人と物の移動はとどこおり、私たちが異なるなにかとすれ違うことは、極端に減ったように感じる。しかし、それは表面上の話だ。世界は混じりつづけているし、その証拠のような音楽が、今日もどこかで鳴っている。見知らぬ宇宙の果てで、星と星が衝突するように。
3人組ヒップホップユニットDos Monosが7月にリリースした『Dos Siki 2nd Season』は、2ndアルバム『Dos Siki』の「リメイク」アルバムだ。その結びの一曲、”ラ・コスミ コミケ(宇宙的人種) / Ra Cosmicomiche (Race For Space)”に参加しているのが、N/K a.k.a 菊地成孔 + 谷王 a.k.a 大谷能生によるヒップホップクルー、JAZZ DOMMUNISTERSである。
今回は菊地・大谷の両氏を招き、Dos Monosの荘子itとの鼎談を実現。一瞬の黙考と横溢する語り、絶えぬ笑い声のなかで、しかし真剣な議論が行われた。そのなかで見えてきたのは、いまを生きるわれわれが向き合うべき「混血性」「マルチルーツ」という問題だった。
「瓜二つの作品をつくってみたい」。アルバムをリメイクした真意
―『Dos Siki 2nd Season』は、リメイクアルバムという珍しい形式のアルバムですよね。
荘子it:アイデアは昔から、それこそデビュー前からあったんです。全曲、瓜二つの作品をつくってみたいな、と。
―瓜二つの作品、ですか?
荘子it:超似ているものがあると、すごくテンションが上がるフェティシズムをぼくは持ってるんですよ(笑)。世の中って一見カオスでバラバラに見えるけど、本質の構造において(=隠喩)や、隣接性において(=換喩)、本来ルーツの異なるさまざまなものが、じつは似ていることを発見したときに興奮を覚える。トラックをつくるときやリリックを書くとき、映画評を書くときも、まずは何も考えず、無心にそういう発見を楽しみながらやっています。
意外な共通性に気づいたとき、そこで既知のものと似ているからがっかりするのではなく、むしろ基本は全部同じだとも言えるからこそ差異の創発を楽しめる。映画作品だと、ジャン・ユスターシュの『不愉快な話』(1977年)が、前半と後半で全く同じ会話を、演出したドラマと、ドキュメンタリーのかたちでそれぞれ提示しています。
荘子it:JAZZ DOMMUNISTERSとDos Monos双方のMVを撮っている冨永昌敬監督の『シャーリー・テンプル・ジャポン』(2005年)も、前後半で同じ脚本を演出するという似た構造を持っていますが、冨永監督本人にきいてみたところ、ユスターシュのその作品のことは知りませんでした(笑)。
自然の摂理では、無自覚に、無意図に見えるかたちで「似ている」現象が起きるんですが、倒錯して、そうした意外な共通性を自分の作品で生み出してみたかった。その試みの一つとして、前作『Dos Siki』のリリース前に、制作中の曲のPC画面を屋外広告に掲示して、それをヒントに自由にリミックスしてもらう、という企画もやりました(参考:Dos Monosからの挑戦状に、自由な発想で表現。リミックス座談会)。
リミックスは2次創作と言われますが、この場合は「本物=1次創作」の前の0次創作ですね。0次創作の曲を聴いたあとに初めて「本物」としての1次創作に触れて、その2つの間に共通性が見える面白さがあるはずだ、と。
Dos Monos『Dos Siki』を聴く(Apple Musicはこちら)
Dos Monos"Remixed Remixes of The Rite of Spring Monkey"を聴く(Apple Musicはこちら)
―なるほど、そのときの実験が今回のリメイクアルバムのアイデアにつながっているわけですね。
荘子it:0次創作のリミックス曲を募集したときはヒントがPC画面だけだったから、BPM(テンポ)やどこで音が切れたり増えるかなどの大枠の曲構成が共通する一方で、キーやコード進行などは、オリジナルとはほとんど異なる曲が集まりました。
そして今回の『Dos Siki 2nd Season』では、JAZZ DOMMUNISTERSのお二人に”Mammoth vs. Dos Monos”という曲のリメイクを頼みました。こちらもトラックの展開、タイムラインはまったく同じで、そのうえで違うことをやりたい、と伝えたんです。ふつうのリミックスと比べると相当不自由なことをお願いしてしまったんですが、ありがたいことにご理解いただけて。
―珍しいオファーですよね。
