歌手生活55周年を昨年迎えたささきいさお。今も水木一郎、堀江美都子、大杉久美子とともに「アニソン四天王」と呼ばれるレジェンドのひとりとして、幅広い年齢層のファンを魅了し続けている。『宇宙戦艦ヤマト』を筆頭に、『銀河鉄道999』『科学忍者隊ガッチャマン』『秘密戦隊ゴレンジャー』など、挙げきれないほどの名作アニメ、特撮ドラマの主題歌や挿入歌で甘い声とスタイリッシュなボーカルを聴かせるささきいさおの歌手人生は、アニメソングに出会って激変したという。
音楽にはさほど知識も欲もなかった彼が、日本一の歌唱力を持つシンガーと呼ばれ、唯一無二の存在になったのには、どのような想いがあったのか。55周年記念のベストアルバム『MOMENT ~今の向こうの今を~』をリリースした彼の様々な楽曲エピソードとともに、ささきいさおの歴史をあらためて振り返ってもらった。
僕はエルヴィスが好きで、憧れて歌手になっちゃっただけなので、そもそも知識もないし、それほど音楽が好きでもなかったんですよ(苦笑)。
―ささきさんの歌手生活は、昨年55周年迎えました。流行廃りの激しい音楽業界で、半世紀を超えて第一線で活躍されていらっしゃったこと自体、すごいことですね。
ささき:いやいや、すごくはないです。他に何もできないから、しがみついているだけです。
―しかも、俳優としても映画やNHKの大河ドラマなど、多数のテレビドラマにも出演。洋画の吹き替えやアニメ声優としても代表作が多数あり、まさにマルチタレントの先駆けです。そもそも、ささきさんが歌手デビューされたのは1960年。当時はまだ高校生だったそうですね。
ささき:そうですね。突然、勉強が好きじゃなくなっちゃってね。たまたまエルヴィス(・プレスリー)の歌を、のど自慢番組で歌ったら鐘がカンカン鳴っちゃって。演歌や歌謡曲じゃなく、ロックを歌う若者というのがインパクトあったんでしょうね。僕自身も、好きなことをやって食っていけたらいいなと思っちゃったんですよ。
―それがレコード会社の目に留まり、「和製プレスリー」として歌手デビューを果たされたわけですね。
ささき:親も親戚も芸能界の恐ろしさなんて知りもしないから、よってたかって、やれと言うわけですよ。僕が親だったら、絶対に反対するけどね。ところが、すぐにぽんぽん売れて、通っていた学校にバレちゃって。
進学校だったので他の生徒に悪影響が出ると言われて、2年で辞めちゃいました。でもねぇ、弾みでなっちゃった歌手だから、当時の歌は……ひどいもんでしたよ。格好は良かったのかもしれないけど、レコーディングも一苦労でしたよね。
―『ウルトラセブン』(1967年放映開始)に始まるウルトラシリーズの作曲家として有名な冬木透(別名:蒔田尚昊)さんをして、「日本で一番うまい歌手」と言わしめたささきさんが。
ささき:そのあたりの変遷が、今回出させてもらった『MOMENT ~今の向こうの今を~』というのに、全部入れられちゃいましてね(笑)。
ささきいさお『MOMENT ~今の向こうの今を~』ジャケット(Amazonで見る)
―55周年記念アルバムですね。ボーナストラックとして、デビュー曲の“本命はお前だ”やエルヴィスの名曲“G.I.ブルース”も収録されています。
ささき:そうなんですよ。もう音程もないくらいで、僕としては、恥ずかしくてしょうがないんです。結局、僕はエルヴィスが好きで、憧れて歌手になっちゃっただけなので、そもそも知識もないし、それほど音楽が好きでもなかったんですよ(苦笑)。
―でもそこから、歌に意欲的になられたのは、どういうキッカケだったのですか?
