「ポップ・アートの旗手」として活躍し、アートのあり方を根っこから変えたアンディ・ウォーホル。その歩みに触れる展覧会『アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO』が現在京都で開催中だ。
売れっ子の商業イラストレーターとして活躍したポップ・アート前夜から、マリリン・モンロー、キャンベル・スープ缶といったそれまでアートとは無縁と思われていた題材を用いてアートの世界に旋風を巻き起こしたアーティスト時代。そして不慮の死によって突然亡くなるまでの晩年を辿る本展では、生前二度にわたって訪ねた「京都」とのつながりも紹介され、思いがけないウォーホルの姿に出会えることだろう。
そんなアンディ・ウォーホルの実像を追いかけるために、2人のゲストをお招きした。1人はお笑いコンビ「見取り図」として活動し、アートにおいても造詣の深いリリー。そしてもう1人は京都の名刹・金閣寺(鹿苑寺)の執事を務める澤宗秀だ。「お笑い」と「禅」。まったく異なる地点からウォーホルを見たとき、そこにはいかなる風景が広がるのだろうか? 秋晴れの金閣寺からお届けする。
ANDY WARHOL KYOTO × Daiki Tsuneta Millennium Parade“Mannequin”
アーティストか、革命家か。アンディ・ウォーホルについての印象は?
ーまず、アンディ・ウォーホルの印象からうかがいたいのですが、リリーさんから見てどんなアーティストでしょう?
リリー:自分にとってウォーホルは「革命家」という印象ですね。彼が切り拓いたポップ・アートがなければ、現代アートはいまとはまったく別のものになっていたはず。
スキャンダラスなエピソードもたくさんありますよね。スタジオ「ファクトリー(※)」に出入りしていた女性に銃撃され、一命を取り留めたりもしていて、めちゃくちゃ波瀾万丈な一生を過ごした人なんじゃないかと思っています。
※ウォーホルの活動拠点となったスタジオ。クリエイターやセレブが集まるサロンでもあった
ーラディカル・フェミニズムの活動家であり、作家だったヴァレリー・ソラナスとのあいだで起きた作品にまつわるトラブルが銃撃の原因になったといわれていますね。
リリー:作品も挑発的じゃないですか。マリリン・モンローみたいなポップスターを題材にしたり、キャンベル・スープっていう当時のアメリカのスーパーマーケットにたくさん並んでいた大量生産品をアートにしてみたり。
先輩世代にあたる現代アートの超重要アーティストであるマルセル・デュシャンの影響も感じさせつつ、そこからさらに進んで「商品を並べただけでアート」と宣言したような勢いがある。自分のなかではアンリ・マティスやデュシャンと一緒に並ぶくらいの革命家です。
ー澤さんはウォーホルに対してどんな印象でしょうか?
澤:私もリリーさんと同様の印象を持っていますね。彼の作品なかで1番衝撃だったのは『電気椅子』シリーズ。「なんで処刑台なんて絵にするんやろ?」と、ずっと気になってたんですけど、絵の右上に「SILENCE=静かにしてください」という札が映ってるのに気づいてから不思議に思えてきました。
リリー:実際の刑務所で撮られた写真をもとにつくった作品ですよね。
澤:やっぱり実在した風景なんですね。「静かに」というのは処刑に立ち会う人に向けてのメッセージなのかもしれないけど、死人に向けての言葉のようにも見える。「いまから死ぬ人が静かにできんやろ」と思うのですが、「死」に対するウォーホルなりの考えが感じられる作品です。
ウォーホルが描いたマリリン・モンローの不気味さ。見え隠れする「死」への関心
リリー:自己の内面を描写する抽象絵画と違って、ウォーホルのアートにはすべて「意図」があるように感じます。だから親しみやすくもあるし、現実の怖さとか不条理も感じさせる。
『三つのマリリン』もかっこいいけどなんとなく不気味。スター性を醸したカラフルな配色の作品がある一方、それと対局的なモノクロのモンローもつくっている。1人の人間が持っている多面性にまなざしを向けてる気がします。
澤:『三つのマリリン』でモチーフになっているマリリンの肖像は小さいときに見て、顔は笑っているのに歯は食いしばってるように見えました。ウォーホルはこの肖像画シリーズを、モンローが亡くなったのを受けて発表してるんですね。
澤:薬の過剰摂取で急死した直後、彼女の事務所に連絡して、この写真を使わせてくれと頼んだとか。いまの時代だと物議を醸しそうですね。
リリー:攻めた作品ですよね。『三つのマリリン』にも『電気椅子』にしても、ウォーホル本人が持っていた「死」への関心の影がチラついている。自分自身が銃撃されたことも大きかっただろうし、彼はLGBTQだったこともあって当時流行していたエイズへの恐怖もあったはず。
ーたしかに。
リリー:「ウォーホラ」から「ウォーホル」に名前も変えているし、整形手術(※)もしてますよね。そうやってある意味、本来の自分の姿を葬り、「新しいウォーホル」として生まれ変わって、自己演出していたような気がするんですよね。じゃないと自分を保てないでしょ。
※鼻を整形。容姿にコンプレックスがあったといわれている
ウォーホルとお金の話。商売上手なビジネスマンだった?
