国立競技場解体後、東京五輪を彩った壁画たちはどこへ行くのか?

近現代美術史の貴重な財産が処分されようとしている

新国立競技場建設のため、間もなく解体工事が始まろうとしている国立競技場には、多くの芸術作品が展示されてきた。これらは1964年の東京五輪開催に合わせて作られたもので、北村西望(彫刻家、代表作『長崎平和祈念像』)の塑像や長谷川路可(フレスコ、モザイク壁画のパイオニアとして知られる美術家)の壁画など、実に25点もの作品が競技場内に点在している。建て替えを管轄する日本スポーツ振興センター(JSC)は、当初、近現代美術史の貴重な財産ともいえるこれらの作品を、保存せずに処分しようとしていたのだから信じがたい。工藤晴也・東京藝術大学教授を中心に、JSCの「国立競技場記念作品等保存等検討委員会」で交渉を継続、辛うじて保存される運びとなった。

辛うじて、保存するという判断に至ったとはいえ、そのほとんどの移転先は宙ぶらりんのまま。13点あるモザイク壁画のうち、長谷川路可『野見宿禰像』『勝利の女神像』については2019年に完成する新国立競技場に併設される予定の博物館で保存されるが、その他11点の壁画についてはJSCが移転先を検討する前に現競技場からの撤去を決めてしまった。いくつものブロックに切り分けた壁画を組み合わせて別の場所で復元するのには、コスト面など多くの問題が生じる。所蔵先を公募するなどの対応を検討中だというが、現物を確認できない、バラバラになったブロックの状態から引き受け先を探すのは容易ではないだろう。

大沢昌助『動態』 撮影:大沢昌史
大沢昌助『動態』 撮影:大沢昌史

今が一番キレイに見られるという皮肉

宙に浮くこととなる11作品のうち、『動態』『人と太陽』を描いた画家・大沢昌助の孫・大沢昌史さんに話を聞いた。

「当初、国立競技場の壁は無地で地味なものでしたが、オリンピックの開催に合わせて、競技場のあちこちに華やかな壁画を作ることになりました。寺田竹雄さん(洋画家、日本芸術院会員)の『よろこび』、脇田和さん(洋画家、1998年に文化功労者に選ばれた)の『躍動』といったタイトルが象徴的ですが、これらの作品は戦後復興の証しでもありました。こういった文化財が、いとも簡単に切り出されてしまうのが寂しいです」

元々あった壁に直接貼り付けていったために、作品のタイルだけを剥がすことはできない。切り出すには45センチの厚みが必要で、高さ8メートル×幅8メートルにもなる作品は、総重量70トンとなる。作品は18分割され、3年間限定で国立代々木競技場の敷地(屋外)に保存されるというが、その先は決まっていない。そもそも、大沢作品の1つ『人と太陽』は、これまで満足に見ることすらできなかった。

「控え室が足りない、という理由で、祖父の作品の前にコンクリートの部屋が増築されてしまったのです。ですから、人が1人入れるくらいのスペースしかなく、作品の全体像を見渡すことすら出来ませんでした。当然、作品はホコリを被ったまま。今回、JSCが保存用にデジタル撮影をするということで洗浄を行ないました。だから、今が一番キレイに見られる状態なんです」

洗浄前と洗浄後の写真を見比べれば一目瞭然。今が一番キレイに見られるというのはなかなかの皮肉である。

大沢昌助『人と太陽』洗浄前 撮影:大沢昌史
大沢昌助『人と太陽』洗浄前 撮影:大沢昌史

大沢昌助『人と太陽』洗浄後 撮影:大沢昌史
大沢昌助『人と太陽』洗浄後 撮影:大沢昌史

「文化遺産を保護しなければならない」と記した「アジェンダ21」

元々、『人と太陽』は日当りの悪いところに展示されており、だからこそ、作者の大沢はこの強い色彩を選んだのだ。

「五輪に合わせて多くの作品が同時に出来たわけですから、祖父は、他の作者とのバランスを熟考したはず。あっちにあのような作品があるなら、こっちはこうだろうと。全ての作品を保存して欲しいと願うのには、そういった理由もあります」

昌史さんから見せてもらった資料に、作者・大沢昌助が作品に対して寄せたコメントが載っていた。「暗い壁面のために明るい色のタイルを選んだ。細かい効果をさけて、大まかな構成にした。タイルの材料をなるべく生かすように、目地の線を通すようにした。他の人の作品と調子が狂わないように心を配った」とある。ホコリを被った状態はまったく本望ではなかっただろう。

新国立競技場の設計案については、景観などを問題視する声が絶えない。そもそも国際オリンピック委員会が策定した「アジェンダ21」は、既存の施設をできる限り活用し地域状況と調和するよう、開催国に求められている。併せて、「文化遺産を保護しなければならない」という努力目標も記されている。それにも関わらず、50年前の祭典を彩った壁画を長年ないがしろにしてきた挙句、処分する予定でいたのだ。日本オリンピック委員会(JOC)が切り出して期限付きの保存を決めたのも、工藤教授らの申し出に応じるための付け焼き刃的な措置と思われても仕方ない。以降は積極的に公募活動をするなり、併設の博物館で全て保存する方法を画策すべきだろう。

切り出すためにテーピングが引かれた『動態』 撮影:大沢昌史
切り出すためにテーピングが引かれた『動態』 撮影:大沢昌史

壁画作品の切り出し工事が、今週から始まった

作家の橋本治は『ひらがな日本美術史7』(新潮社)で、1964年東京五輪の亀倉雄策(グラフィックデザイナー)のポスターが果たした役割について、「諸外国から『日本=東京、お前は誰だ?』と問われたことに『私はこういうものですが』と自己紹介する意味を持った」と書いた。この壁画たちも同じ役割を果たしたはずだ。「今から切り出すのを止めることは難しいでしょう。でも、1人でも多くの人に、この壁画の存在を知ってもらいたいのです」と昌史さん。

先述の工藤教授は『月刊美術12月号』で、「(これらの作品を)捨て去る発想は、歴史を軽んじ、先人達の努力や世界の人々が共有した感動を踏みにじる行為に他なりません」と憤る。壁画作品の切り出し工事は、昌史さんへの取材後、8日から始まってしまった。ようやく本来の発色を取り戻したばかりだというのに、早くもメスが入れられてしまった。全ての作品の移転先が順当に決まることを祈りたい。


プロフィール
武田砂鉄 (たけだ さてつ)

1982年生。ライター/編集。2014年9月、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」で「コンプレックス文化論」、「cakes」で芸能人評「ワダアキ考 ~テレビの中のわだかまり~」、「日経ビジネス」で「ほんとはテレビ見てるくせに」を連載。雑誌「beatleg」「TRASH-UP!!」でも連載を持ち、「STRANGE DAYS」など音楽雑誌にも寄稿。「Yahoo!個人」「ハフィントン・ポスト」では時事コラムを執筆中。インタヴュー、書籍構成なども手がける。



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