メイン画像:ヴァル・キルマー / Shutterstock
「声が失われても表現する情熱は失われていない」
6月22日に世界興行収入が9億ドルを突破し、トム・クルーズにとって最大のヒット作となった『トップガン マーヴェリック』。天才パイロットのマーヴェリックを演じるトム・クルーズら俳優陣は、時速600マイル(約965km)で飛ぶ本物の戦闘機に乗り込み、強力なG(重力加速度)にさらされながら過酷な撮影を行なったと話題を集めている。
そんな本作に、36年前の前作『トップガン』でトム・クルーズのライバル役アイスマンを演じたヴァル・キルマーが出演していることは、二重に感動的なことだった。
『トップガン マーヴェリック』予告編
かつてハリウッドのトップスターだったヴァル・キルマーは喉頭がんを患い、その治療過程で発声機能に障害を持つことになった。それゆえに、彼の俳優としてのキャリアは絶たれてしまったのではないかと考えられていた。
そんな彼がスクリーンでトム・クルーズと一緒に映っている姿は、往年の『トップガン』ファンが待ち望んでいたものが見られたというだけでなく、病気で声を失った俳優がふたたびスクリーンで輝ける方法を提示したという意味で、意義深いことだった。
その二重性を映画製作側も認識していたからか、本作でアイスマンは、本人同様喉頭がんで声を失った人物として描かれた。そして、そんな彼が絞り出す少ない台詞は、マーヴェリックと観客の胸を打った。
このアイスマンの台詞はAIによってつくられたと報じられている。英国のテック企業Sonanticが、彼の昔の声を集め、AI技術によって声を再現するプログラムを開発したのだ。
ヴァル・キルマーは、同社のYouTubeで「声が失われても表現する情熱は失われていない。自分という人間はまったく変わっていない。この技術によって、再び自分を表現できるようになった」と語っている。
テクノロジーは、障害を「障害」でなくする可能性を持っている。筆者はメガネをかけて生活しているが、メガネという技術革新が生まれる以前の時代では、視力が低くなるだけでまともに生活できなかったはずだ。声を失ったヴァル・キルマーを復帰させたこの技術は、彼以外の多くの人を助けることができるだろう。
しかし、このような技術革新は感動的であると同時に、いままでの評価の仕方では映画を観ることはできなくなると思わずにはいられない。そして、その流れはずっと以前から始まっていることでもあったのだ。
吹替の言語に合わせて、俳優の口の動きが変化
AI技術の映画製作への活用は音声に留まらない。近年の映画で観られる、回想や過去のシーンでも別の役者を起用せずに本人を若返らせる「ディエイジング」と呼ばれる技術もAIの機械学習によるものだ。
『アイリッシュマン』予告編。ロバート・デ・ニーロら俳優陣が、ディエイジングで若い頃の姿になり演じた
映像表現に関するAI技術の利用で話題になったものといえば「ディープフェイク」がある。あまりにも本物そっくりな人物を自由にしゃべらせ動かすことができてしまうこの技術は、真贋不明な情報を増やすのではと警告されている。しかし、映画においては同様の技術はいたるところで活用され始めている。
外国語映画を吹替版で観たとき、台詞と唇の動きが一致していないことに違和感を覚えたことのある人は多いだろう。英国の映画監督でありテック企業Flawlessの共同創業者スコット・マンは、自身の作品の外国語吹替版がひどい出来だったことに失望し、AI技術を用いて俳優の口の動きをそれぞれの言語に合わせるプログラム「TrueSync」を開発した。同社が公開したデモ映像では、『フォレスト・ガンプ』のトム・ハンクスが日本語に合わせて口を動かしているのが確認できる。
前半が従来の吹き替えの動画、後半がFalwlessのプログラム「TrueSync」による吹替版の動画
AIを活用しているのは大規模な大作フィクションだけではない。2022年に日本でも公開された『チェチェンへようこそ ーゲイの粛清ー』は、政府主導による「ゲイ狩り」が横行しているチェチェン共和国から脱出する性的マイノリティーたちを支援する活動を追いかけたドキュメンタリー作品だ。本作では出演者の安全のために身元を隠す必要があるため、ディープフェイク技術を応用した「フェイスダブル」という手法を採用した。
『チェチェンへようこそ ーゲイの粛清ー』予告編
