ケラリーノ・サンドロヴィッチ(以下KERA)が主宰する劇団・ナイロン100℃が、4月10日から青山円形劇場で『パン屋文六の思案~続・岸田國士一幕劇コレクション~』を上演する。同作は、日本現代演劇の父とされる岸田國士の戯曲8篇をコラージュしたもので、衣裳監修をモダン着物のカリスマ・豆千代が、振付をイデビアン・クルーの井手茂太が担当。円形劇場の特性を活かしたパノラミックな和装劇となりそうだ。
昨今は、新生ナゴムレコードを立ち上げたり、鈴木慶一とのユニット「No Lie-Sense」や「ケラ&ザ・シンセサイザーズ」の新作をリリースするなど、音楽活動も再び盛んになってきているKERA。演劇人として広く認知されながらも、現役のミュージシャンとしてフレッシュな作品を世に送り出している彼に、新作の構想や今後の音楽活動について話を聞いた。
岸田の戯曲は、人生の複雑さや実存的な問題を扱っているけど、それを楽しみながら描いている感じがする。
―今回上演される『パン屋文六の思案』は、2007年の『犬は鎖につなぐべからず』同様、岸田國士の戯曲をコラージュしたものですが、KERAさんが岸田戯曲に最初に触れたときの印象はどうだったんですか?
KERA:最初は、80年以上前にこんなにおおらかな戯曲を書いていた人がいたのか、っていうくらいの印象で、本当にそのすごさを痛感したのは『犬は鎖につなぐべからず』の稽古が始まってからでした。洒落ているし、大人だし、ドライだし、ウディ・アレンの映画のよう。基本的にペシミスティック(悲観的)なのはチェーホフにも近いけど、岸田の場合はもっと軽くて明るい。人生の複雑さや実存的な問題を扱っているんだけど、それを楽しみながら描いているのが分かるんです。大正時代にこんなモダンなことをやっていて、当時の人たちがどれだけ理解できていたか分からないですけどね。
―岸田國士は、それぐらい早かったということですよね。今でも、名前が知られているわりに広くは読まれていないと思うのですが。
KERA:若手劇作家の登竜門と言われる『岸田國士戯曲賞』なんて賞もあるし、現代演劇の父とも言われているし、評価はされているんですよね。でも、意外と読まれていない。カフカ、チェーホフ、別役実——僕が大好きでしょうがない人たちは一般の演劇ファンが及び腰になりがちで、岸田國士もそう。きっと、一言で形容できるキャッチーさに欠けるというのもその一因だと思うんですけど。それでも、『犬は鎖につなぐべからず』から7年の間にずいぶんいろんな劇団が取り上げるようになったなとは思いますね。
―岸田戯曲は台詞が洒脱で洗練されていますが、コラージュにあたってもやはりそこは残そうとしたのでしょうか?
KERA:そうですね。可能な限り残したいんですが、どうしても上演時間の都合でカットせざるを得ない。とても苦しい作業でした。切った台詞もまたいいんですよね。さりげなくて、とても美しい。登場しない人物の名前とか無関係な固有名詞が唐突に出てきたりもして、それもまた作品のバックボーンを豊かにしていく。演劇で遊んでいる感じがするんです。今日稽古したシーンでも、登場人物が図面を持ってきて「この張り出しのところが……」とか言ってるんだけど、いったいなんの図面の話なのかさっぱり分からない(笑)。そういうのが多いですね。
―台詞の端々に余白や含みがあって、想像力を刺激されますよね。人によっては不親切だと思うかもしれないけど、だからこそ作品に深みや奥行きが生じる。
KERA:岸田の戯曲は、台詞は絶対的じゃなくて、相対的なものとしてあるんです。だから、観客への伝わり方はまちまちで、ぼーっと観ている人にはよく分からないかもしれないし、勘違いされるかもしれない。だから、「本当のところはどうなのか?」って思う人もいるだろうけど、そんなことは重要じゃない。例えば、街でお母さんと子どもがなんか揉めているとする。この二人がどんな親子なのかは分からないし、お母さんと子どものどちらが悪いのかも分からないけど、とりあえずそうした光景として認識することもできるじゃないですか。「事情」より「印象」が面白いことって、世の中にはたくさんありますよね。そういうことを、岸田も楽しんでいるように感じます。
―ふっと覗き見た世界を切り取っただけのような、ある意味リアルな描写ですよね。
KERA:僕も観客の想像力を信頼した演劇が好きだから、そこに惹かれるんでしょうね。全部の情報を与えてしまうのは、観客を馬鹿にしているような感じがしてしまう。ある程度、観た人がそれぞれ何かを持って帰れる余地を残しておきたいんです。演劇や映画の観客って、小説や絵画の受け手よりも「だから結局どうだったんだ?」っていうことを知りたがるんですよね。でも、「結局どうだったか?」なんてことはどうでもいいよって思う。未だに「泣かせ」と「どんでん返し」が物語の二大主流になっているような状況は、つまらないと思います。
恥ずかしがり屋で、その気持ちがもの作りの土台になっている。都会っ子同士だからこその、「これをやったら恥ずかしいよね?」みたいな感じが共通してありますね。
―他に、岸田の戯曲を読んでいて再発見したことはありますか?
