ここ数年、世界中から感度の高いトラベラー、クリエイター、ノマドワーカーらが押し寄せ、知る人ぞ知る文化都市として注目されるジョージアの首都トビリシ。
トラベルメディア「Big 7 Travel」による「ノマドワーキングに適した都市50選」で、エストニアのタリンに続く第2位にランクインしたほか、欧州の新しいトレンド「ニューイースト」を代表する都市として、メディアなどで取り上げられることも多い。
この小さなコーカサス地方の都市が注目されるようになった背景には、ファッションや建築、クラブシーン、グラフィティといった豊穣なカルチャーの存在、そしてそれを支える若い世代の台頭がある。新たな文化の胎動を感じずにはいられないトビリシのいまを現地在住の日本人ライターにレポートしてもらった。
アンダーグラウンドカルチャーが発展しつつあるジョージアに、世界中のノマドたちが注目
ギリシャ神話によれば、火の神プロメテウスは、天界から火を盗み、人間に与えたことによってゼウスの怒りを買い、コーカサス山脈の岩山に磔にされ拷問を受けた。このコーカサス山脈の南部「南コーカサス地方」に位置するのが、ジョージアの首都・トビリシだ。
古代からアジアとヨーロッパとを結ぶ交通の要衝として知られてきた南コーカサス地方だが、1991年のソビエト連邦の崩壊後、不安定な政情が続いたことによって、アルメニア、アゼルバイジャン、ジョージアなどの周囲の国々は経済発展が立ち遅れ、現在では国際的に目立った動きは見られない。
それゆえ、多くの人が「ジョージア」という国名を聞いても、ほとんどイメージを持っていないだろう。かつて「グルジア」という名前で知られたこの国の人口はわずか400万人あまり、面積も北海道より一回り小さい。
また、ソ連崩壊による独立以降、長く混乱の時代が続き、1990年代には内戦が勃発。21世紀に入るまで電気、ガス、水道といった基礎インフラの整備すらままならなかなったと言われている。
しかし、2010年代に入り、ジョージアが徐々に「発見」されていく。
東南アジアよりも安い物価、冷戦時代から引き継がれた無骨で味のある街並み、そして、アンダーグラウンドカルチャーが発展しつつあるジョージアに、世界中のノマドたちが集まってきたのだ。その姿を見て、さながら「統一直後の東ベルリンのようだ」と語る人々も少なくない。
ファッション、建築、クラブカルチャー。知られざる文化都市・トビリシ
では、トビリシには、どのようなカルチャーが生まれつつあるのだろうか?
現在、バレンシアガのアーティスティックディレクターを務めるデムナ・ヴァザリアは、トビリシの大学を卒業した後に、西欧での活動をスタートした人物。1990年代、暗黒時代のジョージアで青春を過ごした彼の手掛けるデザインは、ソ連時代に目撃した洋服たちの影響が随所に垣間見える。
世界的なハイブランドで活躍しながらも、母国のアイデンティティーを捨て去ることのないヴァザリアの活動に触発されてか、ここ数年トビリシでは数多くの若く、個性的なブランドが登場。いまトビリシのファッションシーンは、世界中から注目されている。
そんなトビリシのファッションシーンを牽引するイベントが、2015年にスタートした『メルセデスベンツ・ファッションウィーク・トビリシ(Mercedes-Benz Fashion Week TBILISI)』だ。
当初、わずか10ブランドが参加するのみだった小さなイベントは、その後、年々規模を拡大し、ヨーロッパのみならず、全世界中からファッション関係者やジャーナリスト、クリエイターたちを集めるまでに成長。
ショーの舞台も、トビリシ国際空港を使用して飛行機からモデルが降りてきたり、国立オペラ座とのコラボでバレリーナとファッションモデルが共演したり、市内から離れた古代遺跡が使われたりと、トビリシ全体を巻き込んで展開される。まさに「ファッションの祭典」という熱気を感じられるイベントだ。
ソ連時代のスタジアムの地下プールを改築した、世界有数のテクノクラブ
『ファッションウィーク・トビリシ』に世界中から集まったクリエイターを楽しませるのは刺激的なファッションだけではない。西欧とは異なったファッションの文脈を楽しんだゲストたちは、その背後にあるトビリシの文化にも目を向ける。
