2016年に結成15周年を迎え、精力的な活動を繰り広げる劇団鹿殺し。16年目に突入した彼らの今年唯一の本公演は、劇団の歴史を赤裸々につづった代表作『電車は血で走る』と、その5年後を描いた『無休電車』の二本を、なんと連続した1つの作品として再演するという無茶な試みだ。
過酷な現実を突きつけられて、必死に抗いながらも、夢をあきらめざるを得なくなった若者たちの物語。この二つの作品は、実際に劇団に起こったエピソードをふくらませて作られた半ドキュメンタリーだという。そこにはどんな壮絶なドラマがあったのだろうか。
今回は、劇団鹿殺しの菜月チョビと丸尾丸一郎が「ぜひ会いたかった」という藤井隆とフラワーカンパニーズの鈴木圭介の二名を招き、それぞれの活動を振り返りながら、活動を続けることのヒントを探っていく。それぞれ初対面の三者であったが、冒頭より話は盛り上がり、話題はあらぬ方向に……。
メンバーの仲がいいとか悪いとかの次元がよくわからなくなってる。(鈴木)
―まずはそれぞれの活動を振り返っていきたいと思います。フラワーカンパニーズは長く活動されてますね。
鈴木:今のメンバーが中学と高校の同級生なんです。学生時代はメンバーそれぞれ別のバンドをやっていたんですが、20歳のときに一緒にやってみようということになって、気づいたら28年ですね。
リーダーのグレートマエカワ(Ba)がライブ、ツアーなどフラカンのスケジュールを全て決めています。彼は明日の予定が何もないという状況が耐えられないタイプ。予定が埋まっていないと安心できない病気なんだと思います(笑)。
一人でグイグイいくリーダーに28年間転がされてきただけで、ほかの三人はでくのぼうです(笑)。僕らはライブの予定をお客さんと一緒に知りますから。リーダーのMCで「来月どこどこが決まりました!」って言われて「そうなんだ」って(笑)。
左から:丸尾丸一郎(劇団鹿殺し)、菜月チョビ(劇団鹿殺し)、鈴木圭介(フラワーカンパニーズ)、藤井隆
藤井:メンバー間にすごい信頼関係があるということですよね。曲作りのときは、最初はみんなで集まって作ってたんですか?
鈴木:今もみんなで集まって作ってますよ。僕らは機械とか全然ダメで、リハーサルスタジオに弾き語りを録音したカセットを持ってきて、「こういうのができたんだけど」とみんなに聴かせてから合わせるんです。
藤井:2017年の今でもですか? それはすごい。今はデータでやりとりして会わなくても作れるのに。
鈴木:それでも、会わないと僕らはだめですね。
菜月:それは素敵。仲がいいんですね。
鈴木:ここまでやってると仲がいいとか悪いとかの次元がよくわからなくなってるんですよ。車で東京から鹿児島に行くと15~6時間かかるんですけど、ひと言もしゃべらないときもあります。でも嫌なムードにはならないんです。家族や兄弟、奥さんや恋人よりも一番長くいる人たちだから、この関係性はなんて言ったらいいんだろう。
菜月:友達の要素はまだ残っているんですか?
