クエンティン・タランティーノも絶賛したイスラエル出身のナヴォット・パプシャド監督による『ガンパウダー・ミルクシェイク』(2022年3月18日公開)は、桁違いに強い女性たちが悪の組織と戦うアクション映画だ。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のネビュラ役などで知られるカレン・ギランが主演を務める本作が、「安心」して観られる女性アクション映画であることの価値、ヴァージニア・ウルフの本のなかに銃が隠されていることの意味とはなにか。この映画が「痛快」である理由とは。水上文によるレビューをお届けする。
殺し屋稼業の女性たちが暴れ回るハードボイルド・シスターフッド映画
クエンティン・タランティーノも絶賛した気鋭の映画監督ナヴォット・パプシャドの新作『ガンパウダー・ミルクシェイク』は、殺し屋稼業の女性たちが悪の組織と戦う、ハードボイルド・シスターフッド映画である。
あなたはここで、銃をぶっ放し、ナイフや金槌を振り回す、最高にタフでクールな女性たちの迫力溢れるアクションシーンを存分に目撃することができる。それからこの映画は、母と娘の物語でもある。殺し屋の母と、同じ職業を選んだ娘――殺し屋親子が目一杯活躍する映画でもあるのだ。とにかくただ単純に、タフな女性たちが暴れ回る映画を観たいのであれば、これほどうってつけの映画は他にないだろう。
「安心」して楽しめる女性アクション映画であることの価値
実際、あなたは何も心配しなくていい。
この映画で、凄惨な暴力の哀れな被害者としてのみ登場する女性や少女を見ることはない。登場するのは桁外れに強い殺し屋の女性たちなのだから。そしてもちろん、女性が活躍するアクション映画でしばしば見られた「色仕掛け」を目にする羽目にもならない。若くてセクシーなことだけが女性の価値ではないことを、この映画は知っているのだ。素晴らしいことに、この映画で活躍する5人の女性のうち3人は40歳より上で、主人公を演じるカレン・ギランは34歳である。
それから、女性が登場する映画でほとんど必然的に付いて回るラブロマンスも――ラブロマンスが悪いわけではないけれど、いつも必ず出てくる必要もない!――ない。付け加えれば、良いところを掻っさらっていくタキシード仮面のような男性キャラクターも、正直言っていなくたって構わない。安心してほしい。この映画にはタキシード仮面も出てこない。
心配しなくていい。何も考えなくていい。私たちが不安に感じていたこれらすべては、ここでは起こらない。頭を空っぽにして、ただ楽しめばいいのだ。
あなたはこの映画を観ている約2時間のあいだ、1950年代アメリカを思わせるキュートなダイナー、きらめくネオンカラーのボウリング場、迫力あふれるカーチェイス、そして荘厳なヨーロッパ建築を思わせる図書館で繰り広げられる最高のアクションシーンを、何にも心煩わされることなく楽しむことができる。
それはどれほど素敵なことだろう? にもかかわらず、どれほど長いあいだ、こうした単純な喜びをなかなか得られなかったことだろう? ただ楽しんでいい――この「安心」の価値を知っているすべての人に、私は『ガンパウダー・ミルクシェイク』を観てほしいと思っている。
ヴァージニア・ウルフ、ジェーン・オースティン、シャーロット・ブロンテ……「武器」としての物語
さて、物語の主人公は、「会社(ファーム)」と呼ばれる暗殺組織に雇われているとびきり上等の殺し屋・サム(カレン・ギラン)である。
組織からの命令によって暗殺をこなしていたサムはあるとき、組織の命令に従うよりも、少女エミリー(クロエ・コールマン)を助けることを選ぶのだ。彼女たちはともに逃亡する。サムはオレンジのスカジャンを着て、エミリーのものらしきパンダ型のキャリーケースを振り回し、『ジョン・ウィック』(2014年)のように格闘する。武装した男たちが大勢追いかけてくるなか少女をかくまいながら戦って逃げる彼女は、文字通りシーロー(She +Hero)である。
追い詰められる彼女たちの向かった先は、三人の女性が「司書」を務める図書館である。彼女たちは15年前に別れてから行方不明になっていたサムの母親の、かつての仲間である。司書になりすます彼女たちは、じつはサムと同様殺し屋で、図書館は武器庫だったのだ。
ここでは本のなかに武器がある。だから司書の女性たちはサムに、たとえばヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』を手渡し、ジェーン・オースティンとシャーロット・ブロンテも必読だと語る。
書物のなかに武器がある――このことは単にクールな演出というだけに留まらない。選ばれた本のタイトルと作家を見ればそれは明らかである。
たとえばウルフの『自分ひとりの部屋』は、フェミニズム批評の古典として名高い一冊である。ウルフはこの本のなかでもしもシェイクスピアに妹がいたら、という仮定について語っていた。文学史に光り輝く文豪、シェイクスピアに彼と同じくらい才能を持った妹がいたら?
