コロナ禍の10代を撮った『#放課後ダッシュ』展。日中韓から集まった写真を見る

放課後という言葉には、なんとなく甘酸っぱさと自由の匂いがある……と書いてしまったりするのは筆者が学生ではなくなってだいぶ時間が経つからだが、学校や仕事が明けたあとの「放課後」に許されていたような無茶さや放埒は、誰にとってもずいぶん遠いものになってしまったと思う。最後にクラブやライブに友だちと連れ立って遊びに行ったのはいつだったか。

そんなコロナ時代に開催された写真展『#放課後ダッシュ』では、日中韓の若者たちがとらえた、さまざまな日常が並ぶ。国を超えて直接出会うことのできない、見知らぬ者同士で集まることのむずかしいいまだからこそ「写真を通して互いを知りたい」気持ちに溢れた展覧会を訪ねた。

北九州市で開催された写真展『#放課後ダッシュ』

「リモート取材が当たり前になったんだから、どこに住んだっていい!」と思い立って、筆者は2021年6月から大分県別府市に居を移した(正確には京都と大分の二拠点生活)。

丸2年が経ったコロナ禍の現状では、まだまだ移動には慎重さがともない、九州各地を自由気ままに旅して回れるようなことはもう少し先の話だろうけれど、山と海と温泉に親しむ新生活は新鮮で楽しい。

そんな折、お隣の福岡県北九州市に足を伸ばす機会があった。2020年から21年にかけて、同市は「東アジア文化都市」に選定され、中国の紹興市と敦煌市、韓国の順天(スンチョン)市と、それぞれの特性を持ち寄った文化交流を行っている。期間中、大小さまざまな催しが各都市でひらかれているが、11月5日から14日にかけて北九州市立美術館 分館で行われた写真展『#放課後ダッシュ』を筆者は訪ねた。この展示は地方創生のための取り組み「NewU / ニュー北九州シティ」のプロジェクトの一環でもある。

コロナ禍も、青春も、何気ない日々も、
誰にとっても今でしかない瞬間を生きています。

2020・21年に「東アジア文化都市」に選ばれた北九州市は、
直接交流ができない今このタイミングに、
少しでも前向きな姿勢を届けたいといった想いの中、
日中韓の文化交流を目的とした公募型写真展を開催します。

県や国を超えた移動が制限され、様々な文化イベントが中止になり、
仕事や授業はリモートに変化。
日々、人と直接会える機会が減っている中で、
友人や知人が全力で笑ったり、走ったりしている放課後の写真から、
ポジティブなメッセージを届けたいと思っています。

(『#放課後ダッシュ』 企画説明より抜粋)

自分自身、コロナの影響で生活のスタイルを大きく変えた一人なので、このテキストには素直に頷いてしまう。自分にとっての変化は結果的にポジティブなものだとは思っているが、移動できる生活圏や人的交流を広げることにどうしたって限界のある10代や学生にとっては、息苦しい2年間であった / あるはずだ。

『#放課後ダッシュ』がそのような世相から構想された写真展であるのは言うまでもなく、またそこに集まった写真に映った若者たちのほとんどが顔の半分をマスクで覆い、特異な時代を目に見えるかたちで示している。

会場で来場者が撮影できるチェキの写真のほとんども当然のようにマスク姿で、口を大きくあけたり、表情をくしゃくしゃにしておどけて見せるような、いかにも青春って感じのアホ顔を見れないのが少しさびしい。

かといって、それらが全面的に沈んだ気持ちにさせる写真であるはずも勿論ないのだが。

マスクで顔半分が見えないかわりに目線や仕草で映えをキメようとするのはとても今日的だし、展示写真の前でキックポーズを決める女子学生3人に「何やってんの?」と微笑ましくなったりする。何かと制限の多い環境であっても、彼らは想像力や陽気さで、いまできる楽しみ方やコミュニケーションを創造しているように見えた。

それぞれの解釈で写した「#放課後ダッシュ」。参加した高校生3人の作品

今回の取材で、ぜひ話を聞いてみたかったのが高校生の参加者たちだ。九州国際大学付属高等学校の津島さん、芝田さん、諸井さんは写真部の部員で、顧問の小林先生からの勧めで参加したという。

