言わずと知れた元RED HOT CHILI PEPPERSのギタリストであり、ソロでは多作家としても知られ、現代の音楽シーンにおける数少ないカリスマとも言うべきアーティスト、ジョン・フルシアンテ。2009年末のバンド脱退後は、インディペンデントな活動姿勢を貫き、音楽性に関してはエレクトロニックミュージックに急接近。最新作『ENCLOSURE』についてジョンは、「過去5年間における音楽での目標をすべて達成した作品」と語っている。そこで今回はソロのキャリアを改めて振り返り、彼がなぜこれほどまでに多くの人に愛されているのかを考えると共に、意味深なアートワークが施された『ENCLOSURE』という作品が彼にとってどんな意味を持つ作品なのかを、本人の発言を引用しながら紐解いていく。熱心なファンの方はもちろん、「レッチリ以降のジョンはよくわからない……」という人にも、ぜひ彼の現在地を知ってもらいたい。
レッチリ脱退からソロへ。「外側」と「内側」を行き来した紆余曲折のキャリア
ジョン・フルシアンテの最新作『ENCLOSURE』。「囲い込む」という意味のタイトル通り、赤いペンキで描いた円で自らを囲い込んでいるアートワークが非常に印象的だが、果たしてこれは何を意味しているのだろうか? ジョンは何かに捉われていて、そこから抜け出すことができないのか? それとも、自ら線を引いて、何かと別れを告げたのか? そんなことを考えていると、彼がこれまで常に「内側と外側」を行き来しながらミュージシャンとしてのキャリアを進めてきたことが思い出される。
John Frusciante『ENCLOSURE』ジャケット
RED HOT CHILI PEPPERSのギタリストとして音楽人生をスタートさせ、『BLOOD SUGAR SEX MAGIK』をはじめとした初期の代表作に貢献するも、1992年中の来日公演中に姿をくらまし、そのまま脱退。ヘロイン中毒やうつ病に苦しんだが、99年に復帰を果たし、『CALIFORNICATION』の世界的なヒットによって長らくスタジアムバンドとして君臨した後、2009年に自らの音楽を追求するために再度バンドを離脱。現在はインディペンデントレーベルから作品を発表し、基本的にツアーなどは行わず、プロモーションも限られた範囲でしか行っていない。ソロとバンド、インディーとメジャー、または自身の内面世界と社会、こういった内側と外側の対立構造の中で経験を積み重ね、現在は自らを「外側」に置くことで、自身のクリエイティブを最大限に発揮していると言っていいだろう。ただ、これだと円の「内側」にいる新作のアートワークとはずれが出てくるが……。
インディペンデントな活動を経て、まったく新しい境地へ
もう少し歴史を振り返ってみると、ソロとしてのキャリアは大きく4期に分けられる。第1期はレッチリの活動から離れていた90年代であり、この頃は精神的に病み、社会の外側から作品を発表してた時期。第2期はレッチリに復帰し、メジャーレコード会社のワーナーから作品を発表した00年代前半。そして、04年の『Shadows Collide With People』で、ソロとして初めてスタジオ録音を敢行したことによって一気に創作意欲に火が点き、1年間に6作もの作品を発表し、その集大成となる09年の『The Empyrean』を完成させるまでが第3期。この頃はレッチリにいながらも、インディペンデントで、音楽ビジネスの枠から外れた活動を展開していた。そして、09年末のレッチリ脱退以降が第4期であり、新作『ENCLOSURE』は第4期の終わりを告げる作品と位置付けられている。
前述の通り、現在のジョンはインディペンデントな姿勢を貫いているので、レッチリ在籍時と比べると、近年の彼の動向はやや見えにくくなっていたと言っていいかもしれない。なので、もしも彼のソロ作をひさびさに聴くという人がいれば、そのあまりの変貌ぶりに驚くことだろう。なぜなら、現在のジョンはかつてのシンガーソングライター的な作風から、エレクトロニクス主体の作風へと完全にシフトチェンジを果たしているのだ。『The Empyrean』のリリース時から、「最近はテクノやエレクトロニックミュージックしか聴いていない」という発言を残していたが、レッチリの脱退を機に、その方向性を本格的に追求し始め、アメリカのヒップホップグループ「WU-TANG CLAN」のRZAらを迎えたEP『Letur-Lefr』を経て、自ら「プログレッシブシンセポップ」と評した『PBX Funicular Intaglio Zone』を発表。アシッドハウス、ドラムンベース、ダブステップ、モダンR&Bなどの影響を咀嚼しつつ、まったく新しい地平へと到達して見せた。
過去の偉大なバンドと今の実験的なエレクトロニックミュージックの世界を融合させたい