ささき:いわゆるロカビリーで一度どーんと売れて、そこから数年で売れない時代が来て……新劇に出たりミュージカルに出ていた時代があったんですよ。そのとき、ミュージカルの作曲家の島田敬穂さんが、「君はちゃんと発声の基礎からやったほうがいい。教えてあげるからいらっしゃい」とおっしゃってくれたんです。
それが20代後半か30代前半くらい。後から聞くと、声というのは30代くらいでちゃんと固まるらしいんです。ちょうどいいときに、いい先生との出会いがありました。そこで歌手としての基本を身につけて……次に出会ったのが、アニメだったんです。
当時、僕には幼稚園の子どもがいて、『ガッチャマン』で声優をやっていたのを喜んでくれていたから、今度はアニメの歌を歌えるところを見せてやろうと思ったんですよ。
―まずは1972年、『科学忍者隊ガッチャマン』のコンドルのジョー役で声優として初めてアニメ作品に参加され、73年には『新造人間キャシャーン』の主題歌歌手に抜擢されて、アニメソング歌手としてのささきさんの新たな歴史がスタートしました。
ささき:アニメとの出会いは、歌の面白さを教えてもらういいチャンスにもなりました。アニメの曲は、ジャンルが多様なんですよ。歌謡曲調、フォーク調、行進曲調があったりといろいろだから、声の出し方も変わるんです。そこで一度、変化をつけられるようになると、俄然、歌が面白くなるんですね。
―歌手としての表現力の幅も広がりますね。
ささき:そうそう、「次はこう歌おうか、ああ歌おうか」と自分で考えて工夫する。逆に“宇宙戦艦ヤマト”(1974年)なんかはね、かなり正統的な発声ができないと歌えない曲だから、大ヒットしたわりに、カバーする人があまりいない。作曲された宮川泰先生の奥様も、ちょっとぼやいておられましたよ(笑)。
―ちなみに、ささきさんがアニメソングを歌い出した頃は、男性のアニメソング歌手はほとんどいらっしゃらなかったそうですが。
ささき:そうなんですよ。僕がアニメに誘われたのも、当時「男性のアニメ歌手が水木一郎と子門真人しかいないので、歌ってみませんか?」という話からでした。今は考えられないですよね、同時期に放送が始まる新番組の主題歌を4つも5つも掛け持ちするなんて。それくらい、昔はアニメソングを歌いたいと思う人がいなかった。だから、いろんな歌が歌えて良かったんですよ。水木、子門、僕の三人も歌手としての特徴が全員違っていたから、作品によって歌い分けができましたしね。
―なかでも、ささきさんの歌はとてもスタイリッシュで。70年代の男性アニメソングというと、血気盛んなロボットアニメソングを歌われていた水木一郎さんが印象的ですが、ささきさんは同じロボットアニメソングを歌われていても、とてもスマートです。
ささき:もともと水木は歌謡曲畑だし、僕はポップスの出。声の出し方もリズムの取り方も違うからでしょうね。アニメの曲はマイナー調が多くてアップテンポ。解釈によっては歌謡曲っぽくなるんですが、僕はいわゆる歌謡曲は歌えない。そういう意味で、曲の掴み方が違ったんだと思います。
―逆に、洋楽ポップスやロックシンガーだったささきさんが、子ども向けのアニメソングを歌うことに抵抗はなかったんですか?
ささき:それが、全然なかったんですよ。当時、僕には幼稚園の子どもがいて、『ガッチャマン』で声優をやっていたのを喜んでくれていたから、今度はアニメの歌を歌えるところを見せてやろうと思ったんですよ。
僕なんかは今でも昔風だから、2テイク、3テイクでOKなんていうのはイヤ。やはりね、歌い込むと最初は気づかなかった新しい発見というのがあるんですよ。
―そして1974年に放映された『宇宙戦艦ヤマト』が作品、主題歌ともに空前の大ヒットとなり、ささきさんの歌手としての実力を一気に知らしめました。
ささき:“ヤマト”はプロデューサー(西崎義展)の注文がとても多かったおかげで、とても勉強した曲でしたね。まず、譜面が間違って書かれていたんですよ。短調なのに、♭が抜けた長調の曲になっていて。本当なら気づくんだけど、2~3日後にはもうレコーディングと言われたので、「おかしいな?」と思いつつ、それで練習してスタジオに行ったら……慌てましたよね。大至急、覚え直しましたよ。
―そんな裏話が。
ささき:そもそも“ヤマト”を僕が歌うようになったのも、先にレコーディングしていた子門真人の声がプロデューサーのイメージに合わなくて、急遽録音をし直したからなんです。しかもスタジオでは、作品プロデューサーが自分で歌い出して「哀愁を込めろ、ムードを出せ」と歌唱指導が始まる。でも作曲の宮川先生は、「元気よく歌え」と。言うことがみんな違うんです(笑)。 たくさん歌って、最後は声が出なくなってしまうくらい。もう最後はこっちもやけっぱちでしたが……それが良かったんでしょうね。小細工なしに歌ったから、勢いもスケールも出た。声の低さも良かったんだと思います。運に恵まれた曲でした。
