「地球環境の破壊」「気候変動」が進行しているというのは、誰もがメディアなどをとおして、何度も聞いてきたニュースだろう。ひょっとしたら、レジ袋の有料化やプラスチックストローの廃止などをとおして、日常生活への影響を感じている人も多いかもしれない。
いっぽうでこれらの問題はスケールが大きすぎて、ニュースを耳にしたところで、私たちの身近な問題として捉えづらい一面があるのも正直な感想ではないだろうか。
いま、地球環境はどれだけまずいことになっているのか。私たちのこれからの暮らしにはどのようなリスクが存在するのか。そんな「地球環境」への興味関心の高まりは、映画というカルチャーにも影響を及ぼし、近年さまざまな興味深い作品が生まれている。
ここでは、環境問題の現実を伝えるドキュメンタリーや、それらの問題にインスパイアされたフィクションドラマ作品をとおして、これらの問題を知るきっかけ、ヒントを探ってみたい。
(メイン画像:『地球の限界: "私たちの地球"の科学』 画像提供:Netflix)
『レミニセンス』が描く、海面上昇が進んだ近未来のリアルな生活格差
2021年8月14日、北極圏にあるグリーンランドの標高3,000メートルを超える最高地点で観測史上初めて雨が観測されたことが報告され、大きな話題となった。
今回のニュース以外でもここ数年、北極圏や南極圏における氷床、氷山の大規模な融解などが繰り返し伝えられてきたが、これらの事実が示しているのは、地球温暖化が想像以上に進行している状況だ。
9月17日に公開された近未来SF映画『レミニセンス』は、そんな温暖化の影響による海面上昇によって沿岸部が海に沈み、ビル群が水に浸かったマイアミの日常が舞台となっている。
富裕層は高台の乾いた土地に住んでいるが、ヒュー・ジャックマン演じる主人公は、そんな水浸しの街のなかで生活を送っている。
大規模な津波や隕石などの超常現象を描く映画はこれまでもあったが、最近ではこの作品のように、リアリティーを感じる絶望的な未来を描く映画も現れはじめている。グリーンランドや北極の氷が溶ければ、このディストピアの光景は、ただの空想の産物ではなくなってしまうのだ。
Z世代を代表する環境活動家、グレタ・トゥーンベリ
近年、気候変動による危機的な事態を訴え続け、その活動が大きく注目されているのが、スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリだ。
15歳のときに行った、国連気候変動会議での声を荒げながらの演説は、共感を呼び歓声を浴びながら、同時に一部で反発をも生むことにもなった。
その後もZ世代を中心に世界中からの関心が高まっていくなかで、ドナルド・トランプはTwitterで「落ち着けグレタ!」と揶揄し、ウラジミール・プーチンは「世界が複雑だということを誰もグレタに教えていない」と発言。とくに大人の男性たちが彼女を批判する現象が目立ったのが印象的だった。
10月22日に公開されるドキュメンタリー映画『グレタ ひとりぼっちの挑戦』では、そんな彼女の活動の日々が映し出される。
映画のなかでは、グレタがアスペルガー症候群であることが説明される。「一つのことにこだわる」という特徴が、地球温暖化問題への興味関心につながったそうだ。彼女は、アスペルガー症候群であることを誇りに思い、そんな自分だからこそ活動が続けられていると説明する。
グレタは15歳のとき学校の授業をボイコットし、スウェーデンの国会前で座り込みを続け、政府の無策を糾弾するストライキを開始する。「現実を見て、まず学校へ行け」と説教する大人たちも多いが、果たして「現実を見ていない」のはどちらなのだろうか。
科学者たちがファクトで示す、「地球温暖化のタイムリミットはいつ?」
グレタ・トゥーンベリは、「私ではなく科学者の話を聞いてほしい」とも主張している。実際、科学的視点から眺めた地球の現状は、どうなっているのだろうか。
温暖化、海面上昇、生物の死滅、資源の枯渇など、地球環境の変化によって人類が直面している代表的な危機を、一作で包括的にまとめているのが、『地球の限界: "私たちの地球"の科学』(Netflix 2021年6月配信)だ。
作中では、とくに温暖化について、このままの状況で二酸化炭素の排出が続いていけば、7年ほどで地球の状態は不可逆的な段階に陥ってしまうという予測が、客観的データとともに示される。
