2010年前後から海外展開に力を注いできた吉本興業
ジャルジャルは現在、イギリスで単独公演『ARIGATO by JARUJARU(JALJAL)』を開催中だ。8月4日(木)から8月28日(日)の約1か月間にわたり全23公演を実施する。この公演は、スコットランドの首都エディンバラで毎年開催されている世界最大級のコメディ演劇のお祭り『エディンバラ・フェスティバル・フリンジ』のプログラムの一つとして上演するもの。
ジャルジャルが、海外で単独公演を行なうのは今回が初めてではない。2010年、2011年にはイギリス・ロンドンの「ロストシアター」、2015年にはフランス・パリの「日本文化会館」で単独ライブを開催してきた。
これまで日本のお笑い芸人が、海外で成功を収めた例はほとんどなかったと言っていいだろう。ガラパゴスな進化を遂げた日本のお笑い芸人が、世界のフィールドで活躍するのは、言語の壁もありハードルが高いと考えられてきた。ところが昨今、海外進出を視野に入れた芸人の活動が目立っている。その要因は何なのだろうか?
目的はそれぞれだが、まず前提として抑えておきたいのが、吉本興業に所属する(または所属していた)芸人が多いことだ。吉本興業は、2010年前後から海外展開に力を注いできた。2008年にはアメリカのエージェント業界の最大手「クリエイティブ・アーティスツ・エージェンシー(CAA)」とタレントの相互プロモーションに合意。また、同年に海外展開にふさわしい人材を育てるため、アメリカ・シカゴでコメディアン養成所と劇場を運営する「セカンドシティ」と事業提携している。
その後、2015年から「アジア住みます芸人」プロジェクトをスタート。タイ、台湾、ベトナムなど7か国に吉本芸人を派遣し、インドネシアではトリオ芸人のザ・スリーがリズムネタで現地の人気者となった。
ザ・スリーの歌ネタ「Tidak Apa Apa(邦訳:問題無いさ)」
この背景を考慮に入れたうえで、海外での活動がしやすくなった理由の一つとして、芸人主体的な活動に資金を集めやすくなったことが考えられるだろう。スマホの普及によりYouTubeやオンラインサロン、クラウドファンディングなどで、活動費を調達できるようになった。
ジャルジャルも例にもれず、YouTubeチャンネル「ジャルジャルタワー」「ジャルジャルアイランド」はそれぞれ137万人、58万9,000人と芸人界屈指の登録者数を持ち(2022年8月15日現在)、今回の海外公演のクラウドファンディングでは768万4,500円と多額の支援を集めている。
「面白くてお洒落」がモットーの渡辺直美、海外志向が強かったゆりやん
海外進出に最も意欲的だった芸人の一人が渡辺直美だ。彼女は「面白くてお洒落」をモットーとしており、ビヨンセなど海外アーティストの「パフォーマンスものまね」を得意とする一方で、早い段階でファッションブランド「PUNYUS」をトータルプロデュースするなど異彩を放っていた。
『森田一義アワー 笑っていいとも!』の「いいとも少女隊(いいとも青年隊)」に起用されて知名度を上げ、2010年からはピースやハライチらとともに『ピカルの定理』(ともにフジテレビ系)に出演して人気を博す。2011年にはいち早くInstagramアカウントを開設し、番組終了後の2014年にはアメリカに留学。日本のみならず世界的なファンを獲得していった。
2017年にはニューヨーク、ロサンゼルスなどを回るワールドツアーを開催し、2020年には自身のYouTubeチャンネルで“Rain on Me”(レディー・ガガ&アリアナ・グランデのコラボレーション楽曲)のミュージックビデオのパロディーを公開。レディー・ガガ本人がTwitterで「Love this!!!」と称賛するなど世界的な反響を呼んだ。
渡辺直美とゆりやんレトリィバァによる、レディー・ガガ&アリアナ・グランデ“Rain on Me”のパロディー
この動画でアリアナ・グランデ役を演じたのが、ゆりやんレトリィバァである。彼女の場合は、芸人になる前から海外志向が強かったようだ。
そもそもアメリカのSF映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が好きで、中学3年生の頃から同映画をテーマに英語のスピーチコンテストに出場。大学進学後は映画研究会に所属し、洋画を研究する中で英語のスキルを磨いた。
芸人になってからは、2019年にアメリカのオーディション番組『アメリカズ・ゴット・タレント』に出演したのが記憶に新しい。角刈りのカツラ、米国旗の水着を着たパフォーマンスが日本のテレビ番組でも取り上げられ、大きな話題となった。
