日本覆う「空気」の正体。劇作家 / 演出家の永井愛に聞く、報道の自己規制への危機感、配信への思い

コロナ禍で、舞台の映像配信が増えた。なかでも、海外に向けて日本の舞台芸術をオンライン配信することに力を入れているのが、国際交流基金とその舞台配信プロジェクト「STAGE BEYOND BORDERS -Selection of Japanese Performances-」だ。配信作のうち、50作品を「緊急舞台芸術アーカイブ+デジタルシアター化支援事業(EPAD)」と協働した。

EPADのセレクションで「STAGE BEYOND BORDERS」を機に初めての本格的な配信を行なった二兎社の永井愛は、日本社会に生きる人々を描いてきた。そこには日本人特有ともいえる「空気を読む」コミュニケーションがある。

配信中の二兎社の公演『ザ・空気 ver.3 そして彼は去った・・・』は、メディアと権力の関係を描いた『ザ・空気』シリーズの第3弾。英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語、日本語の6言語による字幕がつき、世界中のどこからでも無料で視聴できる。日本人ならばイメージしやすい「空気」を、どう海外の観客へと届けるのか。創り手の視点から、現代日本が抱える問題や、舞台芸術を配信するねらいなどを聞いた。なお、このインタビューの模様は、CINRAのYouTubeチャンネルでも映像で見ることができる。

「劇場のなかで話さないでください」に感じた複雑な思いと危機感

─新型コロナウイルスの蔓延により、舞台芸術をめぐる環境は大きく変化しました。永井さんの創作への影響はいかがでしたか?

永井:初めてマスクをして稽古した作品が、いま、「STAGE BEYOND BORDERS」で配信している『ザ・空気 ver.3 そして彼は去った・・・』なんです。稽古中は役者の口元の表情が見えないので困りました。劇場に入ってやっとマスクを外したときに「こんな表情をしてたのか!」と気づいて、慌てて細かな表情や声の音量などを修正しました。

『ザ・空気ver.3』の設定はテレビ局ですので、基本は舞台上もオールマスクにしました。実際のテレビ局ではマスクの上にフェイスシールドをしたりと、厳戒態勢だと聞きましたから。でもずっとマスクをつけたままの芝居は、役者さんが相手役と交流できなくて難しい。だから、芝居のどこでマスクを外すかということも意味を持たせる演出にしました。けっこう上手に外せたなと思っています(笑)。

─コロナによる舞台芸術業界への影響については、どう感じていますか?

永井:精神面では、コロナによって新たな何かが起きたというよりは、いままであった問題が拡大されたのでしょう。たとえば格差。もともと非正規雇用者が多かった女性の自殺者が増えているという報道はとてもショックでした。また、リモートでできる産業かそうでないかによる賃金格差もあるでしょう。そのようなことがメンタルに響いて、社会に対する悪意や不安が倍増し、意見の対立がよりシャープになっているのではないでしょうか。

演劇界でもかなりの人が演劇を続けられなくて離れただろうし、観客も減っただろうなと想像しています。いままで行っていた馴染みのお店が突然閉鎖していた、というようなことは演劇でも出てくるだろうし、コロナが収まったときに「あれ、お客さんがいない」ということもあるのではないかなと思いますね。

永井:また、劇場では、人と話すことが罪であるような雰囲気を感じました。たとえば「劇場のなかで話さないでください」というアナウンスが流れる。仕方がないと思いつつ、ちょっと怖いですね。人とコミュニケーションをとることは人間の自由であり大切なことだったのに、他人に「話さないでください」とハッキリ言えてしまったり、「あっちのお客さんが喋っています」と報告されるようになってしまった。日本は民主主義国のはずですが、全体主義に支配されてしまっているような錯覚を覚えます。

─とくにコロナ禍の始めの頃は、誰もがどうしたらいいのかわからず不安な空気がありましたね。

永井:二兎社でも、コロナ禍でドラマリーディングをやろうとしたときに「やっちゃいかん。劇場の前で阻止する」と憤慨なさった方がいました。きっとクラスターを出さないために自分は戦うという思いだったんでしょう。

このことがあったときに、あくまでも本人は正しいと思っている行動で相手の自由を踏みにじることは、コロナを理由にすれば簡単に起きるんだろうなと思いました。これまでは踏み込まなかった人が、踏み込んでしまう。本当に注意しないと、全員が全員を監視する社会というのは、簡単に訪れてしまうのではないかと感じましたね。

政権からの圧力がかかる前に現場が忖度して自粛する──日本の報道現場を描いた『ザ・空気』

─いまの話は『ザ・空気』シリーズに通じていると感じます。この作品は日本にある見えない「空気」を扱っていますが、書かれたきっかけは?

