岩手県遠野市の「日本のふるさと遠野まつり」は、2022年9月に50周年を迎えた。コロナ禍を乗り越え3年ぶりに戻ってきた「まつり」には、市内の郷土芸能33団体・およそ1,200名が参加し、さんさ踊りや神楽、南部ばやしなどを披露。そのなかに混じって「しし踊り」を披露したのは、アーティストのコムアイだ。ひょんなきっかけで遠野文化に魅せられた彼女は、早池峰しし踊り張山保存会の指導者に師事し、定期的に練習を重ねてこの日を迎えたという。
コロナ禍で打撃を受けた全国各地の伝統行事や民俗芸能をサポートするキヤノンマーケティングジャパンのプロジェクト「まつりと」とコラボレーションした連載「日本のまつりと出会いなおす」では、アーティストやクリエイター、文化人などへのインタビューを通じて、日本のまつりの魅力をさまざまな角度から解き明かしていく。第二回となる今回は、そのコムアイのインタビューをお届けする。
水曜日のカンパネラ脱退後は、ソロアーティストとして国内外の伝統芸能やダンスを取り入れながら、唯一無二のパフォーマンスを繰り広げている彼女。「まつりに出会わなかったら、私は日本を好きになれなかったかもしれないし、絶望して死んでいたかもしれない」と語ってくれた彼女は、この列島に根づく伝統文化に何を見いだしたのだろうか。
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まつりと 日本のまつり探検プロジェクト
全国各地の伝統行事等や民俗芸能がコロナ禍で大きな打撃を受けたなか、キヤノンマーケティングジャパンは文化庁からの委託を受けて、映像制作や写真撮影、オンラインによる情報発信、現地での運営サポートなどで伝統行事等をサポートしています。ウェブサイトでは、「日本の祭りを探検する」をテーマに、祭りや伝統行事等の魅力を多角的に発信しています。
巻き起こる音と踊りの渦。まつりから探す表現のヒント
─まずは、コムアイさんのまつりの原体験を教えてもらえますか?
コムアイ:親も特におまつり好きというわけでもなく、そんなに連れて行ってもらった記憶がないんですよね。小さい頃に、地域の公園でやっている盆踊りに行っていたくらいで。でも踊るよりも食べる専門で、わたあめと好きな子目当てで行っていたので、自分自身そこまでまつりに惹かれていたわけではなかったのかも。大人になってから、あらためておまつりに開眼したという感じですね。
─いわゆる伝統的なまつりにはまったのは、どんなきっかけだったのでしょう?
コムアイ:岐阜の「郡上おどり」(岐阜県郡上市八幡町で行なわれる、大規模かつ伝統的な盆踊りのひとつ)だったと思います。以前から噂には聞いていたんですけど、おそらく自分がパフォーマンスをする側になり、人がどうしておまつりに熱狂するのか、音や踊りがあってそれが渦になっていくとはどういうことなのかと考えたときに、伝統的にずっと長く続いてきた日本のおまつりをいろいろと訪ねてみたくなったのが、郡上へ行くきっかけでした。
郡上おどりの様子。郡上踊りの情報はこちらから
─最近、「郡上おどり」を含む「風流踊」がユネスコの無形文化遺産に登録される見通しであるというニュースもありましたね。まつり以外の伝統的な行事にもともと興味はあったのですか?
コムアイ:歌舞伎や能に興味を持つなど、伝統的な芸能は憧れの眼差しで観ていました。でもそのときは、自分のパフォーマンスでどうすればオーディエンスがもっと動いたり参加したりできるだろうと考えていたので、座って観る芸能よりも国内外のまつりにヒントがあるのでは、と行くようになりました。
得体の知れない動きに興奮。「音や踊りに乗っ取られる」ような快感とは?
─国内では「郡上おどり」がお気に入りなのですね。
コムアイ:初めて行ってから、ほぼ毎年参加している気がします。行ったことのない友人に行ってほしくて、盆踊りに行ったことのない人には、まずはここを! と。「郡上おどり」と「白鳥おどり」(「郡上おどり」と同じく岐阜県郡上市で開催されている、約400年の伝統のあるまつり)はハシゴできるので、その2つを行き来する人が多いです。どちらも朝まで踊り明かす「徹夜おどり」なのですが、それぞれ踊りが違うんですよ。
たとえばクラブで踊るときって型はないじゃないですか。そのほうが自由だし楽しいと思っていたけど、型があってそれにみんなが馴染んでいくおもしろさもあることを知って。むしろ型があるからこそ、老若男女が踊りやすいのかもしれないですしね。
─誰でも踊れるように型が用意されていて、それさえ覚えれば一体感も味わえると。
コムアイ:でも、じつはちょっと難しい踊りなんです(笑)。それがまた大事なのかなという気もしていて。
─難しい踊りが大事なのは、どうしてですか?
