池に浮かぶ少年の身体と、その姿を池のほとりから見つめる、同じ顔をした少年。毎朝鏡を見入る自分の息子に、ギリシャ神話の美少年ナルキッソスの物語を重ねて描いた新藤杏子の作品『farewell』が、『FACE2022』でグランプリを受賞した。
SOMPO美術財団による『FACE』は、年齢などの応募制限がある美術コンクールが多いなかで、「年齢・所属を問わず、真に力がある作品」を表彰することを特徴とする、新進アーティスト発掘のための公募コンクールだ。
10回目となる今回、グランプリ作家に選ばれた新藤は、「生命の営み」をテーマに、神話や伝説と、自分の子どもや身の回りの出来事を結びつけ、物語性のある絵画をつくり続けている。新藤にとって、日々の暮らしのなかで生じる人々との関係性やそこから生じる出来事は、創作において不可欠なものだという。受賞後の作家に話を聞いた。
「生命の営み」をテーマに創作する画家が、子どもが生まれてから経験した環境の変化や壁
─新藤さんが創作のテーマにされている「営み」という言葉にはいろんな意味がありますが、生活の時間のなかでの他者との関わりを想起させます。受賞作『farewell』のモチーフはご自身のお子さんですが、進藤さんとお子さんの関係も「営み」を描くにあたって大きな要素なのでしょうか。
新藤:そうですね。子どもを産んで育てることも「営み」だと思います。子どもができて作風が変わったというような変化はないのですが、物理的なところで、創作にかける時間の使い方が変わりました。
以前は深夜まで描き続けたり、全部の時間を自分のものにすることができていましたが、子どもが生まれてからは朝9時にアトリエに来て、夜6時に終わらせられるよう、かなりシステマチックに制作しないといけません。そういったスケジューリングはすごく上手になったと思っていますが、子どもが熱を出したりするとその日は計画どおりにいかないので大変です。
それでも妊娠中はずっとつくり続けていたし、産後に休んでいたのも1か月くらいで、そのあとは赤ちゃんをアトリエに連れていって、転がしながら描いてました(笑)。
─作家の営みとして、リアリティーがありますね。
新藤:当時は「ART FACTORY城南島」というスタジオで制作させてもらっていたんですけど、そこは子どもを連れてくることに寛容で、他に入居してるアーティストたちにうちの子もずいぶんかわいがってもらってました。お子さんのいるアーティストが他にもいたので、暮らしや制作に関する共通の話題で仲良くなったり。子どもがコミュニケーションツールになってました(笑)。
ただ、長期滞在するようなレジデンスは子ども連れだと正直厳しいですね。とくに強烈だったのがフランスのレジデンスを受けようとしたときのことです。かなりはっきりと「制作と子育ての両立は無理でしょう」と言われて驚きました。日本と比べて海外は柔軟なように思えるけれど、実際はそうでもないところもある。
一昨年に3か月お世話になった中国のレジデンスでも、やっぱり自分で子どもの預け先を探すしかなくて。現地で暮らす日本人の方とたまたま仲良くなって保育園を紹介してもらったんですけど、レジデンス先が仲介や紹介をしてくれることはほとんどないんですよね。そこまで望むのは難しいのかなあ、という思いもありますが。
─知人の男性アーティストで、タイに長期滞在したときに現地のインターナショナルスクールに直談判して、お子さんを預けることに成功した人がいます。
新藤:すごい!
