マイク・ミルズが語る、「わかりやすさ」への抵抗。他者との「わかりあえなさ」とのつき合い方

「家族はいちばん身近な他人」という言葉もあるが、マイク・ミルズ監督は、これまでも自身の家族を題材に、一筋縄ではいかない人と人との関係性を描いてきた。前作『20センチュリー・ウーマン』(2016年)では、自身の母をモデルに3世代の女性と少年のひと夏を描き、『人生はビギナーズ』(2010年)は、母の死後にゲイであることを告白した父が題材だった。そして、新作『カモン カモン』では自身の子育てに着想を得て、9歳の甥の面倒を見ることになったラジオジャーナリスト・ジョニー(ホアキン・フェニックス)の姿を描いている。

「他者とどうコミュニケーションをとればいいのか、どうすれば良い関係性を築くことができるのか、いつも途方に暮れている」というマイク・ミルズ。家族のあり方や、他者との「対話不可能性」というテーマをはじめ、ホアキン・フェニックスとも共鳴した「すべてを説明しない」という姿勢についても話を聞いた。

(メイン画像:© Courtesy of A24)

家族のあり方は千差万別。すべての家族はどこか壊れていて、それでも一緒にいる

―監督は『人生はビギナーズ』や『20センチュリー・ウーマン』といったこれまでの作品で、いずれもオルタナティブな家族像を描いてきました。私もそうですが、たとえば友人との会話で、いわゆる「普通の家族」の話になると少し居心地が悪くなるような観客にとって、本作『カモン カモン』も、これまでの作品と同様に勇気を与えられる作品だと感じました。

ミルズ:私は家族について、ときには自分自身の家族を題材に映画にすることが多いです。しかし、異性愛規範的な、「普通の」家族像を観客に押しつけようとは決して思いません。

なぜなら、すべての家族はどこか「壊れて」いて、それでも一緒にいるのだと思うからです。壊れているのはどうしようもないことで、ごくごく自然な、健康的なこと。だから、自分の映画では、家族はどこか「壊れて」いてほしいと考えているのです。

血のつながりは関係なく、大人であれ、子どもであれ、あなたのためにいてくれる人は誰でも家族といえるのではないでしょうか。

生物学的な状況に基づくこともあれば、自由意思に基づいてそこにいることもある。家族とは、千差万別なものです。私はそのように考えているので、自分の映画のなかの家族もそのように映っていればいいな、と願っています。

『カモン カモン』予告編

「子育てにおいては男女で負担に差がある。そこは男性として認識しておくべき重要なこと」

―劇中にはいくつかの本からの引用がありますが、なかでもジャクリーン・ローズ著『母たち:愛と残酷さについて』(未邦訳、原題「Mothers: An Essay on Love and Cruelty」)の「母」という存在について書かれた文章の引用は、ジェシー(ウディ・ノーマン)の母であるヴィヴ(ギャビー・ホフマン)に寄り添うようで印象的でした。監督ご自身は「母であること」や「母性」についてどのような考えを持っていますか?

ミルズ:自分の子どもが産まれてからだいぶ経つのですが、母性がどれだけ深いものか、そして子育ての負担がどれだけ性別に左右されるのかということを数多く実感してきました。

子育てでは、女性のほうがより多くの重責を担わされます。生物学的にもそうですし、社会からの要請もあります。私自身は父親であることを楽しんでいますが、やはり子育てにおいては男女で負担に差がある。そこは男性として認識しておくべき重要なことだと思います。

ミルズ:『20センチュリー・ウーマン』、『人生はビギナーズ』、そして今回の『カモン カモン』でも、私の映画では母親の存在はいつも中心にあります。物語上の主役でなくとも、映画の心臓のように。決して意図しているわけではないのですが、脚本を書いていると、いつのまにか無意識にそうなっている。

―ご自身では、それはなぜだと思いますか?

ミルズ:「母親」を描くのが本当に好きなのだと思います。そしてもちろん、自分の母親のことが本当に、本当に好きです。私の母はとても興味深い存在で、愛しているというよりは「敬服している」と言ったほうが近いかもしれません。映画づくりにおいては、男性より、女性のほうが私にとって興味を惹かれる存在なのです。なぜかはわかりませんが。

前作『20センチュリー・ウーマン』ではマイク・ミルズ自身の母を題材に、少年と世代の異なる3人の女性たちのひと夏の物語を描いた

その人を愛し、一方でその人に怒りを覚える。「わかりあえなさ」と長期的な関係性について

―『カモン カモン』の登場人物は、これまで監督の映画で描かれてきたよりも明確な「対話不可能性」という、他者とわかり合おうとしてもわかり合えないという事実と向き合っています。現実世界でもこの「対話不可能性」はあらゆる場面でつきまといますが、他者との「わかりあえなさ」といかに向き合うか、お考えはありますか?