KERA:岸田國士には、劇作家としてという以前に、人間としての器の大きさを痛切に感じますね。自分とは全然違う人種だっていうのは分かるんですけど、だからこそ憧れがある。評論家の植草甚一さんとか、音楽家だったら亡くなった加藤和彦さんとかもそうだけど、絶対自分にはできない生き方をしているんです。
―己の美学のために生きる人、みたいなことでしょうか?
KERA:そう。仕事にがむしゃらになるのではなく、美学が一番大枠にあってその一環として仕事もあるみたいな。人生全てを自分の美学に捧げているような。
―でも、岸田の都会っ子らしいセンスは、同じ東京育ちのケラさんに通じるところがあると思いました。
KERA:ああ、そうですね。同じ江戸っ子気質だと思います。恥ずかしがり屋で、その気持ちがもの作りの土台になっている。それは、No Lie-Senseというユニットを一緒にやっている鈴木慶一さんにも感じます。ふざけるにしても、「このふざけ方は格好悪いよね?」って分かり合える。都会っ子同士だからこその、「これをやったら恥ずかしいよね?」みたいな感じが共通してありますね。
―ちなみに今回、もうすぐ取り壊されてしまう青山円形劇場での上演ですよね。お客さんが舞台を全方位から取り囲む形状になっていますが、KERAさんほど舞台を立体的に観せられる演出家は珍しいと思うので、そこも見所だと思うんですが。
KERA:うん。青山円形劇場でしかできない演出はいっぱいあって。この空間では、お客さんがみんな舞台上にいるかのような錯覚を起こすことができる。劇場の内側全体が演劇空間になるっていう感覚は円形劇場ならではですよね。
―客席と舞台も近いですしね。
KERA:そう、お客さんと近いことが、すでに作り手側からすると得なんです。観客側ももちろん得をしているんだけど、俳優さんも観る人を圧倒できるし、細かいニュアンスが伝えられる。うちの奥さん(緒川たまき)なんかは、青山円形劇場が一番好きって言いますね。舞台に立つのが楽しくてしょうがないって。
今は達観しているというか、自分の限界を分かってやっている人が多い気がします。だけどもっとがむしゃらな人がいてもいいと思う。
―ところでKERAさんは、ナイロン100℃『フローズン・ビーチ』で、『第43回岸田國士戯曲賞』を受賞しただけでなく、2012年からは同賞の選考委員も務められています。若手演出家の作品に触れる機会も多いと思うのですが、刺激されることはありますか?
KERA:チェルフィッチュ以降という括りになるのかな。物語に縛られていない、ポストドラマ演劇と言われる流れは新鮮でしたね。これまでは、物語という巨大な壁をまず乗り越えなきゃいけなかったのが、そこと関係なくやれるというのは自由でいいなと思います。ただ一方で、その世界が小さくて、もどかしいと思うこともありますね。そして、したたかだなって思う。
―ある程度の枠を決めて作っている、ということですか。
KERA:そう。みんなちゃんと自分なりの理屈があってすごいなと思うけど、「理論武装はもういいよ」って思うときもある。やっぱり、「理屈で語れないから演劇やってるんです」「なんだか分からないけど面白いからやってみた」みたいな人がいないとさ。
―天然な人が少ない?