『PBX Funicular Intaglio Zone』の発表後は、ヒップホップのサンプリング手法を追求したEP『Outsides』を経て、WU-TANG CLANファミリーの2人組BLACK KNIGHTSのプロデュースと、自らのソロ作の制作とを並行して進行。今年1月にBLACK KNIGHTSのデビュー作『MEDIEVAL CHAMBER』がリリースされたのに続き、ソロの最新作『ENCLOSURE』がリリースされる。
ジョン:『PBX』以降のコンセプトは、伝統的なソングライティングを非伝統的な方法でプロデュースするということ。ソングライティングは1960年代や70年代のスタイルを継承しているけど、プロダクションに関してはここ30年間で発達したエレクトロニックミュージックの方法を使っている。伝統的な音楽の思考を、モダンなエレクトロニックミュージックの思考と融合させたんだ。
2000年代のジョンは世界最大のロックバンドの一員として、ファンの期待に応え、より多くの人が楽しめる音楽を提供してきた。もちろん、その中にも彼の独創性はしっかりと反映されていたわけだが、そもそも彼はジミ・ヘンドリックスやフランク・ザッパといったギタリストに憧れ、彼らのように「他の誰もやっていないこと」を追求するためにミュージシャンを志した人物。レッチリの中では満たし切れなかった個人としての欲求が、00年代中盤の連作に表れていたわけだが、エレクトロニックミュージックとの出会いによって、その衝動はもはや抑えの利かないものになっていった。
ジョン:俺の頭はギターしかやっていなかった頃に比べると全く違う。60年代や70年代の音楽を今聴くと全く違うアングルから聴けるし、今は違うボキャブラリーがあるから別の視点から理解できる。今だったら、THE BEATLESの音楽を「音の構造」として捉えられる。それぞれのメンバーのリズムへのアプローチの違いが見えてくるんだ。最近のロックバンドは、みんなで波長が合っていないといけないと思い込んでいるけど、過去の偉大なグループを見ると、それぞれのメンバーはお互いに合わせようとしているわけじゃなくて、それぞれが独自の世界感を保っている。他のメンバーの演奏とは違うのだけれども、一緒に演奏すると完璧に合うんだ。過去の偉大なバンドと今の実験的なエレクトロニックミュージックにはそういう意味で共通点があって、俺は両者の世界を融合させようとしている。
グルーヴにおける「間」の重要性と、リズムアプローチの変化
エレクトロニックミュージックとの出会いは、ジョンの音楽観をガラリと変えたわけだが、上記の発言通り、とりわけリズムに対するアプローチはまるっきり変わったと言える。『ENCLOSURE』の楽曲の多くは、伝統的なソングライティングの手法で作られた歌とギターを軸に、そこに後からサンプリングの手法で様々な異なるリズムパターンを付け加えていくことによって、1曲の中でコロコロと場面が展開する、プログレッシブな楽曲が生まれている。
『Outsides』のリリース時には、「以前バンドで演奏していたときは、俺が頭の中で理解できる最も細かい音符は16分音符だった。今はコンピュータープログラムを画面で見れば、16分音符の中にさらに四つの分割点があることがわかる。そして、その中にさらに156の分割点があることもわかった」と語り、『ENCLOSURE』に関しても、「間」の重要性を説いている。
ジョン:グルーヴというのはつまり音符と音符の間の「間」のことなんだ。ドラムプログラミングをやるようになってから、すべての音楽は「間」の作り方に基づいていることが分かった。60年代と70年代のBLACK SABBATHは「間」の作り方が得意だった。彼らは巨大な空間を音で作り出したし、彼らほど広々としたグルーヴを演奏しているバンドはいなかった。一方で、ジャングルというジャンルはドラムが高速なんだけど、メロディーがスロウで、広々としている。なので、何年も前からBLACK SABBATHみたいなメタルを、エレクトロニックなドラムと組み合わせたらかっこいいと思っていたけど、それを形にする技術がまだ身に付いていなかった。でも今は自分でプログラミングができるようになって、今回のアルバムでそれがやっと実現したんだ。
かつてのロックバンドにおけるギタリストとしての、もしくはシンガーソングライターとしての規範を外れ、「エレクトロニックミュージック」というジョンにとってまったく新しい規範の中で音楽を追求してきたのが、ソロ第4期の5年間だったというわけだ。ギタリストとしても、シンガーソングライターとしても、確固たる地位と名誉を手にしていた人間が、そのすべてを投げ打って新しいことにチャレンジをするというのは、これまでに培ってきたものが大きければ大きいほど、恐ろしいことであるのは言うまでもない。しかし、いつだって1つの価値観にとらわれることなく、むしろものごとの「外側」にこそ価値があると信じ、ただ自らの内なる声に従って、独創的な音楽を追い求めてきたのがジョン・フルシアンテという人であり、そんな生き方がそのまま音に反映されているからこそ、彼は世界中の音楽ファンに愛され続けているのだろう。
