手話にまつわる演技指導を行なう専門職「DASL」を導入した映画『コーダ』
2021年の『サンダンス映画祭』でグランプリ、監督賞、観客賞、アンサンブルキャスト賞を受賞したことで、話題となったアメリカ映画『コーダ あいのうた』が、1月21日より公開される。
本作が描くのは、マサチューセッツ州の港町に住む家族の物語だ。主人公は、両親と兄の4人家族のなかで1人だけ耳が聞こえる「聴者」であり、家業の漁業や家族の手話の通訳として、家のことを助けながら暮らす高校生のルビー(エミリア・ジョーンズ)。音楽大学に進んで好きな歌唱を続けていきたいという夢を持った彼女が、家族のサポートをつづけることと夢を追うことのあいだで揺れる様が描かれる。
もう一つ、話題を呼んだのが、この家族を構成する「ろう者」の役柄を、実際のろう者である俳優たち(マーリー・マトリン、トロイ・コッツァー、ダニエル・デュラント)が演じているということ。本作は、2014年のフランス映画『エール!』のリメイク作だが、この点はオリジナル版にはなかった試みだ。監督を務めたシアン・ヘダーの強い思いによって、実現した。
世界には、200以上の手話が存在すると言われている。本作で使われる「ASL(アメリカン・サイン・ランゲージ)」は、単なるアメリカ英語の置き換えでなく、創造性を持った言語であるため、そのまま翻訳することが難しいという。
ヘダー監督は、「DASL(ディレクター・オブ・アーティスティック・サイン・ランゲージ)」と呼ばれる、手話について全面的にサポートをする専門的な役割を、制作に導入した。「DASL」は「ASLマスター」とも呼ばれ、手話ができるだけでなく、演技に理解があり、ろう文化、歴史の知識を持って、作品の時代、地域、出演者の性別などに応じて、適切な手話を監督や俳優などに伝えるための指導や翻訳をする存在だ。
『コーダ あいのうた』で「DASL」を務めたのは、自身もろう者であり、俳優、ダンサー、監督などとして映画業界にキャリアを持っている、アレクサンドリア・ウェイルズ。今回は彼女にインタビューを行ない、作品とのかかわりや、いま注目されている「DASL」の役割とはどんなものなのか、そして近年の映画業界においてろう者が躍進している状況などについて質問を投げかけてみた。
なお、ウェイルズ氏はASLを使い会話をするため、取材はASL通訳を介して行なわれた。通訳の亀和田香氏は、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校ろう学部・通訳科を卒業し、アメリカにて日本からのろう教育研修、観光ツアー企画・ガイド、日米手話通訳のほか、2007年にはろう者のオリンピック『デフリンピック』クロスカントリー日本代表チーム同行通訳も務めた経歴も持つ。現在は日本を拠点に日米手話通訳・アメリカ手話指導などを手がけており、日本で有数のASLの手話通訳者である。
「歴史や文化に敬意を払いながら、映画のなかでその土地の手話を正確に表現することを目指しました」
─映画『コーダ あいのうた』(以下、『コーダ』)を通して、「DASL」という役割を初めて知りました。映画制作においては、どのような仕事をするのでしょうか。
ウェイルズ:本作で私が「DASL」として行なったのは、ろう者の持っている歴史や地理的条件に関する知識、私自身の経験などさまざまな要素を伝え、映画の内容に反映させることでした。そのために手話における適切な表現を選びとっていきました。
その際に必要なのが、文化についての知識です。言語と文化は、強く結びついていて、切り離すことができないものなんです。アメリカのなかでも地域によって、手話の動作が異なります。私はまず、それを映画に反映させるところから始めました。
─同じ「ASL」でも違いがあるんですね。
ウェイルズ:私はニューヨーク州に住んでいるんですが、今回の映画の舞台はマサチューセッツ州なので、その地域で使われている手話にあわせることが重要でした。
例えば、手話で「ボストン」と言いたいとき、ニューヨークとマサチューセッツでは最初の音の「B」から表現が違う。また「ロブスター」という単語であれば、マサチューセッツ州の多くの地域では、(両手でピースサインをして、指をチョキチョキ動かす)こんなふうに表すんです。でもニューヨーク州の私が育ったエリアでは、(両手で親指と残りの4本指をハサミに見立てて、パクパク動かす)こういうふうに表すんですね。
同じ東海岸にある地域でも、手話がこんなに異なる。それは聴者が口で話すときと同じく、「アクセント」と呼んだりします。そういった違いを育んだ歴史や文化に敬意を払いながら、映画のなかでその土地の手話を正確に表現することを目指しました。
─面白いですね。でもここまで違うと、地域によって話が通じなくなったりしませんか?