KERA:そういう言い方もできるのかな。なんでこんなに上演終了後のポストトークが当たり前にあって、どの演出家も作品について雄弁に語れるのか? って思うことはありますね。僕が20代の頃はそんなことすぐには語れなかったと思うんですよ(笑)。なんだかよく分からない、言葉にもできないことを、お芝居なら表現できるんじゃないか? と思ってやっていたから。
―そこは初期衝動ありきですよね。時代的なものかもしれないけど、パンクとかニューウェーブの精神に近い。
KERA:でしょうね。今は達観しているというか、自分の限界を分かってやっている人が多い気がしますね。だけどもっとがむしゃらな、つまりはバカってことなんだけど(笑)、そういう作り手がいてもいいと思う。感性だけでモノを作るような。自分たちがどこに転がって行くのか、なんの確信も持てないままやっているような。限界なんて分からないほうがいいんじゃないかな、とも思うんですよね。
音楽をやっていると、他の活動にも良い影響があるんですよ。そもそも、昔はそれぞれの活動が相互にフィードバックし合っていたわけだしね。
―一方、ミュージシャンとしては、No Lie-Senseや、ケラ&ザ・シンセサイザーズとして新作をリリースし、新生ナゴムレコードを立ち上げられています。昨年12月には、KERAさんの生誕50周年とナゴムレコード30周年を祝う『ケラリーノ・サンドロヴィッチ・ミューヂック・アワー』が開催されて、若いファンも多数来場していました。このタイミングで音楽活動を活発化したきっかけは?
KERA:慶一さんとNo Lie-Senseを始めたことが良いきっかけになったと思いますね。今、アルバムを3枚作っていて。ケラ&ザ・シンセサイザーズとNo Lie-Senseとソロ。全作業の半分くらいは終わっているんですけど、この後『パン屋文六の思案』でまとまった時間が取れないからなあ……って、スケジュールの話をしてもしょうがないですね(笑)。この間も慶一さんのマネージャーさんに話をしたら、「慶一はいつでも合わせますよ」って言ってもらえた(笑)。もう、大先輩にホント申し訳ないんですが、そうやって迷惑かけながら皆さんにスケジュールを合わせていただきつつ少しずつ作って、来年の今頃までに3枚とも出せるといいですね。
―そこは、音楽と舞台のスイッチの切り替えが大変じゃないかなと思うんですけど。
KERA:昔よりは全然大変じゃないです。昔は昼にレコーディングやって、夕方に芝居の稽古して、深夜にまたレコーディングに戻ったりしてましたからね。でも、音楽をやっていると、他の活動にもいい影響があるんですよ。あと、今年からは音楽だけじゃなくて、久々に映像の仕事も色々やっていきたいと思っています。そもそも、昔はそれぞれの活動が相互にフィードバックし合っていたわけだしね。
やっぱり若い人に観に来てほしいですね。若い人にどう思われているかっていうのは常に気になります。年寄りがどう思おうとあんまり気にならないんですが(笑)。
―KERAさんの立ち位置が稀有なのは、演劇と音楽、どちらも本業として実績を残されているところだと思います。演劇人がバンドをやるとか、ミュージシャンが俳優に挑戦するとかではなく。
KERA:以前はその二つを分けて考えていたので、演劇から透けて見える自分のキャラクターと、ミュージシャンとしての言動の間には幅があって、混乱させるところもあったと思うんです。だけど、ここ何年かは演劇で作っているものと音楽でやっていることが非常に近づいているように感じています。演劇を観た人が僕の音楽を聴いて、「あー分かる、あの演劇を作る人だからこういう音楽をやるのか」みたいにようやくなってきたかなあ、と。
―KERAさんが1990年代にやっていたバンド・LONG VACATIONのCDが2012年にリイシューされましたけど、あれが本当に素晴らしくて、最近の演劇人としてのKERAさんしか知らない若い人が聴いたら、きっと夢中になると思うんですよ。逆に、ミュージシャンとしてKERAさんを認知している人も、演劇を観ると色んな発見があるだろうし。KERAさんとしては、演劇やライブをこういう人たちに観て欲しいというのはあるんですか?
KERA:いえ、特に限定はしたくない。ただ、強いて言えば、やっぱり常に若い人には観に来てほしいですね。内容を若い人に合わせようとは思わないけど、どう思われているかっていうのは、気になります。年寄りに何言われようとあんまり気にならないんですが(笑)。
―(同席した編集者)私は今25歳なんですけど、父親がリアルタイムでKERAさんの音楽を好きで、その影響で私も小学生の頃からCDを聴いていて、それでナイロン100℃の舞台も観るようになったんです。周りにもそういう人が結構いるんですけど、やっぱり初期のKERAさんの活動をリアルタイムで観られなかったことが悔しくて、今追いかけている。そういう人がお客さんにも増えてきているんじゃないでしょうか?