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音楽というのは、人間の知識よりも遥かに賢い存在である
音楽というのは、人間の知識よりも遥かに賢い存在である
レッチリを脱退した理由として、「ツアーは繰り返しであって、あまり創造的な行為ではない」ということも語っていたジョンだけに、現在も彼は「アルバムリリース後はツアー」という一般的なルーティンからはみ出た形で活動をしている。とはいえ、常に画面と向き合い、楽曲を追求し続けるのは相当に消耗する作業なのではないかと思うのだが、彼はかつて「俺の人生は基本的に、朝起きて、運動してからギターを演奏して、音楽作りをする。人によっては辛い仕事に思えるかもしれないけど、俺にとって音楽を作ることこそ、夢の国に行って旅行してるような感覚なんだ。音楽作りをしているときに内面で起きていることが、俺にとっての外の世界なんだ」と語り、それが『Outsides』の印象的なアートワークにも表れていた。
John Frusciante『Outsides』ジャケット
さて、ここでもう一度、冒頭で触れた『ENCLOSURE』というタイトルと、ペンキで描いた赤い円で自らを囲ったアートワークについて考えてみよう。一見「内側」の印象を受けるタイトルとアートワークだが、『Outsides』が示していたように、ジョンにとって「内側と外側」というのは決して一面的なものではない。つまり、もはや彼にとっては内側も外側もなくなり、もっと大きなものに囲まれているという感覚が、あのアートワークの背景となっているのだ。
ジョン:一般的に音楽というのは身体を動かす行為から生まれるものだという思い込みがある。ギターは手を動かして演奏するものだし、口を動かして歌うから、そういうイメージをもたれてもしょうがないよね。でも音楽に身を捧げている人にとって音楽というのは、1人の人間よりも大きな存在であり、人間の知識よりも遥かに賢い存在なんだ。俺は自分よりも大きい音楽という存在に近づくために、伝統的な音楽理論やエレクトロニックミュージックの理論を学んできたし、人生をかけて音楽を理解しようとしているけど、おそらく完全に理解することはできないと思う。でも、音楽を理解するために努力することができて光栄に思っているよ。(アルバムジャケットで)自分の周りに円を描いたのは、音楽を作ったり演奏しているときに自分が感じる「包み込まれる」感覚を意味しているんだ。
音楽を作るプロセスを重視する、真のアーティストたちの姿
物事には常に内側と外側の対立構造があり、その中間に存在するグレーのグラデーションも含め、その構造を意識することによって新たな価値を創出することができる。ジョンはその事実を自らのキャリアで示してきたとも言えるが、それをもっと大きな目線で見れば、結局そのすべてが音楽という神秘的な存在に包み込まれている。伝統的な音楽理論とエレクトロニックミュージックの理論、その2つを体得したからこそ、彼は音楽という大きな存在をやっと感じることができ、それこそが赤い円の正体だったのだ。僕がパッと連想したのは、『西遊記』で孫悟空が得意になって飛び回っていた場所が、実はお釈迦様の手のひらの中だったというエピソードだったのだが、重要なことは孫悟空のようにお釈迦様に不遜な態度を取ることなく、冒険心を忘れず、謙虚に努力を続け、なおかつそれを最大限に楽しむことだ。
ジョン:俺が好きなタイプのレコードはミュージシャンたちが音楽を作るプロセスに完全に没頭していることがわかる作品なんだ。TALKING HEADSの『Remain In Light』、ジミ・ヘンドリックスの『Electric Ladyland』など、彼らが作品を完成させることを意識していたのではなく、音楽を作るプロセスに完全に没頭していたことがわかる。彼らは冒険、探求することに我を忘れていたんだと思う。その実験をすることが楽しいからやったのであって、作品を完成させるためにそういうことをやったわけではない。俺のクリエイティブプロセスでも同じアプローチにこだわっている。何かを完成させようということは意識していない。曲が完成したときは感覚的にわかるし、その時点で次の曲のことを考えているんだ。
