メイン画像:朝井リョウ『正欲』特設サイト
※本記事には、小説『正欲』の内容に関する言及があります。あらかじめご了承ください。
多様性を問い直す。小説『正欲』が2022年本屋大賞にノミネート
「多様性、という言葉が生んだものの一つに、おめでたさ、があると感じています」
朝井リョウの小説『正欲』の冒頭には、価値観に揺さぶりをかけるような、こんな文章がある。
不登校の子どもをもつ検事・啓喜、学園祭で「ダイバーシティフェス」を企画する女子大生・八重子、ある秘密を抱える寝具店店員の夏月らをとおし、さまざまなマイノリティとしての孤独とその先に見出された希望を描いた本作は、2021年3月の発売から1年で販売累計11万部を突破。「読む前の自分には戻れない」「力づけられた」などとSNSでも反響を呼び、昨年秋には『柴田錬三郎賞』を受賞、今回、『本屋大賞』にもノミネートされた。
『正欲』はなぜここまで反響を呼んだのか。ひとつには、いまの社会につながる共感があるのではないか。
他者とどう関わっていきたいか。社会の変化によって変わる価値観
性自認や性的指向について考えさせられる機会は増えている。三重県では昨年、性的指向や性自認を許可なく第三者に暴露する「アウティング」を禁止する条例を都道府県として初めて制定。宇多田ヒカルがジェンダーにとらわれないノンバイナリーだと告白したことも話題になった。今年に入ってからも、恋愛感情や性欲をもたないアロマンティック・アセクシュアルをテーマとしたNHKドラマ『恋せぬふたり』が放送され注目を集めた。
また、コロナ禍での出版となったことも大きい。飲み会や集団でのつき合いが激減し、周りに無理に合わせない快適さを実感した一方で、誰かとつながりたいとも思う――この状況は、小説の登場人物にも重なる。人と会わず自分自身と向き合う時間のなかで、自分とは何なのか、人とどうつながりたいのか考えた人も多いだろう。
そんないまの状況が、読者に『正欲』をより自分ごととしてとらえる素地をつくり、共感を呼んだのではないだろうか。
他者への寛容は条件つきではないか? 本作が投げかけるもの
本作によって自己認識や自身の価値観が覆され、忘れられない体験を得たと述べる読者も少なくない。なぜだろうか。
本作の冒頭では、多様性やそれにまつわる言葉についてこう語られている。
「話者が想像しうる“自分と違う”人にしか向けられていない言葉です。
想像を絶するほど理解しがたい、直視できないほど嫌悪感を抱き距離を置きたいと感じるものには、しっかり蓋をする。そんな人たちがよく使う言葉たちです」
多様性という「リベラルで、ポジティブな言葉」を使うことだけに満足し、じつは「思考停止」しているのではないか。「多様性を尊重している」と言いながらも、尊重するのは自分が知っている / 理解できる領域についてだけで、それ以外のことは切り捨てているのではないか。本作は、そんな疑問を投げかけているように思える。
他者への寛容をうたいつつ、じつは自分の許容範囲を超えると切り捨てる「条件つき寛容」だったのかもしれない。本作をとおして、自分でも気づかなかった偽善性を目の当たりにしてしまうのだ。
「自殺を考えた」LGBTQ+の若者たち。なぜ「正しさ」が強要されるのか
作品はさらに、多様性を「認める側」だという思い込みにも、疑問を投げかけていたと思う。
NPOトレヴァー・プロジェクトが2018年にアメリカで行なった調査によると、13歳から24歳のLGBTQ+当事者のうち、過去1年以内に自殺を考えた人は39%にものぼったという。トランスジェンダーとノンバイナリーの人では、54%に跳ねあがる。
周囲の反応が当事者に与える影響は大きく、自分たちの性自認や性的指向を変えるよう言われた人の自殺未遂率は23%。言われなかった人の約3倍の高さとなった。また多くがオンラインでの相談や人とのつながりが救いになっていると回答した。
3月28日、アメリカ・フロリダ州で公立校での性自認や性的指向の議論を禁止する法律が成立。教室での議論の制限だけでなく、教員がLGBTQ+について教えることや、子どもたちが同性カップルの家族の話をすることも難しくなる内容だ。カウンセリングなど学校側が生徒にLGBTQ+のサポートをする場合は親へ通知されるという。
法案にサインをしたデサンティス州知事は「教化ではなく、教育のために子どもが学校に通えるようにする」と話した。だが、前出の調査からも明らかなように、性自認や性的指向について学び、相談できる環境を整えておくことは、悩みを抱える子どもにとっても、周囲にとっても必要な教育である。性的マイノリティーへの根強い差別を象徴するかのような今回の法制化は、大統領選出馬を狙う州知事が共和党支持層を意識した動きとも見られている。生まれた肉体の性別のまま異性愛者となることを「正しい」とする思想がアメリカ社会にも根強くあることがうかがえる。
自分にとって「正しい」あり方だとしても、それを他人や自分の子どもに強制していいわけではない。性的指向や性自認は他人には変えられない。「正しくない」からといって、それを変えようとする行為は、人権侵害にあたる。
なぜ人々は自分の「正しさ」を押しつけるのだろうか。そこには『正欲』でも描かれる「多数派の不安」があるのかもしれない。性的マイノリティーのことを本当に「知らない」のかもしれないし、他人には見えない性はもちろん、家族のかたち、自分の幸せも、本当はとても曖昧だ。何が正解かよくわからず不安だからこそ、自分のあり方を正当化したいと願うのかもしれない。だが、自分を正当化するために、誰かの命を危険にさらしてはいけないだろう。
語りたくないことを語る必要はない。それでもつながれることで今日も生き延びる
誰もが生き延びるために、何が大切だろうか。ヒントはやはり『正欲』のなかに見つけられると思う。
「この世界で生きていくために、手を組みませんか」
そう提案され、登場人物が始めた共同生活。愛があるわけでも相手の全てをわかっているわけでもないが、互いを必要とし、一緒にいようとすることで希望を見出す。語りたくないことを語る必要はない。手を伸ばしても振り払われることもあるだろう。だが、自分にとって大切な部分でだけでも、誰かとつながれる可能性はある。
「多数派」を自認している人も、まずは多数派を降りることから始めてみるのはどうだろうか。作中で、マイノリティーである一人の登場人物が「多数派」について突然気づくシーンがある。
「みんな本当は、気づいているのではないだろうか。
自分はまともである、正解であると思える唯一の依り所が“多数派でいる”ということの矛盾に。
三分の二を二回続けて選ぶ確率は九分の四であるように、“多数派にずっと立ち続ける”ことは立派な少数派であることに」
多数派を自認していても、じつはみなそれぞれが不安で、「まともな側」にいるために、ときには多数派を装いながら生きている。だが結局はみながマイノリティーではないか、というのだ。多数派の看板を下ろすことは、他者に周りと同調するよう無理強いすることから一歩引き、自分を見つめることでもある。それは自分を大切にすることにもつながるだろう。
自分も含めた、すべてのマイノリティーであるみなが生きていくためにはどうしたらいいのかと、同じ目線で考える。そうした試行錯誤の先に、いまより少しいい社会が見えてくるのではないだろうか。
- 作品情報
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『正欲』
発売:2021年3月26日
価格:1,870円(税込)
著者:朝井リョウ
発行:新潮社
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