鈴木:友達は友達ですね。プライベートで何かあったときとかは、それぞれがやっぱりリーダーに相談しているんですよ(笑)。
私は月に1回、めっちゃしんどいのを越えてるから、そこんとこよろしく。(菜月)
藤井:相談を受けてブッキングもして、リーダーすごいですね。リーダーの兄弟の構成はどんなんですか? 血液型とか星座とかまったく興味がないんですけど、兄弟構成だけはすっごい気になっていて、信じちゃうんですよ。
鈴木:年が離れた兄が2人いて、両親からかわいがられて育ったみたいです。末っ子って懐に入るのが上手いですよね。僕とギターは男兄弟の長男で人見知りなところがあるから、懐に入るまでには時間がかかる。メンバー全員が男兄弟なので、女の人に関してはめちゃくちゃ奥手。僕は生理のこととか、もう全然わからないですから(笑)。
丸尾:僕らは上京して同居生活を始めるときに、チョビから「生理っていうのがありまして……」と具体的に教えてもらいました。
菜月:男6人と私で共同生活していたので、まず最初に説明したんです。私は月に1回、めっちゃしんどいのを越えてるから、そこんとこよろしくって(笑)。
鈴木:軽い人と重い人がいますよね。だから俺はつきあう人にも最初に聞きますよ。
藤井:え! 聞きます!?(笑)
鈴木:機嫌が悪いときに火に油を注ぐような言葉をかけたらえらいことになるので、最初にある程度知っておかないと。
―思いもよらぬ話題になってしまいましたけど……。
藤井:でも、今の話は長く続けていけることにも通ずると思います。最初に話しておいたのはよかったんじゃないかな(笑)。
本当はどこかに所属していたいし、自分がピン芸人なんておこがましくて言えないです。(藤井)
―藤井さんはお一人で活動されることのほうが多いですよね。
藤井:そうですね。だから仲間意識とかはあまりわからなくて。そもそも吉本新喜劇にもオーディションで入ったので、NSC(吉本興業の芸人養成スクール)のような養成所にも行ってないですし。オーディションに受かったあとも、当時働いていた会社をやめずにサークル感覚で演技やダンスのレッスンを受けさせてもらっていて。
会社をやめて新喜劇に出させてもらうようになってからも、新喜劇は疑似家族みたいな感じなので本当に居心地がよかったんです。これが厳しいスパルタ劇団だったら、続かなかったと思います。僕は次男坊特有の懐に入る感じで、要領よくただただ快適に過ごしていましたね。
丸尾:ピン芸人としてテレビなどに出ていくときは、新喜劇側から何か言われるんですか?
藤井:いえ、今でも僕自身は自己紹介してくださいと言われたら、「吉本新喜劇の藤井隆です」と本当は言いたいんです。本当はどこかに所属していたいし、自分がピン芸人なんておこがましくて言えないです。
菜月:ピンでの活動が好きなんだと思っていました。
藤井:全然そんなことないです! だから本当にメンバーとかコンビとか、そういう集団生活に憧れが……嘘! 憧れもそんなにないですけど(笑)、でも自分にはできないことなので本当に尊敬します。
少しでもストレスがかかると、もうやめよう、もうやめようって、しょっちゅう言ってます。(鈴木)
―藤井さんは一度、吉本をやめていた期間があるんですよね。
藤井:それも若気の至りで……。2年目くらいですね。一緒にやっていた新喜劇の諸先輩方は本当に真面目に取り組まれていて、僕にも真剣に向き合ってくださるのに、舞台でなかなか上手くできなくて、漠然と「無理だ」と思ったんです。それで、無理したくないので「失礼しま~す」と……。
丸尾:それはどのくらいの期間だったんですか?
藤井:それが、たったの3か月なんです。海外をふらふらしてたんですけど、10日目くらいにはもう戻りたいなって、やめてすぐに後悔したんです。それで、帰国後にとりあえず会社に行って、大道具さんとか小道具さんとか、裏方として携わりたいとお願いするつもりだったんですが、すぐにテレビのお仕事をいただいて、今も続けられているんです。だから僕は今日のテーマに全然合っていないんですよ。続けるコツなんてないですし、我慢せえへんし、一度やめてるし(笑)。
―藤井さんのようなケースは稀かもしれませんが、浮き沈みの激しい世界ですから、一度はやめたいと思うことはあるでしょうね。
鈴木:僕もちょっと近いところがあって。レコード会社との契約が30歳くらいのときに一度切れたんです。この先どうなるかわからなくなったときに、一回みんなで真剣に考えたことがあるんですね。
でも僕はそれ以前から少しでもストレスがかかると、もうやめよう、もうやめようって、しょっちゅう言ってます。最初は誰かが止めてくれてたんですけど、そのうち口癖みたいになってきて、また始まったって、だんだん誰も反応してこなくなった(笑)。
―おおかみ少年みたいな。
菜月:“深夜高速”のフラワーカンパニーズが……、イメージとちがう(笑)。
「こっちの道は間違ってない!」という強い思いが、16年間続けてこられた原動力になっています。(丸尾)