ミルズ:私はそういったことに関する達人ではないので、解決策はわからないですね(笑)。妹のヴィヴと兄のジョニー(ホアキン・フェニックス)の関係性から描きたかったのは、兄妹のような長期的な関係性は特に、やがて夫婦や友人のような関係になっていくということです。

互いのことを愛してはいる、似た者同士にも思える、しかし、解決しえない問題を抱えている。それらの相反する感情が、同時に存在するのです。関係性がひとつの感情だけに左右されるということはないわけで、その人を愛し、一方でその人に怒りを覚える。その人に理解されないこともあれば、理解を示されたりもする。とても逆説的なんです。

歳を重ねれば重ねるほどわかってきますが、人と長く関係を持つと、すべてそうなっていくように思います。そしてそれに対する解決法というものはありません。

「私はいつも途方に暮れています。どうやって他者とコミュニケーションをとればいいのか、さっぱりわからない」

―おっしゃるとおり、本当に解決法と簡単に言えるものはないな、と思います。その他者との関係性の築き方について、本作の登場人物は「すべてを語ろう」とするのではなく、曖昧さを尊重し、むしろ「聞く」姿勢を大事にしているように見えました。

ミルズ:この映画では、ジェシーの世話に手を焼く伯父のジョニーに、ジェシーの母親であるヴィヴが、「彼が質問をたくさんしたり突飛な行動をとったりするのは、それが9歳の少年なりに自分のことを伝えようとする術である」というようなことを話しますよね。とても間接的な方法ですが、それがジェシーのやろうとしていることです。

またジョニーは、「ぼくもお父さん(ジェシーの父親はメンタルヘルスに問題を抱えている)のようになる?」と聞くジェシーに対して、「君はお父さんよりすごいよ。君のほうが自分をよくわかっているし、自分の気持ちをうまく表現できる。君のお母さん(ヴィヴ)が君に本当によく教えてくれたからね」と語りかけますね。

このように、この映画は、話す、聞く、どちらにせよコミュニケーションの重要性を描いているのかもしれません。理解しようとすること、そして自分の思いを語ることは、幸せに向かおうとするうえで重要である。そういう考えが、この映画のDNAに組み込まれています。

ミルズ:他者との関係性の築き方はとても複雑な問題なので、私がなにか答えを提示するのはおこがましいようにも感じます。映画監督が「自身は自分の映画よりもなにか大きなものを持っていて、それによって世界を救うことができる」と考えているように見えると、正直気になってしまうんです。私たちはそんなに賢いわけでもないし、面白くもなくない? って。

この映画はもちろん私が書いたものですが、私一人のものではなく、ホアキン、ギャビー(・ホフマン)、ウディ(・ノーマン)がともにつくり上げてくれたものです。ですから基本的に私は、小説家であれミュージシャンであれ映画監督であれ、つくり手が物事について「知っている」といった具合にあれこれ語らないことが、重要だと思っています。それよりも「わからない、本当に苦労する」と語るほうがいいのではないか、と。

私はいつも途方に暮れています。どうやって他者とコミュニケーションをとればいいのか、どうすればより良い関係を築くことができるのか。さっぱりわからない。そしてその苦労こそが、単に「答えはこうだ」と提示するよりも、もっと面白いことだと思うのです。

すべてを説明しようとしなくていい。「明白さとの闘い」で、助けになったホアキン・フェニックスの存在

―いまのお話にあったような、早急に正解を導き出すことに対して慎重になる姿勢は、「明白さ」と闘おうとしている、とも言い換えられるかもしれません。この姿勢は、監督のほかの作品にも通底しているように思えますし、それは、すごくポジティブなことに感じられます。

ミルズ:そう言ってもらえるのは本当に嬉しいですね。私がやろうとしているのは、まさにその「明白さと闘う」ということです。

ホアキンも本当にそれが上手いんですよ。彼とのコラボレーションでいちばん良かったのは、そのことでした。クリシェ(決まり文句)を用いて観客を強く誘導したり、あらかじめ答えを持ったり、物事を「良く」あるいは「明瞭に」見せることを、ホアキンはとても嫌っていて、その点においてとても勇敢で、敏感でいてくれました。

「それは言わなくていいんじゃないかな、キャラクターについてすべて説明しようとしなくていいよ。観客に対して、自分が善き人であると証明しようとしなくていいんだ」ってよく語りかけてくれました。それが本当に最高で、助けられたし、楽しくもありました。ホアキンはこの映画に命を吹き込んでくれたと思います。

―この映画に収められている子どもたちへのインタビューは、実際の取材に基づいているとうかがいました。自身のことや、世界、そして未来について語る彼らの声は、大人として非常に考えさせられるものでしたが、監督は彼らの言葉からどのようなことを感じましたか?