永井:まず、2017年の1作目『ザ・空気』では、テレビ局の上層部の意向で番組の内容が変更されていく芝居をやりました。わりと手応えがあったので2018年に『ザ・空気ver.2 誰も書いてはならぬ』で国会記者会館を舞台に政権とメディアとの癒着を描きました。

そして今回配信されている「ver.3」では、政権からの圧力が直接的にかかる前に現場が忖度し、自粛していく様子を書こうと。報道に関わる人たちが自分で自分を縛っていく。これが日本の一番の問題だと思うんですよね。

永井:報道関係の話になったのは、そもそもは「表現の自由」というテーマを探ってみたいというところからスタートしました。日本の「報道の自由度ランキング」がとても低いことにびっくりしたんです。

とくに第二次安倍政権になってから、テレビ局のあらゆる報道番組がチェックされ、少しでも政府に対して批判的な言動があったら問い合わせがあるといいます。記者会見でも一社一問に制限されて、重ねて質問ができない。それは本来はおかしなことのはずなのに、みんなが質問しないのでだんだんルール化されていく。だけど報道の基本姿勢は、政権が隠したがっていても国民に知らせるべきことを知らせることだと思います。

永井:ただ、これは報道現場だけの問題ではないですよね。学校でも職場でもママ友の集まりでもバイト先でも、同じように力の強い人が支配して、そのことに対して声を上げると損をするだろうから誰も変えようとしない、という状況があると思います。それが「空気」の正体だと思うんです。

そういった現場では、自分の良心と戦うギリギリの攻防が個人の内部でも行なわれている。そこに演劇として描くべき人間性が垣間見られるのではないかと思いました。

日本人は「空気」という言葉をすごく上手に扱っている

─「空気」と一言で言っても、そこで人を動かしているのは目に見えない雰囲気だけではない。忖度してしまう原因がいくつも影響し合っていることが『ザ・空気』シリーズでは描かれていますね。

永井:「空気」と言うと日本人に通じやすいんですよね。自分を支配している何かにピンとくる。最初に『ザ・空気』というタイトルを発表した途端に、内容の説明は何もしていないのに問い合わせがきたり、チケットの売れ行きが良かったりしたのも、そのためだと思います。

でも「空気」と言うことによって見えなくなるものもありますよね。実際には人を忖度させているのは「空気」じゃなくて、恐怖や保身だったりします。

─「空気」によって周囲から動かされるのではなく、自分自身を動かしてしまうことはありますね。しかも無意識に。

永井:人間って、人を騙す以上に自分を騙すものなんじゃないかと思うんです。「空気」という言葉も日本人はすごく上手に使っているなと思います。

本当はこう思うのに、そう言ったり実行したりすると圧力や非難を受けるだろうから真逆のことをやる。その後ろめたさに耐えられなくなって、自分に正義があると思いたくて、自分が屈服し転向したことをむしろ正当化する。そのうちに正しく物を見る目を失っていくと思うんです。

─無自覚に自分を守ろうとするんですよね。どうすれば流されずにいられるのでしょう……。

永井:私も、小さな妥協は数限りなくしてきました。良くないなと思っても相手が傷つくと思うと言えないとか、威張っていると思われたくないから言えないというようなことは、個人のお付き合いのなかではありますよね。

でも、私は自分が作品と向き合うときにはそういうことはないんです。「これを書いたら世の中が騒ぎになるな」とか「炎上してやりにくくなるからやめようかな」と思ったことはない。勇気は、最初からあるんじゃなくて、出てくるんですよね。

─議論を呼びそうな作品の題材によって、観客の反応が怖いと思うことはないですか?

