親友が初めて明かした壮絶な難民の経験。『FLEE』監督はアニメと実写でいかに映画化したのか

『アカデミー賞』で異例の快挙を成し遂げた「アニメーション・ドキュメンタリー」

『FLEE フリー』は何かから逃げ走る(=flee)人々のドローイングアニメーションで幕を開ける。アフガニスタンからの難民であり、現在はデンマークで学者として暮らしている男性が、恒常的に安全に暮らすことのできる「故郷/家」を求めるために、逃れ続けざるを得なかったことを象徴する導入である。

監督を務めるヨナス・ポヘール・ラスムセンは、ラジオのドキュメンタリー番組の取材で培った手法を応用して、中学時代からのその友人──アミン・ナワビという仮名が使われている──の半生をアニメーション化したドキュメンタリーとして映画に収めた。

劇中でアミンのインタビュアーとして現れるラスムセンは金色の髪と髭を生やしているが、このたび、Zoomを介してオンライン取材に応じてくれた彼は、黒い髪と髭を生やした異なる容貌だった。映画のなかの彼は、自由に外見を決めた自身のアバターとして登場していたのである。アニメーションは、変装を可能にするのだ。

『FLEE フリー』は、『アカデミー賞』の新たな歴史をつくった。『第94回アカデミー賞』で長編国際映画賞、長編ドキュメンタリー賞、長編アニメーション賞の3部門に史上初めて同時ノミネートを果たしたのである。

本作の革新は、アニメーションを匿名性やプライバシーを守る手段として活用したことである。アミンが幼少期に紛争中の祖国から逃れ、モスクワを経由してコペンハーゲンへと定住地を求めた過酷な旅路と、結婚を考えている現在のボーイフレンドとの家探しの過程が織り交ぜられて語られていくが、およそ25年間誰にもデンマークにたどり着く前の過去を打ち明けることのできなかったアミンは、アニメーションというバリアによって、初めて自身の物語を語るという選択肢を選ぶことができたのだ(本作の「共同脚本」としてもアミンはクレジットされている)。

プーチンの後ろ盾のもとロシア支配下のチェチェン共和国で蔓延るLGBTQ迫害虐殺から逃れた難民を隠しカメラで撮影したドキュメンタリー『チェチェンへようこそ -ゲイの粛清-』(2020年)では、ディープフェイクのAI技術を進化させた最新VFXテクノロジーを使って顔を合成することで、当事者の身元を保護しながら、彼らの人間性が担保された。『FLEE フリー』も『チェチェンへようこそ -ゲイの粛清-』も名前や外見を変えることで、祖国を追われ、匿名での証言を必要とする者たちの安全を守ることを優先して制作された点で共通する。これは現代ドキュメンタリーの倫理である。

未だ数少ない「アニメーション・ドキュメンタリー」と呼ばれる手法で、ドキュメンタリーとアニメーション双方の慣習を拡張したヨナス・ポヘール・ラスムセンに話を聞いた。

難民であることは置かれた状況であって、彼のアイデンティティーではない

─今作の制作にあたり、子どもの頃からの友人であるアミンの過去を初めて知ったとき、どのように感じ、それをいかにしてひとりの人間の物語として語りたいと思いましたか。

ラスムセン:長いあいだずっと聞きたいと思っていたことだったので、初めて聞いたときは感動的な経験でした。秘密があることによって、私たちのあいだにはいつも一定の距離があると感じていましたし、「秘密が暴かれてはいけない」と慎重なところが彼にはずっとあったように思います。すべて話せる状況になったことで、より仲も深まりました。

私にとって、この映画を作るうえで最も大切だったことは、彼が明かしてくれた証言にできるだけ正確に、かつ真実に沿って忠実に描くよう心がけることでした。そして過去を生き生きと蘇らせ、命を吹き込む方法として、アニメーションという形式を見つけました。

アニメーションを用いたことで、彼が話すのが難しい記憶やトラウマがどのようなものかを掘り下げることができ、彼の深い心のうちにある感情が高揚する瞬間や、トラウマになることがどのような感覚かを表現できたと思います。

『FLEE フリー』予告編

─たしかにアミンの物語を犠牲者としてではなく、ひとりの人間の物語として、ジャン=クロード・ヴァン・ダムに恋した幼い頃の記憶など、さまざまな感情にも目を向けて描いていますね。これまでのメディアにおける「難民の物語」の描かれ方に何か問題意識を抱いていましたか。

ラスムセン:最初は、アミンの物語が、「難民の物語」だとは意識していませんでした。なぜなら、本当に友人に対する好奇心から始まったからです。私たちは25年にわたる友人ですが、出会ってから初めて彼が自身の物語を話してくれ、映画をつくる過程で視点が変わってきたのです。

