近年、加熱する「スニーカーブーム」。レアスニーカーを求めてスニーカーショップの前にできる長蛇の列、プレミア価格でスニーカーが取引されることもめずらしくない。
スニーカーはなぜこのような「熱狂」を生むのだろうか? 本記事では、『NBA JAPAN GAMES 2022』が開催されるのを機に、ワシントン・ウィザーズの八村塁も着用し、今日のスニーカーブームを牽引している「エア・ジョーダン」シリーズから紐解いていく。
バスケットボールをプレーするための「バッシュ」として発売された「エア・ジョーダン」がファッションアイテムとしの「スニーカー」へと変容していく過程では、NBA、ヒップホップをはじめとするさまざまなストリートカルチャーが交差し、スニーカーに込められた「意味」が見えてくるだろう。
(メイン画像:©︎Scott Taetsch / 特派員)
まもなく八村塁の凱旋試合。契約する「ジョーダン・ブランド」とは?
2022年9月30日と10月2日、さいたまスーパーアリーナで「NBA JAPAN GAMES 2022」が開催される。来日するのは21-22シーズンのNBAファイナルで優勝を果たし、大会MVPを受賞したステフィン・カリー選手擁する「ゴールデンステイト・ウォリアーズ」と、日本人史上初めてNBAドラフトで1巡目指名という快挙を成し遂げた八村塁選手が所属する「ワシントン・ウィザーズ」だ。
今回日本での凱旋試合となる八村塁選手は、2019年にウィザーズからのドラフト1目指名という快挙を成し遂げ、さらに同年、日本人初となる「ジョーダン・ブランド」とも契約を結び、注目を浴びた。
「ジョーダン・ブランド」はナイキが展開するバスケットボールブランド。1985年にナイキは、当時新人選手だったマイケル・ジョーダンと契約を結び、彼の名と、彼の高いジャンプ能力から得意としていた空中プレーにちなんで、「エア・ジョーダン」と名づけられた彼専用のバスケットボールシューズを製作した。これをきっかけに「ジョーダン・ブランド」は始まっていく。
当時のナイキはバスケットボールにおいて現在ほど有力な企業ではなかったため、ジョーダンはアディダスと契約したかったという話もある。ナイキが今日のような影響力のあるブランドに成長できたのは、間違いなくジョーダンとの契約や彼の活躍あってこそだろう。
契約時ルーキーだった彼は、ナイキの期待どおり、のちに「バスケットボールの神様」と称されるほどのスーパースターへとなっていった。そんなジョーダン・ブランドと八村塁の契約は、ジョーダンと同じく、将来が期待されている選手への仲間入りを果たしたことを示しているともいえよう。
プレミア価格で取引されるスニーカー。さらには「投資」の資産にも
ジョーダン・ブランドから生まれたバッシュ「エア・ジョーダン」は瞬くまに有名なシューズになっていった。アメリカではかつてエア・ジョーダンをめぐって殺傷事件が起きており、これほどまでに人々を熱狂させるスニーカーはほかにないだろう。
今日のスニーカーブームを牽引しているのもエア・ジョーダンといって過言ではないほど人気を博し、街中で履いている人を見かけることも多い。そういう筆者自身もスニーカー収集が趣味であり、エア・ジョーダンなどのスニーカーを着用して街中を闊歩しながらも、すれ違う人々の足元についつい目を落としてしまうスニーカーヘッズの一人である。
昨今、加熱し続けている「スニーカーブーム」によって、スニーカーショップの前ではレアスニーカーを求める人々が長蛇の列をなし、アプリによるスニーカー抽選も高倍率で激戦を強いられる状況になって久しい。ほしいと思ったスニーカーを手に入れることが非常に困難な状況に、筆者を含め多くのスニーカーヘッズは何度涙を呑んだことだろうか。
こうした状況から、「STOCK X」「SNKRDUNK」などのサイトでは、定価の何倍もの「プレミア価格」でレアスニーカーが取引されることもあり、今日では「スニーカー投資」が行われるほど資産価値があるものとして扱われている。またそれらをめぐって多発するトラブルについても、メディアで取り上げられることもしばしばである。
