「命が大事なのは感情に訴えかけて伝えることじゃなくて、むしろ真顔で言わなきゃいけない。音楽でうやむやにせず、言うべきことはある」
折坂悠太は自らの歌に対するアティチュード、ひとりの音楽家としての社会に対する見解についてこう語った(記事はこちら)。その記事から約1か月後に本稿の取材を実施した。新作『心理』の全曲解説のためだ。
本人自らの言葉を通じて全収録曲をひとつずつ紐解いていったからこそ感じたのは、重層的で多面的な作品のあり方そのものが、この社会の複雑さを表象しているようだということだった。幸福な時間のなかにも拭いようのない悲しみは存在するし、寄る辺のない暮らしにおいても心のよすがを見つけることができる。なんらかの犠牲のうえでささやかな喜びを享受し、名づけようのない感情を抱えながら私たちは日々を生きている。
生活や社会、あるいは人間の心模様というものはそんなに単純なものではないが、折坂悠太はその複雑さを通過したうえで音楽を編み上げようとしている。その結実たる『心理』での試み、そしてその背景にあるものをライターの大石始とともに紐解いた。
折坂悠太『心理』全曲解説インタビュー
折坂悠太の新作『心理』は、2021年という奇妙な一年を象徴する作品のひとつとして今後語られていくことになるだろう。
『心理』は10月6日にリリースされるや否や、SNSには賛称の声が溢れ、コロナ禍にある現在、数多くのリスナーが折坂の歌を――まるで灼熱の砂漠で一杯の水を欲するかのように――求めているという事実が浮き彫りとなった。音楽的なトレンドに左右されることなく、現代のフォークロアともいうべき普遍性を備えた本作には、いまの時代を生きる折坂の「生」の実感、希望、混乱、迷いが写し込まれている。
本作のインスピレーションとなっているのは新旧の音楽作品だけではない。文学や現代詩、現代社会のさまざまな事象や過去の物語(そこではアウシュビッツのとある奇妙な物語までが参照されている)が複雑に編み上げられながら、2021年の日本の姿が描きだされている。作詞作曲の段階で参照されていたもの・ことを一つひとつ解き明かしながら、折坂自身に『心理』の広大な世界を案内してもらった。
表現のより深い層へ手を伸ばすために、折坂悠太にとって必要だったこと
―ここしばらくの折坂さんはインスタライブや試聴会の配信、“炎”のミュージックビデオのプレミア公開など、ネットを使ったさまざまな試みを続けていますが、それらの企画を通じてこれまで以上に密な関係性をリスナーと結んでいるように見えます。
折坂:最近思うのは、リスナーの方とそうした関係を結べている嬉しさがある一方で、ヒリヒリした意見を受け取る機会が減ったなということで。
ライブをやっていると「この人には全然響いてないんだな」と実感することもあるんだけど、コロナ禍以降そういう機会も減ってしまった。いい感想だけに触れていると、どんどん内向きになっちゃうので気をつけなきゃなと思っています。
折坂:これは『心理』にもつながる話でもあるんですけど、今回アルバムを一緒につくった重奏のメンバーと私を引き合わせてくれた人が京都にいるんですよ。quaeruというバンドをやっているワカさん(ワカマツヨウジン)という人。
(前作にあたるアルバム)『平成』をリリースした直後、ワカさんと一緒に呑んだことがあって、すごくいい批評をしてくれたんですね。今回の作品はあの日のワカさんとの会話からはじまった感じがしています。
―その批評というのはどういうものだったんでしょうか。
折坂:ワカさんが言っていたのは「すごくいい作品だと思うし、評価されるのはすごくよくわかるけれど、どうして評価されるのかがわかる」ということで。
たしかに『平成』というアルバムでは「この要素とこの要素を組み合わせたらおもしろいんじゃないか」みたいことを自分の頭のなかで構築していて、深層に辿り着く前の表層的な部分をワカさんに見抜かれたんです。
折坂悠太『平成』(2018年)を聴く(Apple Musicはこちら)
折坂:ワカさんの言葉を受けて、「そうだ、京都でバンドをやろう」と考えたところはあったと思います。というのは、日本のなかでも京都という場所は東京中心的なトレンドからかなり距離を置いているところで。
京都にもいろんな場所があると思うけど、ワカさんと出会ったUrBANGUILDの周辺は特にそういう雰囲気があるんです。