澤:ところでウォーホルの作品って、当時はどのくらいの価値だったんでしょうね。
リリー:知らないなあ。やっぱめっちゃ高いんじゃないの?
ー1960年代の注文肖像画の制作では、シルクスクリーン1点が2万5000ドル。ウォーホルの希望としては同じ絵柄を格子状に複数並べる展示方法をオススメしていたので、セレブたちはそれを複数点買うというのが一般的だったようです。ちなみに2点買うと3万ドルで、ちょっとお得な価格になります。
澤:なかなか商売上手(笑)。
ー現在は信じられないぐらい高騰していて、今年5月のオークションでは「マリリン」一点が1億9500万ドル、約250億円で落札されました。20世紀の芸術家の作品としては最高額です。
リリー:高っ!
ーアート業界のなかで商業主義的、エンターテイメント的に振るまうあたりも「革命家」らしいかもしれません。「お金を稼ぐことはアートだ。働くこともアートだ。ビジネスで成功することが最高のアートだ」という言葉も残しています。それまであたり前とされてきたことを塗り替えて、新たな面白さを提示するという意味では、リリーさんが活動するお笑いの世界にもつうじる気がします。
リリー:ウォーホルはアートをビジネスマンのセンスでやってますよね。ぼくは生きてくための仕事としてお笑いをやってるんで、新しい革命を世間に伝えるために存在してるアートとはちょっと立ち位置が違うかも。
たとえば、「M-1」に18人組でエントリーするぐらいじゃないとお笑いで革命は無理かなあ(笑)。ぼくにはそんな勇気ないですよ! ウケたらすごいけど、一発で人生がおじゃんになる可能性もあるので。
ーウォーホルを見ていると、作品のなかに人生の転機を感じさせるものがいくつかあります。駆け引きの場面で、アーティストとしての勝負と挑戦を繰り返してきたのかもしれません。
二度にわたり、京都を旅したウォーホル。彼を魅了した仏教の「死生観」とは?
リリー:「金」つながりでいうと、ここは金閣寺ですし、ウォーホルは京都に2回旅行で来てますよね。
ー最初の京都旅行(1956年)は世界一周旅行の目的地の1つだったそうで、そのあとにインドネシアやタイにも足を運んでいますね。当時はまだアーティストを名乗っていなくて、主な仕事はグラフィックデザインやイラストレーションだったけど、旅行後にゴールドや金箔のイメージを頻繁に使うようになったのは京都やアジアの影響かもしれないとか。
ーたしか、ウォーホルの遺品のなかに、金閣寺のポストカードもありましたよね。
リリー:そうそう。装飾的なところだけじゃなく、精神的な部分でもアジアの仏教文化から受けた影響もあるのかなって。
澤:作品や生前のエピソードから知る死生観は、仏教と近いものがあるかもしれません。さっきいったようにウォーホルの作品からは「死」を感じますよね。おそらく本人は相当死ぬことを恐れてたんじゃないかと思います。そういう発言を本人は避けていたようですが。
澤:禅には「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」という言葉があります。どういう意味かというと、「誰もがなに1つ持たずに生まれてくるように、死ぬときも死後の世界にはなにも持って行けない、執着すべきものはなに1つない、それが『無』である」という考えです。
でも、多くの人間は長く生きたい、死にたくないと思うものでしょう。それはお坊さんでも同じで、有名な一休さんも最後の言葉は「死にとうない」でした。
リリー:行き着くところは、「死」への恐怖なんですね。
澤:そうですね。でも禅の教えから学ぶところはあると私は思っていて。近年、「終活」という行為が流行りましたけど、本来、死に備えるなんて必要ないと思うんです。「終活しよ」と思った次の日、あるいはひと呼吸した瞬間に亡くなってしまうかもしれません。
「死」は本来どんな立場の人に対しても平等にやってくるんです。大事なのは、いかに死にとらわれずに生きていくか、一瞬一瞬を幸せに楽しく生きていくか。それが私たちお坊さんの死生観です。ウォーホルが最後に手がけた『最後の晩餐』は一種の宗教画であったそうですが、そういったところにも彼の宗教観を垣間見える気がしますね。