大谷:リミックスをやったという感じはしないです。むしろカバーに近いですね。
菊地:ぼくらが付け加えたのは、上物(うわもの)のネタというか、素材の提供と、ラップですよね。基本的なビートはもとの曲で決まっていて、かつ最終的にエディットするのも荘子くんということだったから。
大谷:しかも、依頼された時点で締め切りが2週間後ぐらいという……(笑)。だからもう、うちらでやれることをバンバンやって渡していきました。
菊地:サックスも吹いてくれということだったのでそのフレーズをどうしようか考えて。あとイントロの声は、ぼくのマネジャーの子どもとクラスメイトの小学生たちなんですけど、子どもの声を入れることを谷王に伝えたのは、録り終わってから(笑)。
Dos Monos『Dos Siki 2nd season』を聴く(Apple Musicはこちら)
―冒頭で「助けてジャズ・ドミュニスターズ!」と子どもたちの明るい声が響きますね(笑)。
荘子it:もともとは2021年がはじまってすぐにリリースする予定だったのに、こちらの制作の都合で伸びに伸びて。菊地さんのマネジャーにも「子どもたちが小学校を卒業する前に聴かせてあげたい」と言われてたのに約束を守れず、申しわけないです……(笑)。
「文学、宇宙、人種の3つで『混血性」というテーマを音楽で示したかった」(大谷)
―それだけ急ピッチの作業のなかでも、JAZZ DOMMUNISTERSとしてなにか別のテーマも入れようとしたのでしょうか? リリックでは、ジャズミュージシャンのアルバート・アイラーやセシル・テイラーの名前を挙げて、彼らに「小説を書け」と煽り、文学的なモチーフも散りばめられています。
大谷:文学と宇宙と人種、この3つの話で1本、JAZZ DOMMUNISTERSでやろうかという話は、この曲のオファー以前からしていたんですよね。
菊地:温存していたテーマをやろうと思ったのは、今回、元になる楽曲”Mammoth vs. Dos Monos”にラテンのビートであるサルサが入ってたことが大きかった。
―楽曲のタイトル「ラ・コスミ コミケ(宇宙的人種)」の「宇宙的人種」というのも、ラテンアメリカ文化において重要なテキストのタイトルだそうですね。
菊地:「宇宙的人種」は、ホセ・バスコンセロスという人物が1925年に書いた文章で、日本でも1980年代に翻訳されています(1988年、雑誌『現代思想』臨時増刊・総特集ラテンアメリカに抄訳掲載)。
ホセ・バスコンセロスというのは、メキシコ初の文部大臣であり、ディエゴ・リベラなどが知られているメキシコ壁画運動の黒幕みたいな人物でもある。まあブッ飛んでる人でして(笑)、この「宇宙的人種」という文章も、政治的なプロパガンダというより、詩的なアジテーションに近い。
大谷:一応論文なんだけど、めちゃくちゃなことが書いてあるんですよ(笑)。
―なんと書いてあるんですか?
菊地:要するに、北半球の先進国と南半球の発展途上国の格差の問題に対して、これからはアメリカ大陸における南、ラテンアメリカの側が勝つんだ、という話なんですよ。
純血を志向している北側は、環境問題から人種差別問題まであらゆる問題を解決できないだろう。だが、混血につぐ混血を重ねている自分たちは解決が可能である。我々は寒冷と戦うのではなく、灼熱と戦ってきて、混血してきた。その混血の果てには「宇宙的人種」という最後の人種が現れて、地球を統治するだろう、と。
まあヤバい妄想みたいな文なんですが(笑)、一方でこれはさきほど言ってくださったように、ラテンカルチャーをアカデミックにとらえようとする人たちにとってクラシックになってるんです。
大谷:その「宇宙的人種」に、イタリア幻想小説の大家、イタロ・カルヴィーノの『レ・コスミコミケ』をタイトルに並べてみて、さらに「レ」をSUN RA(アメリカのジャズミュージシャン、思想家、1993年没)の「ラ」にしてみたという(笑)。三題噺になってるんですよ。
―イタロ・カルヴィーノの『レ・コスミコミケ』(早川書房刊行の邦訳あり)は、宇宙がはじまった時点から生きつづけている老人が語り手の短編集として知られています。そこに独自の宇宙哲学で知られるSUN RAの「ラ」を差し込むという。ここには「文学」「宇宙」が関わってきますね。
菊地:そして、さきほど言ったホセ・バスコンセロスの文章「宇宙的人種」にあるように、(メキシコのある)ラテンアメリカを扱うのであれば、混血性という「人種」に関わるテーマは避けて通れない。
