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ピーター・ディンクレイジの指摘にディズニーが回答
テレビドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』のティリオン・ラニスター役で知られ、2月25日公開の映画『シラノ』で主演を務める人気俳優のピーター・ディンクレイジ。軟骨発育不全による小人症の当事者である彼の発言がいま、大きな波紋を呼んでいる。1月に出演したポッドキャストの番組内で、ディズニーが実写でのリメイクを進めている『白雪姫』に苦言を呈したのだ。
「彼らはラテン系の俳優を白雪姫にキャスティングしたと誇らしげに発表したけれど、いまだに『白雪姫と七人の小人』の物語をやろうとしているのに驚いたよ。一歩下がって、何をしているのかを考えてみてほしい。ある意味では進歩的な試みをしているのに、一方で洞窟の小人たちの時代錯誤の物語を描くって、どういうことだよ! ぼくがこれまで訴えてきたことに意味はなかったのか?」(*1)
近年ディズニーは、『美女と野獣』『ダンボ』『アラジン』など、過去に手がけた名作アニメーション映画の実写リメイク作を、次々に公開している。世界の長編アニメーションの元祖『白雪姫』の実写作品には、『ウエスト・サイド・ストーリー』でブレイクしたレイチェル・ゼグラーがキャスティングされることが、かねてより発表されていた。ディンクレイジは、そのことに触れたうえで、小人症の偏見を煽りかねない物語を語り直すこと自体に違和感を表明したのだ。
ディンクレイジの批判を受けて、ディズニーの広報担当者は、「元のアニメーション映画のステレオタイプを強化することを避けるため、私たちは小人症コミュニティーのメンバーと相談しながら、7人のキャラクターを、これまでと異なるアプローチで描いています」と説明した(*2)。
いまだ映画の内容がベールに包まれたなかで、激しい言葉づかいで批判をしたディンクレイジの意見は、たしかに性急だったかもしれない。そもそも、『白雪姫』のアメリカでのタイトルは『Snow White and the Seven Dwarfs(白雪姫と7人のドワーフ)』であり、作品に登場する「ドワーフ」たちは、北欧神話やヨーロッパの伝承に登場する架空の種族なので、現実の小人症の人々とは異なる存在だという声もある。そして、ディンクレイジ自身も『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(2018年)で、鍛冶仕事をするドワーフの役を演じているのだ。それならば、なぜ彼は今回のような激しい反応を見せたのだろうか。
『白雪姫』が小人症の人たちを傷つけてきた過去
英語圏では、古ノルド語を源流に持つ「ドワーフ」という言葉が、そのまま現実の小人症の人のことをも指す言葉として使われてきた事実がある。そもそも小人症のことを英語で「dwarfism」と書くのである。つまり「ドワーフ」は長年のあいだ、実際の人々が持つ特徴と同一視されてきた歴史があるということだ。ディズニーのアニメーション映画『白雪姫』(1937年)では、ドワーフたちを善良だが知性に欠けている種族として描き、白雪姫が彼らを子どものように扱っている場面もある。
小人症で慈善団体のメンバーである46歳の女性は、「The Telegraph」の取材に対して、ディンクレイジの意見への賛同を表明している(*3)。彼女は子どもの頃から「七人の小人」になぞらえた揶揄を受けていたと語り、小人たちの名前「おとぼけ」や「てれすけ」などと関連づけられ、性格や容姿を嘲笑された経験もあるという。夢や希望を与えるはずのディズニー作品が、ある子どもにとっては、大人になっても心に残るほどの深い傷を作る要因になる場合もある。
そのような声もあり、近年では『白雪姫』の創作物において、ドワーフを小さなエルフに置き換えて表現する例もある。ディズニーも『南部の唄』(1946年)のように、アフリカ系の人種への偏見を助長するような表現のある作品を封印するなど、過去の作品をキャンセルするケースが見られる。アニメ界の最重要作であり、文化的な至宝とされてきた『白雪姫』を、今後どのように扱うのかについては、議論される余地があるだろう。
そのような背景を考えると、いまわざわざ『白雪姫』をリメイクするというアナウンスが、偏見を受けてきた当事者たちを不安にさせるのは、ある意味当然のことなのではないか。このリメイクが、差別までをも「リメイク」してしまうのではないか、新たな世代の子どもたちが偏見の犠牲になるのではないかという懸念を覚えるのは、むしろ自然なことかもしれない。ディンクレイジが指摘したように、それでいて進歩的な姿勢であるかのように振る舞われたら、腹立たしさを覚えるというのも理解できなくはない。
小人症の俳優の草分け的存在、ワーウィック・デイヴィスの偉業
小人症の俳優であるダニー・ウッドバーンは「HuffPost」の取材で、「現在ハリウッドでは、人種や女性、LGBTQなどのマイノリティーへの取り組みは盛んだが、障がいのある人への差別の是正が遅れている」と発言している(*4)。そして、障がいを持つ人物の、身体的特徴以外の「人間性」の部分になかなかスポットが当たらないことや、当事者でない俳優が障がいを持つ役を演じるケースが9割以上あると語り、現状を問題視している。
『オズの魔法使』(1939年)の「マンチキン」や、『スター・ウォーズ』シリーズの、メカや着ぐるみを被って演技する役など、小人症の俳優たちは、身体的特徴を求められる役を与えられるケースが多く、スター俳優として活躍する機会にはなかなか恵まれなかった。そのなかで、『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』(1983年)で、モコモコの着ぐるみを着てイウォークのひとりを演じていたワーウィック・デイヴィスは、後にファンタジー映画『ウィロー』(1988年)で堂々主役を演じ、人気俳優の仲間入りを果たした。その後は、『スター・ウォーズ』シリーズでも、彼と分かる役を頼まれるようになっている。
ワーウィック・デイヴィスが道を切り拓いたように、小人症の俳優は、いままさに偏見を払拭して、映画界で力を持とうとする途上にあるといえる。その意味で、ディンクレイジがアメリカ映画、ドラマ界においてメジャーな役を演じて人気を集めていること自体が、マイノリティーへの偏見を緩和する取り組みにつながっているといえるのである。そして、彼の発言が今回大きく取り沙汰されたのは、そんな彼だからこそだというのも事実であろう。これまで多くの当事者が同様の発言をしても、社会的に無視されることが多かったのだ。
一般的に、作品の表現に異議を申し立てることを「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)の暴走」だとする声もある。だがそれは、偏見を生む表現によって実際に被害を受ける者が存在する事実があることに気づかない、マジョリティであるからこその意見であるといえないだろうか。
ディンクレイジの指摘があったことで、ディズニーが新しい『白雪姫』で、ドワーフの描き方に、一層気を遣わざるを得ない立場に立たされることとなったように、さまざまな特徴を持つ人々がさまざまな声をあげることによって、新たな議論が生まれることは、多様性尊重の観点から歓迎すべきことだろう。このたびの議論は、当事者でない人たちが、これまで考えもしなかった立場や視点があることに気づかされる契機になったのではないだろうか。
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