軍医として小倉に赴任した経験のある文学者・森鴎外にちなんだ鴎外橋にはアルファベットの「KOKURA」をかたどったオブジェがある。その前でくるりとスカートをなびかせてターンする女の子の写真を撮ったのは3年生の津島さん。アイドルの写真を見るのが好きで写真部に入った津島さんがカメラに触れたのは、部活動を始めてからだ。

津島:「放課後」というテーマだったので、夕方から夜にかけての時間を選びました。被写体になっている子は私の友だちで、私も撮りたいし、この子も撮ってほしい、って感じがあって自然と撮った写真です。

2年生の芝田さんと諸井さんは、それぞれ写真好きの家族がいた影響で、入学前からカメラを手に取っていた二人だ。やはり被写体は友だちだが、それぞれにテイストは異なる。

芝田:ありのままの放課後や帰り道を撮りたかったんです。写っている2人とも写真部なので、お互いにカメラを向けた一瞬をとらえました。

ここは公園だろうか? 滑り台のある遊具の上に二人の高校生がいて、一人はこちらにカメラを構え、そして二人とも片手でピースマークを向けている。マスク姿だけれど、きゅっと細められた目のかたちから、その友だちが笑っているのがなんとなくわかる。撮る側と撮られる側の関係(といっても、この写真の場合、お互いに撮り合う関係でもあるわけだが)が、フラットにつながる、素敵な一枚。

いっぽう、坂を駆け降りる友だちの後ろ姿をとらえた諸井さんの写真には、アクティブな印象がある。

諸井:「ダッシュ」なので、走ってもらいました。私はきれいな景色を撮るのが好きなので、坂の上にある私たちの学校から見た景色も入れたいと思ったんです。

動的な後ろ姿にまず興味を引かれるが、よく目をこらすと遠くに広がる街の風景が見えてくる。高速道路の高架? 密集したビル群は団地? 薄曇りの空の下に広がる街々の景色を見て、諸井さんたちは学校生活を送ったり下校したりしているのだろうか? そういえば、筆者が通っていた中学校も長い坂の上に校舎があった。懐かしさと想像がわっと広がっていく。

ゲスト参加した葵、中山京汰郎が見た北九州市

三人の高校生は友だちや彼女たちを取り巻く日々の風景を被写体にしたが、ゲストとして参加したフォトグラファーの葵さん、中山京汰郎さんも、北九州市内の高校生を撮影している。そのときの印象を二人はこんな風に振り返ってくれた。

:私は、駅や門司港といった放課後が似合う場所、風力発電所や山などの北九州市らしい場所で、仲良し三人組の高校生、それから私と同い年の女の子を一人撮影しました。三人組はとにかく仲が良くて、ずっと楽しそうに笑って……というか、爆笑してました(笑)。おかげでとっても素敵な写真たちが撮れました。

:もう一人の同い年の女の子とは、二人でお喋りしながら撮影して、まるで友だちと遊びにきているような感覚で、素に近い無邪気な笑顔をたくさん見ましたね。4人とも北九州市に住んでいるので、とんこつ以外のラーメンをほとんど食べたことがないそうです! 「塩ラーメン食べないの!?」と驚いて、またみんなで笑ったりしました。

中山:ぼくが撮影場所に選んだのは北九州スケートボードパークと、小倉南区の平尾台。カルスト台地を訪れるのはこれが初めてで「日本にもこんな景色があるんだな」と思いました。

撮影させてもらったのは地元の大学生と高校生で、よい意味で、ませていないのが印象的でしたね。話し方も落ち着いていて、初めは緊張気味な様子でしたが、だんだん慣れてきて良い表情を見せてくれました。

葵さんと中山さんは、被写体になった若者たちと世代的にも近しい。だから、撮影の印象と合わせて、はじめてカメラに触れた頃のことも聞いてみたかった。

:私が写真を始めたのが高校一年生のときだったので、みなさんと大体同じくらいですね。学生時代は、カメラを始めてから卒業までずっと友達を撮り続けていて、卒業時にそれらを一冊にまとめた写真集を出版させていただいたんです。

友だちみんなに卒業式で写真集をプレゼントできた思い出がすごく心に残っていて、思い出話をしながら1ページ1ページを楽しそうにめくる友だちの姿を見たとき、「写真を撮ってきてよかったなあ!」とすごく思いました。

