メイン画像:『Create Escape』LW4U, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons
旧刑務所の壁画に描かれた脱獄を試みる囚人
覆面アーティストのバンクシーはこの度、イギリスのとある旧刑務所を買い取ることを発表した。
ニュースの発端は昨年の3月5日。イングランド南部の都市・レディングにある旧刑務所の外壁に、バンクシーとおぼしき人物によるグラフィティが描かれたのだ。
タイプライターをロープの代わりに、シャバへ逃げ出そうとする囚人服姿の人物を描いた『Create Escape』が警察に発見された後日、バンクシー本人のInstagramで、その制作の過程、そして警官に発見されるまでの一部始終が収録された映像が公開された。
それだけなら、世間と警察官を騒がせただけで済む。けれどもこのハプニングから9か月が経った昨年の12月、バンクシーはこのレディング旧刑務所を買い取り、「refuge for art(芸術の避難所)」へつくり変えると発表した。購入資金は、先述の『Create Escape』のバリエーション作品の販売で1000万ポンド(およそ15億円相当)を調達したという。
果たしてこれは、世間を騒がせることが趣味の男の単なる性癖なのか、それとも何か別の意味があるのだろうか。
世間を挑発する反権威のニヒリスト
そもそも今回のように、ときどき珍妙なニュースをお茶の間に持ち込むバンクシーとは、いったい何者だろうか。
その答えは、誰も知らない。性別、年齢、国籍も明かしていないこのアーティストは、まったくの覆面として活動してきた。
1990年代前半から匿名のグラフィティアーティストとして活動を開始。2003年にはエリザベス女王のポートレートを牛や羊、チンパンジーに置き換えた作品を展示した個展『Turf War』(3日間で閉鎖)で大きく注目された。
2004年には、本来エリザベス女王が描かれているはずの肖像をダイアナ元妃に差し替えた10ポンド紙幣の偽札を大量に印刷。後日ノッティングヒルで開催されたカーニバルでばら撒かれた。違法行為スレスレであったが、2019年に大英博物館にバンクシー作品として初めて所蔵された。
記憶に新しい話では、2018年のシュレッダー事件。バンクシーの代表的なモチーフ『Girl with Balloon(風船と少女)』の版画作品が、額縁に入った状態でオークションに出品され、100万ポンドを超える金額で落札された瞬間、額縁に仕込まれたシュレッダーが作動。お金持ちのアート愛好家たちの目の前で版画作品が切り刻まれた。
アート作品が貨幣価値に置き換えられた瞬間、作品を紙くずのように破壊するという、まるでアートの世界をひどく皮肉るような仕事だが、こんなふうに、バンクシーの作品の多くは何かを皮肉ったものが多い。
その他にも、2018年にイギリス・ウェールズ地方の溶鉱炉周辺に描かれた『Season's Greetings』では、燃えるゴミ箱から飛散する灰を、雪と勘違いして楽しんでいる子どもの姿を描き、環境汚染について言及するかのような姿勢も見せた。
現代の社会に蔓延っている、「これ、ちょっと変だよね、やばいよね」という、何かしらの問題を指摘し、ゲリラ的な表現によって楯突くことが、バンクシーの仕事に一貫している点かもしれない。
高額寄付も。慈善活動家としての一面
社会に対して皮肉な視点を提供する一方、バンクシーには慈善活動的な側面もある。
例えば、少年がバットマンやスパイダーマンといったヒーロー人形そっちのけに、ナースの人形で遊んでいる姿を描いた作品『Game Changer』(2020年)。
2020年5月、新型コロナウイルスが人間社会に蔓延るなか、その対応に追われるサウサンプトンの病院にこの作品は送られた。作品にはこんなメモがついていたらしい。
Thanks for all you're doing. I hope this brightens the place up a bit, even if its only black and white.-
(あなた方がしてくれていることに感謝します。白黒ですが、少しでも明るくなればと思います)
医療従事者に対する敬意の表明と解釈できるこの作品は、その後オークションで、1,600万ポンドを超える金額で売却され、医療現場で働く人々への支援金となった。
この他にも2017年にはドローン(無人軍用機)が子どもたちの家を焼き払う様子を描いた『Civilian Drone Strike』をオークションに出品し、20万ポンドを超える落札額のすべてを武器貿易反対運動に寄付するなど、この手の話には枚挙にいとまがない。
今回の旧刑務所買い取りの話を、この反権威そして慈善活動家としてのバンクシーの側面から見ると、何が見えてくるだろうか。
買い取りを申し出た旧刑務所は、かつて同性愛者を収容していた
じつはバンクシーがこの度買い取りを申し出たレディング旧刑務所は、一つのいわくというか、社会がいまよりも無知であった時代の悲しい物語がある。
1895年、まだ現役だったこの刑務所は、イギリスの劇作家・詩人のオスカー・ワイルド(1854〜1900)を猥褻罪によって収容したことがある。「猥褻罪」とはいうものの、実際には同性愛者を逮捕するために当時よく用いられた罪状だったという。
要するに、性的マイノリティーだった一人の芸術家を社会的に殺そうとした施設が、このレディング旧刑務所というわけである。ちなみに、バンクシーによる『Create Escape』で描かれている人物像はオスカー・ワイルドとも囁かれている。
そんな芸術家を破滅させた旧刑務所を、バンクシーは「refuge for art(芸術の避難所)」にするというわけだ。なんとも皮肉な話だ。
これまで見てきた通り、バンクシーという覆面アーティストには2つの顔がある。社会における不条理を風刺するバンクシー、そして不条理の最中でも懸命に生きている者の側に立とうとするバンクシーだ。
ところで、世界でも当然そうだが、この日本でもバンクシーは大人気だ。それはどうしてだろう。例えば100年前の世界でも、バンクシーはいまほどの人気を得ただろうか。
むしろSDGsなどより良い社会を目指す傾向、権威に対する可視化の流れ、政治家や芸能人といった公人に清く正しくあることを求めるいまの時代に、もしかしたら彼はマッチしているのかもしれない。
露悪的で風刺的、権威を小馬鹿にしながら社会問題を白日のもとにさらし、一方では弱者に手を差し伸べ、かつそんな自分の活動をInstagramを使って公にするバンクシーは、この時代の求めるヒーローと言えるかもしれない。
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