いったいなぜスニーカーはここまでのブームを生み出し、人々を熱狂させるのだろうか? その理由の1つを、エア・ジョーダンのようなもともとはバスケットボールをプレーするための「バッシュ」から、人々の信条や特定の意味を表明するためのファッションアイテムとしての「スニーカー」へと変容していった過程に求めることができる。そしてそれはもちろん、この度来日するNBAとも切っても切り離せない関係がある。
スニーカーはラッパーたちの「ステータスシンボル」
近年のスニーカーブームにおいては、ヒップホップカルチャーとの関係なしにも語れない。ヒップホップにおいて象徴的とされている「エア・ジョーダン」や、同じくバッシュを起源とする「エア・フォース1」といったスニーカーは、スポーツシューズという文脈から、ヒップホップ文化のなかでもとくにラップ音楽へと節合され、ヒップホップを語るのに欠かせないファッションアイテムとなっている。
ラッパーにとって白色のエアフォース1は自身の成功を収めていることを象徴するステータスシンボルなのは有名な話だろう。汚れが目立ちやすい白色のエアフォース1を、ラッパーたちはステージに上がるたびに新品に買い換えてきた。そうしたことから、いつでもどこでも買うことのできるインラインモデルのはずの白色のエア・フォース1は、一時期入荷待ちや購入制限が設けられるほど入手困難な状況となっていた。
2002年、Nellyはエアフォースに捧げる曲“Air Force Ones ft. Kyjuan, Ali, Murphy Lee”をリリース
また、ラッパーにとってスニーカーを自らデザインしたり、プロデュースしたりすることは大変名誉なことであり、憧れでもある。近年ではトラヴィス・スコットとコラボしたエア・ジョーダンやエア・フォース1は、かなりの高値で取引されるレアスニーカーとなっているし、同じくラッパーのイェ(カニエ・ウェスト)が手がける「イージー」シリーズの売上もすさまじく、ヒップホップアーティストとコラボしたスニーカーの人気と、その結びつきの強さがうかがえる。
では、ヒップホップというカルチャーとスポーツシューズ由来のスニーカーとの関係はどこにあるのか? ヒップホップとバスケットボールとの関係性が、その理由を教えてくれる。
活躍する黒人選手は同胞の誇り。「バッシュ」はコートを出て「スニーカー」に
20世紀のアメリカ社会においては、スポーツでは野球やボクシング、そしてとくにバスケットボールで、また音楽ではジャズやソウルのミュージシャンとして、多くのアフリカ系アメリカ人が活躍し、彼らがアメリカの音楽やスポーツなどのエンターテイメントを担っていた。
同時に黒人スポーツ選手やミュージシャンは、人種差別という壁を超えて富や名声を手にした人々でもあり、黒人たちにとって彼らはロールモデルでもあった(*1)。NBAにおいて、高い身体能力で観客を魅了するアフリカ系アメリカ人のバスケットボール選手は、人種や国籍を問わず、人々の憧れであり、また彼らが試合中に着用しているバッシュも、人々の憧れの対象であった。
NBAの黒人スター選手で「ファッショニスタ」としても注目されたウォルト・フレイジャーがスポンサーのプーマからリリースしたバッシュ「クライド」は、彼自身が非常に気に入り、試合中のみならず、コート外でも着用したことで、バスケットボールファンだけでなく、ストリートシーンでも人気を博していくきっかけとなっていく。
またマイケル・ジョーダンは、MLB(メジャーリーグベースボール)の挑戦からNBAに復帰してまもなくの95-96年シーズンに向け、長年エア・ジョーダンのデザインを手がけてきたティンカー・ハットフィールドに、コート外でも履けるドレッシーなフォーマルシューズのようなバッシュのデザインを依頼した。