京都にある多角的アートスペース、UrBANGUILDで撮影・録音されたライブ映像
―ここ数年の折坂さんは「作為のない音楽」をずっと追い求めている感じがするんですよね。そのためには京都のような場所で、なおかつ重奏のようなバンドが必要だった。
折坂:そうですね。私はね、なにかの音楽を聴いたとき、すぐに仮説を立てちゃうんですよ。一聴したときに、この歌詞がどういう文脈からきているのか、サウンドの背景になにがあるのかというような仮説を立てがちで、それってたぶんよくないことだと思うんです。
自分の作品をつくるにあたっても『平成』以前はそういう傾向が強くて。「これとこれが並んでいるの、やばくない?」みたいに文脈をわかってほしいとどこかで期待していた。でも『心理』ではそういう発想から離れたかったんです。
1. “爆発”――「作品の顔」となる歌い出しの言葉に写し込まれたもの
―ここからは『心理』の全収録曲について話を聞かせてください。1曲目は“爆発”です。
折坂:“爆発”はフリースクール時代につくった曲が原型で、その曲の歌詞とメロディーを大きく変えて、ちょっとフォークっぽくした曲があったんですね。
でも、そのままやるのはつまらないなと思っていたころ、ピノ・パラディーノとブレイク・ミルズのアルバム(『Notes With Attachments』)をちょうど聴いて。
ピノ・パラディーノ&ブレイク・ミルズ『Notes With Attachments』(2021年)を聴く(Apple Musicはこちら)
折坂:(拍や小節など音が発せられる際の)縦の軸が揃っていない音で構成されたもののなかに、フォークっぽいメロディーを乗せたらどうなるかな? という発想で一度デモをつくってみたんですよね。そこからドラムやベースを入れていった結果、リズムが強い曲になりました。
―バンドでやるうちに「これとこれが並んでいるの、やばくない?」という発想から離れていった?
折坂:そうですね。当初のイメージはちょっとアンビエントぽいギター奏法に残っているぐらいかと思います。
―このアルバムがどういうものなのか、この曲に詰まっていると思うんですね。言葉にしても抽象的でありながら、コロナ禍の社会のありようを鮮明に描きだしている感じがするんですよ。なかでも冒頭の<光が揺れてる>というフレーズがとても印象に残りました。
折坂:この曲を1曲目にしようっていう考えはデモをバンドに持っていった段階からはっきりとありました。
アルバムのひと言目は「作品の顔」というか、どういったことについて歌っているのかが聴いている方に伝わる箇所だと思ったので、めっちゃ悩みました。なんとかいい言葉が出てきたなと思っていますね。
2. “心”――音楽の周辺にも存在する「正しさ」を揺らがす歴史的事実を楽曲の下敷きに
折坂:この曲の歌詞を書くときは、アウシュヴィッツ強制収容所にはユダヤ人の楽隊が存在したことがインスピレーション源にありました。彼らがナチスの将校たちを楽しませていたということは、音楽による抵抗だと私は感じて。
音楽って大きなホールで大喝采を浴びながらやるものもあれば、時代によっては抑圧されていた人々が奏でるものでもあるわけですよね。<あれをやりましょうか やりましょね / 気づかれぬように したたかに>あたりの歌詞はその話がヒントになっています。
―アウシュヴィッツではユダヤ人が行進する際、音楽隊が演奏していたという話もありますよね。しかもユダヤ人の音楽隊が。シモン・ラックスの『アウシュヴィッツの音楽隊』という本にはユダヤ音楽に心酔するあまり、前線に送られることになるナチスの下士官の話が出てきますし、音楽には期せずして善悪を超えてしまう力と危うさもある。
折坂:今回エンジニアをやってくれた中村公輔さんとレコーディング中に話したときに、現代の音響技術の一部が軍事技術をもとにしていることを教えてもらったんです。たとえばピッチ(音程)補正のソフトとか真空管とか。
反戦をテーマとする音楽をやる際にもそういった技術を使うことも当然あるわけで、そう考えると「正しさ」というものがよくわからなくなってしまう。その「わからなさ」をなにかの言葉で表せないかなと考えて、こういう歌が出てきたんです。
折坂:あと、吉野弘さん(山形県酒田市生まれの詩人)の「生命は」という詩もモチーフとしてありました。