トビリシに数あるクラブのなかでも、国際的にその名を轟かせているのが、トビリシ最大のスタジアムの地下にあるソ連時代のプールを改装した3フロアのクラブ「バシアーニ(Bassiani)」。
1,200人を収容する巨大なクラブは、「世界一のクラブ」とも言われるベルリンの「ベルグハイン(Berghain)」に比される存在となり、世界でも有数のテクノクラブとして知られる。
また、旧ソ連時代の建築物とポストモダンな建築が入り混じったカオティックな街の風景も、トビリシの魅力のひとつだろう。
2000年代に大統領に就任したミヘイル・サアカシュヴィリの肝いりで、市内には、まるで繭のようなデザインを施された「平和の橋」や、イタリア人建築家のマッシミリアーノ&ドリアナ・フクサスによる「音楽ホール」、大きなキノコのような「市合同庁舎」など、トビリシでしか見られない個性的な建築物が立ち並んでいる。
これらが旧ソ連時代の無骨な建物と入り混じり、生み出される独特の風景。2018年からは『トビリシ建築ビエンナーレ』も開催されており、トビリシは建築の街としてもじわじわと注目を高めつつある。
新旧の建築だけでなく、ヒップホップ、グラフィティカルチャーも充実
トビリシのカオティックな魅力は、建築だけでなく、その壁面からも感じ取れる。街中のいたるところに、完成度の高いグラフィティが描かれているのだ。日本では器物破損罪に問われるグラフィティも、ジョージアでは大切な表現のひとつとして、多くの市民に受け入れられている。
羊のアイコンを使った「LAMBシリーズ」を手掛けるMishiko Sulakauri(ミシコ・スラカウリ)は、トビリシで活躍するグラフィティアーティストのひとり。
ジョージア辺境の山岳部にルーツを持つ家系出身のMishikoは、自らのアイデンティティーに向き合いながら、山岳部におけるシンボルである羊をアイコンとして描く。「アメリカやヨーロッパの借り物ではないLAMBにこだわりたい」という彼にとって、羊を描くことは、そのままジョージアを描くことを意味するのだ。
いまジョージアは独立から30年を経て、若者の大部分は、ソ連時代を知らない世代となった。若いジョージアのアーティストたちは、西欧のマネにとどまらず、自らの「ジョージア人」としてのアイデンティティーに向き合いながら表現に取り組んでいる。
ジョージアというアイデンティティーに向き合ったもうひとつの象徴的なアーティストが、ヒップホップユニット「KayaKata」。ローカルの若者にとってのリーダー的な存在だ。
ライブが即日ソールドアウトするほど若者に影響力のある彼らは、ジョージア語で、ジョージア人に向けた音楽を発表することにこだわる。過去にYouTubeに投稿された”Polo Palace”のMVは、現在1,100万回の再生数を記録する。
KayaKataメンバーのひとりであるDillaは1985年生まれ。幼少期に内戦に遭遇し、難民キャンプのなかで「ギャングのルールで生活し、警察に殴られながら毎日を生き抜いてきた」という過去を持つ。
ジョージアの暗黒を象徴するような暗い過去を立脚点としながらも、そのトラウマにとらわれることなく、音楽活動のほかにもLGBTQ+運動のサポートやクラブに対する警察の不当な捜査への抗議活動にも加わっている。絶望的な時代を生き抜いてきた世代による活動はいま、ジョージアの若い世代へと希望をつないでいる。
ジョージアの新世代カルチャーを支える「アジャラグループ」
ジョージア人としてのアイデンティティーに向き合いながら、新たな表現を生み出しているトビリシのアート・カルチャーシーン。
だが、このシーンを支えているのはアーティストだけではない。トビリシのクリエイティブシーンだけでなく、ジョージアのアーティストたちの表現をサポートしている企業が「アジャラグループ(Adjara Group)」だ。
トビリシを中心に、ホテル、レストラン、カフェ、カジノなどを展開するこの企業では、そのミッションに「ジョージアの文化的・経済的な発展」を掲げている。
