兄弟の愛憎劇『今は亡きヘンリー・モス』伊礼彼方×谷田歩

2010年8月22日から29日まで、赤坂レッドシアターで上演される芝居『今は亡きヘンリー・モス』。本作は、映画『パリ、テキサス』の脚本家などとしても有名なサム・シェパードが手掛ける、家族や兄弟をテーマに据えた緊張感漂う愛憎劇である。今回、その名作にて兄弟を演じるのが、これまでシェイクスピア劇を中心にキャリアを積み上げてきた実力派俳優・谷田歩と、中学生の頃からバンド活動を行い、卓越した歌唱力と表現力でミュージカルなどでも活躍する伊礼彼方だ。このたび、誰にとっても大きな存在である家族や兄弟について、そして「芝居」というものの持つ奥深い面白さについて、お二人に語っていただいた。生温い作品からは決して得ることのできない、凝縮と感動をもたらす体験こそ、『今は亡きヘンリー・モス』という舞台なのである。

(インタビュー:小林宏彰 テキスト:山岸かおる 撮影:柏井万作)

芝居って、空気を作るも壊すも自分たち次第

─今回お二人は初共演ということですが、稽古が進む中で、お互いにどんな印象を持たれるようになりましたか?

伊礼:谷田さんはパッと見コワモテですから(笑)、はじめは危険な雰囲気を感じていたんですけど、接してみるととても優しい方だとわかりました。谷田さんの渋さには憧れますね。男の年齢の重ね方としては理想像に近いと思っています。

谷田:僕の場合は、やっぱり彼方くんのこのカッコ良い見た目に惹かれました。それから稽古中にダメ出しされたときも、すぐに芝居を変えることができるので、とても耳が良いんだと思います。歌も本当に上手いです。ストレートな芝居が初めてだそうですが、すぐになじんでいるし…。

─伊礼さんは、台詞劇に出演するのは初めてということですが?

伊礼:音楽の場合は、始まりから終わりまで尺が決まっていて、その範囲の中で表現する面白さや難しさがありますよね。芝居の場合だと、その場の空気を作り出すのも壊すのも自分たち次第で、そのあたりにやりがいをひしひしと感じていますね。

─ところで、お二人が演劇を始めることになったそもそものきっかけはなんだったのでしょう。

兄弟の愛憎劇『今は亡きヘンリー・モス』伊礼彼方×谷田歩
伊礼彼方

伊礼:18歳の頃、音楽をやっていたのですが、バイト先に俳優の高橋克実さんが来店されて、その場で「俺の芝居見に来いよ!」って誘って下さったんです。初めて芝居を見たのはその時で、それまでは生でふれるのは音楽だけでした。とても迫力があるものなんだな、と思いましたね。実際に舞台に出たのは、路上ライブをしていた時に声をかけられたのがきっかけです。25歳で初めて舞台に立ったんですが、音楽をやっているときの感覚と似ていると思ったので、これは面白いかもしれない、と。

谷田:僕の場合は、中学校の頃に地元の静岡に公演に来ていた劇団四季なんかを見て、こういう世界があるんだなと感動したんです。それで楽屋をのぞいてみたら、舞台上では王子様やお姫様を演じていた人たちが、手ぬぐいを巻いて搬出作業をしている。「演技ができる」という特殊な能力を持っている人たちとしてではなく、身近な存在に感じられた瞬間でした。

職業の選択肢として俳優という仕事を意識したのは17歳の時ですね。実際に舞台を踏んだのは、21歳の時に『アイーダ』に衛兵役で出演したのが最初です。映画も好きで、小学校の頃に『ゴーストバスターズ』を観て『ゴーストバスターズ2』に出るぞと思っていたんですが、中学に入ったら2が公開されちゃって。しかも高校に入ったら3が…。

伊礼:で、今は『ゴーストバスターズ4』に出るのを狙っているんですよね(笑)。

演技のポイントは「言葉の具体性」

─今回、兄のアールを谷田さん、弟のレイを伊礼さんが演じられるわけですね。兄弟の濃密な関係が作品テーマのひとつだそうですが、役に対して共感できるところや、自分の性格に近いと思う部分はありますか。

伊礼:自分の家族とは、似ている部分がかなりあります。亡くなった父親と対面するという話なのですが、ちょうどこの話を頂いたときと、自分の父親も生死に関わる状態になるという状況が重なったんです。なので、未だにちょっと動揺していまして、まだ台本がちゃんと開けていないんです。

兄弟の愛憎劇『今は亡きヘンリー・モス』伊礼彼方×谷田歩
谷田歩

谷田:だれにでも家族はいるから、当然たくさん共感する部分はあります。ただ僕は、「舞台に立ってなにかを感じる」ことが重要だと思っているんです。

というのは、自分の経験ももちろん大事ですが、それを引きずって舞台上でリアルにやり過ぎると、演劇的にはならないんです。彼方くんがどういう心の整理をつけられるのかまだ分からないし、簡単にはできないと思うけれど、良い方向に出てくれれば良いなとしか今は言えないですね。


─稽古が始まってしばらく経ちましたが、今回の作品を通して、役者としての成長や変化は感じますか?