これは、協力者の顔をブルーバックで撮影し、本人たちの表情と合わせてマシンラーニングによって表情をつくりだし、出演者の顔に被せるというものだ。この技術によって、ドキュメンタリー作品でよくあるモザイクや変声処理以上に、出演者たちは観客にとって「匿名の誰かさん」ではなく、感情を持った一人の人間として映画内に登場することができた。
デジタル技術が一般化した先にある演技の評価基準
筆者は先に紹介したSonanticの動画について、ヴァル・キルマーが「語っている」と書いた。だが、「語っている」のはヴァル・キルマーだと直ちに考えていいのだろうか。なぜなら、この動画の音声を生成したのは本人ではなく、AIプログラムだからだ。
この問いはこれからの映画を考えるうえで、大変に重要なポイントになるのではないだろうか。なぜなら、「役者の演技は誰がつくるのか」という問いにつながるからだ。
『トップガン マーヴェリック』のヴァル・キルマーの場合は、自身の声をサンプルにAIが音声をつくっているために、映画のなかのアイスマンの芝居は概ねヴァル・キルマー自身がつくり上げたものといえるかもしれない。しかし、声の芝居の細かい抑揚やトーンなどは本人以外の誰かが、あるいは何かがコントロールしたともいえる。
『トップガン マーヴェリック』より、ヴァル・キルマーとトム・クルーズの共演シーン
外国語の吹替に合わせて役者の表情を変える例は、「その表情は役者によるものなのか」と、よりラディカルな問いかけを観客に与えるだろう。
この技術を使えば極端な話、棒読みしかできない、満足に感情を表情にできない大根役者に名演技をさせることも不可能ではないということだ。
一部の映画監督やプロデューサーの間でこうした技術に関する関心は高まっていると「Wired」は指摘しており、すでにリアルタイムに撮影現場で俳優の加工を確認できるツールも登場しているという(*1)。
毎年、多くの映画祭や映画賞で俳優が表彰されているが、それらの賞は俳優個人に贈られる。基本的に演技賞とは俳優個人の卓越した表現を称えるものだが、この技術が一般化したとき、我々はどのように演技を評するべきなのだろうか。俳優個人の能力や表現だった演技は、今後は俳優だけでなくITエンジニアやCGアーティストらのチームで創造するものになるということだ。
こうした議論は、本来すでに始まっていなくてはいけないと思う。すでに誰の演技なのかわからない映像は世の中にあふれているのだ。
サンドラ・ブロックは、『ゼロ・グラビティ』の演技でアカデミー主演女優賞候補となった。彼女のパフォーマンスはたしかに素晴らしいものだったが、宇宙服を着ているシーンなどではモーションキャプチャーが使用されており、画面には顔しか映っていない時間も多かった(*2)。ということは、この映画の演技を絶賛した人は、誰の演技を見ていたのだろうか。サンドラ・ブロックか、それともモーションキャプチャーのアクターの演技か。だが、『ゼロ・グラビティ』公開時にこうした議論はあまり大きく起こらなかった。
『ゼロ・グラビティ』予告編
一人のキャラクターの演技を複数人のチームでつくり上げるというのは、ある種アニメーションがやっていることに近い。アニメーションの演技は、アニメーターたちがキャラクターのキーとなる演技を描き、作画監督が修正し、動画や仕上げ肯定で仕上がった絵の演技に声優が声を入れることでかたちづくられていく。実写映画も今後、そのような方向に向かっていくのではないか。
AI技術を含むデジタル技術の発展は、映画とは何かを根本から考え直させる契機になっている。それは何もAIが始めたことではない、デジタル技術が大幅に取り入れられたときから始まっていたことだ。AIを活用した演技の変化はその大きな潮流のなかにあることだ。
ひとつ言えることは、演技が個人のものではなく、チームによるものになったからこそ、声を失ったヴァル・キルマーはスクリーンに戻ってくることができたという事実だ。AI技術は映画にこれまでになかった可能性を開くだろう、そして、その可能性の先には、いまとは異なる映画のかたちがあるだろう。
*1:Wired「This AI Makes Robert De Niro Perform Lines in Flawless German」
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