その詩のなかに「虻(あぶ)の姿をした他者が / 光をまとって飛んできている / 私も あるとき / 誰かのための虻だったろう」という一節があるんですね。この詩で描かれる虻と花の関係性が、アーティストとリスナー、対立する他者との関係性と似た部分があると思ったんですよ。
―複数のイメージと物語がここに織り込まれているわけですね。
折坂:そうですね。<砂漠の街にバンドが来てる>という歌詞には、「のろしレコード」のライブでも演奏している金森幸介さんの“Rock'n Roll Gypsy”のイメージがあると思いますし、この曲はいろんなイメージが重なっているんです。
のろしレコードは、折坂悠太、松井文、夜久一による音楽レーベルであり、ユニット。2019年に『OOPTH』を発表している(関連記事はこちら)
3. “トーチ”――コロナ禍以降に成長した歌の感覚も
関連記事:折坂悠太がたむけた3つの歌。コロナ禍に惑う社会、人々の心へ(記事を開く)
―この曲は2020年に一度リリースされていますが、ここでは新たにレコーディングしていますね。
折坂:2020年以降、重奏のバンドアンサンブルも進化してきたので、いまの感覚でもう一度録ってみたかったんです。
(前回のバージョンを)録ったのは2020年の1月で、当時はもっと沈んだ声で歌っていて、ミックスも暗めの方向だったと思います。アルバムに入れるんだったら、サウンド的にもっとすっきりさせたかった。
―折坂さんが歌詞を、butajiさんがメロディーを書いた共作曲なわけですが、歌い続けることで折坂さんのなかでも血肉になっている感じがしますね。
折坂:そうですね。今回のバージョンはbutajiさんが最初につくったときよりもかなりコードを変えているので、さらに自分のメロディーになっているという感覚がありますね。
4. “悪魔”――なぜこの曲で「戦争」の言葉が突如浮上するのか
折坂:最初、バンド用のデモをつくったときは、ニック・ドレイク(※1)がEmerson, Lake & Palmer(※2)をバックに歌っているというイメージがありました。
そこからドラムのsenoo rickyさんの提案で、大きな振り子みたいなリズムが入ったんです。そしたらトム・ウェイツの『Rain Dog』みたいな雰囲気になってきたので、そのうえで山内(弘太)さんがマーク・リボーみたいなギターを弾いてくれました。
トム・ウェイツ『Rain Dog』(1985年)収録曲。同作にも参加したマーク・リボーは、実験音楽やフリージャズの分野での活動で知られる
※1:早逝したイギリスのシンガーソングライター、代表作は1972年発表の『Pink Moon』
※2:1970年代を代表するイギリスのプログレッシブ・ロックバンド
―この曲も当初のアイデアからかなり変化したわけですね。
折坂:そうですね。バンドに持っていったときにメンバーのイメージが加えられて、当初のアイデアがかき乱されていく。それが大事だと思っていました。
―前回の取材で話していましたが、この曲の歌詞は自分でも意味のわからない言葉を書き出し、それを羅列しながらつくったそうですね。
折坂:昔はもっと散文的に歌詞を書いていたんですけど、最近は歌詞のなかに物語と必然性を見出そうとする傾向が強くて、そういう曲ばかりだとつまらないんじゃないかと思ったんです。なので散文的でコラージュみたいな歌詞にしようと。
ただ、コラージュといえども、<歩みを止めて踊らないか>という言葉のように、現状に対する危惧がすごく出ている部分があるかなとは思います。
―この曲にも<此れを咎めねば戦争もかたなしさ>という一節があったり、先ほどの“心”には強制収容所にいたユダヤ人の音楽隊のエピソードが重ね合わされていたりと、随所で戦争のイメージが入っています。
折坂:それは自分の曲に通底している感覚なのかもしれないですね。最初のアルバムに入っている“角部屋”という曲でも「戦争」という言葉を使っているわけで。戦争に対する自分の見解を示さずにはなにかをつくることができないというか。
折坂悠太『あけぼの』(2015年)収録曲。この曲には<新聞広告に 落書きしながら君は / 戦争行くときは / さわらせてあげるよ と / そうして僕はここにいて / 君には触らない>という歌詞がある
―そこで折坂さんが歌っているのは「かつて戦争がありました。戦争はいけないことですよ」という真正面からのメッセージだけではないですよね。もちろん戦争は間違いなくこの世界からなくすべきものですが、「私たちは戦争の真っ只中に生きているんだ」というヒリヒリした感覚みたいなものが折坂さんの曲にはあります。