丸尾:でも、そこを乗り越えてメンバーチェンジもなく続けてこられたんですよね。劇団鹿殺しは創設メンバーで残っているのは、僕とチョビと入交星士(音楽 / デザイン)の三人だけですから。
菜月:そのあとは結成して5年目くらいに入って来たオレノグラフィティがいて、上京前のメンバーはその四人だけです。一緒に上京した7人のうち3人がやめて、そこに10人入ってきて、さらにそこから8人やめて……、といった繰り返しで、定期的に否定されているというか……。
結局は、ここにはいないほうがいいと思うからみんなやめるわけで、毎度めちゃくちゃ傷つきます。定期的に肉をえぐられていくみたいな。私が歩いているのは、「みんなが選ばなかった道」ですから。
藤井:肉をえぐられるって、ツライですね……。
菜月:だから「幸せになって絶対こっちの道がよかったと証明したい!」と思いますね。
丸尾:「こっちの道は間違ってない!」という強い思いが、16年間続けてこられた原動力になっています。最近は年齢を重ねて、彼らへの感謝の気持ちも芽生えてきました。
菜月:その時期に一緒に走ってくれたからこそ今があるんだなと。劇団の一つの特徴になっている楽隊も、当時楽器を弾ける子がいたからやってみたので、当時のメンバーがいなかったらアイデア自体出なかったでしょうし。40歳を前にようやく感謝できるようになってきました(笑)。
藤井:まさに電車は血で走っていたんですね。
菜月:一緒に上京してきたメンバーがごそっとやめたタイミングで、初めて青山円形劇場でやらせてもらうチャンスを得たんです。劇団的にはボロボロで丸さん(丸尾丸一郎)が、「ツラすぎるからせめて大好きな阪急電車のこと書きたい」というところから『電車は血で走る』というタイトルになりました。やめてしまったメンバーのことをまんま書いた話なので、赤裸々感がハンパないです。
藤井:6月は『電車は血で走る』を前半にやって、2日休んでまた別の『無休電車』というお芝居をやるんですね……。
菜月:電車二部作として、映画みたいに二本立てでやってみようかなと。
藤井:最後の土日は昼と夜、別の演目をやるって……。
劇団鹿殺し2017年公演~電車二部作 同時上演~『電車は血で走る/無休電車』メインビジュアル
鈴木:えー! 稽古も大変でしょう?
丸尾:4時間分のお芝居を作っているようなもんですからね。
菜月:シェイクスピアをやるようなつもりで頑張ります。
どちらかがやめるときは解散するときですね。(菜月)
―鹿殺しのお二人は、これまで劇団の活動をやめようと思ったことはなかったんですか?
菜月:劇団では私が演出で、丸さんは作家という役割があるんですけど、もともと丸さんは大学時代は演出もやっていて、私と全然演出の好みが違うので、稽古中はめっちゃ鬱陶しいことになるんです。
劇団旗揚げ間もないときに演出で揉めて、「私はどうも劇団にいらなそうだからやめたいんだけど」と言ったら、その直前に丸さんは会社をやめたばっかりだったので、「お前、オレは会社までやめたんだぞ!」とそこらへんにあったクッションを蹴り上げながらキレられました。
それでもう軽はずみには言えないなと。確かにこの人、劇団のために会社をやめたんだったって。だからその半年後の初めての東京公演のときに、「この公演が終わったらやめようと思う」と丸さんから言われたときには私が、「お前、言うことちゃうやんけ!」とブチ切れました。
丸尾:それからはお互いに一度も言ったことはないです。
菜月:どちらかがやめるときは解散するときですね。
全然やる気ないのに、やる気ありますみたいな顔してたけど、結果それがよかったかもしれない。(藤井)
―みなさんそれぞれ挫折を経験しながらも、今まで続けてこられたわけですが、続けてきた先には何かごほうび的なものはありましたか?
藤井:僕はそんなにやる気もなかったのに事務所に拾ってもらったという気持ちがあるので、近くで心配してくださる方への忠誠心がここまで続けてこられた大きな原動力ですね。全然やる気ないのに、やる気ありますみたいな顔してたけど、結果それがよかったかもしれない。
いつも応援してくださるお客さんへの感謝の気持ちも、もちろんあります。この仕事って不思議な仕事ですよね。どこまでいってもいただく仕事で、自分から「やりたい!」と言ってやれる仕事ではないですから。
ただ、2014年に立ち上げたレーベル(スレンダリーレコード)は、長く続けてきたからこそ「やりたい!」と言ってやらせてもらえたことかもしれません。僕は“ナンダカンダ”という曲をもらって、いろいろなところにジャンプさせていただいたので、そのときのノウハウを活かして歌の似合う芸人さんたちの窓口になれるといいなと思っています。
私は意地でも幸せであると思いたい。よかった探し能力がすごいんですよ。(菜月)
―フラワーカンパニーズさんは、続けてきてよかったと感じるのはどんなときですか?