―曲調も、それまでのアニメソングとはまるでイメージが違い、大人の曲でしたね。
ささき:他のアニメをまったく意識しない、“ヤマト”だけの曲調。そのベースにあったのは、宮川先生が大好きだったご自身のヒット曲、“ウナ・セラ・ディ東京”だったんです。
―井上陽水さんや矢野顕子さんもカバーされている昭和の名曲ですね。
ささき:しかも曲の構成も、イントロが勇壮なオーケストラで始まる今のバージョンは宮川先生のアイデアで、プロデューサーはスローなバラードで始まるバージョンがいいと言う。テレビ用とレコード用も別録りだったので、伴奏のバージョン違いもたくさん歌いましたね、“ヤマト”は。まだ、コロムビアには当時のいろんな録音が残っているんじゃないかな? そもそも、当時はテープに吹き込むアナログレコーディングなので、1か所でも歌い損ねると、全部録り直しになりますし……1曲完成させるのも、本当に大変だったんですよ。
―そういうレコーディング技術の変遷は、歌手にも影響を与えていますか?
ささき:当然、ありますね。今はデジタルレコーディングだから、極端なことをいうと、歌も一度録ってしまえば、伴奏を丸ごと変える加工だってできてしまう。キーチェンジもできるし、なんならちょっと音程が外れても、最近は機械が合わせてくれるんでしょう?……そのぶん、今は歌手が曲を歌い込まなくなっていますよね。だから、歌がつまらなく聴こえる。
僕なんかは今でも昔風だから、2テイク、3テイクでOKなんていうのはイヤなんです。スタッフが「まだ歌うんですか?」という顔をしても、何度も録ります。やはりね、歌い込むと最初は気づかなかった新しい発見というのがあるんですよ。
―レコーディング前の準備も、譜面だけが頼りだった昔と今では違いがあることでしょうね。
ささき:そう。さっきの“ヤマト”の話じゃないけど、昔は譜面だけが送られてくるんですよ。どんなアレンジかもわからないから、雨だれ式にメロディーをピアノでポロポロ弾きながら、自分でコードを見つけて「こういう歌かな?」と想像しながら練習する。だから新鮮な気持ちで曲を理解できるというか、「この先生はこういう曲を作りたいんだ」と自分で解釈ができるんです。そして、スタジオに行ってスタッフと話し合いながら歌をレコーディングするから、それ自体が勉強になりましたよね。
―なるほど、昔はデモテープというのもないんですね。
ささき:今は伴奏もアレンジもされている、曲がほぼ全部完成している音源が届けられるんですよね。下手したら仮歌まで入ってて、すごく親切なんだけど、僕なんかはかえって困っちゃってね。ボーカル入りで送ってこられちゃうと、歌い方がそれに引きずられて。だから、なるべくボーカルを聴かないようにするんですが、そうすると間違ったメロディーを覚えちゃったりしてね(笑)。とくに最近の人の歌い方は、8ビート、16ビートが当たり前だから、そもそも僕らとノリ方が違う。
アニメの曲でも、そこに込められる作家さんの感性がすごいんです。そのぶん、歌い手に対する要求も厳しい。才能あふれる先生方との出会いが、歌うことの難しさと面白さを教えてくれています。
―曲の構造からして、昔とは違うんですね。
ささき:最近の曲は譜割りが細かいから難しいですよ。「なぜここで?」という、意外なところで転調するしね。昔は昔で大変でしたけど、今の若い人の作る曲を自分流に解釈・分析して歌うのも、なかなか大変ですよ。そのぶん、創意工夫する面白さも、この年になってあらためて感じていますけどね。
―長年歌い続けていらしたことで、新しい作家との出会いが大いに刺激になっていらっしゃるんじゃないかと思います。
ささき:それはありますよね。昔は昔で、僕がお付き合いさせていただいてきた作家の先生方は、多くのヒット曲を手がけてきた一流の方ばかりでした。たとえアニメの曲でも、そこに込められる感性がすごいんです。そのぶん、歌い手に対する要求も厳しい。それに応えるには、1~2回歌ったくらいではダメなんですよね。才能あふれる先生方との出会いが、僕に歌うことの難しさと面白さを教えてくれています。
―そんなささきさんと作詞・作曲家との出会いの歴史が、55周年記念のアルバム『MOMENT ~今の向こうの今を~』に詰め込まれています。このアルバムも、ささきさんのベストアルバム的内容になっていますが、これまでもささきさんは、十数枚におよぶベストアルバム、コレクションアルバムを出されていますよね?