折坂:それはあるのかもしれないですね。その前提のうえで聴いている人になにかを問いかけたいんだろうなと。
5-6. “nyunen”、“春”――仲野太賀の主演映画の劇伴・主題歌を手がけたことで得たもの
折坂:私は古い日本のギターを使っているんですけど、ボディのなかに制作した方の言葉が書いてあったんですね。「愛好家の為に之を入念制作いたしました」って。そのギターで録音したので「nyunen=入念」にしました。
―今回のアルバムにはこの曲も含めてインタールード的なインストが2曲入っていますが、映画『泣く子はいねぇが』の劇伴を担当した影響もあるのでしょうか。
折坂:それはありますね。
2020年公開、主演・仲野太賀、監督は佐藤快磨(Netflixで見る)
折坂:ライブの構成もそうなんですけど、アルバムをつくるうえで、ひと呼吸置く部分があるとないとでは全然違いますしね。
サウンド的にも歌が入っていると試せないこともあって、この曲ではエンジニアの中村さんのアイデアでギター1本にものすごい本数のマイクを立てて録りました。
―この曲は映画『泣く子はいねぇが』の主題歌でしたが、今回のアルバムのために再録しています。
折坂:そうですね。前の音源もすごく好きだったんですけど、バンドメンバーのスケジュールの都合で、バラバラに録った音を編集してつくった部分が多くて。今回は重奏のメンバーと一緒に、せーので録ろうと思っていました。
―映画のためにつくった曲ではあるものの、このアルバムの重要な一部をなしていますよね。
折坂:劇伴の仕事を通じて、重奏というバンドのアンサンブルの特性、バンドとしてのよさが見えてきたんですよね。今回のアルバム自体、そうした点を踏まえたところがあったので、この曲を収録するのはすごく自然なことでした。
7. “鯱”――多彩な音の入り乱れる折坂作品で重要な役割を担ってきたストリングスに着目
折坂:アルバムの曲が出揃ってきたときに、驀進力のある曲が欲しいなと思って「とにかく痛快なやつをつくりましょう」と。重奏とサックスのハラナツコさん、パーカッションの宮坂遼太郎くんでスタジオに入ってフレーズを出し合いながら、かたちにしていった曲ですね。
―この曲に“鯱”という曲名をつけたのは、どういう理由からだったんでしょうか。
折坂:今回のアルバムに入っている“鯨”を先に着手していて、この曲もセッション的につくったんですよ。だから、“鯨”と“鯱”の連作というイメージはあったかもしれない。
―この曲は折坂さんのこれまでの作品でも重要な役割を果たしてきた波多野敦子さんのストリングスが入っています。
フジテレビ系月曜9時枠ドラマ『監察医 朝顔』主題歌”朝顔”においても、波多野敦子のストリングスアレンジはサウンドの「テクスチャー」において重要なポイントとなっている / 関連記事:折坂悠太の歌の現在 J-POPと「生活の歌」を共存させる戦いを経て(記事を開く)
折坂:最初は波多野さんのいない状態でリハーサルを重ねていたんですけど、そのままだと単に「アフロビート的な勢いのある曲」って感じがして。アルバム全体の構成を考えたときに「ここで波多野さんだな」と直感して声をかけました。
8. “荼毘”――亡き者に対する郷愁と焦燥感を結びつけ浮かび上がらせる、とあるモチーフ
折坂:この曲も“悪魔”と同じように少し散文的な歌詞からつくりはじめたんですけど、<今生きる私を救おう>という言葉が出てきたときに曲が固まっていった感じはありますね。
「荼毘に付す」(遺体を焼いて弔うこと)という言葉があるように、この曲は亡き者について歌っているわけですけど、私自身、亡き者に対する郷愁は以前から歌ってきているんですね。
この曲ではすべて解き放たれた状態の人がひとりごとを言っていて、最終的に<今生きる私を救おう>と歌っている。失われたものに寄り添うだけじゃなくて、答えを見いだすところまでの歌なんだと思います。
butajiさんの“RIGHT TIME”という曲のなかに<今に帰ってこい>という歌詞がありますけど、同じものが見えている感じがしますね。
butaji『RIGHT TIME』収録曲(関連記事はこちら)
折坂:あと、最初のコードが半音ずつ上がっていくような変な進行は、緊急地震速報のアラームから着想を得てあんな感じになっているんですよね。
―すごい発想!