16世紀のイギリスで、彼女が男性であるシェイクスピアと同じ教育を受けさせてもらえることはなかっただろう。本を読む時間も、ものを書く時間も十分に与えられなかっただろう。10代も終わらないうちに結婚させられることになり、抱いた野心と授かった才能を存分に発揮する機会がないまま、若くして亡くなっただろう。ウルフはそう語る。傑作はそれのみで、孤独のなかで誕生するわけではない。ある人が傑作を生み出せる社会条件が整わなければならないのだと。
もちろん、幾人かの例外的な天才はいるだろう。たとえば18世紀に生まれたジェーン・オースティンと19世紀に生まれたシャーロット・ブロンテ、そしてウルフ自身がそれである。けれどもオースティンには自分だけの書斎さえなく、居間で、さまざまな中断を受けながら書いていた。ブロンテは『ジェーン・エア』で、多くを学びたいのにそれが制限されてやまない女性の鬱屈と怒りを切々と書き連ねていた。
社会の、私たちの努力なくしてはシェイクスピアの妹は生きられない――彼女が生きられた世界、女性が傑作を生み出すことのできる世界を望むことこそ、ウルフは訴えていた。
何より、かつて女性は図書館に自由に出入りすることさえ許されていなかったのだ。『自分ひとりの部屋』のなかで、ウルフは図書館に入ろうとして「ご婦人方は付き添いか紹介状がなければ」入れない、と言われたことを怒りを持って書き記している。
こうしたことを考えれば、図書館が「武器庫」であること、それぞれの時代で厳しい制約と戦いながら書いた女性の作家の本のなかに「武器」が隠されていることの意味は明らかではないだろうか?
私たちが図書館に入ることができるのは、その自由のために戦った女性たちがいるからである。だから手渡される物語は、文字通り武器である。もちろんこの映画も武器である。武器はあなたに手渡されている。それは女性たちの物語に対する祝福であり、同時にまだ続く戦いに向かうための、この上ない武器でもあるのだ。
武器を取り、物語を書き換える
では、この映画はどんな風に「武器」となっているだろう?
主人公とその母親、母の仲間たち、少女と、三世代の女性たちが手を取り合って戦う様を描くこの物語は、過去と現在と未来をつないでいる。物語のなかだけではない。過去を書き換え、未来へ手渡すための武器が、ここには散りばめられているのだ。
たとえばおよそ20年前の『チャーリーズ・エンジェル』(2000年)は、女性が活躍するアクション映画がほとんどなかった時代には画期的だったけれど、性的魅力をあまりにも強調しすぎていたように思う。他の多くのアクション映画もそうである。だから露出のない服装で、性的魅力によってではなくまさに腕力で持って戦う女性たちを描くことは、これまで支配的だった物語に対する「書き換え」なのだ。もちろん、過去から手渡されたものだって多くある――たとえばオレンジのスカジャンを着て戦うサムは、『キル・ビル』(2003年、2004年)で眩しい黄色を身にまとうユマ・サーマンにも似ている。
あるいは、映画を好む人であれば、ボウリング場でのバトルシーンにマカロニ・ウエスタンの影響を確かに感じるだろう。バトル開始前の静寂、『続・夕陽のガンマン』(1966年)のメインテーマにオマージュを捧げたかのようなBGM――重要なのは、ここで戦っているのは男性ではなく、少女を救うために男性たちと戦うひとりの女性であるということだ。
先住民族を虐殺する白人カウボーイの「正義」を描いた西部劇から、カウボーイ神話に反旗を翻すマカロニ・ウエスタンへ、そして結局のところどちらにも共通していた中心としての男性性を脱臼する『ガンパウダー・ミルクシェイク』の女性によるアクションシーンへ。支配的な物語はオマージュされ、書き換えられ、多様化していく。
『レオン』の少女マチルダと、『ガンパウダー・ミルクシェイク』のエミリーの決定的な違い
さらに重要なことに、ここには『レオン』(1994年)に対する書き換えもある。
およそ30年前の映画『レオン』は、孤独な殺し屋と家族を亡くした少女の物語である。よく知られているように、ナタリー・ポートマンは『レオン』の少女マチルダ役を演じたことによってメディアにロリータ扱いされ、恐怖を感じたこと、振り返れば「不適切」な作品に思えることを、のちに告白している。
そして殺し屋と少女の物語であるという意味で共通している本作は、エミリーをマチルダにしないのだ。エミリーは孤独な中年男性と二人きりにされず、露出のない格好で、彼女を守る女性たちに囲まれている。当たり前だ。少女は、子どもは、守られるべきなのだ。犠牲者でも性的対象でもなく、ただ守られるべきなのだ。けれどもそんな当たり前のことが、いままでどれほど踏みにじられてきたことだろう?
エミリーは知的で勇気にあふれ、本当の敵は誰なのかをよく知っている。女性たちの背後にいる組織、高みの見物をしようとする男性たち、彼らこそが本当の敵なのだ。私は「本当の敵」を誰よりよく知る人物をエミリーに設定した本作を、かつてのマチルダたちに手渡された武器のように感じている。
要するに、痛快なのだ。
武器を手に取り、物語を書き換える様をまざまざと感じられる本作は、とにかく痛快なのである。これまで私たちに怒りを感じさせてきたあらゆる要素が取り除かれていく様は、控えめに言って最高である。
最大の見せ場であるアクション・シーンでは、女性ロックシンガーの元祖ジャニス・ジョプリンの歌声が高らかに響き渡る。「女がやれる全てのことをあなたにしてあげた」と歌い上げるその声のもと、とびきりタフな女性たちが武器を手に、男たちをやっつけていくのだ。ああ、こんなに痛快なシーンが、これまで他にあっただろうか?
あなたもまたこの映画という「武器」を手に取ることを、私は願っている。
- 作品情報
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『ガンパウダー・ミルクシェイク』
2022年3月18日(金)からTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
監督・脚本:ナヴォット・パプシャド
出演:
カレン・ギラン
レナ・ヘディ
カーラ・グギーノ
ミシェル・ヨー
アンジェラ・バセット
ポール・ジアマッティ
配給:キノフィルムズ
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