どこまで行ってもヘロヘロにしかなりえない「ゾンビ音楽」鑑賞のススメ

ソンビ戦国時代の今、新たに参戦した「ゾンビ音楽」とは?

巷に雨の降るごとく、カルチャーシーンは死者で満ちている。おそらくそれは1996年にリリースされたサバイバルホラーゲーム『バイオハザード』に始まった。謎の洋館に潜むゾンビの群れから逃れ、時に駆逐していくこのビデオゲームは、冷笑の的でしかなかった超マイナージャンル「ゾンビもの」復権の先駆けとなった。

2000年代に入り、ゾンビは映画産業に再進撃を果たす。2002年の『28日後…』、04年の『ドーン・オブ・ザ・デッド』、さらにゾンビ界の巨人、ジョージ・A・ロメロが05年の『ランド・オブ・ザ・デッド』でゾンビ映画界に華麗に帰還。これまでに公開されたゾンビ映画(亜種も含む)は枚挙にいとまがない。

竹内均監督による同名映画『Quartet of the living dead』も上映された。©Tokyo Wonder Site
竹内均監督による同名映画『Quartet of the living dead』も上映された。©Tokyo Wonder Site

文学に目を移せば、ゾンビ+古典的イギリス文学という斜め上の発想が光る『高慢と偏見とゾンビ』や、『ぼくのゾンビ・ライフ』。ゾンビ化した主人公が敵と戦うライトノベル『これはゾンビですか?』、架空戦記小説で知られる佐藤大輔が原作を務めたマンガ『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』などが独自すぎる存在感を放つ。日本発信の両作ともが、ゾンビものでもありハーレムものでもあるのは、クール・ジャパンのあだ花という感じでとてもステキだ。

さて、そんな過剰供給・過当競争気味のソンビ戦国時代に新たに参戦したのが安野太郎の「ゾンビ音楽」である。

ゾンビ音楽とは作曲家である安野が考案した新たな音楽概念だが、1つの新しい楽器でもある。棺桶を模したという無骨な木製の大箱(設計は「悪魔のしるし」主宰の危口統之)を展開すると、ソプラノ、アルト、テナー、バスの4つのリコーダー(縦笛)、各リコーダーの8つのトーンホールを開閉させる指代わりのソレノイド、その動作を制御するPC、そして4機のエアーコンプレッサーが現れる。

4機のエアーコンプレッサーとリコーダー ©Tokyo Wonder Site
4機のエアーコンプレッサーとリコーダー ©Tokyo Wonder Site

空気を充填するコンプレッサーの騒々しい駆動音=前奏を経て、楽曲は厳かに始まる。安野がコンプレッサーとリコーダーをつなぐホースの開放弁を開くと、リコーダーに空気が送られ、単調な音色が持続的に奏でられる。無事に空気が送られているのを確認したところで、プログラムが起動。すると8穴×4本=計32本のソレノイド指が、あらかじめ定められた譜面を追うように駆動し、リコーダーを演奏する。

小学校の音楽の授業で誰もが経験した縦笛演奏を、機械の力を借りて再現する「カルテット(四重奏)」。ゾンビ音楽を要約すればこうなるだろう。だが、機械による一切狂いのない完全無比の演奏を指すのだとすれば、それは「ロボット音楽」と呼ぶべきだ。ゾンビ音楽をゾンビたらしめているものは何か。安野はそれを「音楽器官をかろうじて留めたまま、その器官が本来持っていた意思とは別の意思で演奏される音楽」と定義する。

どこまで行ってもヘロヘロにしかなりえない「ゾンビ音楽」

実際の演奏を一聴すれば分かるが、ゾンビ音楽の音色はしょぼい。大仰な見た目に反して、奏でられる音楽はとにかくヘロヘロで、聴いている方は不安定な気持ちに陥る(安野自身も「みなさん、もうそろそろ飽きていると思いますが……」と演奏後にフォローを入れるほど)。リコーダーごとのトーンホールを押さえるソレノイドの強弱、といった個体差はあるにせよ、人間では演奏不可能な超絶奏法も実現できるソンビ音楽がヘロヘロである理由。それは、人間の不在だ。

ゾンビ音楽を演奏する安野太郎 ©Tokyo Wonder Site
ゾンビ音楽を演奏する安野太郎 ©Tokyo Wonder Site

安野がゾンビ音楽の前身となるアイデア「リコーダーの穴を0と1の2進法として考えれば、コンピュータ音楽のようなものができるのでは?」を思いついたのは2003年に遡る。当時、高校吹奏楽部の協力を得て、人力での演奏にトライしてみたものの「人間の心と体が邪魔に感じられた」と彼は述べている。