ミルズ:本当に考えさせられましたね。なかでも最も深く心動かされ、自分にとっても重要だと思えたのは、自分の内面や弱みをさらけ出すことに対し、子どもたちがいかにオープンであるか、ということです。

個人的な秘密も、自分を怖がらせる存在についても話してくれる。自分を過剰に守ろうとしない、仮面を被ったりしないのです。私のような第三者に対してもそのような態度でいるのは、本当に気前のいいことじゃないですか?

そう考えると当然、聞き手である私にはとても大きな責任が返ってきます。彼・彼女たちが話してくれたことを大切にしなければならない。日記の1ページを見せてくれたわけですから、それをどのように扱うかをちゃんと考えなければならない。

大人と違って、子どもたちは自分を守ろうとしない。なんと過激で、パンクなことでしょう? 私にとってその事実は幻覚剤のようでもあり、とても迫力あることでした。その、大人から見ればある種「狂気」のように思える子どもたちのあり方に出会えたのは、本当に光栄なことでした。

「個人的な事柄が、いかにして大きな歴史や社会と結びつくのか? ということにとても興味がある」

―本作では、「大きな世界」と「小さな関係性」の両方を、互いが引き立つようにうまく捉えていると感じました。人々の声が街の空撮に重なるオープニングからはヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』(1987年)が想起されましたが、そのオープニングが象徴するように、本作では街や声、大きな世界自体が登場人物として扱われている一方で、物語はあくまでさきほど述べたような人と人の小さな関係性、その親密さを見つめています。

この「大きな世界」と「小さな関係性」をミックスして扱うコンセプトはどのように生まれたのでしょうか。

ミルズ:『ベルリン・天使の詩』は本当に大好きな映画です。それから『都会のアリス』(1974年)や他のヴェンダース作品も、この映画に大きな影響を与えています。彼の映画ではつねに、感情が空間に宿っていたり、あるいは空間から人と人の関係性が浮かび上がってきたりしますね。そのあり方に共感しますし、そのようなアプローチがとても好きです。

ミルズ:私のすべての映画にいえることですが、私は私的で個人的な事柄が、いかにして大きな歴史や社会と結びつくのか? ということにとても興味があります。たった二人のあいだに起こる小さな出来事が、街を行く見ず知らずの大多数の他人となんらかのつながりを持つ、人々が私たちは同じ歴史の瞬間、同じ社会のなかにいると感じられるような結びつきに関心があるんです。

だから本作では、バスタブのなかのジョニーとジェシーの関係性を描いたそのあとに街の人々を見せる、ベッドルームの二人を映した次はニューヨークの雑踏を映す、といったアプローチで、小さな関係性と大きな世界の両極を相互に接続したかったのです。

『カモン カモン』とともにあった、フランク・オーシャン『Blonde』の存在

ミルズ:(インタビュアーの部屋を見て)ちなみにこの映画の撮影現場では、あなたの後ろに飾ってあるフランク・オーシャンの『Blonde』をずっと流していました(笑)。ホアキンが“White Ferrari”をすごく好きだと言っていて。

『Blonde』に収録された曲の構造はとてもユニークですよね。一般的なソングライティングの定型をなぞっていない。じつは、この映画の脚本を書くときに、そのことをずっと考えていました。このアルバムはどこか遠くにあるようで、しかし同時にものすごくエモーショナルに聞こえる。『カモン カモン』のプロジェクトにとって『Blonde』は非常に大きな存在だったので、あなたの部屋にレコードがあるのを見てびっくりしました。

“White Ferrari”は、フランク・オーシャンの2016年のアルバム『Blonde』収録曲

―たしかに、『カモン カモン』はフランク・オーシャンの出身地であるニューオーリーンズが舞台のひとつです。ジョニーがジェシーに読み聞かせる『オズの魔法使い』には、彼の"Thinkin Bout You"の歌詞を意識しますし、子どもたちへのインタビューの声が聞こえるエンドロールは、同じようにインタビューが挿入される『Blonde』のラスト、"Futura Free"とも重なったりと、本作のいくつかの要素からはフランク・オーシャンのことが思い出されました。