ウェイルズ:それは、ろう者の多くに備わっている能力が発揮される場面ですね。例えば聴者は、方言でアクセントが違ったりすると、理解に時間がかかったり、ときには通じない場合もあると思いますが、手話の場合は身振り手振りなので、より感覚的にわかるというか。わからない言葉に、もっと臨機応変に対応していくことができる。
手話でのコミュニケーションは、そういう面に長けていると思いますし、それ自体が文化なんです。その場その場で言葉の違いを楽しみ、お互いがわかり合えたときに、手話っていいなあと実感するんです。
「何より重要だと思うのは、実際のろう者が使う手話を、スクリーンで、そのままのかたちで見てもらうということ」
─『コーダ』では、いきいきとした手話での会話が印象的でした。ときに下品なユーモアだったり、激しい言葉を使ったり、喧嘩する場面もある。そこが楽しめると同時に、リアルさや新しさも感じました。それらの描写は、手話を使う人たちの実情に近いものなのでしょうか?
ウェイルズ:そうですね、ろう者が使う手話もユーモアがあったり、喧嘩をしたり、悪い言葉を使ったりなど、多くの点で聴者のやりとりと変わりありません。
そういった自然なやりとりを『コーダ』で表現するということは、私がこの映画にDASLとして参加することで特に成し遂げたかった部分でした。その試みを、新しい、リアルだと感じられたというのは嬉しいです。
私が何より重要だと思うのは、実際のろう者が使う手話をスクリーンで、できるだけそのままのかたちで、皆さんに見てもらうということなんです。今作ではそれを達成できたと感じています。
─脚本のセリフに対する手話の言葉の選定においては、どのようなプロセスがありましたか?
ウェイルズ:ヘダー監督と一緒に脚本を読み、相談しながら言葉を選んでいくという作業をしました。彼女は手話や、ろう者のことについては、自分の想像に頼らずに、すべてを相談してくれました。
ウェイルズ:それだけでなく、お父さん役のトロイ・コッツァーも、言葉選びに参加してくれています。彼とはいろんな仕事を一緒にしてきたのですが、動作をその場で遊ぶようにつくり上げていく才能があるんです。私はそのことにいつも感動します。本作でどんな手話を使うのかを話し合ったときも、トロイは手話をさらにつくり変えていきました。
そのアイデアをヘダー監督にフィードバックしながら、ASLの概念を伝えていくうちに、手話での表現が深まっていきました。監督が手話の変化にあわせて、聴者の俳優のセリフを変更するというケースもありました。
─手話でのアドリブもありましたか?