折坂:荼毘に付す人がなにかに追い立てられるかのように東海道を行ったり来たりしている。焦燥感と自分の肯定、そういうことを表そうと考えていました。
9. “炎”―― 政治に対するモヤモヤと仲間への労わりが混ざり合って共存し、ひとつの歌へ
折坂:この曲を書いたときは、Twitterデモや国会前のデモのことを思い浮かべていました。
そうしたデモに意義がある一方で、大きな流れになりづらいことにモヤモヤがあって。最初はもっと怒りに任せた内容で、「あいつが来たら殴ってやろう」っていう歌詞だったんですよ(笑)。
―いまとはずいぶん違いますね(笑)。
折坂:それが<あいつが来たら眠らせてやろうよね>という歌詞に変わっていったんですよね。この曲の原型を歌いはじめたころ、『SHIBUYA全感覚祭 - Human Rebellion -』があって。
『SHIBUYA全感覚祭 - Human Rebellion -』は、2019年10月13日にGEZAN率いる「十三月」によって開催されたライブイベント(関連記事はこちら)
折坂:私はちょうど青葉市子さんと弾き語りのツアーを回っていたころだったんですけど、マヒトさん(GEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポー)から疲労で顔がパンパンに腫れた写真が送られてきたんですよ。そこから<あいつが来たら眠らせてやろうよね>という言葉が浮かんできたところはあると思います。
―「あいつ」という言葉の裏に、まさかマヒトさんの存在があったとは。
折坂:マヒトさんのことは同志みたいに思っているし、そういう仲間に対して「休みなよ」っていう言葉と、この曲を書きはじめたころにあったモヤモヤした気持ちとか腹立たしい気持ちを同時に表せないだろうかと。しかも私なりの優しさをもって……複雑な思いをその言葉に込めたんだと思います。
―しかもそうした多層的なイメージが炎という言葉に集約されている。サム・ゲンデルの演奏も素晴らしいし、本当に名曲だと思います。
折坂:ありがとうございます。
10. “星屑”――母子家庭と夜間保育園の物語に、煌びやかな和音を添える
折坂:これはカラオケボックスでつくった曲で、もともとの発想としては、困窮した立場にいる人の物語をものすごくゴージャスなコードで表そうと考えていました。
具体的なきっかけは、夜のお仕事をされているシングルマザーがお子さんを預けている夜間保育園の記事を読んだことで。そうした家族の物語を変に悲しいものだったり感動的なものにするのではなくて、自分が思う一番リッチなコードで曲にしようと。
―苦難を抱えて生きる人を歌と音で優しく包み込む感覚って、昭和の流行歌的なところもあると思うんですね。実際、曲調としても流行歌的で。
折坂:そうですね。メロディーは李香蘭の“夜来香”のコードを辿っているときに思いつきました。後半入ってくる波多野さんのストリングスがちょっと中華風ですけど、あれも私からリクエストしたんです。
11. “kohei”―― 「楽器で鳴らした音」以外での音楽表現
折坂:この曲は、私が考えたメロディーにピアノのyatchiさんがコードをつけていくようなかたちでつくりました。
この曲のリズムパートでは、yatchiさんがピアノを叩いている音を使っているんですよ。マイクで録音したノイズを歪ませたり、サウンド的にいろいろ試した曲ですね。あとは各自の即興演奏。しかも楽器の音を使わず、物理的な軋みとかだけで演奏してもらうという。
―そういった即興演奏は重奏のメンバーはお手のものという感じですよね。
折坂:そうですね。かなりの短時間で録ったんですけど、それをできたのは重奏メンバーだからだと思います。
12. “윤슬(ユンスル) feat. イ・ラン”――2019年から関係をあたためてきた韓国の音楽家たちとの共演
