブランディングツール、キャラクターデザインなど幅広く活動している。また2011年SSよりキャラクターブランド「DEVEAR」を立ち上げる。
SHINPEI ONISHI
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クリエイター「大西真平」が誕生するまで
コンセプチュアルアートとデザインをつなぐ、クリエイティブの本質とは?
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大西さんのヒミツ道具をご紹介!
真剣に「遊ぶ」ために厳選されたヒミツ道具たち
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大西さんの作品作りをご紹介!
ずっと見ていても見飽きない、アナログな手技感の秘密を大公開
『STUDIO VOICE』によってカルチャーの洗礼を受けた少年時代
父親は美大出身、母親は音大出身という、ある意味クリエイティブエリートな家庭環境で育った大西さん。幼いころからMoMA(ニューヨーク近代美術館)に連れて行ってもらうなど芸術に親しみながら、自身がアートの道に進むことに対して一度も疑問を持ったことがありませんでした。
大西:中学校まではバスケットボールをしていましたが、高校に入ってからは帰宅部で、放課後は美術予備校に通っていました。「美大に進学するなら早いうちに勉強しておいたほうがいい」と父親に勧められまして。父と母は仕事の都合もあり鳥取に住んでいましたけど、子どもには「いつか広い世界に出て、好きなように生きてほしい」と思っていたようです。そんな家庭だったので、家にはマン・レイが女性のお尻を撮った写真が飾られていて、遊びにきた友人たちが「なんだこれ!?」と笑いながら騒いでいましたが、心の中では「これがカッコいいんだぞ」と思っていたり(笑)。一度も親に反発したことはなかったし、自分にとってクリエイティブな仕事をすることは本当に自然な流れだったんです。
少年時代は2009年に休刊した雑誌『STUDIO VOICE』によってカルチャーの影響を受けたり、また地元のスケートショップに入り浸っていたそうです。
大西:そのスケートショップに集まっている、スケボーやレコードが大好きな先輩や友人たち。鳥取には大きなレコード屋はなかったけど、そういう空気感が大好きだったんですね。大阪に進学した先輩のアパートに泊めてもらってレコード屋を巡ったり、Cisco RecordsにFAXして通販したりしていました。商品がお昼に代引きで届くもんだから、学校行ってる間に親が間違って支払ってくれたり。まぁ、いま思えば楽しい思い出ですね(笑)。
その後は東京造形大学の美術学部絵画科に入学。しかし、当時は映像やインスタレーションによる表現がメインストリームになりつつあった時代で、2学年上には美術家・映像作家の田中功起さんも在籍していました。絵画の授業に、次第に興味を失っていった大西さんが取り組んだのは、なんとガッチガチのコンセプチュアルアートです。現在の活動とは、かなりかけ離れているように見えて、興味深いエピソードです。
大西:アメリカで活躍したドイツ人のコンセプチュアルアーティスト、ハンス・ハーケに憧れていました。当時、僕が掲げていたのは、「マガジンハウス的な右翼左翼」というコンセプト(笑)。今日は右翼だけど、明日は左翼みたいな。父親の世代はまだ政治に興味があったと思うんですけど、僕らの世代はまた違っていた。その文脈を読み替えてパロディー化し、人々の政治的無意識を表現したいと思っていました。街に発電機とプロジェクターを持って出かけ、ショーウィンドウに三島由紀夫の映像を映したり、『ヨコハマトリエンナーレ』(2000年)に出展されていたオノ・ヨーコさんのアウシュビッツをテーマにしたインスタレーション作品に「くまのプーさん」を投影したり。いま僕が企業のロゴをデザインしているって知ったら、昔の友達は絶対に驚くんじゃないですかね(笑)。
コンセプチュアルアートとデザインワークの思わぬ共通点
両親の希望どおり自由に生きた大学時代。卒業後はアメリカの大学院に進学するつもりでしたが受験に失敗し、フリーター生活を送るようになります。その後、大学の先輩と一緒にTシャツや店舗の壁画などを手掛ける事務所を立ち上げますが、内心は焦りで一杯でした。
大西:いまでもファインアートに取り組んでいる友達はいるけど、本当に凄いなと思う。でも、そういう人は大学を卒業する頃になれば、徐々に世間の注目を集めるようになってくるけど、僕の場合はそうではなかった。成功し始めている友人たちを見て焦りを感じたし、大学を出てから数年は落ち込んでばかりでしたね。そんな僕がグラフィックやイラストを中心としたデザインを手掛けるようになったのは、やっぱり「おいしいご飯を食べるため」でした。