ささき:そうそう、さすが日本コロムビア。だから、せっかくの55周年だし「今度はどうしようか?」という話になりましてね。そこで単なるベストじゃなく、ちょっと工夫をつけ足そうと思って、作詞家、作曲家先生との出会いにスポットを当てて、印象的な曲を並べました。もちろん、今までのベストと被っている曲もあるんだけど、デビュー当時のちょっと貴重な曲も入って、面白いものになっているんじゃないかな。
―55年の歴史を1枚に収めるには、選曲も大変そうです。
ささき:そうなんですよ。僕が入れたい曲を全部選んだら、今の倍くらいの曲数になっちゃったので、ディレクターと話し合って、泣く泣くボツにした曲もたくさんあります。
―作曲家だけを挙げても、宮川泰さん、菊池俊輔さん、すぎやまこういちさん、三木たかしさん、鈴木キサブローさんなど、昭和のポピュラー音楽界を代表する錚々たる顔ぶれが。作詞家も阿久悠さん、橋本淳さん、アニメの原作者である石ノ森章太郎さん、梶原一騎さんら、大御所が顔を揃え、作家それぞれの個性と才能を、ささきさんがどう歌い上げていったかがわかる、音楽ファンにぜひ聴いてほしい1枚になっています。
ささき:これを聴くと、当時の様子を思い出しますよね。さっきも話した菊池先生は、後から聞いた話では、僕が初めて『新造人間キャシャーン』で菊池先生のアニメを歌うと知ったとき、「え? ささき?」という顔をされていたそうなんですよ。僕がロカビリーを歌っていた頃、歌が下手なのをご存じだったから(苦笑)。
でも歌のテストを聴いたら、「ずいぶん良くなったじゃない」とおっしゃって、その後、“ヤマト”と同時期に『ゲッターロボ』と『破裏拳ポリマー』(ともに1974年放映開始)も歌わせてもらえた。曲調もブラスセクションがどんどん派手になっていって、『ゲッターロボ』のオープニング(“ゲッターロボ!”)のブラスアレンジなんかは、今聴いても新鮮ですよ。
―伴奏にもアナログレコーディングならではの、野性的な迫力があります。
ささき:そうですね。あと、当時はレコーディングでリズムマシンを使ってないから、アップテンポな曲はとくに1コーラス目と3コーラス目じゃテンポが違う。どんな名ドラマーでもテンポが走るんですよ。それが曲の勢いに繋がっている。ライブ感ですよね。
―メロディーラインの個性だけでなく、アレンジにも作曲家それぞれの個性が反映されますね。
ささき:(渡辺)宙明先生はラテンの色っぽいのが好きでね。このアルバムには入れられなかったけど、『秘密戦隊ゴレンジャー』のエンディング曲(“秘密戦隊ゴレンジャー”)なんかは、思い切ってプレスリー風に歌っていますよ。「子ども向けなのに、こんな色っぽい歌でいいの?」なんて家族に言われましたね。
渡辺岳夫先生の“よみがえれ飛雄馬”(『新巨人の星』ED主題歌)は、コーラスと一緒にボーカルを録ったらそれが良くて、今もカラオケには僕の声が一緒に入っていたりもするし、冬木透先生の“ウルトラマン賛歌”(『ザ☆ウルトラマン』挿入歌)はポップスでも歌謡曲でもないクラシカルな歌曲だったので、不安ながらも歌ってすごく勉強になったり……と、1曲1曲に先生方との思い出があります。話し出したら、キリがないんですよ。
長く歌い継がれる曲が少なくっているからこそ、僕は、みんながホッとできる、「そうだよね」と思える歌を、魂を込めて歌っていけたらと思います。
―そして『MOMENT ~今の向こうの今を~』には、『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年放映開始)など多数の楽曲を手がけられている今のアニメソング界を代表する作詞家・畑亜貴さんがプロデュースされた楽曲(“今の向こうの今を”“始まりは何度でも”“愛と呼びたい花がある”)が3曲収録されています。これも貴重な出会いかと。
ささき:まさにそうですね。今年の5月に出した55周年記念のシングル“今の向こうの今を”で初めて畑さんとご一緒したんですが、最初に彼女のアルバムを聴かせてもらったときは、まぁ曲芸的な歌詞が多くてぶっ飛びましたね。