彼のソングライティング、曲の構成が「定型でない」ということや、さきほどの「わかりやすさ」と向き合う姿勢にも通じる話ですが、監督の映画では、モノローグや記録媒体を用いて時間を圧縮させたり、タイムラインを入れ替えたりする時間の扱い方が特徴的です。映画における「時間」についての考えも聞かせてください。

ミルズ:時間をどのように扱うか、それこそが映画づくりでいちばん面白いことのひとつだと思います。私は時計が示す実際の時間よりも、「感情の時間」に強く心を惹かれます。

特に映画は時間による構築物であり、時間をめちゃくちゃにできるのは映画の素晴らしいトリックであり、特権といえます。同じ場面を繰り返してもいいし、そうすることでまた違った見え方ができる。

時間に対して自分なりの遊び心を入れ、自分なりの筋道をつけることが、私にとって映画制作の喜びです。そして、私のこれまでの映画はすべてそうやってつくられています。

ミルズ:私の好きな映画監督の多くがそうしている、というのもあります。アラン・レネ(『夜と霧』(1955年)などで知られるフランスの映画監督)の映画や、エルマンノ・オルミ(イタリアの映画監督)の『婚約者たち』(1963年)などは、あなたの言うとおり時間を圧縮させたり、あるいは引き伸ばしたりして、本当に美しく時間を扱っている。

さきほど話したとおり、ヴェンダースのように「空間」をキャラクターとして扱い、空間との対話を可能にするのもとても好きですね。そして「時間」を確固たるものにするのではなく、いくえにも流転する川のように扱うのも、同じように好きです。まるでダンスをしているかのように、映画でそうやって遊ぶのは、本当にただ楽しいことなのです。

―いまお話にあった空間への意識は本作でも感じられました。ジェシーとジョニーの別れの場面で、カメラがゆっくりと動き、遠くの建物に書かれた「Bye Buy」のグラフィティが映る場面などは印象的でした。

ミルズ:それもまた、私の愛する監督たちがやってきたことです。私の愛する映画には、「空間」に対する意識と、それらをどう配置するかという「ミザンセン(舞台に配置すること、演出のような意味を持つフランス語)」の存在がはっきりと感じられます。たとえばジェーン・カンピオンの映画もそうですね。カンピオンの作品には、空間における空気、そこにある光、本質的な存在の感覚をたしかに見て取れる。そこが本当に好きです。

他の映画監督はどうかわかりませんが、私は自分の「ヒーロー」たちのように映画をつくるのが好きなようです。自分のヒーローたちが楽しんできたのと同じ土俵で楽しむこと……他の人と同じようなことをするのが、喜ばしいことのように感じられるのです。フェデリコ・フェリーニやヴェラ・ヒティロヴァ、ジャン・リュック・ゴダールやアニエス・ヴァルダのように。

作品情報
『カモン カモン』

2022年4月22日(金)からTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開

監督・脚本:マイク・ミルズ
音楽:アーロン・デスナー、ブライス・デスナー(The National)
出演:
ホアキン・フェニックス
ウディ・ノーマン
ギャビー・ホフマン
モリー・ウェブスター
ジャブーキー・ヤング=ホワイト
配給:ハピネットファントム・スタジオ
プロフィール
マイク・ミルズ

1966年、カリフォルニア州バークリー生まれ。アディダス、ナイキ、ギャップなどのCMやAir、Blonde Redhead、Pulpなどのミュージックビデオを監督。また、Sonic YouthやBeastie Boysのレコードカバーのデザインも手掛け、グラフィックアーティスト、デザイナーとして1990年代のニューヨークのカルチャーシーンで活躍。2005年、『サムサッカー』で長編映画監督デビュー。自身の体験を基に父と子の関係を描いた『人生はビギナーズ』(2010年)では、同性愛をカミングアウトした父親役を演じたクリストファー・プラマーが『第84回アカデミー賞』助演男優賞を獲得。同作は数々の映画賞で高く評価され、『ゴッサム・インディペンデント映画賞』では作品賞を受賞した。続く『20センチュリー・ウーマン』(2016年)は、批評家・観客の双方から称賛され、『アカデミー賞』脚本賞にノミネート。自身初の快挙となった。また、2007年に制作した長編ドキュメンタリー『マイク・ミルズのうつの話』では、日本の文化に抗うつ剤が導入されたことをめぐる問題を探り、現代社会が抱える問題を描き上げた。なおThe Nationalの8枚目のアルバム『I Am Easy To Find』の発売にあわせてリリースされた、同名の短編映画の監督を務めている。



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