音楽を作るプロセスの重要性。これはつい先日『car and freezer』という素晴らしい作品を発表した石橋英子がCINRAのインタビューで語ってくれたことでもあり、彼女の「今の時代のポップミュージックを考えたときに、歌を伝えるための方法論や歌の世界を構築していくためのやり方を模索するプロセス自体を大事にしている音楽がなくなってきてる気はします」という発言は、ジョンの発言とリンクしているように思う。そしてもう一人、ジョンの活動や発言から連想される日本人アーティストが、CINRAで何度も取材を行っている電子音楽家のSerphだ。ジョンと同様に多作家であり、1曲の中でめまぐるしく展開する楽曲を持ち味としているだけではなく、何より音楽にその身を捧げ、没頭し、ひたすらに自分が聴きたいと思う音楽を追求する姿勢が酷似している。こういった人のことを、真の「アーティスト」と呼ぶべきではないだろうか。
ジョン・フルシアンテの次なる興味
最後に追記しておくと、『ENCLOSURE』は昨年3月に完成していて、すでにBLACK KNIGHTSのアルバムがもう1枚完成済み、BLACK KNIGHTSに関しては、さらにその次のアルバムのマテリアルも揃いつつあるとのこと。そして、『ENCLOSURE』以降は、純粋なソロとしての楽曲は作っていないのだという。いわく、BLACK KNIGHTSとの出会いによって、彼らのラッパーとしてのスキルに魅了され、自分が歌う必要性を感じなくなり、今はBLACK KNIGHTSとのコラボレーションで創作欲求が満たされているのだそうだ。その代わりに、近年ジョンが力を入れているのが、「文章」なのだという。
ジョン:ここ3か月間は音楽に費やす時間よりも文章に費やす時間のほうが多い。自分のノートに書き上げた文章をアシスタントに朗読して、文字に起こしてもらっている。あと数か月後には、編集作業に入れるから、何らかの形で発表することになると思う。音楽教育の新しい捉え方についての文章だよ。音楽、音楽ビジネス、サンプリング、伝統的な音楽理論とエレクトロニックミュージックなどのモダンな音楽理論、そして両者が補完し合っていることなどがテーマなんだ。いろいろなトピックを扱っているし、まだ作業中だから、あまり詳しくは話せないんだけど。
ジョンは「音楽そのものがメッセージだ。みんながよく忘れてしまうのは音楽そのものがコミュニケーションの手段だということなんだ」と話しているように、音楽そのものに特別な意味を込めないし、歌詞においても聴き手に解釈の余地を残すことを心がけている。しかし、ひとたび話し始めれば、彼の口からは音楽への愛情がとめどなく溢れ出し、近作の国内盤には、彼がひたすらしゃべり倒すロングインタビューが封入されている(もちろん、『ENCLOSURE』にも)。その饒舌な語り口はインテリジェンスとユーモアを兼ね備え、音楽とはまた違った角度で「天才、ジョン・フルシアンテ」を印象付けるもの。そんな彼の著書とあれば、一刻も早く読んでみたいというものだ。おそらくは、その行間からも聴いたことのない音楽が聴こえてくることだろう。
- リリース情報
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- John Frusciante
『Enclosure』日本盤(CD) -
2014年4月8日(火)発売
価格:2,300円(税込)
RUSH! × AWDR/LR2 / DDCB-125331. Shining Desert
2. Sleep
3. Run
4. Stage
5. Fanfare
6. Cinch
7. Zone
8. Crowded
9. Excuses
10. Vesiou(ボーナストラック)
11. Scratch(ボーナストラック)
※Blu-spec CD2仕様、ジョン・フルシアンテのロングインタビュー、歌詞対訳封入
- John Frusciante
- プロフィール
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- John Frusciante(じょん ふるしあんて)
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シンガーソングライター、ギタリスト。1994年『Niandra Labels and Usually Just a T-shirt』、2001年『To Rrcord Only Water for Ten Days』、04年『Shadows Cillide With People』、04年から05年にかけてインディペンデントレーベルより6連作を発表。09年『The Empyrean』、12年『Letur-Lefr』、『PBX Funicular Intaglio Zone』、13年『Outsides』。14年はラップデュオBLACK KNIGHTSとコラボレーションしたヒップホップアルバム『MEDIEVAL CHAMBER』を発表した。
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