混血性の問題は、もちろんこの社会で現実に起こっていることであると同時に、日本に住んでいて――多少の多言語を解するとはいえ――モノリンガルである人間にとっては、観念的な問題でもあります。要するに、ストリートではなく文学、読書を通じて入ってくるものでもあるということです。だからこの曲では、<小説を書け>というリリックが何度も登場するんです。
大谷:さらに言えば、音楽というものは、先天的にマルチルーツな文化なんですよ。もちろん、ヒップホップもジャズもマルチルーツ。意識しているもなにも、すべてはそこからしか始まらない。ラテンアメリカの混血性を言葉で示すだけでなく、マルチルーツな状態というものを、音楽においてまずやって見せるわけことが今回の楽曲のテーマでは重要だったわけです。
「『ヒップホップはジャズの孫』だと飲み屋で話していたら怒られた」(大谷)
―ヒップホップはさまざまなジャンルから音をサンプリングしてつくられる、まさにマルチルーツを全面的に打ち出した音楽です。混血性、マルチルーツ性への関心が、JAZZ DOMMUNISTERSがヒップホップというジャンルに取り組んでいる背景になっていたりするのでしょうか。
菊地:それはあるかもしれないですね。言語のレベルにおいても、日本でも韓国や東南アジアのアーティストと一緒に楽曲をつくってるラッパーは多いし。あとはSIMI LABなどのライブを見ても、すでにヒップホップのステージ上ではマルチルーツの状態がふつうに可視化されているから、そういう点に惹かれた部分はあるかもしれない。
あと、そもそもJAZZ DOMMUNISTERSをはじめた動機としては、「ヒップホップはジャズの孫」であって、ファンクという一親等分をあけた血族関係にあるのだという明確な事実を、きちんと提示するのだというところにあったわけです。
大谷:ジャズとヒップホップはほぼ一緒だというのはふつうの話だよね、とわれわれは言ってきたんだけど、どちらのジャンルの人も「正しいジャズとは」「正しいヒップホップとは」と言ってくる人も多くて……。飲み屋でしゃべってたら、胸ぐらつかまれんばかりに怒られたこともある(笑)。
JAZZ DOMMUNISTERS『BIRTH OF DOMMUNIST(ドミュニストの誕生)』を聴く(Apple Musicはこちら)
荘子it:お二人のスタンスはすごく腑に落ちます。ジャズをいまやろうとしたらヒップホップになるというのは、シンプルかつ自然なこと。だから「ジャジーヒップホップ」という括りが、意外性のある組み合わせとして存在していることにも当時、違和感があった。「混血」や「マルチルーツ」が音楽文化の基本であることもそう。いまでこそ柳樂光隆さんの献身的な仕事などを通じて日本の若い音楽リスナーの間でも広く共有されている認識だと思いますが。
あと最近だと黒人のラッパーが意外とオタクでアニメ好きだ、といったことも語られるけど、そもそもあれもラッパーとオタクが根本的に似ているところがあると考えられるじゃないですか。それこそお二人は、『アフロ・ディズニー エイゼンシュタインから「黒人=オタク」まで』(文藝春秋、2009年)という本を出していて。ぼくはめちゃくちゃ好きな本なんですが、あらためて検討すべき重要なテーゼだと思います。フライング・ロータス(アメリカの音楽プロデューサー。アニメなど、日本カルチャーにも詳しいことで知られる)やサンダーキャットの台頭は言わずもがなで、歴史が証明しているじゃないですか。
菊地:まあ、ぼくと大谷くんのアナウンスというのは必ずその通りになるんですよ。最初は「こいつら、なに言ってるんだ?」「どうかしてる」と思われるんだけど、5年、10年と寝かせると、だんだんふつうのことになってくる。最初はあいつらが言っていたということも忘れられるくらいにふつうに(笑)。あの講義してた2009年ぐらいから「そのうち、アニメにジャズ当てることになって、それをアニメ好きの黒人音楽家に褒められるときでも来るだろうな」と思ってたら、『機動戦士ガンダム サンダーボルト』(菊地が音楽を担当した『ガンダム』シリーズ)をサンダーキャットが喜んでた。現実は遅いですよ。
昨今、ジャズバンドがラッパーを呼んだり、ラッパーがバンドセットをやろうとしたりという動きがこれだけ活発になってきたことに対しても、「ほら、やっぱりそうなったじゃん」って思う。ただ、これは自分が手がけてきた仕事も含めて言うんだけど、本当の成功例は、まだほとんどないと言っていい。
「ぼくはDos Monosを聴くと、アニメを感じるんですよ」(菊地)
―「ヒップホップはジャズの孫である」というテーゼをバンドで体現した成功例は、まだほとんどない?