谷田:最近、リアルな芝居を目指すようにしているので、ちょうどいい機会にこの芝居に参加させてもらったと思っています。これまで僕がやってきたシェイクスピア劇は、背景に差別問題があったりして、それに対する憤りのような気持ちを発散しながら台詞を言うことが多いんです。でも、今回共演させていただいている中嶋しゅうさんの演技などはその逆で、本当に抑制された芝居なんです。それこそ今僕が目指しているところなので、良いお手本になっていますね。

伊礼:演出の小川絵梨子さんからは、「言葉の具体性」を伝えてほしいとよく言われます。要は絵が描けるくらいまでしっかりと、場面場面での情景や心情を想像することで、台詞にリアリティを持たせてほしいということですね。

それを他の作品でも取り入れてみたところ、「すごく説得力が出たね」って評価されました。まだ10日程度しかこの芝居にたずさわっていないのに、すでに変化が出てきているということは、最後までやり遂げた時にはさらに何かを発見できるような気がしています。

どんな家族でも「絆」がある

─作品の中で気に入っているシーンについて教えてください。

谷田:いまのところ、1幕でしょうか。難しいのは開幕から30〜40分だと皆は言いますが、具体的にどこと指摘するのは難しい。ある意味、全場面と言えるかもしれません。とにかく全編に緊張感が漂っている芝居なんです。

伊礼:芝居が進むにつれて、この兄弟の関係性が逆転していくんですよ。1幕と3幕では真逆になってさえいる。その変化して行く過程を見てほしいですね。

谷田:それから、中嶋さん演じる父親ヘンリー・モスの、どこか寂しさを背負ったような表現や、息子たちとの関係について、変わった家族なんだけど、やはりどんな家族にも「絆」があるんだ、ということを表現できればと思います。

兄弟の愛憎劇『今は亡きヘンリー・モス』伊礼彼方×谷田歩

伊礼:プロデューサーの江口剛史さんは、特に男の人に見てもらいたいと言っていましたね。30、40代の兄弟がいる人は、皆グッと来るんじゃないかな。

谷田:女の人が見ても十分共感できると思います。というのは、母性本能をくすぐる男たちがたくさん出てくるから。これだけタイプの違うダメ男が出てくる芝居も珍しい(笑)。キャストの年齢も、20代から60代までと幅があるので、どの世代にとっても感情移入できるポイントがあると思います。


─特に印象に残っている台詞はありますか?

谷田:谷田:やっぱり、一番最初と一番最後の台詞ですね。

伊礼:似たような台詞やシチュエーションが登場するんですが、時の経過によって、まったく内容が違うものになっている。それを肌で実感してもらいたいですね。

感情が「すり切れる」ほどのリアリズム

─谷田さんは映画にも出演されていますが、舞台との違いはなんでしょうか。

兄弟の愛憎劇『今は亡きヘンリー・モス』伊礼彼方×谷田歩

谷田:去年から映画の撮影をしているんですが、あるシーンで人を殴り倒してから振り返る、という演技をしたときに、監督から「谷田さん、歌舞伎入っちゃってます!」って注意されて(笑)。振り返るだけなのに、ものすごく目に力を入れて睨みをきかせちゃったんですよ。「撮られてる」って感じた瞬間に力が入ってしまうのは、芝居をやってて身に付いたクセですね。

─どうしてもお芝居だと、大袈裟にやらなければ伝わらない部分がありますからね。

伊礼:でも、今回は相当にリアリズムを意識した会話劇ですよね。

谷田:そうなんです。舞台の上でも、普通のトーンで会話しているんです。聞こえなかったらごめんなさいね、っていうくらい声が小さいときもあります。

伊礼:僕も普段は大きな声で演技をすることが多いので、なんだか不思議な感覚なんですよ。

谷田:でも稽古が終わった後はものすごく疲れるんです。正直なところ、本当に毎日稽古に来るの、気が重い(笑)。

伊礼:僕なんか、稽古が終わるとすぐに帰りますもん(笑)。

谷田:家に帰って、まずはお酒を飲まなければ、台本を開けないんですよ。それくらいヘビーな内容。

伊礼:そう、とにかく「楽しい」芝居じゃないんです。芝居をしている間は、笑顔を見せることが基本的にない。だから、稽古場に来ると皆でまず世間話で和んでから、「じゃあやろうか」って。自宅に帰った後は台本を開きたくないくらい疲れ切っているのなんて、初めての経験ですよ。

谷田:逆に、あんまり稽古してはいけない芝居なんじゃないかって思うくらいに、1幕やり終えると感情がすり切れてしまうんです。

伊礼:感情的な場面ほど、あまり稽古をしたくないですね。演出の小川さんはよく「感情がすり切れる」という表現を使うんですが、感情的にぶつかり合うようなシーンって、何度もやるとだんだん慣れて感情がなくなっていき、形だけになってしまうようなことがあるんです。

相手がいて、成立する。それが芝居の原点

─なにか役者の側から、役に対して提案することもありますか?