ウェイルズ:たくさんありました。お父さんが主人公のボーイフレンドと対面する場面がありましたよね。あそこは台本とかなり違っていて、トロイの個性が活かされたところでした。
2000年代から俳優として活動。「自分が業界で傷ついてきた経験を、あとにつづく人たちにしてほしくない」
─本作のろう者の俳優たちの演技の素晴らしさは、印象的でした。近年は、ほかにも『エターナルズ』や『クワイエット・プレイス』などのメジャーな作品において、ろう者の役に当事者が配役されることで、日本を含む世界の観客がこれまで知り得なかった才能に気づき始めていると思います。それは同時に、これまで、ろう者の俳優たちの活躍を阻む壁があったということだと思いますが──。
ウェイルズ:そうですね。私も2000年代から俳優として活動していますが、そのなかで大きな壁になっていたものの一つは、自分自身が抱く「恐れ」でした。
聴者が私たち、ろう者の俳優を見たときに、「聴こえないのに演技をするの?」みたいな反応があるのではないかと、いつも不安がありました。そうした不安は、ろう者として、これまで社会で生きてきた経験からもきています。そういう気持ちを、私以外にも大勢のろう者が味わっているんじゃないかと思います。
コミュニケーションの点でも、何か間違ったやりとりをしてしまうんじゃないかと思って、積極的にはなれないところがありました。通訳者を使おうにも、費用が高いことで諦めざるを得ないケースもありましたね。
─そういった壁に直面しながらも、ウェイルズさんはこれまで俳優としてキャリアを積んでこられたのですね。
ウェイルズ:「いつも新しい俳優を起用する」という慣習がない業界ですので、必死にコミュニケーションをとることで、役を勝ち取りました。英語で、「out of the box(アウト・オブ・ザ・ボックス)」という言葉があります。これまで自分が入っていた箱の外に出ることで、新しいことを知る、勇気を振り絞って新しい世界に踏み出すんだ、という考え方のことですが、そうした経験を重ねました。しかし、聴者とのより良いコミュニケーションを学んでいくのに、すごく時間がかかったのも事実です。
─ろう者の側が努力しなければならなかった。
ウェイルズ:そうですね。でも先日たまたま読んだ記事で、『エターナルズ』の撮影の裏側についてこんなことが書いてありました。
ろう者の俳優ローレン・リドロフが、壁を向きながら演技をしなければならない場面で、声による情報を得られないために、自分の動くタイミングに気づけないという問題に直面したらしいんです。そのとき、共演者のアンジェリーナ・ジョリーが、レーザーポインターの光を壁に当てて合図をするというアイデアを思いついて、解決に至ったという話でした。
この記事を読んで、聴者も試行錯誤をして、それまで自分がしてこなかった方法で、ろう者のことを考えて新しいコミュニケーションを試しているんだなと感じたんです。それもまた、「自分の箱から出る」ことではないかなと。お互いを尊重しながら学ぶことで、ろう者と聴者の関係や、双方の社会での在り方が徐々に変わってきていると思いますし、さらに変えていかなければならないとも感じるんです。
─ウェイルズさんは2010年代から俳優以外に、演技指導者や「DASL」としても活躍されるようになりましたが、何かそのきっかけはありましたか。
ウェイルズ:私は映画や演劇の業界にいて傷ついてきましたし、思い出したくないことがたくさんあります。そんな経験を経て、あるとき「正しいことをやろう」と思い立ったんです。悲しい思いを何度もしてきた私のような経験を、あとに続く人たちにしてほしくない、この状況を自分で変えていこうって決めたんです。
それまでは表舞台に出る仕事だけを目指していましたが、いまは裏方としても仕事をしながら、ろう者の俳優、表現者の後ろ立てになれるように心がけています。『コーダ』に参加した理由には、そういう思いもありました。
非当事者である聴者の俳優が当事者であるろう者の役を演じることで生じる問題点とは何か
─DASLという役割は、現在アメリカのエンターテイメント業界で、どの程度認知され、必要とされているのでしょうか。
ウェイルズ:やっと認知され始めた、というところですね。これまでのハリウッドでは、ろう者は多くの場合、カメラの前には立たない裏方でした。聴者の俳優が、ろう者の役柄を演じるときに、その演技をサポートするんです。
しかし近年、世の中がずいぶん変わってきて、ろう者はより広い領域で受け入れられ、求められるようになってきています。実際に、映画業界でもろう者がスクリーンに映る機会が増えてきてますよね。それにともなって、「DASL」という役割の名前を、舞台やテレビ、映画製作のなかで、少しずつ目にするようになってきたのが、ここ5年くらいのことだと思います。そういう意味では、まだ歴史の短い仕事といえます。
DASLもまた裏方の仕事ですが、ろう者の俳優やアーティストに、直接手話でやりとりをしていくという点で、手話通訳者を使って聴者の俳優をサポートをしてきたこれまでの裏方の役割とは違うことをしていると思います。
─近年、そのようにろう者をめぐる状況が変化してきた理由には、どんなことがあると思われますか?