折坂:2019年に韓国のソウルに行って、同時期に京都でバンドをはじめたわけですけど、どちらの町も中心に川があったんですね。ソウルで泊まった場所の近くには漢江があって、深夜ひとりで川を眺めたり、京都では鴨川でたむろしてみんなで喋ったり。
自分のなかで「川」が2019年のキーワードみたいな感覚があったんですよ。そのときから韓国のゲストに入ってもらうということは考えていました。
―ゴージャズなコード進行だった“星屑”に対し、この曲でのコードはものすごくシンプルですよね。メロディー含め、川のようにゆらゆら漂っているような曲です。
折坂:そうですね。今回のアルバムでは趣向を凝らしていろんなリズムをつくったので、この曲では、なにも考えなくてもできるようなシンプルなリズムの上で遊んでみようという気持ちもあったと思います。
―後半にはイ・ランと一緒にやってるイ・ヘジさんのチェロが入ってますが、彼女のチェロが入ると途端にイ・ランの世界になるんですよね。
折坂:チェロひとつとってもイ・ヘジさんのタイム感みたいなものがあるんですよね。イ・ランとヘジさんが織りなしてきたサウンドをそのまま入れられたのはとてもよかったと思います。
13. “鯨”――重層的で多面的なアルバムを締めくくった<また遊ぼう>という言葉
折坂:今回の収録曲のなかでは一番個人的な思いに寄り添った歌かなと思います。
韓国で友達になったトマというシンガーがいるんですけど、彼女が今年の春、亡くなってしまって……彼女は鯨の刺青を入れていたんです。歌詞はトマとの会話のことを思い出しながら書きました。
―だから<また遊ぼう>というフレーズがあるわけですね。
折坂:そうですね。あと、このフレーズにはもうひとつ別の情景があって。
子どもを保育園に迎えに行ったとき、自転車の後ろにうちの子を乗せて走り出した瞬間、同じクラスの子が「また遊ぼうね」と言ったんですよ。その光景にすごく感動してしまって。だって、保育園の子たちは明日も会えるってわかってるのに「また遊ぼうね」と言うんですよ。
ちょうど同じころトマのことがあって、悲しい気持ちになっていたんですね。でも、「また遊ぼうね」という言葉には、なんていうのかな……ほんと「それ以外ない」という感じがして。
折坂:アルバムができたら韓国に遊びに行って、トマにも聴いてほしいなとも思っていたし、このアルバムの締めくくりにはこの言葉しかないなと思ったんです。
―この曲でじんわりと終わっていくのもいいですよね。派手なフィナーレが用意されているわけじゃなくて、余韻を残しながら少しずつフェイドアウトしていく。日常に溶け込んでいくようなエンディングだと思いました。
折坂:今回のアルバムでやりたかったのもそういうことだったんですよね。音楽じゃない音、たとえばノイズや残響音みたいなものが集まっては、砕け散って、それぞれのかたちの音になっていく。“鯨”はまさにそういう気持ちでつくっていました。
さまざまな死に触れたことによって、自分がいまこうして生きているわけだけど、そのあとどうなるんだろう? ということをずっと考えていた時期があったんです。音楽でそのことに対する答えみたいなことを表せないかとも考えていました。
「自分の思う音楽ってなにかをジャッジするものじゃない」
CINRA編集部・山元:全収録曲をひとつずつ紐解いていったからこそ感じることですが、重層的で多面的な作品のあり方そのものが、この社会の複雑さを表象しているということを感じました。強制収容所にいたユダヤの方々の楽隊の話、母子家庭と夜間保育園の物語など、折坂さんの歌に織り込まれているイメージや具体的なモチーフも「これらの歌はこの世界を映し描いているのだ」ということを強烈に物語っている。
折坂悠太『心理』を聴く(Apple Musicはこちら)
CINRA編集部・山元:なかでも途中でおっしゃっていた「戦争に対する見解を示さずにはなにかをつくることができない」という言葉は折坂さんの歌の前提になるすごく本質的なものだと思うのですが、そういった歌の態度は聴き手に対してどのように向けられているのでしょうか?