KERA:そうみたいですね。ずっとリアルタイムで観てくれている昔からのお客さんと、若いお客さんが混在している。で、若い人は勢いがあって、僕より昔の僕のこと詳しかったりしますね(笑)。
―「ナゴムから出てたソノシート持ってますよ」みたいな若者がいたり(笑)。
KERA:映画『モテキ』であったよね、そういうシーン。業界人にもすごく多いんですよ。「実は大ファンで……」って言ってくれる若い人が。でも、その言葉を聞くのは大概一緒にやる仕事が終わる頃なんですよ。もっと早く言ってくれれば、仕事の間中ずっと「ありがとう!」という気持ちで接することができたのに、って(笑)。
―今回の『パン屋文六の思案』は、まさにそういう人に届きそうですよね。題材が岸田國士ということで、シブいといえばシブいですけど、場面転換の部分では、井手茂太さん(イデビアン・クルー)の振付によるダンスがあったり、衣裳が豆千代さん監修のモダン着物だったりしますし。
KERA:視覚、聴覚だけじゃなく、嗅覚でも楽しんでもらうために、観客の方にニオイカードも配布するスペシャルな公演です。ダンスや衣裳、ニオイも含めて岸田國士を1つのパッケージとしてお見せする。あと、若い人からするとナイロン100℃のチケット代は少し高いかもしれないけど、学割だと4,300円。これは声を大にして言いたい(笑)。
『パン屋文六の思案~続・岸田國士一幕劇コレクション~』チラシ
―KERAさんの舞台は作風にめちゃくちゃ幅があるから、続けて何本か観るのも面白いと思うんですよね。
KERA:うん。さっき、音楽と演劇を同じウェイトでやっているのは珍しいって言っていただきましたけど、同じ演劇にしても、商業的な作品とそうじゃない作品を、バランスを取りながらやってきました。だから、できれば3本くらい作品を観て欲しい。それでつまらないと思ったら、もう観てもらわなくていいと思うんですけど。1本だとね、まだ夢中になってもらえる作品が他にあるかもしれない。
―最後の質問になりますが、これからやってみたいジャンルの舞台はありますか?
KERA:そのときどきでどんなものをやりたくなるか、自分でも全く予想できないのでなんとも。ポストドラマに振り切ったものもやってみたいし、古典的な喜劇をアヴァンギャルドな手法で調理するというのも試してみたい。最近はもう、お客さんはある程度、何をやってもついてきてくれると思ってるんですよ。
- イベント情報
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- ナイロン100℃ 41st SESSION
『パン屋文六の思案~続・岸田國士一幕劇コレクション~』 -
2014年4月10日(木)~5月3日(土・祝)全28公演
会場:東京都 青山円形劇場
作:岸田國士
潤色・構成・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演:
みのすけ
松永玲子
村岡希美
長田奈麻
新谷真弓
安澤千草
廣川三憲
藤田秀世
眼鏡太郎
猪俣三四郎
水野小論
伊与勢我無
菊池明明
森田甘路
木乃江祐希
萩原聖人
緒川たまき
植本潤
小野ゆり子
志賀廣太郎
※出演を予定していた吉増裕士は怪我のため降板になりました
料金:前売・当日一般6,900円 学生4,300円(前売のみ、チケットぴあのみ)
- ナイロン100℃ 41st SESSION
- プロフィール
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- ケラリーノ・サンドロヴィッチ
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劇作家、演出家、音楽家、映画監督。1963年、東京都出身。劇団「ナイロン100℃」主宰。82年、ニューウェーブバンド・有頂天を結成。並行して85年に劇団健康を旗揚げ、演劇活動を開始する。92年の解散後、翌93年にナイロン100℃を始動。99年には『フローズン・ビーチ』で第43回岸田國士戯曲賞を受賞。以降、数々の演劇賞を受賞。12年より岸田國士選考委員を務める。音楽活動では、バンド「ケラ&ザ・シンセサイザーズ」のほか、13年には鈴木慶一氏とユニット「No Lie-Sense」を結成するなど精力的に活動中。
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