永井:『歌わせたい男たち』という芝居を書いたとき、最初はすごく怖かったんですよ。この作品は日の丸や「君が代」問題を題材にしていますから。

永井:公立の学校の卒業式では日の丸を掲げて「君が代」を歌うべきだという人と、歌いたくない人に強制するのは「内心の自由」の侵害だという人がいる。意見が対立している問題に切り込む演劇をやるのはちょっと怖かったんですけど、毎日そのことについて考えているうちにだんだん怖くなくなるんですね。

それよりも「こういう状況にある人間の心の動きは書くに値するな、書きたいな」という気持ちが大きくなってくると、他人にどう言われるかということが吹き飛んでいくんです。

やっぱり私、社会問題よりも人間を描きたいんですよね。自分という宇宙を抱えた人たちが入り交じって一つの流れをつくっていくときって、醜いことも滑稽なこともいっぱいあるけれど素晴らしく美しい瞬間もある。そういったギリギリの、人間性を試されるようなもののなかで人間を捉えたいという欲求がつねにあるんです。

「劇場という閉ざされた空間が、映像によって一気に開かれていくんだなあと感じています」

─永井さんは今回「STAGE BEYOND BORDERS」で初めて作品のストリーミング配信をしたそうですが、配信についてはどう思われますか?

永井:まず経済的に苦しい演劇界においての支援としても助かるということと、作品が多言語で配信されるという実態があるじゃないですか。

映像配信は演劇の見方の可能性を広げてくれていると思います。もちろん演劇の醍醐味は目の前に観客がいることです。観客の集中によって役者が集中し、狭い空間での無言の交流がその日の舞台をつくっていく。配信ではそれはできないですね。

けれど配信でも作品の全体像を知ってもらうことはできる。劇場での観劇とは違うかたちで演劇を楽しめるということは、非常に意味のあることだと思います。

永井:映像は「情報を知る」という面でとても優れていますよね。たとえば、ロンドンの『ナショナル・シアター・ライブ(NTLive)』(イギリスのナショナル・シアターの作品を各国の映画館で上映するプロジェクト)は、ナショナル・シアターが何をどうやっているのかを知ることができ、とても参考になります。映像で舞台を観ることによって参照項目が増えるし、映像の人も文学の人も影響を受けるんじゃないでしょうか。

劇場という閉ざされた空間が、映像によって一気に開かれていくんだなあと感じています。そういう時代の幕開けが、コロナによって一気に加速しましたね。

「STAGE BEYOND BORDERS」で配信されている『ザ・空気 ver.3 そして彼は去った・・・』(サイトを見る

─アーカイブとしての役割も配信にはあると感じますか? 上演したら消えてしまう演劇が、映像というかたちで残ることになります。

永井:そうですね。難しいのは、映像を通して観るのと、客席で観るのとは違うんですよ。演劇は客席から距離をとってちょうど良くなるようにつくられている。俳優の表情や小道具もアップになることを想定していませんから、その戸惑いはありますし、自分が映像で観たものと生で観たものが同じだとは思わないですね。

だから、配信をきっかけに生の演劇を観るようになれば嬉しいですね。テレビ放送やDVDよりも、配信はもうちょっと生活に入り込んで気軽に観られる気がします。舞台上で映像を使ったりと、舞台と映像との壁はずいぶん薄くなっているので、これからもそれぞれの特性を活かしていくんだろうなと感じています。

─永井さんは日本人特有の背景や状況を描いてこられました。現在『ザ・空気ver.3』は多言語字幕つきで配信されていますが、海外に作品を届けることについてはどう考えていますか?

永井:私は日本で見聞きしたことを創作しているので、私の作品は日本でしか理解されないんじゃないかとも思うんです。自分はグローバルに活躍するアーティストとは違って、とてもローカルな存在なので、自分から海外に働きかけたことがない。それでも海外でのリーディングの機会をいただけたりすると、とてもとても貴重だなと思ってやってきました。

でも、ローカルなことはグローバルなこと、という考え方もありますよね。むしろローカルであればあるほどその土地の風土や精神性みたいなものが色濃く出て、それは他の国の人にも伝わるんじゃないでしょうか。

─実際に多言語字幕つきで配信してみていかがですか?