エイズで亡くなった人たちを追悼。遺作『最後の晩餐』に見るウォーホルの「祈り」
ー『最後の晩餐』は今回の展覧会でもっとも大きな作品の『最後の晩餐』です。横幅が約10メートルある大作で、ミラノにあるダ・ヴィンチの同名作を意識してつくられています。ウォーホルが亡くなる直前に、ダ・ヴィンチの作品が収蔵されている修道院の向かいの建物に展示されたそうです。
リリー:めちゃくちゃデカいうえに、エピソードもすごいな。
ーキリストだけでなく、いかにもアメリカっぽい大型バイクを意匠に使うなどウォーホルらしい宗教画です。また、絵の中央に描かれている「THE BIG C」というのは「キリスト(Christ)」を指すと同時に、「がん(Cancer)」を示してもいて、当時エイズのことが「同性愛者のがん(Gay‘s Cancer)」と呼ばれていたこともあり、エイズで亡くなっていく友人たちへの哀悼の意味もあったと考えられているそうです。
ー当時のエイズは同性愛者のあいだで蔓延する病気という偏見があり、「同性愛への罰だ」といった残酷な言葉も飛び交っていました。そういう時代を背景に、死にゆく人々への祈りという側面も作品から見出せるかもしれません。
リリー:祈りが込もってますね。先ほどウォーホルは「新しい自分」を演じていたという話をしましたが、これまで見たウォーホルの作品って、対象と距離を取ってあえて自分の感情を乗せないスタンスだった気がするんです。
でも、『最後の晩餐』はLGBTQの人たちが置かれていた状況や、自分自身もその当事者であったことから感情を抑えきれずに、彼が演じていた「新しいウォーホル」が破綻している気がします。
澤:この作品をつくったあとに受けた手術の医療ミスで亡くなってしまうんだから、運命の残酷さを感じますよ。
リリー:これが遺作になってしまった偶然も、ほんとにすごい。
澤:ウォーホル以前の芸術家たちにとって、宗教画を描くことは、芸術家としての1つの達成でもありました。「宗教画」には「死」をテーマにしたものも多くあり、さまざまな感情との結びつきが見てとれますよね。
リリー:そうですよね。ぼくは普段、古典や中世の作品をよく観に行くんですが、ときにアートって、文字で書かれた内容よりも深く意味が伝わってくると感じることがあるんです。アートは時代を越えるというか。
たとえばピカソの『ゲルニカ』。あの作品を見ると、当時の戦争の記憶をはじめ、ピカソ自身が感じた戦争への感情が伝わってくるじゃないですか。仮に作品の一部が壊れて修復したとしても、その痕跡から感じられることはたくさんあるはず。その時代を生き抜いた「人間の証明」に惹かれて、アートを見ているところがあるんです。
ピカソみたいに金持ちに自分の作品を知ってもらうために、ワインのラベルに作品を使うようなアーティストもいれば、ゴッホみたいに極限まで自分と向き合って入院したアーティストもいる。死生観も含めて、人となりや歴史が見えてくる作品と出会いたくてアートを追っかけてるところがありますね。
仏教美術と現代アートのオーバーラップ。リリーによる「お笑い」で生き残る術も
澤:リリーさんがいう、アートは時代を超えるという感覚は私もよくわかります。仏教の世界ではお釈迦さんの言葉を後世に残すことを修行の1つにしているんですよ。文章化してしまうとその時々によってニュアンスが変わってしまうので、口伝(くでん)、いわゆる禅問答のなかで伝えていくんですね。またそのほかに文章以外の方法で残していくということもあります。
かといって絵を巧みに描けるわけではないので、代わりに日本庭園を構想して残すとか、そういったかたちの「アート」が私たちの世界にはあります。
リリー:「仏教美術」ですね。京都だと、たとえば二条城に虎の障壁画があるじゃないですか。ああいう絵は「権力」を示すためと聞いたことがあるんですけど、どうなんですか?