産業革命以来、凄まじい勢いで生産・消費の規模が増大し続けている人類は、どこかでその方針を根本から転換する必要がある。しかもそのタイムリミットは、すぐそこまで迫っているのだ。
大企業のサイコパス性を暴いた『ザ・コーポレーション』
世界の人々の多くは、絶望的な未来を望んでいるわけではないだろう。持続可能な世界と豊かな自然環境を次世代に残したいと思っているはずだ。にもかかわらず、なぜ地球環境が破壊される状況が看過され続けているのだろうか。
その大きな要因となっているのが、人々の欲望をエンジンとした大量消費社会と、その商品やサービスを供給する大企業を中心とした経済活動だ。
人類の快適な暮らしと、それを提供する企業の成長の引き換えに、燃料採掘、ゴミ、土壌・水質汚染、森林破壊、フードロスなど、地球の自然環境が犠牲になってきた。それでも経済活動は止まらない。
そんな、利益追求と成長に邁進し続ける大企業の問題点を指摘するのが、ノーム・チョムスキーらが出演する『ザ・コーポレーション』(2004年公開)だ。
このカナダのドキュメンタリー映画は、「企業」という存在が、人の幸せや安全よりも経済効率を優先する「サイコパス性」を持っていると主張する。
それは、誰もがいまの生活は続かないと薄々感づいていながらも、大企業が経済活動を頑として止めない理由の見事な説明になっているのではないか。そして、われわれ一人ひとりもまた、そんな巨大なシステムのなかで生産・消費を繰り返すことで、破滅へのスピードを加速させている当事者なのである。
経済や人種格差問題とのつながりを描く、『そこにある環境レイシズム』
エリオット・ペイジが出演する、同じくカナダのドキュメンタリー『そこにある環境レイシズム』(Netflix 2019年配信)は、環境問題には、一見関係のなさそうな社会問題が関係していることを現地取材によって紹介している。
カナダのノバスコシア州にある、アフリカ系の人々が多く住む郊外の土地では、長い間病気が蔓延していて、若くして亡くなる人が異様に多いのだという。
そこで井戸水を調査すると、水質が汚染されていたことが明らかになった。その原因として考えられるのが、土地に建設された巨大なゴミの埋立地である。また、先住民コミュニティーの近くに工場が建てられ、水源が汚染される別の事例も紹介される。
取材をとおして明らかになってくるのは、貧困者や特定の民族の住む地域には、汚染物質を発生させる施設が建設される傾向があるということだ。つまり、環境問題は経済格差や人種差別問題などとも密接にかかわっている。被害を受ける人々は、ある意味で「選ばれている」ともいえるのだ。
多くの日本人が犠牲になった「水俣病問題」をジョニー・デップが演じる
このような環境破壊による深刻な健康被害にさらされているのは、日本人も同様だ。9月23日より全国公開中の映画『MINAMATA-ミナマタ-』は、1950年代から現在まで続いている「水俣病問題」を、ジョニー・デップが演じる、実在のアメリカ人写真家W・ユージン・スミスの視点から描いた作品だ。
水俣病は、工場の排水によって汚染された海に棲む魚介類を人間が食べることで発症した病気である。魚の体内で濃縮された有毒物質メチル水銀化合物は、人間の脳や神経に障害を与え、さまざまな症状を引き起こすことになる。
W・ユージン・スミスが患者を撮影した写真の数々によって、その被害の重大さを、世界中の人々が知ることとなった。もし、この事実が世界に広まってなかったら、被害者たちの抗議は国によって完全に黙殺された可能性もある。
この作品では、病気の原因となった企業を実名で登場させ、情報を隠蔽することで土地の被害者たちに対する責任から逃れようとする姿を描く。その表現には一切の容赦がなく、被害者の怒りに寄り添ったものとなっている。
現在、重大な公害被害の状況は改善されたものの、被害を受けた人たちの病気や偏見との闘い、国や自治体などとの闘いは継続している。本作の存在は、それを助ける役割を果たすだろう。
熊本県は本作の公開について、歴史を知るきっかけになるとして後援を決めたものの、水俣市は後援を拒否しているという。それは、被害者たちの闘いがいまだ厳しいものであることを物語っている。
世界中で、同時多発的に「怒り」を露わにしはじめた次世代の子どもたち
水俣病問題を考えるとき、現在も続く汚染問題として、福島第一原子力発電所事故による放射線の問題や、汚染処理水の海洋放出についても想起せざるを得ない。