菊地:ヒップホップのトラックをマンマシーン化したバンドの例なら、ごまんとある。大谷くんの『Jazz Abstractions』(2012年)は成功していると思うけど。
大谷:ただ、あれはバンドじゃないから。
菊地:今回『Dos Siki 2nd Season』に参加している、石若駿くんたちのバンドSMTKは、彼らが「ジャズバンドなのか」といった議論は別にあるかもしれないけれど、生演奏とヒップホップが有機的に絡んでうまくいった数少ない成功例だと思います。
荘子it:(ホッとして)ああ、よかった……(笑)。
菊地:Dos Monosの情報の出し方も、生バンドで出せる情報の出し方と拮抗している。最初から情報が過剰で、演奏がどんなにプログレッシブで多音的になってもラップが乗っかるというのがいい。マキシマムですよね。JAZZ DOMMUNISTERSがやったら、もっとミニマムになる。
荘子it:ぼくらがまだ若いからなのかな。
大谷:若さというよりは、同級生たち特有のグルーヴ感、ノリがあると思う。ぼくはDos Monosを聴くとそれを感じるんですよね。
荘子it:たしかにぼくら3人は中学校の同級生ですけど、トラックをつくっているのはぼく1人だけなんですよ。それでも、1人の音楽というよりは、同級生感が強い印象がありますかね?
大谷:同級生3人のラップを乗せる想定でトラックがつくられるから、トラックにも最初から同級生たち特有のグルーヴが入ってくるのかもしれない。Dos Monosの楽曲は、よく情報量が多いと評されているけど、菊地さんが言う「マキシマム」というのは情報量よりも、曲の展開の多さだと思う。
ただでさえ展開の多いトラックに、ラッパーの3人が交互に乗っかってくるから、展開の洪水のような状態がリスナーを混乱させていて面白い(笑)。
―逆に荘子さんは、JAZZ DOMMUNISTERSの音楽をどう感じてらっしゃるんですか?
荘子it:変な言い方ですが、ぼくはじつは記号的な次元に留まってほのめかすような音楽が結構好きで、JAZZ DOMMUNISTERSもある意味それです。鳴っている音だけなくて、その音を通して見えてくる景色があるというか。内在的超越って言ったらいいんですかね、ここにいるんだけど彼岸が想像できるような音楽というか。ぼくらが同じようなことをやろうとしても、まだガキだからなのか、そうした凄味は絶対に出ない。
菊地:逆にDos Monosは、イマジネーションの自由を持っていると思いますよ。想像力における自粛のようなものがない。ぼくはDos Monosを聴くと、アニメを感じるんですよ。カートゥーン的。
ぼくはオタク文化やアニメ好きのオールドスクーラーに属する世代なんで、かつジャズに流れて行ったんで、ジャパンクールの掛け値なしの力、というのは、『機動戦士ガンダム サンダーボルト』や『LUPIN the Third 峰不二子という女』の音楽をやらせて頂くまで痛感はできませんでした。でも、いまはコミケこそが我が国を代表する唯一のカルチャーぐらいに評価しています。あそこには資本主義も共産主義もなく、博愛ですよね。劇団雌猫の動きとかもそう。アニメにはイマジネーションに対して無制限に自由な部分があると感じます。荘子くんの世代はアニメを見ることに一切抵抗がないし、オタク文化が生活に馴染んだあとの世代だから、ふつうの感覚として受け入れられるんでしょう。
だからアニメを抵抗なく需要できる世代のDos Monosは創作における無制限の自由を持っていて、JAZZ DOMMUNISTERSは持っていない。なぜなら、ぼくたちには一種のダンディズムがあるから。いまでも、アニメっぽさを自分たちの作品に上手くは取り入れられないんです。
―フライング・ロータスの世代から続く荘子itさんの世代は、ヒップホップとアニメも混血させていると言えるのかもしれませんね。
荘子it:菊地さんがおっしゃるように、ぼくは当たり前にアニメが代表するオタク文化と、ヒップホップが代表する不良・ヤンキー文化の垣根を越えられる世代なのかもしれません。生育環境も、一緒に育った兄が性格的にはオタク的なものを毛嫌いし、地下格闘技や裏社会にのめりこむ一方、子供部屋には美少女ゲームやラノベなどのオタクコンテンツも溢れている状況でした。
近年では、SUMMITの面々が楽曲を制作した『ODDTAXI』や『東京リベンジャーズ』などのアニメ作品の人気も、オタク=ヤンキー文化を象徴しているように思います。とはいえアニメも一枚岩ではないので、制作会社を軸にすると「京アニ」的なものより「シャフト」的なもののほうが手法的にヒップホップとの親和性が高かったりはすると思います。すべてを強引な連想で繋げてしまう手法とか。『黒いジャガー』(ゴードン・パークス監督 / 1971年)は有名なブラックパワームービーですし(笑)。