ジョーダンの要望に沿うように光沢のあるパテントレザー素材を使ってつくられた斬新なデザインの「エア・ジョーダン11」は、コート外でも着用できる上品さを兼ね備えていた。さらにジョーダン本人が積極的に製作に携わっていたこと、これを着用し、復帰したシーズンにスコッティ・ピッペンやデニス・ロッドマンとともに「シカゴ・ブルズ」の黄金期に貢献したことなどが相まって、日本ももちろんのこと、アメリカにおいても屈指の人気モデルとしてファンやストリートで着用されている。
こうして、黒人選手の活躍に憧れを抱く人々は、憧れの選手がコート外でもファッションとして着用しているのを模倣し、また憧れの存在を自身に重ね合わせたり、敬意を表明するための手段として、バッシュをストリートで着用し始めていく。
このことからわかるのは、とくに黒人選手の活躍が著しく、上述のフレイジャーやジョーダンのようなスーパースターを数多く輩出しているバスケットボールは、ほかのスポーツよりも「黒人のスポーツ」という印象がよりいっそう強い競技ということであろう。
バスケットボールとヒップホップを結びつける「黒人文化」
ヒップホップにも「黒人の音楽文化」というイメージを抱く人は多いだろう。ヒップホップは、アフリカ系アメリカ人をはじめとしたエスニックマイノリティーの人々が直面している人種差別や失業による貧困、そして地域をギャングが取り仕切ることで生じる犯罪やドラッグなどの問題と深い関係にある。
というのも彼らには、これらの社会的困難に抗うための手段として、ラップやDJ、ブレイクダンス、グラフィティーといったアートフォームをニューヨークのストリートで生み出してきたという背景がある。それらを総称する文化が「ヒップホップ」と呼ばれているが、それは反社会的なルーツがある一方で、ある意味黒人たちの社会運動的な側面をも有していることから、「黒人文化」的性格が色濃い(*2)。
アメリカの黒人差別問題を描いてきたスパイク・リー監督の『ドゥ・ザ・ライト・シング』には名作スニーカーが多数登場する
ヒップホップ発祥の地であるニューヨーク・サウスブロンクス地区に住む、黒人をはじめとするエスニック・マイノリティの若者たちもまた、自分たちと近しい境遇のバスケット選手たちに憧れ、勇気をもらうためバッシュを着用していた。
そしてそれは、ストリートでのバスケットコートやパーティーにおけるドレスコードとしてファッション化することで「スニーカー」となり、さらにその着飾った足元でブレイクダンスやラップをすることが、次第にヒップホップカルチャーを実践する際のコスチュームとしての意味を持つようになっていった。
たとえば、上述のウォルト・フレイジャーのシグネチャーモデルであるプーマの「クライド」や、その原型になった1968年のメキシコシティーオリンピックにおいて黒人差別への抵抗を示威するパフォーマンス「ブラック・パワー・サリュート(※)」で注目されることになったプーマの「スエード」と呼ばれるトレーニングシューズは、その来歴からヒップホップグループのビースティ・ボーイズが着用したことでヒップホップカルチャーのアイコンとなった(*3)。
※「ブラックパワー・サリュート(黒人の力を示威する敬礼)」。1986年メキシコシティーオリンピックの陸上男子200mの表彰台で、アフリカ系アメリカ人選手のトミー・スミスとジョン・カーロスはアメリカにおける黒人の貧困を象徴するため、国歌が演奏されると視線を下にして、黒い手袋を着けた握り拳を突き上げた。「スエード」を履いたジャケットでおなじみのBeastie Boys『Check Your Head』を聴く(Apple Musicはこちら / Spotifyはこちら)
またロック・ステディ・クルーなどのブレイクダンサーたちが、映画『ワイルド・スタイル』内で靴紐を太いシューレースに替えて踊っていたことから、こうしたスタイルのスエードの着用は、ブレイクダンサーたちの間でも流行した。
バスケットボールにつきものの、つま先の怪我を防ぐプロテクターが特徴的なアディダス「スーパースター」は、ヒップホップユニットのラン・ディーエムシーが紐なしで着用したことでも知られている。このようにヒップホップの文脈においてバスケットボールシューズには、特別な意味付与がなされるものが多く存在している(*4)。