谷田:うーん。自分が「こうしたい」というよりも、役に近づこうとしていると、そのうち役のほうが自分に近づいて来るんですよ。そうなるように努力していますね。

兄弟の愛憎劇『今は亡きヘンリー・モス』伊礼彼方×谷田歩

伊礼:谷田さんのやり方はすごく面白くて、演技に入る前に「もらって下さい」って絶対言うんです。相手の目を見て、気持ちを受け止めあってから台詞を言うという姿勢を教えて下さいました。

谷田:まず、相手がどういう目で自分を見ているのか、と確認してから、目線をそらして始める。そんな感じですね。

伊礼:芝居は自分一人では作れるものではなくて、相手がいて初めて成立する。それが大事だと気づかされたんです。この作品は台詞も多いので焦りやすいんですけど、相手のことを受け止めてそれを返していくんだと意識すると、自然に安心感が出てきますね。

谷田:中嶋しゅうさんの演技は「スーパーリアリズム」なので、特にそれを意識しないと芝居が成立しないんですよ。

伊礼:本当にすごいんです。以前、中嶋さんの芝居を小さな小屋で見たことがあるんですが、観客との距離が近いので、わずかな目の動きや動揺がすべて見えてしまうような場所でした。そうすると、「わざと」やっている演技は全部分かってしまう。僕は「演じよう」としてしまうタイプなんですが、今回の舞台では嘘はつけないな、と思っています。

─谷田さんも「リアリズム」の演技を目指されるのでしょうか?

谷田:そうですね。僕も彼方と同じで演じたがりなタイプでしたが、35歳を越えてから「演じよう」と意識するのをやめようと思ったんです。そもそもの見てくれが派手なので(笑)、動きは最小限に抑えて芝居をしようと思っています。

伊礼:中嶋さんのような方と一緒の舞台に立てて、生で作り上げる過程を観れる機会はなかなかありません。そこから得られるものを吸収して、共演者の方々と演技をしっかり組み上げ、緊張感のある作品にしたいですね。それが今回の舞台を成功させるカギだと思っているので、ぜひ舞台上で展開される「嘘のない」やりとりを楽しんでもらいたいです。

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イベント情報
『今は亡きヘンリー・モス』

2010年8月22日(日)〜8月29日(日)
会場:赤坂レッドシアター
作:サム・シェパード
翻訳・演出:小川絵梨子
出演:
谷田歩
伊礼彼方

田中壮太郎
福士惠二

久世星佳
中嶋しゅう

料金:6,000円
チケット取り扱い:
チケットぴあ(Pコード:404-274)
ローソンチケット(Lコード:33351)
e+

プロフィール
伊礼彼方

1982年生まれ。沖縄出身の父とチリ出身の母を持つ。幼少期をアルゼンチンで過ごし、横浜で育つ。中学生の頃に音楽を始め、ライブ活動等を行う。路上で弾き語りをしていた時に声をかけられ、2006年ミュージカル『テニスの王子様』で舞台デビュー。08年東宝ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役に抜擢され、舞台を中心に活躍している。09年にはミュージカル『The Musical AIDA-アイーダ-』ラダメス役、またNHK教育『テレビでスペイン語』のナビゲーターを務めた。10年、ミュージカル『Garantido-生きた証-』『Side Show』『SILK STOCKINGS 〜絹の靴下〜』など話題のミュージカルに出演。今後の予定としては2010年8月〜10月(伊礼出演9/6-10/3)帝国劇場にてミュージカル『エリザベート』(ルドルフ役)、12月25日から11年2月6日まで、シアタークリエにて『アンナ・カレーニナ』に出演予定。

谷田歩

1975年静岡県生まれ。シェイクスピアシアター附属演劇研究所に入所し、フランコ・ゼッフェレーリ演出の『アイーダ』で初舞台を踏む。その後、吉田鋼太郎主宰の劇団「AUN」に入団。2001年から現在までのほぼ全作品に出演する。 主な出演作に、2004年の蜷川幸雄演出『タイタスアンドロニカス』(ディミートリアス役) 、05~08年、栗田芳宏演出による能楽堂シェイクスピアシリーズ『冬物語』(レオンティーズ役)、『マクベス』(バンクォー役)、『オセロー』(オセロー役)『ハムレット』(クローディアス役)、ヨーロッパツアー『冬物語』(レオンティーズ役)、ミュージカル『クラリモンド』『HAMLET』などがある。舞台を中心に活躍する一方、09年のTVドラマ『夏の秘密』にレギュラー出演し、CMのナレーターも多数行っている。07年には常盤貴子主演『筆子その愛』にて映画初出演。2011年全国公開予定の映画『HESOMORI―ヘソモリ―』では幕末の藩士役を演じる。

『今は亡きヘンリー・モス』あらすじ

父の死をきっかけに7年ぶりの再会を果たした、兄アールと弟のレイ。真実を知りたがらないアールとは反対に、父の死の真相を暴こうとするレイは様々な人物を追及し、父ヘンリー・モスの最期の数日間と家族の隠された過去を紐解いていく。



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