2010年にホテル「Holiday Inn Tbilisi」を開設して以降、「Rooms Hotel」、ソ連時代に縫製工場だった「Fabrika Hostel」などを矢継ぎ早にオープンしていったアジャラグループ。なかでも、その活動を象徴するのが、数多くの国際的な賞を受賞している「Stamba Hotel」だろう。
旧ソ連時代の新聞印刷会社をリノベーションした巨大な空間には、心地よい吹き抜けと歴史の厚みを感じさせるコンクリートの柱を配置。ソ連時代の魅力をモダンにアレンジしたスタイリッシュな空間へと変化させた。
一般的に、ホテルのロビーなどは観光客のための場所であり、地元の人々には縁遠いもの。しかし「アジャラグループ(Adjara Group)」のホテルは、いずれも1階部分に広大ラウンジを備え、ノマドワーカーが作業できるスペースを宿泊以外にも提供。
中庭にショップやカフェなどを配置することで、宿泊客と地元客が自然と混じり合うようにデザインされている。
また、Stamba Hotelに併設された「STAMBA D BLOCK」と呼ばれるスペースでは、現代アートやストリートアートの展覧会を実施したり、前述のファッションウィーク期間中にはショーが行なわれたりと、トビリシのカルチャーシーンに対するバックアップにも積極的だ。
その「STAMBA D BLOCK」で展開される、アーティストインレジデンスや創作スタジオの提供を行なうアート支援団体が「PROPAGANDA(プロパガンダ)」。
彼らを通じてアジャラグループが場所やインフラを提供することで、地元アーティストたちは、創作に打ち込めるだけでなく、国外のアーティストやキュレーターたちとのネットワークをつくっているという。
もちろん、その背後には、ビジネス的な理由も存在する。
アーティストらが国内外で活躍することによって、ジョージアの文化的な魅力が高まり、多くの人々がジョージアに滞在する。2012年には470万人だった国外からの観光客数が、2018年には870万人まで拡大した要因のひとつには、アジャラグループとローカルなアーティストたちによる文化の熟成が挙げられるだろう。
ソ連時代の建築物をリノベーションし、アーティストたちを支え、発表の場も用意する。CEOであるヴァレリ・チェケリアは、アジャラグループの活動を「スーパーローカルであるべきだ」と定義する。アーティストともにローカルであることに向き合ってきたその活動は、いまやジョージアのカルチャーを語るには欠かせない唯一無二の存在となっている。
39歳の首相、41歳のホテルCEOらが牽引するジョージアの文化
活気あふれるジョージアのカルチャーシーンは、国自体の「若さ」という個性も影響している。
現首相であるイラクリ・ガリバシヴィリは、わずか39歳。アジャラグループCEOのヴァレリ・チェケリアは41歳。ジョージアを代表する企業であるアジャラグループの従業員も半数以上が33歳以下と、極めて若い組織だ。
これはジョージアでは珍しいことではなく、独立からまだ30年のジョージアでは、若く意欲的な人々が、自らの手で自らの国をつくることが当たり前になっているのだ。
アート・カルチャーと並び、アジャラグループが積極的に投資する農業分野も、ジョージアの未来を見据えて取り組んでいる活動のひとつ。
2017年よりアゼルバイジャンとの国境に近いエリアに7,000ヘクタールの農地を整備し、アーモンドやワイン、乳製品、鶏卵などを生産しているほか、Stamba Hotel内でも消費エネルギーを最小限に抑えられる垂直農法を実施。この農法を活用することで、従来の屋外農法に比べ、75%もの水消費を抑制。水力発電を利用することでCO2の排出もゼロに抑えられる。
ソ連からの独立後に物心がついた若い世代が牽引するジョージアの文化。かつてのように大国に従属し、そのモノマネをするのではなく、自らのアイデンティティーに向き合いながら未来を目指す彼らの文化は、世界でも新しい事例になるのかもしれない。独立から30年。ジョージアのカルチャーは、新しい世代の成長とともに爛熟の時代へと突き進んでいる。
※記事掲載時、一部見出しに誤りがありました。訂正してお詫びいたします。(2022/01/24)
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