澤:そういうのも多くありますね。同時代の有名な絵師に描かせて、自分の権勢を誇るというような。ウォーホルが生きた時代は、権力や富の示し方が違っているでしょうけれど、セレブたちがファクトリーに足しげく通って、自分が作品の一部になることを熱望した背景の裏には、権力や権勢に対する欲望のあらわれがあるかもしれません。
澤:あと、お寺が襖絵(ふすまえ)や天井画の制作を依頼するのは、そのアーティストの作品を美術館や博物館のように、後世に長く伝えたいという思いもあります。金閣寺のような寺社は火事でもないかぎり、ずっと残ります。だから芸術家には、後世の画家が見たときに勉強になるような、そういう絵を描いてくださいとお伝えしています。
リリー:西洋と東洋でジャンルは違えど、その恩恵をいまの自分たちも受けていますね。でも、デュシャンやウォーホルといった現代アートの到来は、作品は残すためでもあるけど、同時に既存のルールをぶっ壊し、業界を再生させるためにつくるものであって、ほんと天邪鬼なアーティストたちですよね。誰もやってないことを見つけて、そこを開拓してく。かっこいいですけど、それを貪欲に続けてくってめちゃくちゃ大変だろうなあ。
お笑いの世界でも、ウォーホルみたいにある意味「新しい自分」を生み出して、貪欲さと精神を保っていける人が生き残って売れていく。そういう過酷さが強いられることが現代を生きる宿命かもしれないですね。
NYのビルを8時間、定点観測した『エンパイア』。ウォーホルが石庭から見た日常と非日常
ーウォーホルと京都のかかわりでいうと、『エンパイア(原題:「Empire」)』という実験映像があります。ニューヨークにある「エンパイア・ステート・ビル」を日没から深夜まで定点観測した作品で、ウォーホルは龍安寺の石庭に触発されてつくった、と語っています。
リリー:これ8時間あるんですよね?
澤:8時間を数分に凝縮した早送りの映像を見たことがあって、それだと夜空の変化がわかるんですけど、オリジナルだとまるでわからないでしょうね。
ーなんの変化もない京都のお庭を眺めているたくさんの観光客を見ていて、大勢の人が眺めているなんの変哲もないものも素晴らしものと変わりないのではないか、という意図があったのではないかと考えられているそうです。
リリー:なるほど……。たしかになんにも起きないけどずっと見れるものってありますもんね。
澤:以前、北欧を訪ねたことがあって、滞在先でテレビをつけたら暖炉で燃える薪だけをずーっと放送する番組があったんです。ちょうどクリスマスの時期だったからかもしれないのですが、正直「なにが楽しいんやろ?」と思ったものです(笑)。
でも、北欧の人たちには暖炉の炎に特別な情緒を感じる感性が共有されているのかもしれません。石庭の景色をとおして多くの日本人が「非日常」を味わうのと同様に、ウォーホルは『エンパイア』を経験してほしかったのかもしれないですね。
リリー:キャンプファイヤーの火を動画で見て過ごす人もいますしね。寄せては返す波の映像も見ていて飽きない。そこには人を魅了するなにかがあるはずで、ウォーホルはこの映像のなかから「美」を発見してほしかったのかもしれない。ビルは1ミリも動いてなくても、時間はつねに流れていて1秒1秒まったく違う景色ですもんね。
知られざるお坊さんの生活。じつはめっちゃ忙しい人たちだった
澤:ところで「石庭」はお坊さんにとって修行を積む場でもあるんです。夜に坐禅を組む「夜坐」という修行があり、石庭を見ながら「自己」を捨て、「無の境地」に向かうんです。
リリー:へー。まっ暗な状況でずっと坐禅を組んでると、やっぱり心境的な変化はありますか?
澤:ありますね。意外に思われるかもしれないですが、じつはお坊さんという生きものは、いつも時間に追われてるんです。忙しすぎて睡眠不足になることも多く、体力が消耗した状態で夜坐していると無の境地に入ることがあります。
リリー:せかせかしてるイメージはないですけどね。
澤:そうでしょう。お坊さんがやっているのは掃除、坐禅、読経、托鉢(たくはつ)、この4つなんですけど、それぞれの時間が長くて、修行時は朝の午前3時から夜の深夜24時までずっと時間に追われてるんですよ。夏の修行では、睡眠3時間でそれがずっと続きます。
リリー:ええ! 芸人よりも大変!