例えばリコーダーを演奏する際、私たちは無意識に音楽にいそしんでいると考えがちだが、実際には「ドの音を出そう、シの音を出そう。できるならば、うまく演奏してやろう」という欲求を働かせている。この欲求があるからこそ、音の強弱やタンギングという多分に人間的な意志と身体器官(舌)の制御が介在する技法を駆使して、音楽は「音楽らしく」成立するのだ。

したがって、人間を排除して、機械に命運を託した現在のゾンビ音楽がヘロヘロであるのは「ゾンビ音楽」として大成功なのである。「実際には美しい音楽を奏でることができるんじゃないの?」という疑問も多く受けるそうだが、先に挙げた音の強弱やタンギングが制御できない以上、どこまで行ってもヘロヘロにしかなりえないので安心だ。楽器に含意された機能を、死人のように忘却し、あさっての方向に放浪していく。それがゾンビ音楽の核心であり、革新なのだ。

リコーダーとソレノイド ©Tokyo Wonder Site
リコーダーとソレノイド ©Tokyo Wonder Site

で、ヘロヘロなゾンビ音楽の楽しみ方とは?

しかし、あえて失敗しているから面白いというのも「現代」と名のつく表現(現代音楽、現代美術、現代演劇etc)の、狭いディレッタンティズムに収まりすぎていてあまり愉快ではない。ならば、私たちはゾンビ音楽をいかに楽しむべきだろうか。

様々な実験的パフォーマンスや展示を12月15日まで開催する『トーキョー・エクスペリメンタル・フェスティバルVol.8』の一環として11月9日に開催された『安野太郎のゾンビ音楽「カルテット・オブ・ザ・リビングデッド」』では、竹内均監督による同名映画との併映&併演というかたちでコンサートが行なわれた。ゾンビ音楽が生まれるまでのプリクエル(前日譚)ともいえる映画を7つの章に分け、その間に安野による演奏が挿入されるという趣向は、無声映画時代の映写と弁士の関係を想起させる。リコーダーが奏でる「ピロピロピロ」という素朴な音も、弁士の時代がかった節回しや、剥き出しのフィルムが回転する映写機の音を思い起こさせて、ノスタルジーを喚起する。この場において確かに奏でられているにもかかわらず、遠い時代から響いてくような、死者の唸り声。


そうだ。ゾンビ音楽とは過去と現在を結ぶ漠然とした流れを楽しむものなのだ。しかし、それはいわゆる「歴史」であってはならない。戦争や政治闘争の勝者によって記述された大文字の歴史ではなく、誰かの、無責任な思いつきでうっかり残ってしまった、間違いだらけでつぎはぎだらけの歴史であるべきだ。

コンサートで配布されたリーフレットには、「あくまで予定なので計画は多少前後する」という西暦4001年までのゾンビ音楽の(もはやSFと言ってよい投げやりな)歴史が記載されている。ありえるかもしれない未来の歴史を、あたかも一体のゾンビであるかのような虚心で受け入れながら、ヘロヘロな死者たちの声に身を任せてみることを私はおすすめしたい。

イベント情報
『安野太郎のゾンビ音楽「カルテット・オブ・ザ・リビングデッド」』 (『トーキョー・エクスペリメンタル・フェスティバルVol.8』TEFパフォーマンス公募プログラム)

2013年11月9日(土)
会場:東京都 トーキョーワンダーサイト渋谷
出演:安野太郎
料金:2,000円
主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 トーキョーワンダーサイト

『トーキョー・エクスペリメンタル・フェスティバルVol.8 TEFパフォーマンス』

2013年10月18日(金)〜12月8日(日)
会場:東京都 トーキョーワンダーサイト渋谷
主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 トーキョーワンダーサイト

{詳細(複数ある場合もあります)}

プロフィール
安野太郎 (やすの たろう)

作曲家。1979年生まれ。日伯ハーフ。いわゆるDTMやエレクトロサウンドとしてのコンピュータミュージックとは違う軸でテクノロジーと向き合う音楽を作り発表してきた。代表作に『音楽映画』シリーズや『サーチエンジン』などがある。最近は西洋音楽でも民族音楽でもない音楽『ゾンビ音楽』を樹立し、それを世に問うことに心血を注いでいる。2013年3月に初のCD『安野太郎のゾンビ音楽 デュエット・オブ・ザ・リビングデッド』をpboxxレーベルよりリリース。



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