ウェイルズ:ここ10年というスパンで考えると、例えばソーシャルメディアの流行は、ろう者たちがインターネットを通して、より積極的に自己表現をするようになった、一つの契機なのではないかと思います。
また、いまは多くの人たちが未知の情報を欲しがっていて、多様な文化やコミュニティーのことを知りたいというニーズが増えてきていると思います。映画のつくり手も、以前よりも、ろう者の表現者を含めたさまざまなものに興味が出てきているのではないでしょうか。それも状況を変えた要因の一つだと思います。
─これまで、非当事者である聴者の俳優が当事者であるろう者の役を演じることが多かったわけですが、それによって生じる問題は何だと思われますか?
ウェイルズ:大きな問題として、ろう者の労働の機会が奪われてしまうということがもちろんあります。聴者の俳優がろう者の役柄を演じることで、その分、ろう者の活躍の場は減ることになります。
ほかには、聴者がろう者を演じるときに、ろう者特有のステレオタイプな部分ばかりが取り沙汰されて、人間性の違いや個性の違いがあることを認めてもらえないという面があると感じています。例えば、サッカー選手でろう者のキャラクターがいた場合、ろうであるという部分にばかり注目されて、「サッカー選手」の部分がキャラクターにうまく入れ込めていないということです。ろう者がろう者の役柄を演じることは、そのキャラクターが「ろう者の人物」としてだけではなく、いろんな側面を持った個人として見てもらえる機会が増えることでもあると思うんです。
「私は、自分のような境遇の人の物語を見ながら育つことができなかった」。次世代に向けた決意
─完成した『コーダ』は、そういった、これまでのいくつかの問題を乗り越えた作品になりましたね。
ウェイルズ:『エターナルズ』や『クワイエット・プレイス』のように、『コーダ』も大きな舞台でそれが成功したと思いますし、そのように言っていただくことも多いです。
この映画に参加したこと、そして一つのろう者の家族の人生、生活、感情などをスクリーンのなかに収めたということは素晴らしい経験でした。さまざまな要素が合わさった、一つの家族のかたちを、ヘダー監督をはじめ、多くの俳優、スタッフとともに、敬意を払いながらつくり上げることができました。
タイトルの「CODA(コーダ)」は、音楽用語としても知られていますが、「Children of Deaf Adults(ろう者の両親に育てられた⼦ども)」のことも指す言葉です。多くの人は、そういった境遇の人がいるということをこれまで知らなかったと思います。そこに光を当てることもできました。
ただ、私としては、もっと先に進むことができるとも思っています。これから何年か経てば、新たな意見も出てきて、業界におけるろう者の扱いや、それにまつわる課題についての議論がさらに深まっていくのではないでしょうか。
─ウェイルズさんは、今後、映画やテレビドラマなどがどのように変わっていってほしいと思われますか。
ウェイルズ:『コーダ』のように、ろう者の人たちがお互いに応援し、励まし合いながら生きていくというストーリーは、ハリウッドの作品ではあまり語られてきませんでした。私は、私と同じような境遇の人の物語を見ながら育つことができなかった。だから、これからろう者として育つ子どもたちには、実際のろう者が普通に映画やドラマに登場して、その物語を自然に見るということが当たり前になっていってほしいです。
それから、ろう者以外の人たちに対しても、映画やテレビドラマで、そういう作品に触れる機会を増やしていく。私はこれから、そのプロセスに協力したいと思いますし、変化の流れを見つめていきたいと思っています。そして、当事者以外の人たちにも、違う世界からものを見る機会を増やしていきたいです。そのために、明日からまた頑張っていこうと思います。
- 作品情報
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『コーダ あいのうた』
2022年1月21日(金)からTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開 ※バリアフリー字幕上映も決定
監督・脚本:シアン・ヘダー
出演:
エミリア・ジョーンズ
フェルディア・ウォルシュ=ピーロ
マーリー・マトリン
トロイ・コッツァー
配給:ギャガ
- プロフィール
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- アレクサンドリア・ウェイルズ
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聴覚に障がいのある俳優でダンサー、教育者。映画『コーダ あいのうた』にはDASLとして参加。映画作品の時代、地域、出演者の性別に応じて、どの手話が一番ふさわしいのかを決定したり、台詞にこめた意図や想いを手話で伝えるための翻訳・指導、漁業を家業とする一家の物語であるため、魚の種類や地域の訛りについてのASLのリサーチなどを行なった。
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