「自由な表現だけでは食べていくことができない」。これは多くのクリエイターが一度はつまずく壁の1つ。しかし、それは大西さんにとって、「後ろ向き」な決断ではなく、活動のフィールドを広げる選択肢でもありました。
大西:たとえば、この部屋をシェアしている「media surf communications」の『246 COMMON』というプロジェクトでは、冊子やポスター、DMなどのデザイン制作をかなり自由にやらせてくれる。一方、極端な例ですが、大手流通企業の案件では、50〜60代の男性向けという制約の中で、Tシャツのデザインを130パターン提出するという仕事をやったりもします。この2つの違いは何なのか? 一言で言うと、「ルールと枠組みが違うだけ」だと思うんです。
さらに、大西さんは続けます。
大西:2つの案件には「クライアントが満足して、自分自身も納得し、エンドカスタマーも喜ぶ」という明確なゴールがあります。前者の場合はプロデューサーのビジョンを理解してそれをビジュアルとして再現しなければいけないし、Tシャツの仕事は企業がマーケティング調査をしているので、そこで売れると判断されなければ最終的なオッケーはでない。そういったルールや枠組みの中で、僕自身がカッコいいと思えるビジュアルに落とし込み、消費者にも喜んでもらう。結局は、相手のビジョンと合致させつつ、それぞれの枠組みとルールの中で、どれだけ全力で「真面目に遊ぶ」かだと思うんです。
人々の政治的無意識をパロディー化した大学時代のコンセプチュアルアートと現在の商業デザインワークは対極的な表現に見えますが、「すでにある文脈や枠組みを巧みに読み替えて楽しむ」という意味では通じるところがあるのかもしれません。
「黄泉の国の使い」をコンセプトにしたキャラクターブランドも発信
一方で、大西さんは自身でデザインしたキャラクターブランドも立ち上げています。「彼岸と此岸(あの世とこの世)を行き来する黄泉の国の使い」をコンセプトにした「DEVEAR」です。
大西:1つのスタイルで絵を描いているわけではないので、ギャラリーの展示とかに呼ばれると困ってしまうことが多かったんですね。だから自分のキャラクターを作ろうと思ったのがきっかけでした。島田雅彦さんの小説を読んで、アイヌの人にとって熊が信仰の対象だということを知り、黄泉の国の使いとして考えだしたのが「DEVEAR」です。キャラクターのバックグランドを明確にするために、原作のマンガも描きました。
さらに、「DEVEAR」はPARCOやLOFT、ファッションマガジン『NYLON』などとコラボレーションも果たしています。
大西:初めは自分たちでオリジナルグッズを作っていたのですが、それだけでは発信力が弱すぎる。それなら既にある土台を借りて広めていこうと思ったんです。「DEVEAR」の世界観を、ある企業のキャラクターを使って再現するオーダーがあったときは、厚かましくも「DEVEAR」をちょこっとだけ登場させてみたり。「そういうのは止めてください」ってやんわりと怒られて没になりましたけどね(笑)。
既存の枠組みとルールの中で遊ぶ。ここも大西さんらしさが出ているエピソードだと言えます。JUN OSONさんとかえる先生とはアートユニット「ONO」を組みZINE『くそしまたろう』を発行しましたが、その際も数時間かけて下ネタを議論するほど「真面目に遊ぶ」ことにこだわったのだとか。そんな大西さんが目指す、これからの未来とは?
大西:僕は与えられたお題に自分らしく返していくことが大好きなんです。それで人に喜んでもらえたら本当に嬉しい。だから、これからもあまり未来を決めつけずに良い意味で流されていきたいですね。でも、自分が楽しいと思うことを、真剣に楽しんでいく姿勢は崩したくない。いま働いているのは、「みどり荘」という廃墟をシェアオフィスにリノベーションした場所なんですが、ここでは皆でイベントを開いたり、屋上でビアパーティーしたり、一緒の案件を手掛けたりなど、交流をしながらさまざまな試みをしています。「みどり荘」のメンバーも含め、一緒に楽しく仕事している仲間たちがもっと有名になっていけば、仕事を通して遊べることも増えてくるはずです。他力本願なんですが(笑)。あ、でも個人的な目標としては、自分が好きだった『STUDIO VOICE』や『RELAX』のような雑誌のデザインを一から手掛けてみたいです。これは目標というより、夢なので恥ずかしいから書かないでくださいね(笑)。
あくまで自然体で、遊び心を忘れない大西さん。流れる行き先がどこであろうと、「楽しむこと」に素直で居続け、作品を発表し続けてくれることでしょう。夢が目標に変わり、大西ワールドに満ちた雑誌を読めるようになることが待遠しいですね。
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