折坂:この前のインタビューの話ともつながることだと思うんですけど、曲のなかに「だから戦争をやめようよ」みたいなニュアンスを入れようとは考えていないんですよね。いろんな人が恋愛について歌うのと同じぐらいの感覚で、戦争についても歌おうと。
戦争はいまもどこかで起きてることだし、自分たちの暮らしは戦争の加害や被害のうえに成り立っているわけで、自分たちの生活と直接つながっていることだと思うんですよ。なので、私にとっては自分の表現に戦争に対する見解を入れないことにはどうも気持ち悪いというか。
折坂:今回はエンジニアの中村さんのスタジオで歌を録音しているんですけど、中村さんって私がなにかを話すと「こういう見方もできるよね」と違う視点から話してくれるんですね。
たとえば私が「戦争はダメですね」と話すと、ダメなのはダメなうえで、さっき話した音響技術のことなどを話してくれる。自分が正しいと思っていることを揺さぶるような情報をめっちゃ入れてくるんですよ(笑)。今回はそういう気持ちのまま歌を録っているんです。
―見解が揺れている状態で歌っている、と。
折坂:それがいまの自分なんですよね。モヤモヤとか矛盾みたいなものを全部受け入れながら表現することができるのが音楽だと思うし、あらゆる創作物のよさというのはそういったところにあるんじゃないかと。
自分の思う音楽ってなにかをジャッジするものじゃなくて、自分たちが生きている状況について、自分なりの眼差しで歌うものなんですよね。ある意味すごくシンプルなことだとは思うけど、自分にとっての音楽とはそういうものなんです。
- リリース情報
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折坂悠太
『心理』初回限定盤(CD+DVD)
2021年10月6日(水)発売
価格:5,280円(税込)
ORSK-015
[CD]
1. 爆発
2. 心
3. トーチ
4. 悪魔
5. nyunen
6. 春
7. 鯱
8. 荼毘
9. 炎 feat. Sam Gendel
10. 星屑
11. kohei
12. 윤슬(ユンスル) feat. イ・ラン
13. 鯨
[DVD]
・『折坂悠太単独公演2021<<<うつつ>>> 2021年6月4日(金) 東京・USEN STUDIO COAST Live & Tour Document』
1. 春
2. 心
3. 芍薬
4. 朝顔
5. トーチ
6. のこされた者のワルツ
7. 鶫
8. 轍
9. 鯱
10. 炎
11. よるべ
12. 坂道
・河合宏樹によるドキュメンタリー映像
※DVDは初回限定盤に付属折坂悠太
『心理』通常盤(CD)
2021年10月6日(水)発売
価格:3,300円(税込)
ORSK-016
1. 爆発
2. 心
3. トーチ
4. 悪魔
5. nyunen
6. 春
7. 鯱
8. 荼毘
9. 炎 feat. Sam Gendel
10. 星屑
11. kohei
12. 윤슬(ユンスル) feat. イ・ラン
13. 鯨
- イベント情報
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『折坂悠太 「心理ツアー」』
2021年10月29日(金)
会場:大阪府 サンケイホールブリーゼ
2021年10月30日(土)
会場:広島県 JMSアステールプラザ 中ホール
2021年11月2日(火)
会場:愛知県 名古屋市芸術創造センター
2021年11月6日(土)
会場:宮城県 日立システムズホール仙台 シアターホール
2021年11月20日(土)
会場:福岡県 博多 福岡国際会議場 メインホール
2021年11月22日(月)
会場:北海道 札幌 共済ホール
2021年11月26日(金)
会場:京都府 ロームシアター京都 サウスホール
2021年12月2日(木)
会場:東京都 LINE CUBE SHIBUYA
- プロフィール
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- 折坂悠太 (おりさか ゆうた)
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鳥取生まれ、千葉県出身のシンガーソングライター。平成元年生まれの折坂ならではの極私的な感性で時代を切り取りリリースされた前作『平成』は、2018年を代表する作品として、『CDショップ大賞』を受賞するなど、高い評価を受ける。2019年には上野樹里主演、フジテレビ系月曜9時枠ドラマ『監察医 朝顔』主題歌に“朝顔”が抜擢され、2020年同ドラマのシーズン2の主題歌続投も行い、今年3月にはミニアルバム『朝顔』をリリースした。また、佐藤快磨監督、仲野太賀主演の映画『泣く子はいねぇが』では自身初の映画主題歌・劇伴音楽も担当するほか、今年4月には、サントリー天然水、サントリー角ウイスキーのテレビCMソングを担当するなど活躍の幅を広げている。2021年10月6日、3年ぶりとなる新作アルバム『心理』をリリースした。
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