─でも、それも自力ですし。
新藤:そうですね。自分で探すとしても、現地の情報がまったくないなかで行動しても不確実です。せめて、そういった情報が示されていれば、とは思います。
─ぼく個人としては、いろんな暮らし方やパートナーシップを選ぶアーティストがいるのだから、かれらに制作環境を提供する側が柔軟な構えを持ち、イレギュラーな要望に対しても試行錯誤する余地を確保するのは必須のことだと思います。自分が接した経験のリアリティーを作品の種にしていくのがものをつくることの基本ではあるので、その可能性の一つをほとんど最初から閉ざしてしまうのは純粋に機会の喪失だと思います。
新藤:難しいところですよね。美術以外の社会でも同じだろうと思うので、「子どもがいるから優遇してくれ」と声に出しづらいのもわかります。ただ、家族がいる人は必ずいるし、逆に一人で制作したい人ももちろんいる。作家の状況によって、いろいろな可能性が開かれていてほしいなと思います。
ギリシャ神話の美少年ナルキッソスに森の妖精が告げた「さようなら」の別の意味
─そう考えると、この『FACE展』はユニークです。応募年齢の上限や出自に条件をつけない公募展というのは、じつはけっこう珍しい。
新藤:すごく嬉しい存在です。展示をするときって、どうしても同世代のアーティストで集まってしまうから、すごく年上の方や、年下の方と展示する機会は限られます。公募展がそれを補ってくれるのはありがたいですし、実際に集まった作品を見ると、世代や背景ごとにいろんな視点があることが作品から如実にわかります。
表現の傾向や動向を狭めないように応募対象を「あらゆる人」とするのが重要ですよね。『FACE』に入選した作家を調べると、平面を描いているけど映像やインスタレーションといった他の表現もやってたりする人が多い。そういう作家たちを結果として選んでいるのも魅力的ですね。
─新藤さんの受賞作は『farewell』という作品ですね。「さようなら(farewell)」というタイトルは意味深です。
新藤:「farewell」は英語圏だと長い別れのときに使う、かしこまった言い方の「さようなら」らしいですね。
絵のなかの子どもは息子がモチーフではあるのですが、それと一緒に扱っているのが、ローマ帝国時代の詩人オウィディウスが『変身物語』のなかで書いたナルキッソスの神話です。傲慢な美少年ナルキッソスに恋をした森の妖精エコーは、彼から冷たく突き放されたことに絶望して声だけの存在になってしまうんです。
─ナルキッソスのひどい仕打ちに怒った女神ネメシスは、彼に自分自身の姿にしか恋をできない呪いをかける。「ナルシスト」の語源になった神話です。
新藤:湖に映った自分の姿を見つめ続けるあまり衰弱死したナルキッソスに、声だけになったエコーが「さようなら」と告げる。それは彼女の絶望の言葉だったと解釈されることが多いのですが、息子が毎朝鏡で自分の顔をじっと見ている様子を眺めていると、じつはちょっと違う意味があるのかもしれないと思うようになったんです。それが今回の絵のアイデアになりました。
─自分が好きなお子さんなんでしょうか(笑)。
新藤:どうなんでしょう(笑)。5歳の男の子なんですけど、毎朝欠かさず、起きたらすぐにずっと見てますね。子どもが何を考えているかわからないときって、たくさんありますよね。まるで頭のなかが宇宙でできているのかなと思うようなことも平気でやったりする。石ばっかり集めて、それを投げたり。
そういう不思議さもあって、ナルキッソスに関わる本を読み返してみたんですけど、子どもは鏡に映った自分自身を認識することで、初めて他者や自己というものを理解していくらしいんです。そうやって、「人間」になっていくということを考えると、エコーの「さようなら」は、もう少し肯定的な意味にも思えてきます。たとえば、ナルキッソスはたしかに死んでしまったけれど、水面に映る自分を認識したことで再生できる、とか。
─再生や新生のための「さようなら」だったかもしれませんね。
新藤:このことは、いまの時代と重ね合わせられる気もします。コロナ禍でいろんなものが変化して、これまでの生活のあり方を見直さなくてはいけなくなった人は多いですよね。これまでの価値観を変えて、新しく再生していくことが求められている。そういう時代背景もふまえて『farewell』というタイトルをつけました。
「たたら製鉄」での経験で、神話と技術の深い結びつきを知る
─自分の子どもという身近な存在への関心が、時代や世界という大きなものに至るような視点の広がりがあるんですね。
新藤:子どもはきっかけに過ぎなくて、そこから派生した作品を構築していくかたちで描きました。そこには、私がずっとテーマにしている「営み」への関心が入っています。
子どもが生まれる以前から、双子のような対になる人を描くことが多かったのですが、それは「人は一人では生きていけない」「人間にはつねに対になるものが必要なのかもしれない」という考えによるものです。キリスト教の物語にも、アダムとイブが一緒になったときに初めて物語が始まるというようなものが多い。そういうところにも、「人の営み」を感じるんです。
─「生命の営み」というテーマに、ナルキッソスのような神話や伝説の要素が加わるのはなぜでしょうか?