学校を出てしまうと、それぞれに大切なものがたくさんできて、だんだん疎遠になっていくものです。

高校生のときはそれがすごく寂しいと思っていたけれど、それが人生だなあと感じたときに、共に高校時代という青春の時間を過ごしたこと、楽しかった思い出、そこで感じていたさまざまな感情は紛れもない事実で、それをつなぎ止めてくれるのが写真なんだって気づきました。その気持ちが、あらためて写真を好きにさせてくれたし、これからも撮り続けたいと思わせてくれました。

展覧会に、私の学生時代の写真をSNSで見てフィルムカメラを始めた、と話してくださった方がいらっしゃったのも嬉しかったです。

中山:ぼくが写真を始めたのは、19歳の終わり頃だったので高校生ではありませんでした。いまは違いますが、高校を出てから写真とは無関係の会社に勤めていたんです。

バイクに乗るのが好きでよく湘南や箱根を走っていたんですけど、後輩がたまたまカメラを持っていて、夜な夜な山に星や風景を撮りに行くのについて行くようになったのが、写真との出会いなんです。とにかく、初めて何かを表現している感じがして、キラキラしてましたね。

高校生を撮ったりするようになったのは、海で遊んでた学生さんにいきなり声をかけてから。そのときはめちゃくちゃ怪しまれましたけど(苦笑)、写真を撮ったらめちゃくちゃ喜んでくれた。

演出的なことは何も指示したりせず、単にそこにある青春を撮るような経験でしたが、それによって自分のなかのモヤモヤが晴れて、スカッとしたのを覚えています。以来、写真を撮り続けていますが、こういう気持ちのよい瞬間にはなかなか出会えないですね。

集まった写真は、2021年のいまを生きている人たちの思いの集積なのだろう

ときに写真は、他者とコミュニケーションをとるための手段になったり、次の場所に進んでいこうとする誰かや自分の背中を押してくれるきっかけになったりする。

今回の応募作のセレクションや展示にかかわった北九州市出身の写真家・塩川雄也さんは、家族から渡されたカメラで友だちを撮るようになり、その写真を相手に贈ることで人間関係を築いていったそうだ。

塩川さん曰く「言葉で気持ちを伝えるのは苦手でも、写真だったらまっすぐに届けることができる」。そう考えると、写真とは言葉のようでもあり、丁寧にしたためられた手紙のようでもある。だから『#放課後ダッシュ』に集まった写真も、2021年のいまを生きている人たちの思いが集積したものなのだろう。

本展のために中国や韓国から寄せられた写真のうち、とくに驚かされるのが敦煌市の若者が撮った写真で、アスファルトの道を自転車で走る(登下校だろうか?)何気ない日常の行為の背景に、広大な砂漠が広がっていたりする。

なにしろシルクロードの分岐点として知られる敦煌なのだからそれは当然の風景なのだけれど、そんな歴史とロマンに溢れた土地にも、当たり前に若者たちがいて、生活のワンシーンをカメラで切り取るような営みがある。そしてそれは、遥か彼方の北九州市に届けられたりもする。

じつは今回の取材では、高校生やゲストフォトグラファーのみなさんには、写真のことばかりではなく、コロナ禍が彼らに与えた影響についても聞いていた。それを聞くことが2021年の「いま」を知るために大事だと思ったからだ。

たしかに、移動のできない時間は、予定していた留学を延期させたり、展示の機会を失わせたりと、大小さまざまな影響をかれらの生活・活動に与えていた。

けれども、それぞれの方法や気持ちでいまの状況に向き合い、いつかやってくる、そう遠くない未来へと全員が目を向けているのも間違いないことで、かれらのようにもっと先のことを考えてみたいと筆者は思ったのである。

例えば来年3月に高校を卒業する津島さんは、大学に行っても写真を続けたい、写真を通してこれまで行けなかった場所に行ってみたい、と答えてくれた。少なくとも津島さんのなかでは、長い「放課後」は終わろうとしていて、次の未来へ向けた「ダッシュ」と、そのための準備運動がもう始まっているのだと思う。

コロナ禍が与えたもの、奪ったものはいくつもある。けれども、その時間のなかにも経験や発見の蓄積があり、写真はそれを大らかに受けとめ、記憶している。

イベント情報
写真展『#放課後ダッシュ』

2021年11月5日(金)~11月14日(日)10:00~18:00
会場:福岡県 北九州市立美術館 分館(リバーウォーク北九州5階)


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