鈴木:僕はやっぱり26年目に立たせてもらった武道館がすごくいい景色だったので、続けることのよさはこういうことだったんだと感じましたね。
菜月:劇団鹿殺しは、まだちょっとかかるね。いい景色を見るには。
丸尾:計画ではとっくの昔に劇団も個人も売れているはずなんですけど、そうでもない。でも東京でお芝居だけで食べられているし、気づけば動員も増えていて、周りの人が「売れてるね」とか言ってくれて少しずつ変わってきたとか、歩き続けていたら知らん間に成長してきていたなと感じることはあります。
菜月:私は意地でも幸せであると思いたい、意地のポリアンナ症候群(一般的には、いい部分だけを見て自己満足してしまう症状)なんです。よかった探しがすごいんですよ。劇団メンバーと同居して路上パフォーマンスをしていた時期はめちゃくちゃ貧乏でしたけど、ツラくはなかった。
これまでだいぶわがままなことを言ってきたのに、初期からやめないメンバーが2、3人いてくれるだけでも奇跡ですよね。中高の同級生でバンドを続けているというのは永遠の憧れですけど、一緒にやってくれる人がいるというのは幸せだなと思います。
丸尾:会社を経営している知人から、お金関係なく人が集まっていることがすごい、と言われたときはなるほどと思いました。
鈴木:実はそういう誇ってもいい部分を見失いがちですよね。
- 公演情報
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- 劇団鹿殺し2017年公演~電車二部作 同時上演~
『電車は血で走る/無休電車』 -
作:丸尾丸一郎
演出:菜月チョビ
音楽:オレノグラフィティ×入交星士東京公演
2017年6月2日(金)~6月18日(日)
会場:東京都 下北沢 本多劇場大阪公演
2017年6月23日(金)~6月25日(日)
会場:大阪府 サンケイホールブリーゼ
- 劇団鹿殺し2017年公演~電車二部作 同時上演~
- プロフィール
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- 藤井隆 (ふじい たかし)
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1972年3月10日生まれ、大阪府出身のお笑いタレント / 歌手 / 俳優。92年吉本新喜劇デビューし数多くのバラエティ番組に出演し人気を博す。2000年に「ナンダカンダ」で歌手デビューし、同年の紅白歌合戦に出場。近年では自身主宰の音楽レーベル「SLENDERIE RECORD」を設立し、11年ぶりとなるオリジナルアルバム『Coffee Bar Cowboy』や2015年にはベストアルバム『ザ・ベスト・オブ 藤井隆 AUDIO VISUAL』をリリースするなど音楽シーンでも活躍。俳優としてNHK大河ドラマ「真田丸」(佐助役)、TBSドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」に出演するなど様々なジャンルで才能を発揮する。
- フラワーカンパニーズ
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名古屋出身、「日本一のライブバンド」通称フラカン。Vocal:鈴木圭介、Bass:グレートマエカワ、Guitar:竹安堅一、Drums:ミスター小西の4人組。「自らライブを届けに行く事」をモットーにメンバー自ら機材車に乗り込みハンドルを握り、年間100本近い怒涛のライブを展開、楽曲「深夜高速」が多数のミュージシャンにカヴァーされるなど、その活動が注目され話題に。2015年12月「メンバーチェンジ&活動休止一切なし」結成26年目にして自身初となる日本武道館公演を開催、大成功を収めた。2017年3月より結成28周年を彩るツアー「フラカン28号」を開催中。
- 劇団鹿殺し (げきだん しかごろし)
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2000年、菜月チョビが関西学院大学のサークルの先輩であった丸尾丸一郎とともに旗揚げ。劇場では正統的演劇を行いながらも、イベントでは音楽劇的パフォーマンスを繰り広げる。上京後2年間の共同生活、週6日年間約1000回以上の路上パフォーマンスなど独自の活動スタイルで、演劇シーン以外からも話題を呼ぶ。入交星士、オレノグラフィティの作曲陣による、全編オリジナル楽曲も魅力。2013年、菜月チョビは文化庁新進芸術家海外派遣制度により、1年間カナダへ留学。同時に丸尾は、歌手Coccoの初舞台を作・演出した。菜月帰国後も、2015年には、全編生演奏のロックオペラ『彼女の起源』(ゲスト石崎ひゅーい)、2016年には怒パンク時代劇『名なしの侍』(ゲスト堂島孝平他)を上演するなど、演劇と音楽の垣根を越え精力的に活動している。
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