バスケットボールやヒップホップに共通している「黒人文化」性は、両者を結びつける結節点として重要なポイントであることが指摘できる。その意味で、「バスケットボールの神様」と称されるほどスーパースターである黒人選手のマイケル・ジョーダンの「エア・ジョーダン」が、ヒップホップにおいて象徴的なアイテムとして意味づけされ、多くのラッパーたちやファンに着用されていることからも、両者の結びつきの強さを物語っていよう(*5)。
RUN DMC“Walk This Way ft. Aerosmith”
叩き売りされる「エア・ジョーダン1」に目をつけたスケーターたち
エア・ジョーダンがバスケのコートからストリートへと飛び出すきっかけは、ヒップホップだけではない。いまでは高値で取引されている貴重なスニーカーとなっている初代モデルの「エア・ジョーダン1」は、発売当初、ワゴンセールで叩き売りされるほど在庫が残り、安価で入手できるシューズだった。
そんな叩き売りされていたエア・ジョーダン1に目をつけたのが、スケーターたちだった。ソールのクッション性とフラットな靴底、レザー調でつくられていることによる軽さと丈夫さ、またバスケットボールシューズであるためハイカット構造による足首の保護といった機能を備えていたエア・ジョーダン1は奇しくも、スケーターがスニーカーに求めていた要素をすべて満たしていた。
80年代にエア・ジョーダン1を履いて活躍したスケーターのランス・マウンテン / NIKE SBのYouTubeより
ハードなパフォーマンスで履き潰しても、在庫があふれ安売りされているエア・ジョーダン1はスケーターにとってはまさに理想のスニーカーであった。こうしたスケートボードシーンからの支持が、ストリートでの人気を確固たるものにした理由の1つとなっている。
またスケートボードは、ストリート発祥のカルチャーゆえに、同じくストリート発祥のヒップホップとも密接な関係にあるが、スケートボードとヒップホップという両カルチャーの融合に一役買っているのは、ステューシーやシュプリームなどのブランドの存在も大きい。
スニーカーを履いて、ストリートを歩く「意味」とは?
ストリート系ブランドとコラボしたスニーカーは人気の高いレアなものが多いが、それらには金銭的価値だけでなく、人種差別や既存の価値観への抵抗を、身体表現や音楽を通して表明してきたスケーターやヒップホップアーティストたちの信条や感性、ファッション、ライフスタイルが落とし込まれているととらえることもできる。
こうした文化的背景にも目を向け、実際に履いてストリートで共有することこそ、スニーカーというアイテム(あるいは 「メディア」)が持っている重要な意味なのではないかと筆者は考える。スニーカーやファッションに込められている、バスケットボールやヒップホップ、スケートボードが互いに影響し合い、融合しながら、世界に大きな影響力を与えているストリートカルチャーを紡いできた人々の物語や経路をたどっていくのも、スニーカーの楽しみ方の1つではないだろうか。
*1:ジョージ、ネルソン(2002[1998])『ヒップホップ・アメリカ』高見展訳、ロッキング・オン
*2:「ヒップホップは何を映し出すか」『中央公論』令和4年7月号、194-201
*3、5:有國明弘(2019)第6章「スニーカーにふれる」 ケイン樹里安・上原健太郎編『ふれる社会学』北樹出版、47-56
*4:川村由仁夜(2012)『スニーカー文化論』日本経済新聞出版社、スミス、ニコラス(2021[2018])『スニーカーの文化史 いかにスニーカーはポップカルチャーのアイコンとなったか』中山宥訳、フィルムアート社、小澤匡行(2021)『1995年のエアマックス』中公新書ラクレ
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