澤:坐禅の1日体験というのがありますよね。でも、修行とはそういった非日常を手軽に体験するものではないんです。朝起きたらすぐに雑巾がけをして、終わったらすぐに朝のお勤めを始めて、朝食をパパッと食べ、掃除をして、終わったら托鉢に出かける。
休む時間は一切なくて、勉強する時間を確保するために工夫して時間を捻出しなければならない。冬になるとそれがさらに過酷で。先輩から「今日はマイナス4度やぞ。お前ら寒いなか坐するぞ」と発破をかけられて、若い僧は「頑張ります!」と坐(すわ)る。極寒のなかで、ほんとに感覚が「無」になっていきますよ(笑)。
リリー:昭和の強豪校みたいですね。
澤:そういうタイトな環境のなかで、「本来無一物」の状況をつくるためにあらゆるノイズを遮断し、感覚を研ぎ澄ませていくのが修行の目的なんです。「足痛いなー」「焼きそば食べたい」「ビール飲みたい」みたいな煩悩も出てきます。
でもそうした煩悩を次の段階に持っていかず、欲を無にしていこうとするのが「坐禅」なんです。ウォーホルとはだいぶ違う話になってしまいましたかね(笑)。
世界を挑発し続けてきたアンディ・ウォーホル。その生き方についてリリーはどう思う?
ーある種の極限状態を自らつくっていくのはアーティストの生き方にも共通すると思います。ウォーホルも自己演出をする以外に、創作を続ける方法はなかったのかもしれない。
リリー:本当の自分の「核」を作品に宿すために、ほかのところを削ぎ落としていくようなストイックさがあると思う。ぼくは『エンパイア』からなにかを発見できるとは思えないけれど、それこそ禅宗のお坊さんが果てしない修行の先に気づきを得るように、『エンパイア』を8時間見続けることで、ぽっと灯るものがあるのかも。
澤:そうですね(笑)。
リリー:あらためてウォーホルのことを考えると、彼は世の中を挑発し続けて、刺激させてきたとアーティストだったと思います。でも、同時にウォーホル自身は、絶対に弱い人だった。名前を変えて、整形手術までして自分をつくって、世間が向かう方向の逆に進んでいって。そうじゃないと弱い自分を保てなかったんじゃないかな。
ーそういう生き方をリリーさんはどう思いますか?
リリー:うらやましいですけど、ぼくはできないっす(笑)。でも、どんな人も少なからず自分の心にウォーホル的な「新しい自分」という存在があると思うんですよ。それを発見することには意味があるはずだし、どうやってもう1人の自分をつくれるかって考えることも興味深いですね。
澤:現代アートの作家としてもウォーホルはとくに知名度が高いですし、さまざまな書籍やドキュメンタリーで多くのことが語られていますよね。でも本当のところを理解するには、映像をちょっと見ただけではわからないと思うんですよ。今回はウォーホルにゆかりのある京都での展覧会ということで、ぜひ足を運んで彼のことを知り直したいですね。
リリー:そうですね。ウォーホルの人柄がわかるとますます面白い。展覧会もそこを感じながら見てほしいな。
- イベント情報
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アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO
会期:2022年9月17日(土)~ 2023年2月12日(日)
定休日:月曜日(祝日の場合は開館)、12月28日~1月2日
会場:京都府 京都市京セラ美術館 新館「東山キューブ」
⼊場:平日一般 1,800円(2,000円)、土日祝一般 2,000円(2,200円)高校・大学生 1,200円(1,400円)、小学・中学生 600円(800円)
※当日券は()の料金、図録やグッズ付きのチケットもあり
主催:京都市、アンディ・ウォーホル美術館、ソニー・ミュージックエンタテインメント、MBSテレビ、産経新聞社、京都新聞、WOWOW、FM802/FM COCOLO
協賛:DNP大日本印刷、アクセンチュア
後援:米国大使館
企画制作:イムラアートギャラリー / ソニー・ミュージックエンタテインメント
- プロフィール
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- 見取り図・リリー (みとりず りりー)
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1984年、岡山県出身。大阪NSC29期で同期の盛山晋太郎と2007年に「見取り図」を結成、ボケを担当。趣味は料理、水泳、サッカー、美術館巡り、「MARVEL」シリーズの鑑賞、お酒など。
- 澤宗秀 (さわ そうしゅう)
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1977年、京都府出身。相国寺僧堂・建長寺僧堂の掛搭。自坊である臨済宗相国寺派林光院の副住職を務めるかたわら、2020年5月に鹿苑寺(金閣寺)の執事に就任し、現在に至る。
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