私が15歳のとき、彼がアフガニスタンからデンマークの私の故郷の町にひとり突然やってきたのが、私たちの出会いでした。当時、どうやって来たのだろう、なぜたどり着いたのだろうかと気になったので聞きましたが、そのとき彼は話したがらなかったので、以降もそれを尊重して聞くことはありませんでした。一緒に育っていくなかで、そのことは私たちの関係においてブラックボックスのようなものにもなっていました。

ラスムセン:友人についての映画をつくろうと企図したのが2013年のことでしたが、2015年にヨーロッパで難民危機が発生し、特に多くのシリア難民がやってきたときに、新しい視点がもたらされました。アミンの身に起こった出来事は、およそ30年前のことですが、メディアで報道される難民の物語とまた違った描き方ができるのではないかと思ったのです。

難民の方がそのアイデンティティーそのものを難民として描写される、ということはよくあると思います。しかし私はアミンのことをよく知っていて、難民であることが彼のアイデンティティーではないということはわかっていました。たまたま人生においてそういう状況にあるだけ、状況自体が難民であるに過ぎないのです。願わくば彼らはその状況から脱して、別の状態になりたいと切望している。私たちの友情の内側から語られることで、難民の物語に新たな視点を与え、ひとりの人間の物語として、人間の顔を見せることができるかもしれないと考えました。

当時アミンが聴いていたポップソングを使用。「1984年に私も彼も同じようにa-haを聴いていた」

─あなたの前作『What He Did(原題)』(2015年)(※)に続いてゲイカルチャーの温かさを描きつつ、決してアミンがゲイであることを強調していないことも重要ですね。クィア表象にはどのような意識を持っていますか。

※1988年に、13年間連れ添ったパートナーを嫉妬から殺害したデンマークの作家イェンス・ミカエル・シャウのドキュメンタリー。刑期を終えた後の生活を記録している

ラスムセン:そのように描写することは、私にとっては本当にごく自然なことでした。ふたりの人間のあいだにある普通の愛情なので、自分たちとは異なるものだというふうに何かエキゾチックなものにしたり、極端なものにしたりすることなく、そのまま表象することが重要だと考えていました。

劇中で男性のアニメーションのキャラクターがふたりでキスするシーンがありますが、それが何ら特別なことではなく、普通であると感じることに焦点を当てたかった。それはほかのどんな人間関係でも起こる愛の行為であり、ふたりのあいだに温もりがあることを示すだけでなく、日々繰り返される習慣の行為なのです。

─冒頭で幼い頃のアミンが聴くa-ha“Take On Me”のミュージックビデオも本作同様に実写とアニメーションの融合ですね。RoxetteやDaft Punkなどの楽曲も使用されていますが、劇中のポップソングは実際にアミンが聴いていた曲だったのでしょうか。

ラスムセン:そのとおりです。最初に行なったインタビューのときに一番古い記憶について聞いたところ、姉からプレゼントでもらったウォークマンの話がすぐに彼の口から出てきました。

そのときにどんな音楽を聴いていたのか尋ねたら、地元のアフガニスタンのバンドなどが挙がるかと思いきや、スカンジナビアのエレクトロポップバンドや、私も当時聴いていたマドンナやホイットニー・ヒューストンを同じように聴いていたことがわかりました。なので、今回使っている楽曲のほとんどは、a-haを含め、彼自身のその頃のプレイリストからきています。

ラスムセン:彼が子どもの頃に聴いていた曲を観る者も知っているということで、面白いサプライズが生まれたのではないかと思います。観客が映像を通してカブールに着いたときにアフガニスタンの楽器の音楽ではなく、大衆的なポップソングが聞こえてくる。観客はその意外性を感じ取るとともに、共感することができます。

アフガニスタンの少年も世界中の私たちもa-haを聴いていた、みんな同じなのだというところから話が始められるのも、とても良いなと思ったのです。私たちがいかに似ているかということを示すことができる。1984年に私も彼も同じように“Take On Me”を聴いていたわけです。

a-ha“Take On Me”MV

辛い記憶の話を聞くにあたり、どのようにセーフスペースをつくり上げたのか

─『What He Did』でも証言と再現劇を重ねることで過去の出来事を再構築していましたが、今作ではアニメーションによって、アミンの記憶とトラウマを再現しています。アミンの話を聞くうえで再トラウマ化を起こさないよう、どのように注意しましたか。

