※本記事には、小説『一心同体だった』の内容に関する言及があります。あらかじめご了承ください。
女性ファッション誌『CLASSY.』掲載の小説が加筆修正を経て刊行
今年で作家生活10年目を迎えるという山内マリコ。
過去10年あまり、東日本大震災を経てそれ以前からの不況がますます泥沼化する一方の日本で、とはいえ表面的には人とモノと情報があふれている華やかな都市と、人口密度が低いのに息が詰まるような「地元の田舎」の両方を見つめてきた作家だ。
いまを生きる女性たちが抱えた焦燥や倦怠を容赦なく描き出しながら軽快な味わいを持つ作品群が評価され、これまで『ここは退屈迎えに来て』『アズミ・ハルコは行方不明』『あのこは貴族』が映画化されている。
このたび刊行された小説『一心同体だった』は、エッセイやアンソロジーではない単著としては4年ぶりとなる作品。2019年から2020年にかけて光文社の女性ファッション誌『CLASSY.』に掲載された8本の作品を大幅に加筆修正した短編連作集である。
時代を超えても壊れない、少女と女性たちの友情の輪
『一心同体だった』の全編を貫くテーマは、少女と女性たちの友情だ。俗に「女の友情ははかない」というけれど、本当だろうか? たとえはかなく見えるとしても、そうさせているのは社会の構造なのではないか? そんな問いかけが伝わってくる。
「女の子たち 1990年 10歳」から「会話とつぶやき 2020年 40歳」まで、各作品には年代と主人公の年齢が付されている。女性が経験する1990年から2020年、10歳から40歳まで、30年にわたる時代の変遷が描かれるのだ。ただし、主人公は1話ごとに交代する。
1本目の主人公である小学4年生の千紗には、裕子という親友がいる。しかし、千紗は明るくて活発な美香に心惹かれるようになり、それまで知らなかった人間関係の緊張と葛藤に対処せねばならない。大人のように人との距離を保って自分を守ることをまだ知らない、柔らかい心を持った子どもたちの野蛮な世界だ。
今日、「選ぶ」という漢字を習った。- 『一心同体だった』p.14より
国語の時間に新しい漢字をやると、教わった感じをつかって、ノートに文章を書く宿題が出る。わたしはこんなのを書いた。
「体育で二人一組になるとき、自分から相手を選ぶ子と、だれかから選ばれるのを待つ子がいます。わたしは選ばれるのを待つ子です」
次の作品、「アイラブユー、フォーエバー 1994年 14歳」は、1本目の主人公だった千紗の親友・裕子が綴った日記としてはじまる。中学生になった彼女は歯列矯正が終わるまで目立たずにいようと心に決めているのだが、ひょんなことから同じクラスだけれど話したことのない美人、めぐみと親しくなる。
「こう言っちゃなんだけど、女って難しいね。男子にモテたら女子からは嫉妬されて嫌われるし。でも女子に好かれてる子が男子にモテるわけじゃないし。どっち取ってもそれなりに生きづらいのな!」- 『一心同体だった』p.68より
その次の「写ルンですとプリクラの青春 1998年 18歳」で語り手となるのは高校を卒業したばかりのめぐみである。
このように、最初は脇役としてあらわれた人物が、その次の短編ではバトンを渡されたように主役となって円環を描くロンド形式の構成である。最初の一篇で語られた小学生の女の子たちの小さな世界は、年齢と時代が進むにつれいろいろな意味で広がってゆく。
東京の大学に進学したり、レンタルビデオショップでアルバイトしたり、派遣会社に登録して受付嬢として働いたり、大手企業の総合職としてキャリアを積んでいたところ突然地方支店に異動を命じられたり。
最後の一篇「会話とつぶやき 2020年 40歳」では、主人公は地方都市で子どもを産み育てており、あまり自由に行動できない立場にあるものの、彼女はSNSを利用して遠く離れたところにいる人々ともつながっているのだ。
同志(と私が勝手に思っている何人かのアカウント)がくりだすツイートは、正直で、聡明で、真剣な、魂の叫びよう。痛々しいまでの訴え。涙ながらのSOS。深刻な病状報告ともいえる無数のつぶやき。私のなかにフェミニズムが、少しずつ積み上げられて、形になっていく。- 『一心同体だった』p.329より
正直言って、昔なら絶対に話さないタイプ。同じクラスにいても、友達にはならない。けど今は、彼女だけが私の希望。- 『一心同体だった』p.342より
20世紀から21世紀へ。情景描写は女性たちの思い出のアルバムのよう
背表紙の作品紹介には「わたしたちの平成三十年史」とあり、各篇の主人公たちの年齢は1980年生まれの著者とそのまま重なる。20世紀から21世紀への世紀の変わり目にまたがって、2020年の時点で2つの世紀を半分ずつ生きてきた世代だ。
富山県で生まれ育ち、大阪・京都を経て、30代を東京で作家として過ごしてきたという来歴は、都会と田舎両方に生きる人々を描写するにあたっての強みとなっているのだろう。
加えて、まだインターネットが社会のインフラとして行き渡っていなかった時代、すなわち本や雑誌がいまよりも相対的に大きな力を持っていた時代の感覚を、小説という古くからあるフォーマットで語り継ごうという意志も読み取れる。