菊地:もちろんこれまでも、じつはオタク文化とヤンキー文化は相容れないものではなく、ヤンキーが隠れてオタク文化を好きだったりと、裏で「密約」を結んできたんだよね。さっき話に出てきた『アフロ・ディズニー』では、「その2つはじつは同じだよね」って、いきなり等価のものとして書いてしまったから、当時は「どうかしてる」と思われたんだと思う(笑)。いまとなっては、当たり前のことしか書いてない。その前夜に兆候を報告しただけで。
―だからこそ、Dos Monosにはその密約を成立させるキーマンとして期待されてるんですね。
菊地:というか「密約」だから、これまでは見えないように行われてきたんだよね。でも、その2つの文化が混在するさまを、もっと露骨に表に見えるようなかたちで表現する。Dos Monosはサウンドもアニメーションだし、そんなアーティストになると感じているんですよ。あえて政治みたいに言えば、コミケとヤンキーが連立すれば、我が国最大のカルチャー与党ができるわけで。まあそれは、Dos Monosには大げさかな。
荘子it:たしかに、Dos Monosはデビュー時から一貫して「隙間産業廃棄物」を標榜していますし、菊地さんの言う「日本最大のカルチャー与党」になるつもりは毛頭ないんですね。でも、オタク=ヤンキーの強い引力の渦中にいながら与党を脅かす存在ではありたい。
上の世代は、オタクかヤンキーどちらかに属するか、批評的にあえてどちらからも距離を取る、という感じでしたが、僕の場合は好むと好まざるに関わらずオタク=ヤンキーでありつつ、その閉塞を自ら打ち破りたいなと思っています。そしてそんな文化の外側の広がりを示してくれた先人が、ほかならぬお二人でしたから、今日は自作から波及して、ずっと関心のあったテーマにも話が及び、この上なく刺激的かつ幸福でした。
- リリース情報
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Dos Monos
『Dos Siki (1st & 2nd season)』(CD)
2021年9月3日(金)発売
価格:2,200円(税抜)
APLS2111
1. 春の猿の祭典
2. Aquarius (Ft. Injury Reserve)
3. Estrus
4. Mammoth vs. Dos Monos
5. 春の猿の歌
6. Sagittarius
7. Estrus
8. ラ・コスミ コミケ(宇宙的人種)
- リリース情報
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Dos Monos
『Larderello』
2021年9月14日(火)配信
1. 暗渠
2. medieval
3. OCCUPIED!
4. Y
5. 地下熱
6. (skit)
7. 21世紀ノスタルジア
- プロフィール
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- 荘子it (ソーシット)
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トラックメイカー/ラッパー。中高の同級生のTaiTan(Rapper)、没(Rapper,DJ)と共に、3人組ヒップホップクルーDos Monosを結成し、2019年に米LAのDeathbomb Arcから1stアルバム『Dos City』をリリース。2020年にはアリゾナのInjury Reserveも参加した4曲入りの『Dos Siki』をリリースし、翌2021の同日にそのリメイクとなる『Dos Siki 2nd Season』をリリース。本作にblack midi、崎山蒼志、小田朋美、SMTK、Qiezi Maboと共にJAZZ DOMMUNISTERSが参加した。その後9/14には最新アルバム『Larderello』をリリース。
- JAZZ DOMMUNISTERS (ジャズドミュニスターズ)
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菊地成孔と大谷能生によるヒップホップクルー。2010年に結成。名前は宇川直宏主宰のライブストリーミングチャンネル〈DOMMUNE〉のレギュラー番組『JAZZ DOMMUNE』が由来。当番組でのモダンアートなパフォーマンスをヒップホップ・マナーに流し込んだスタイルが特色。菊地主宰のパーティ〈HOT HOUSE〉でのコメディアン兼MCとしてのラップを機に、SIMI LAB勢らとも共演。2013年に1stアルバム『BIRTH OF DOMMUNIST』を発表。2017年に2作目『Cupid&Bataille、Dirty Microphone』をリリース。
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