ラスムセン:アミンがこの映画のアイデアを受けてくれてから、ふたりでどうしたらうまくいくか試行錯誤に多くの時間を費やしました。

最初の1年~1年半はインタビューを始めてはいましたが、いつでも彼が辞めたいと言えば辞められるし、まだ話す準備ができていないことがあれば話さなくていいと約束しました。映画をつくりたくないと言えばそこですべてを中止する。彼がコントロールでき、安全に感じられる場所をつくったうえで、話を聞くように進めていったのです。話を聞くときも部屋は私たちふたりだけの状態にしました。

もともと私たちの友情があったおかげで安心してもらえたし、信頼してもらうことができたので、彼のトラウマのトリガーにならないような状態が最初の段階で生まれたのだと思います。

ラスムセン:それから彼にとってはセラピーのような部分もあったと思います。困難な状況を見直して話すことで、何が起きたのか、なぜそうなったのかを掘り下げて理解できるようになる。それを何度か繰り返すうちに、そのことが和らいでもっと話しやすくなり、自分のなかで打ちのめされるようなこともなくなっていく。再現をうまくできれば、そのようにして自分の内側にある黒い塊のようだったものが塊でなくなっていくような効果があると思います。

しかしもちろん、映画でそれを行なうのはとても難しいことです。被写体に対してとても大切に、デリケートに接しなくてはなりません。

『アクト・オブ・キリング』の編集者が参加。体験を「再現」するということ

─「再現」という意味では、『アクト・オブ・キリング』(2012年)(※)の編集者ヤヌス・ビレスコフ=ヤンセンが本作には参加されていますね。仰るように『FLEE フリー』は制作プロセス自体が一種のセラピーセッションのようですが、『アクト・オブ・キリング』からのインスピレーションもあったでしょうか。

※1960年代にインドネシアで行なわれた大虐殺の真相に、加害者に当時の行動を再現させる手法で迫るドキュメンタリー

ラスムセン:『アクト・オブ・キリング』はマスターピースであり、同じドキュメンタリーというフィールドで、リナエクトメント(再現)を扱った映画でもあるので、似た方向性の作品づくりという意味で間違いなくインスピレーションを受けていると思います。製作会社(ファイナル・カット・フォー・リール)も同じで、監督のジョシュア(・オッペンハイマー)のことも知っています。

『アクト・オブ・キリング』は、被写体が自身の取った行動を理解していく過程を作品として昇華させる手法が素晴らしかった。ただ、本作の場合は、アミンが自分自身の過去に起きたこととあらためて向き合って、その経験に折り合いをつけ、それをいかにして自分の人生の一部にしていくのかという道のりを映しています。なので『アクト・オブ・キリング』とはやっていることが異なりますが、関係性はたしかにあると思います。

『アクト・オブ・キリング』予告編

─本作はロトスコープ・アニメーションのようにも見えましたが、どのようにアニメーション化したのでしょうか。また一般的なアニメーションと異なり、キャラクターの表情や仕草が控えめにつくられていますが、その狙いを教えてください。

ラスムセン:まず、ロトスコープではなく、すべて手描きの2Dアニメーションで制作しました。予算的にさまざまな制約があったためです。

キャラクターの表情が控えめであることは予算の関係もありますが、アニメーションは主に子ども向けであることから、感情を誇張して表現する傾向がありますよね。ちょっと大袈裟に、泣くときは目から涙が飛び出たり、笑顔のときも大きな目になったりします。

しかし今回そのような誇張されたアニメーションの表現を使ってしまうと物語の信憑性が失われ、観客が少し冷めてしまうのではないかと考えました。これはドキュメンタリーであり、アニメーションの下には実際の人間がいるので、大袈裟に見せる必要はない。アミンの言葉を聞いて、その表情を見る、それだけで十分に語ることができると思っていました。

今回一番大変だったことのひとつは、キャラクターを大きく表現したり動かしたりすることに慣れているアニメーターたちに、誇張した表現をしないようにお願いすることでした。ちょっとした動きやディテール、顔の表情の変化、それ以上の表現は必要ない。本物の声と証言に根差しているので、可能な限りシンプルにすることを心がけました。

アニメーション・ドキュメンタリーの可能性。「アニメーションの下には実在の人物が存在する」

─レバノンの難民キャンプで暮らす少女とその家族をストップモーションと2Dで描いたノルウェーのアニメーション映画『ザ・タワー』(2018年)のプロデューサーであるパトリス・ネザンは、近年、歴史的な事実を基にした「クリエイティブ・ノンフィクション」が大人向けのアニメーションで増えつつあることに注目していました。あなたにとって『FLEE フリー』に「ドキュメンタリー」というラベルを付けることは重要でしたか。