永井:英語だけでなくスペイン語やロシア語や中国語といったさまざまな言語の方に観ていただけるというのは途方もないことですね。今回は配信なので生の観客の反応を知ることはできないけれど、日本以外の方からコメントをいただけるなんてびっくり。すでにかなりの閲覧数になっていますが、まだ実感がつかめないでいます。

─とくに今作は、日本の「空気」についての作品です。

永井:きっとヨーロッパの方と中国の方とでは見方が違うと思うので、自国の制度や常識と照らし合わせてどう感じるのか、とても興味深いですね。戯画化されてはいますけど、実際に日本の報道の風景のなかにある話です。ずいぶんいろんな方に取材してお話を聞きました。日本のテレビ報道の独立性の危機を、海外の方がどう見るのか……気になりますね。

翻訳するとニュアンスが活かしきれない。でも、それを越えて残るものがあるはず

─翻訳にあたって気をつけていることはどんなことですか? とくに日本のローカルなことを描く作品では、国内では共通の認識も、異なる文化圏の方には伝わりづらいこともあると思います。

永井:翻訳は本当に難しいですね。一つの言葉でもこちらのニュアンスは完璧には伝わらない。とくに、日本語には主語がなくても通じることによる、他言語との違いを感じました。

前にアメリカで『片づけたい女たち』のリーディングがされたときのことです。50代を迎えた女3人が家を片づけながら人生を振り返る話なんですが、そのなかで「私、心のパンツが脱げちゃった感じ」というセリフがあるんですよ。これは、最後の慎みを失って自我が丸出しになっちゃったというニュアンスで、日本人はわかってくれる。でも英語にするときに表現が難しくて、すごく問題になったんです。

─「空気」も翻訳しづらいですよね。

永井:そうなんです。「空気」というと、日本人ならば、雰囲気や無言の圧力というものだとわかる。でも言語によっては、文字通りの「空気」なんですよ。『ザ・空気』をロンドンでリーディング公演したときは(「放送中、オンエア中」という意味もある)『On Air』というタイトルになりました。日本人のイメージする空気とは違うけれど、「エアー」という言葉が入っているからまあいいかと。

翻訳をするとニュアンスが活かしきれないことは随所にありますね。だけど、それを越えてなにか残るものがあるはずですから。

観劇や芸術鑑賞は、人を凝り固まった考えから解放してくれる

─コロナ禍では、マスクでの稽古や上演、多言語配信など初めての取り組みを行ないました。それらを経て、今後どんなことに力をいれていきたいですか?

永井:模索中ではありますが、いままで書いた作品をもう一度上演し直したいですね。日本では新作を発表しないといけないという向きもありますが、昨年『鴎外の怪談』(2014年初演)を7年ぶりに再演して、自分でも新たな発見があったんです。それに、再演することによって若い世代に新しい作品として観ていただけるでしょうから。

─新たな世代の観客に出会うことで演劇も育つし、きっと観客も育つでしょう。まだまだコロナ禍で厳しい状況にありますが、永井さんは演劇や文化の持つ力についてどのように考えていらっしゃいますか?

永井:観劇や芸術鑑賞は、普段の自分なら考えないような価値観に触れたり、信じられないようなものを見たりする機会になり、自分に揺さぶりをかけてくれます。

それによってリセットされて、つまらないこだわりから解放され、人に対して固まった見方をしないようになっていったらいいなと思いますね。私自身、自分をリセットするために芝居をやってるようなものだなと、よく思います。

このインタビューの模様はCINRAのYouTubeチャンネルでも公開中
サービス情報
「STAGE BEYOND BORDERS -Selection of Japanese Performances-」

新型コロナウイルスの影響により日本の舞台公演に接する機会を求める世界の人々に向けて、日本の優れた舞台作品を、国境を越えて、多言語で発信することで、舞台芸術に親しむ全ての人への希望となることを期待して国際交流基金が企画するプロジェクト。配信作品は、現代演劇、ダンス・パフォーマンス、伝統芸能の3分野で構成されており、各公演は約5か国語の多言語字幕つきで、国際交流基金の公式YouTubeチャンネルから無料で視聴可能
作品情報
二兎社公演44
『ザ・空気 ver.3 そして彼は去った・・・』


2021年1月8日(金)~1月31日(日)

会場:東京都 池袋 東京芸術劇場 シアターイースト
作・演出:永井愛
出演:
佐藤B作
和田正人
韓英恵
金子大地
神野三鈴
プロフィール
永井愛 (ながい あい)

劇作家・演出家。二兎社主宰。桐朋学園芸術短期大学演劇専攻科卒。「言葉」や「習慣」「ジェンダー」「家族」「町」など、身辺や意識下に潜む問題をすくい上げ、 現実の生活に直結した、ライブ感覚あふれる劇作を続けている。日本の演劇界を代表する劇作家の一人として海外でも注目を集め、 『時の物置』『萩家の三姉妹』『片づけたい女たち』『こんにちは、母さん』など多くの作品が、外国語に翻訳・リーディング上演されている。



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