新藤:中学のときに入った「考古学研究部」の活動がきっかけですね。縄文時代や弥生時代の人たちの生活を知るために貝塚に行ったりすると、太古から人間は埋葬や葬儀を神聖に扱っていたことがわかります。それがとても面白くて。さらに後年訪ねた奥出雲での「たたら製鉄」の経験も大きかったです。
─宮崎駿監督の『もののけ姫』で描かれた、日本古来の製鉄技術ですね。
新藤:5日間の国内旅行なのに3日しか寝ない、3泊5日っていうスケジュールだったんですよ。それはなぜかというと、炉の火を絶やしてはいけないので一日中徹夜で火を焚べ続けるんです。かなりハードな経験だったのですが、神話と技術が深く結びついていることに驚きました。
製鉄場には『古事記』などに源流があるとされる金屋子神(かなやごかみ)という嫉妬深い神様がいて、だから女性を入れてはいけない決まりになっていたり、最後に鉄を出す作業が女性の経血や出産のイメージに見立てられていたりして、生活の営みと神話の密接さをじかに感じました。そういった経験から神話や民俗学に関心を持つようになりました。
あとは……小学校で石ノ森章太郎さんの『マンガ日本の歴史』が流行っていたのもきっかけの一つですね。漫画家になりたいと思っていたときもありましたけど、ストーリーをつくる才能がまったくなく(笑)。それもあって、物語を感じさせるような一枚の絵にこだわっているのだと思います。
「作品は、社会との関わりがあって初めてあるもの」
─『farewell』はまさにそういった絵ですね。鬱蒼とした森のなかで、男の子が水面を眺めている様子は、ファンタジックな映画の1シーンのようです。
新藤:思い入れのある作品になりましたね。ここに行き着くまで、かなりの試行錯誤がありました。私はずっと水彩画を描いてきたのですが、描かれる人物と背景を等価に、同じベクトルを向いたものにしたいと思ってきました。でも、背景を描くと舞台が具体化して、言いたいことが伝わりすぎてしまったりする。
水彩から油絵にシフトしてみたり、その二つを同時進行で描いたり、いろんなトライ&エラーを経て、やっと背景と人が等しい関係にありながら、少し含みのある物語性を感じるような絵を描けるようになったんです。
─最近の作品では背景に森のイメージが多く登場します。
新藤:それもブレイクスルーになったポイントです。森を描くようになったのは、河瀬直美さんの映画『殯(もがり)の森』を見たことが影響しています。認知症のおじいさんと介護士の女性の物語ですが、人間は亡くなると土に還るという、森林葬のドキュメンタリーとしての側面も持つ作品です。
─葬儀という点で、人と関係の強い場所として森が描かれている?
新藤:そうですね。映画を見て、そのような場所である森であれば、人間の生活と背景を同じベクトルで描けるかもしれないと思いました。
実際にはっきりと背景を描くことに挑戦したのは、2020年に参加した、大阪のTEZUKAYAMA GALLERYのグループ展『星の百年』からです。星の民俗学者である野尻抱影さんをテーマにした3人展だったのですが、そこで物語性を含ませながらはっきりと背景を描いた作品をつくりました。そのあたりからだんだんと背景を描きながら「人の営み」を描けるという自信を得ました。今回の作品は、そこから直接的につながっているんです。
─新藤さんにとって人との関わりのなかで作品を生み出すことは欠かせないことでしょうか?
新藤:私の場合は不可欠です。作品は、社会との関わりがあって初めてあるものだと感じていますし、実際にいろんな場所に足を運び、その土地のことを調べて作品をアウトプットすることが大事だと思っています。
変わった例ですけど、以前骨折で1か月半ぐらい入院したことがあったんです。病室には同じように骨折して入院した方がたくさんいらっしゃるので「なんで怪我したの?」なんて話をしているうちに、ふだんなかなか話さないような人生の深い話にもなったりして。私にとってはそういう個人的な経験が作品の起点になることばかりです。
新藤:子どもとの関係もそうです。先日曽祖母が亡くなったんですけど、お葬式に集まった子どもたちの反応を通して、死というものを考える機会になったんですよね。死がなんなのかまだ全然わからない子もいれば、初めて死に直面して戸惑う子どももいたりする。かれらなりの経験、コミュニケーションのあり方に触れることで広がるものがあります。
─それは自分のお子さんからも感じるでしょうね。
新藤:はい。人間には108の煩悩があると日本ではいわれますけど、生まれたときは仏みたいなのに、煩悩が1つずつ増えていっていつか大人になっていくのかなあ、とか考えます(笑)。宇宙からやって来たまっさらなものが、どんどん世俗に染まっていく。そして老人になるときには全部手放して死んでいくのかも。それって面白いなあ、と思っています。
─5歳のいまはどうですか? だいぶ世俗感がありますか?
新藤:あります! あれがほしい、これがほしい。あれが食べたい、これが食べたい。欲望に忠実というか。最初は泣くだけだったのが言葉を覚えて、「いやだいやだ」っていうようになると「なかなか俗っぽくなってきたな!」って楽しくなっちゃいますね。
- イベント情報
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『FACE展2022』
2022年2月19日(土)〜3月13日(日)
会場:東京都 新宿 SOMPO美術館
時間:10:00〜18:00(入館は閉館30分前まで)
休館日:月曜
料金:一般700円
- プロフィール
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- 新藤杏子 (しんどう きょうこ)
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1982年、東京生まれ。東京都在住。2007年、多摩美術大学大学院美術研究領域油画修了。営みをテーマに自分自身が関わった人、実際に存在しているものをモチーフにしたり、歴史・風土を下地にそこから物語を構築し、具象化した架空の生物をモチーフに絵画作品として発表を重ねる。自分自身の経験や内面と、社会とを照らし合わせて、再構築して生物的な形にしたものを描いている。
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