女たちの働きかたや遊びかた、ファッションや人づきあいなど、はかなく移り変わる暮らしぶりのある瞬間がありありと目の前に浮かんでくる固有名詞を散りばめた情景描写は、さながら思い出のアルバムのようだ。
とりわけ迫力がみなぎっているのは、映画監督を志していた主人公が、大学の映画研究会で男たちに幻滅し、自分を見失ってしまっていたところで、新しい女友達と密な関係を築く「白いワンピース殺人事件 2000年 20歳」。
二人で話しているとどんどん気が大きくなって、なんでもできそうな気がしてきた。私たちは世界一冴えてて、面白くて、エッジがきいてる。たぶん天才。だけどそのことを、私たち以外は誰も知らない。- 『一心同体だった』p.154より
それに、エビちゃん(という固有名詞は明示されないが)をお手本とするフェミニンで甘めなスタイルが大流行していた頃の「ある少女の死 2005年 25歳」における、主人公が「おぞましい」と語る田舎の結婚披露宴の描写だろうか。
新幹線が停まるだけが取り柄の地方の鄙(ひな)びたホテルの宴会場に、老いも若きもが入り乱れ、『紅白歌合戦』みたいな超絶シュールなグルーヴが渦巻く。オリジナリティ皆無の紋切り型スピーチ、美容院の同僚一同によるマイケル・ジャクソン『スリラー』のゾンビダンスは中途半端な出来、蝶ネクタイを締めた半ズボンのクソガキがわーわーと走り回り、なにもかもが既視感に満ちて凡庸で、あたしを苛立たせた。- 『一心同体だった』p.173より
女の子の歴史も、結婚式という場ではさらりと隠蔽されてしまう。なかったことにされてしまう。笑顔にピースサインの写真だけが正史とされ、複雑な人間性も『新婚さんいらっしゃい!』みたいに同じフォーマットに嵌(は)められていく。- 『一心同体だった』p.184より
おじさんによる、おじさんのための社会。女性の置かれた環境を変えるには?
最後の一篇で、2022年現在も収束していないパンデミックが主人公の生活を変えていくのもスリリングだ。非常に映像的な鋭い観察力と記憶力に舌を巻くが、これらは単なる「あるある」スケッチでは終わらない。
なぜなら今日までずっと男性が権威的な立場を占有してきた文学、出版、社会において軽視されてしまいがちだった女性たちの物語がたくさんあること、そして自分の後にも先にも懸命に生きてきた/生きてゆく女性たちがいて、いまここにいる自分は大きな歴史の一部なのだという意識が芽生えていく様が打ち出されているからだ。
女性たちはリレーをしてる。自分の代でなにかをほんのちょっと良くする。変える。打破する。前進させる。そうやって、次の世代にバトンをつなぐというリレー。- 『一心同体だった』p.326より
それって「家族」が遺伝子をリレーで繋いでいるのと、あまりにも対照的だ。男性は、自分の遺伝子を残そうとするのは“本能”だと言う。主に、浮気の弁明のときに。
比べると血の繋がりのない、知り合いですらない、女性たちのあいだで脈々とつづいているリレーは、はるかに高潔だ。気高いつながりだ。
研究やルポではない、物語というかたちでこうした時代の空気にアクセスできる手段が残されたことを、著者より年上だが同じ時代を生きてきた人間として嬉しく思う。
セクシャル・ハラスメントとオバタリアンではじまった平成が、援助交際とドメスティック・バイオレンス、アラフォー、女子会、イクメンとマタハラ、そして保育園落ちた日本死ねを経て、#MeTooと#KuTooで幕を閉じようとしている。- 『一心同体だった』p.352より
三十年は、人一人が歳をとって、なにかを学んだり、忘れたりするには充分な時間だけど、社会の進歩って意味では、この程度のもの。変えろ! とドアを叩く女性たちを、おじさんたちがのらりくらりと阻みつづけてる。妻が作った飯を食いながら。
この作品が連載された『CLASSY.』は、もともと「『JJ』のお姉さん雑誌」として創刊され、コンサバ寄りのファッションでリッチな結婚相手を見つけることに重きを置いてきた歴史があったはずだ。
かつては「赤文字系雑誌」の代表として一時代を築いた『JJ』は、2020年末に月刊誌としての刊行を終えた。そしていまではこんなに直截(ちょくせつ)な家父長制批判のメッセージが『CLASSY.』に掲載されているのだ。時代は変わる。
ステートメント「映画業界の性暴力・性加害の撲滅を求めます」の発表
本作が刊行される少し前の4月、著者は映画業界での性暴力の告発が相次いでいることを受け、作家の柚木麻子と連名で「原作者として、映画業界の性暴力・性加害の撲滅を求めます。」というステートメントを出した。
文責の2人に加えて、映画化経験のある知人の作家16名が名を連ねている。『一心同体だった』は時代の声としての責任を担う作家の現在地として刺激的だが、これから年月を重ねたときにも、「あの頃はそうだった」を伝える貴重な一冊となるのだろう。
- 作品情報
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『一心同体』
2022年5月25日(水)発売
著者:山内マリコ
価格:1,980円(税込)
発行:光文社
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