『アメリカズ・ゴット・タレント』に出演したゆりやんレトリィバァ
渡辺は2021年4月から活動拠点をニューヨークに移し、現地で活躍している。ゆりやんもその後を追い、いずれは海外進出しようと考えているのだろう。
村本大輔は日本では根づきにくいスタンダップコメディでアメリカへ
日本では根づきにくいジャンルがあることも、芸人の海外進出を助長させている要因だ。
ウーマンラッシュアワー・村本大輔は、これに該当する一人だろう。2013年に当時賞レースだった「THE MANZAI」で優勝し、一躍脚光を浴びた。人気芸人の道をひた走るかと思われたが、社会問題を漫才のネタにし始めた2017年頃からテレビでの露出が激減。SNS上でも炎上が目立つようになった。
村本大輔のスタンダップコメディ
そんな村本の目を引いたのが、欧米で主流ジャンルとなっているスタンダップコメディだ。話術のみで笑わせるのは漫談と変わらないが、宗教や政治、人種差別、下ネタなど世間一般でタブー視されるような題材を扱い、観客と対話するように披露される部分で趣向が異なる。それゆえに日本のバラエティーではなかなか取り上げられない分野だ。しかし村本は、嘘偽りのない芸にシンパシーを感じ、英語でネタをつくるなど、アメリカ進出に向けて動き始めている。
過去には、ピン芸人のぜんじろうもこのスタンダップコメディに魅了され、一時はアメリカを拠点に活動していた。1998年に渡米し、2001年に帰国。2016年に清水宏とともに「日本スタンダップコメディ協会」を旗揚げし、副会長として日本でスタンダップコメディを広めるべく尽力しているが、やはり漫才やコントのように根づきにくいのが現状だ。
ぜんじろうのスタンダップコメディ
ほかのジャンルでも、例えば自身の裸体の上でテーブルクロス引きを行う芸で知られるウエスPは、海外を意識してSNS動画を投稿し、2018年にフランス版の『アメリカズ・ゴット・タレント』決勝に出演して知名度を上げた一人だ。アキラ100%は例外としても、日本のバラエティー番組で身体的なパフォーマンスを目にする機会はあまりに少ない。こうした日本の土壌によって、世界を視野に入れて活動せざるをえなかった芸人がいるのも間違いないだろう。
エンタメをビジネスとしてとらえ、コミュニティーを拡大していった芸人たち
個性の強さから所属事務所を退所し、海外市場を視野に入れて活動する芸人もいる。
そのうちの一人、なかやまきんに君は、2006年にロサンゼルスへ「筋肉留学」している。一時帰国すると、再び2008年に筋肉強化や語学学習などを目的に渡米し、2011年にサンタモニカカレッジの運動生理学部を卒業。約4年半もの間、芸能活動を休業した。
活動再開後は、筋肉トレーニングやダイエット動画を中心とするYouTubeチャンネルが人気となり、自身がプロデュースしたプロテインも話題となった。劇場やバラエティー番組ではなく、個人的な活動によって自身の活路を見出した経緯もあってのことだろう。2022年1月、所属していた吉本興業の退所を発表。今後は世界で活躍する「マッスルタレント」を目指して活動するという。
5月に開催された『マッスルビーチインターナショナルクラシック』の「メンズマスターズ40歳」で優勝したなかやまきんに君
キングコング・西野亮廣やオリエンタルラジオ・中田敦彦も、YouTubeやオンラインサロンといった活動で成功し、吉本興業を退所した芸人である。西野は「ウォルト・ディズニーを倒す」とエンタメやアートの世界で海外進出を目論み、中田は家族でシンガポールへ移住して教育系YouTuberとして活動を継続している。
この3人に共通するのは、自己プロデュースに長けている点だ。エンタメをビジネスとしてとらえ、求められているコンテンツや新鮮なアプローチによって収益を上げ、コミュニティーを拡大していった。
そのほか、「ハリウッドスターになって、レッドカーペットを歩く」と豪快な夢を抱き、2017年に渡米したピース・綾部祐二のような芸人もいるし、オンラインで英会話を習うなかで海外のお笑い事情を探り、活動の幅を広げようと画策するゾフィー・上田航平のようなコント師もいる。
いずれの芸人も、ネット環境の向上、SNSや動画配信サービスの普及によって海外に進出しやすくなったのは間違いないだろう。今後は海外での活動経験が日本で生かされることもあるだろうし、逆に日本で支持される漫才やコントがそのまま海外でヒットするケースも出てくるかもしれない。
コロナ禍を経て、まさにこれから海外との本格的な交流が始まり、今までになかったコンテンツが生まれていくのではないかと期待している。
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