ラスムセン:この映画がドキュメンタリーだと呼ばれることはたしかに重要でした。当事者であるアミンの生の声で、彼が実人生について初めて語っている証言を私たちは聞くことができるからです。そして、先ほども言ったようにアニメーションの下にはフィクションではなく、実在の人物が存在する。その人物が経験したあらゆることは、世界で起こった歴史的な出来事に起因しているということが物語に大きな重みを与えています。

これは誰にでも起こり得る、どこにでも起こり得ることなのだとより感じられるために、この物語が実際に起きたリアルストーリーだということとして観客に経験してもらうことは重要だと思っています。

─先駆的なアニメーション・ドキュメンタリーである『戦場でワルツを』(2008年)の監督アリ・フォルマンは、ドキュメンタリーがカメラ前で偶然に起こる瞬間をとらえるとすれば、作為的なアニメーションはその趣旨に反するため、今後もアニメーション・ドキュメンタリーは主流にはならないだろうと発言していました。あなたはアニメーション・ドキュメンタリーという表現にどのような可能性を感じていますか。

ラスムセン:アニメーション・ドキュメンタリーには多くの可能性があると考えているので、私はその意見に完全に同意とは言えません。映画をどうつくるかの問題だと思います。

例えば、本作の場合、アミンとパートナーが家を探しているシーンで、ひとりが猫、ひとりがヘーゼルナッツの木を見ている瞬間があったのですが、実際にあれは偶然その瞬間に起きたことで、それを後でアニメーションにして表現しています。なので、そのように偶発性をとらえつつ、アニメーション作品を作ることは可能だと私は思っています。

アニメーション・ドキュメンタリーにまつわる大きな問題は、もっと構造的なものだと思います。ドキュメンタリー映画はあまりお金がかからない一方で、アニメーションはお金がかかってしまうという製作費の問題です。そもそもドキュメンタリーはそれほど投資が望めない分野でもあるので、資金をいかに調達するかという面でかなり頑張らないといけません。

でもいまはより安価な新しいソフトも出てきて、アニメーションを制作しやすくなってきてはいると思います。アニメーションとドキュメンタリーのミックスは、たしかにメインストリームにはならないかもしれない。しかし、この種の映画には多くの可能性がまだまだあるので、今後もたくさんつくられると良いなと思いますし、多くの人にぜひこの方法で表現してほしいと願っています。

─現在、ロシアの軍事侵攻によって多くのウクライナの人々が祖国を追われており、この映画のアクチュアリティーはさらに増したとも言えます。アミンが語る「故郷」の意味は一層重く響きますが、あなた自身は本作を経て何か考え方に変化はありましたか。

ラスムセン:映画制作の過程で、私の視点やものの見方が変わった瞬間が何度もありました。当初は友人に対する好奇心もありましたし、自分にもナイーブさがあったと思いますが、そこから難民の方たちが日々の生活でどれほどの影響を受けているのか、難民であるということを背負っていることが意味するものを少しずつ理解していきました。

そして私自身にも難民の背景があることを認識するようになりました。私の祖母は難民として生まれ、子ども時代のほとんどを難民として過ごしていたことをあらためて考えさせられたのです。

自分が安全な場所で生まれ育ってきたことへの感謝と、それがいかに幸運なことだったかをあらためて感じました。私は、自分の人生を自分で決めることができる。自分がいる場所から強制的に追い出される、あるいは選択の余地なく逃げなければいけない状況が一切ありませんでした。自分の道を自分で選ぶ可能性がまったくないような環境に置かれたことがなかったわけで、いかにそれが幸運だったのかを本当に思い知らされました。

作品情報
『FLEE フリー』

2022年6月10日(金)から新宿バルト9、グランドシネマサンシャイン 池袋ほかで全国公開

監督:ヨナス・ポヘール・ラスムセン
配給:トランスフォーマー
プロフィール
ヨナス・ポヘール・ラスムセン
ヨナス・ポヘール・ラスムセン

1981年生まれのデンマーク / フランス人映画監督。2006年にデビュー作であるテレビドキュメンタリー『Something About Halfdan(原題)』で称賛を集め、以降は世界中でラジオ・ドキュメンタリーを手掛けてきた。デンマークの映画学校、Super16を2010年に卒業している。彼の長編映画デビュー作『Searching for Bill(原題)』(2012年)はドキュメンタリーとフィクションのミックスで、『CPH:DOX』でNordic Dox賞を受賞。『DocAviv』では国際コンペティション賞を受賞している。2015年11月、彼は最新ドキュメンタリー作品『What He Did(原題)』をプレミア上映し、2016年の『テッサロニキ映画祭』で名誉あるFipresci賞(国際映画批評家連盟賞)を受賞している。



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