東京電力は、安全基準に適合するまで処理、希釈すると主張しているが、その莫大な総量を考えると、環境に影響がないという話をそのまま鵜呑みにすることは難しい。
水俣病が発生当時から何年にもわたる研究によって、やっと人体に異常をきたす原因が特定されたように、被害が出てからその因果関係が科学的に判明するケースは少なくない。
そして、仮に被害者が大勢出て、因果関係が明らかになったとしても、水俣病問題同様、国や企業が責任を全面的に認めて十分な補償をするまで、被害者は長い年月を経て闘うことになるだろう。
公害、被害、隠蔽、責任逃れ……この構図は世界中の至るところでいまも発生し、繰り返されている出来事である。
『気候戦士 ~クライメート・ウォーリアーズ~』(2019年)は、そんなエゴイスティックな大人たちに反対する若い世代の活動を世界規模で紹介するドキュメンタリー映画だ。
世界第2位の二酸化炭素排出国、アメリカ合衆国のドナルド・トランプ大統領(当時)は、気候変動抑制に関する国際協定パリ協定から脱退を宣言し、石炭復活策を進めるなど時代と逆行した政策を実施。
そんな状況に対し、先住民をルーツに持つ17歳のヒップホップアーティスト、シューテスカット・マルティネスが同世代の若者たちを巻き込み、アメリカ合衆国政府を提訴するなど気候活動のグローバルリーダーとして立ち上がる。
取り返しのつかなくなった環境問題を押し付けられ、ツケを払わせられるのは、次世代の子どもたちである。グレタ・トゥーンベリの活動は、多くの大人たちを苛立たせたが、逆に10代を中心とした若者世代には、そのメッセージに共鳴し、怒り、具体的な活動をはじめる賛同者が増えているのだ。
マット・デイモンが、「金銭的な利益」と「未来の暮らし」どちらが大切かに悩む
もちろん生きるために「経済活動」は重要だ。しかし私たちは、目に映る範囲だけの「合理性」や、やみくもに成長を目指す姿勢を正当化する言説に、安易に乗せられすぎたところがなかっただろうか。
そして、若い世代の怒りや子孫が被るダメージすら見て見ぬふりしたり、傲慢に否定しているのでは、いまの世代が人類史のなかで地球環境を決定的に破壊した元凶とされるのは避けられないだろう。
最後に紹介するのは、天然ガスの採掘問題を描いた、マット・デイモン主演、ガス・ヴァン・サント監督の映画『プロミスト・ランド』(2014年公開)。
この映画では、天然ガス採掘の権利を手に入れるため、住民と交渉するグローバルエネルギー企業の社員のドラマが描かれる。
マット・デイモン演じるエネルギー企業の社員は天然ガス採掘を推進する立場だが、ガス採取の際に行われる「水圧破砕法」が、その土地の自然や人々の生活を壊すという現実を知り、悩みはじめる。
ガスの採掘は、土地の人々の暮らしを一時的に助けることになるが、その代償として、未来の暮らしを放棄させることになりかねない。これと同様に日本でも、財政難にあえぐ地方自治体が核燃再処理工場を受け入れるなど、土地を差し出す構図が見られる。
『プロミスト・ランド』は、経済を優先し、環境を破壊する側の人々の視点をとおして、もっとも大事なことは何なのか、人は何のために生きるのかという問いを描いていく。
映画をとおして環境問題を知ることは、未来につながるひとつのアクション
一人の行動だけで、世界の危機的状況を変えることは難しい。生まれたときからずっと当たり前にあった、便利な生活を手放すことも難しい。
しかし、地球規模で深刻な環境問題が進行しているいま、これらの問題に対して何らかのアクションをすることを、現代に生きる私たちは求められている。
途方もなく大きな問題だからこそ、安易に大上段から考えたり、急にわかったふりをして論じたりするのではなく、まずは等身大の私たちの視点から、正直に、これらの問題について、取っ掛かりを探すところからはじめてみるのはいかがだろうか。
環境問題をテーマとしたこれらの映画作品を観ることも、ひとつのアクションといえるだろう。底に穴の空いたボートに乗っている人は、まず穴が空いていることを認識しなければならないように、いま迫っている「不都合な現実」を直視することが、すべてのはじまりなのではないだろうか。
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