でも話をしてみると、僕の大ファンだというし、阿久悠先生をとても尊敬していて、そういう歌詞を書きたいと言う。『MOMENT』の3曲もどれも非常にオーソドックスながらも新しく素敵な曲で。僕が歌うにはやっぱり難しい曲なんですが、いい挑戦ができました。かなり練習しましたけどね。
―“今の向こうの今を”というタイトルにも、ささきさんのキャリアへのリスペクトがとても感じられます。
ささき:「今の向こうの今を」という言葉はとても奥深くてね。「今の向こうの今」は未来の「今」ではあるんだけど、同時に、「今ある自分」の向こうにあった過去も「今の向こうの今」だと思うんですね。現代を挟んだ時代の繋がりが、ここに感じられる。
じつは、『MOMENT』というアルバムタイトルも畑さんが考えてくれたんです。「今の向こうの今を」をサブタイトルにしたのも、この内容が、今を起点にした僕自身の過去と未来を表していると思ったからなんです。
―そして、ささきさんが道を切り開いたアニメソングが、今またブームを呼んでいますが、それについては先駆けとして、どう感じていらっしゃいますか?
ささき:いちばん感じるのは、僕らが歌っていた頃とアニメソング自体の形態が変わっていますよね。僕らはあくまで作品の一部としてアニメソングを歌いましたし、番組の主題歌や挿入歌としてテレビから流れてくるもの。今のように、大きな会場でお客さんと一緒にペンライトを振りながら歌うなんて、考えたこともなかったですよ。
―ライブに関しても長い歴史でずいぶん変わりましたよね。
ささき:ああいうアニメソングのライブ文化には、まだなじめていませんね(苦笑)。そしてもうひとつ思うのは、アニメソングに限らず、今の音楽は変化だけを求めて、曲をたくさん出し続けるために、押しつけで作られているように感じることです。だから、長く歌い継がれる曲が少ないのかなと。でも、それもひとつの音楽の在り方だからね。だからこそ僕は、みんながホッとできる、「そうだよね」と思える歌を、魂を込めて歌っていけたらと思いますね。
―作家さんたちのあふれでる感性が込められたものに向き合い、魂を込めて歌ってこられたからこそ、ささきさんの55年があると言えるのでしょうね。本日は貴重なお話をありがとうございました。
- リリース情報
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- ささきいさお
『MOMENT ~今の向こうの今を~』(CD) -
2016年9月28日(水)発売
価格:3,024円(税込)
COCX-397061. 宇宙戦艦ヤマト
2. 真赤なスカーフ
3. 銀河鉄道999
4. 青い地球
5. たたかえ!キャシャーン
6. レクィエム
7. 進め!ゴレンジャー
8. よみがえれ飛雄馬
9. われらガッチャマン
10. 君の青春は輝いているか
11. ウルトラマン賛歌
12. 風の会話
13. 悠久浪漫
14. ミッドナイトデカレンジャー 10 YEARS AFTER
15. 今の向こうの今を
16. 始まりは何度でも
17. 愛と呼びたい花がある
18. 雪の慕情
19. G.I.ブルース
20. 本命はお前だ
- ささきいさお
- プロフィール
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- ささきいさお
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1960年、『和製プレスリー』のキャッチフレーズでコロムビアレコードよりロック歌手としてデビュー。松竹映画専属俳優として『太陽の墓場』(大島渚監督作品)等に出演。その後、新劇や商業演劇(ミュージカル・シェイクスピア劇など)に参加しながら、基礎から勉強しなおす。『宇宙戦艦ヤマト』主題歌のヒットにより再び脚光を浴び、歌手、役者、声優、パーソナリティー、司会者、レポーター…として、テレビ、ラジオ、舞台、ディナーショー、講演、各種イベント…等で幅広く活躍している。
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