「猫や犬と人は通じ合わない。それは人間の思い込み」
それを言っちゃおしまい、という言葉を次々と並べてくる人は信頼できる。おしまいだと思っていないからこそ、遠慮しない素直な言葉が次々と連なっていく。雑誌『女性自身』に連載されていた蛭子能収の人生相談をまとめた1冊『蛭子能収のゆるゆる人生相談』(光文社)は、それを言っちゃおしまいな回答が全編に溢れている。
たとえば、シングル生活を満喫しているものの孤独死が不安だと悩む中年女性に、「孤独死かどうかって、他人が考えただけのことだと思うんですよね。だって、死んだら、寂しいとか考えることもできないわけだし」と元も子もない返答。飼い猫が老いてしまい、やがてペットロス症候群になるのではないかと悩む飼い主に向かっては「そもそも猫や犬などの動物と人は気持ちが通じ合わないもの。通じ合うとすれば、それは人間の思い込み。そう思うと気持ちも楽になるかもしれませんよ」と、これまで築いてきた関係性を破壊する回答をぶつける。
自分磨きをして、磨けなかった場合にどうするか
動物には興味がないから競馬ではなく競艇をやるのだと強引に持論に持ち込む蛭子は、張り詰めた場所であればあるほど笑ってしまうため、知人の葬式に出向く度に笑ってしまい、外に連れ出されるのだという。あるいは、エビフライが自慢のお店での食レポ仕事で、エビフライを出された途端に「わっ、小さいエビフライ!」と口走って番組スタッフを激高させてしまう。これらに通底しているのは、彼を評する時に使われがちな「空気を読まない人」ではないと思う。蛭子は、空気自体を認めようとしない。読むとか読まないですらないのだ。
蛭子は、高級時計をしている人を不思議がる。だって、時間なんて「とおりすがりの人に、『いま何時ですか?』って聞いてもいい」と思っているから。コミュニケーション力ばかり問われる現在にあって、「人づきあいって本当に必要ですか?」と根元から刈り取るように問うた新書『ひとりぼっちを笑うな』(角川新書)で延々と書いたのは、孤独で何が悪い、その上で自己主張はするな、だ。自分を磨いたり探したりして、うまいこと磨けなかったり探せなかったりするくらいなら、あらかじめ自分を低く見積もっておけばいいのに、という提言は、それを言っちゃおしまいなのだが、やっぱり圧倒的に正しい。
「自由を勝ち取るための戦いなんです」と不意に強気な主張
シュールな漫画家として、本人としては低空飛行、世間的なイメージとしては中空飛行を続けてきた蛭子能収だが、これほどテレビに頻出するきっかけとなったのは、テレビ東京系列の旅番組『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』の存在である。俳優・太川陽介とその回ごとのマドンナとの三人で、路線バスを乗り継いで目的地に向かっていくだけの旅は、旅を積極的に推し進めようとする太川と、旅をできうる限り安直なものにしようとする蛭子と、なんでこんな旅に参加してしまったんだろうと顔を曇らせていくマドンナのチグハグ感が、シンプルすぎる企画の面白みにつながっていく。
この番組の絶妙なバランスを蛭子が理解しているはずもなく、本書でもワガママな上司が異動してきて困っているという質問に対して嬉しそうに太川の名前を挙げ、「子どもみたいなワガママを言われ」ても、太川さんが主役の番組だから、「ロケ中は、すべて太川さんに従う」ようにしていると自分の愚痴を回答がわりにする。番組の企図に従順な太川はバスが出ている限り先を目指そうとするが、蛭子はそんな太川を本気で嫌がる。「ひとつの部屋でみんなと寝る民宿や旅館が嫌なんです」と宣言し、「できれば雀荘がある繁華街に泊まりたい」と嘆願する。「自由を勝ち取るための戦いなんです」と、ここだけ主張が力強い。
蛭子能収・高田純次・あき竹城・平野レミは同級生
蛭子が生まれた1947年は、いわゆる「団塊の世代」と呼ばれる「第1次ベビーブーム」の世代だ。戦後日本の経済成長の歯車となってきたのが彼らだが、あまりにも仕事に人生を捧げすぎて、会社を辞した現在に虚無感を覚えていることも少なくない。ふと調べてみたら、今のテレビ界で重宝されている飛び道具的存在の蛭子能収、高田純次、あき竹城、平野レミが揃って1947年生まれだと気付いた(平野の生年についてネット上では諸説あり)。いずれも、頭のネジを自ら吹き飛ばすことを開き直って楽しむタイプの人だ。
蛭子は人生相談で、みんなで一緒に何かをやったってしょうがないし、自分で自由を守るためには相手にどう思われようとも構わない、と繰り返す。オファーもないのに役づくりのために髭を生やした高田純次、好きな食べ物を問われて「じゃがいも」と即答したあき竹城、「バカのアホ炒め」と題した140字レシピをTwitterに投じる平野レミ……一致団結して日本を引っ張り上げてきたという自負に浸りがちな同期たちからスルスルと抜け出る、フットワークの軽すぎる思考が清々しい。
相手が求める答えを差し出さない真摯な態度
「蛭子能収ブーム」を眺めていて、こういう存在を何とかして「癒し系」「天然系」の方向付けで持ち上げようとする働きかけには疑問を持つ。本書も「ゆるゆる」な人生相談ではあるのだが、相手が求めているであろう答えからいちいち踏み外していく様は、むしろハードコアだ。
ストレートな返答でもなく、真逆の返答でもない。一言目から脇道に逸れるのだが、その脇道で、本質を捏ね出したりする。それをヘラヘラしながらやるものだから、ふざけた人だなぁと受け取られがちだが、相手が求めている答えを素直に差し出さないって、とっても真摯な態度だと思う。実は家ではそんなに熱くないとほのめかし始めた松岡修造より、よっぽど素直に熱いメッセージを投じてくるのが蛭子能収なのだ。
- 書籍情報
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- 『蛭子能収のゆるゆる人生相談
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2015年6月18日(木)発売
著者:蛭子能収
価格:680円(税込)
発行:光文社(メイン画像:蛭子能収/光文社)
- プロフィール
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- 武田砂鉄 (たけだ さてつ)
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1982年生まれ。ライター / 編集。2014年秋、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「Yahoo!ニュース個人」「マイナビ」「LITERA」「beatleg」「TRASH-UP!!」で連載を持ち、「週刊金曜日」「AERA」「SPA!」「beatleg」「STRANGE DAYS」などの雑誌でも執筆中。著書に『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)がある。
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