コムアイ:伝統的な盆踊りの型って、踊ってみると普段はしないような、得体の知れない動き方だと思うんです。最初はうまく自分の体と馴染まなくて、それが興味をそそられる理由のひとつかもしれない。
ダンスでも格闘技でもなんでもいいのですが、やったことのない動きをすることで興奮するというか。いままでできなかった動きができることで、自分が進化するような感じってあるじゃないですか。「脳汁が出る!」みたいな(笑)。
─あははは。
コムアイ:盆踊りって「お盆に踊る」ということが共通しているだけで、それぞれの踊りの型はさまざま。たとえば、比較的新しい日本舞踊っぽい踊りとか、それはそれで綺麗だし楽しいし、まったく別モノとして好きなんですけど、「郡上おどり」や「白鳥おどり」は踊りの古さが……なんて言ったらいいんだろう、ステップも変拍子みたいな感じなんです。すごく馴染みづらくて難しいんだけど、そそられる。
郡上の踊りは下駄を鳴らす音がガッとして格好良く、手の留め方が粋で美しい。朝方は踊り助平と呼ばれる本気の踊り狂いだけが残って圧巻です。白鳥は地元の方が多く、もともとややこしい踊りなのにどんどん速くなっていって、最後は踊るよりマラソンしているみたいになって、おかしくて楽しくて笑っちゃいます。隣の人と話すわけでもないのに、ただお囃子と下駄の音を聴きながら、止まることもできず朝まで踊り続けるんです。
一緒に行った友達がどこにいるのかもわからなくなっちゃって、「きっとこの輪のどこかにいるんだろうな、大丈夫だろう」とぼんやり考えている感じもおもしろいし、めちゃめちゃ疲れているのに音が鳴った瞬間に手と足が動き出してしまう、音や踊りに乗っ取られるような感じになっちゃうのも気持ち良いんですよね。
キッと見開いた目の奥に、山の神が見える。しし踊りに見る人間と獣の関係
─これまでなんとなくイメージしていた、幼少期に近所の神社などでやっていたような盆踊りとはまったく違いました。
コムアイ:富山県の「おわら風の盆」は、対照的に静謐で独特の色気があるんです。盆には死者が帰ってくるわけですが、それと交わろうとすること自体、すごく色気のある情景でもある。川にかかっている橋のぼんぼりがボワッと光っていて、そこには匂い立つような妖しいエロスがあるんですよ。町全体の生命力が強まっているような雰囲気があるし、エロスとタナトスは表裏一体になっている感じがして。越中おわら節の哀愁ある胡弓の響きはぜひ行って体感してほしいです。
─盆踊り以外の伝統的なまつりにもよく行かれますか?
コムアイ:最近では、9月に岩手県遠野市で開催された「遠野まつり」へ行きました。それから縁あって1週間後には、柳田国男が初めてしし踊り(岩手県の無形民俗文化財に指定されている踊りで、四つ足の動物の供養の舞といわれている)を見たといわれている菅原神社で、実際にしし踊りを踊らせてもらったんです。
こんなことになるとは本当に思っていなかったんですけど、去年の遠野であったツアーのイベント「MEGURITOROGE – 遠野巡灯篭木 2021」にOLAibi + KOM_I名義で参加したとき、私たちがパフォーマンスする前にしし踊りを地元の方々が踊ってくださって。「一体これはなんなんだろう」と感銘を受け、「教えてください!」と頼んでその1か月後にDOMMUNEで行なわれた遠野の話をするイベントで踊ることになったんです。
─早い展開ですね。
コムアイ:教えていただいたことを短期集中型でバーッと詰め込んで。思い立ったらすぐ行動する……というか、コツコツゆっくりはできない性格なんですよね(笑)。
─「しし踊り」は、獅子舞とは違うのですね?
コムアイ:獅子舞は中国から伝わってきた説が有力ですが、しし踊りはちょっと謎で。「しし」は鹿や猪のような「獣」を意味していたり、「肉」みたいな意味もあったりするんです。獅子舞とは姿も全然違って平面が多く、真っ黒な顔が鹿というよりはバッファローみたいな風貌。目もものすごく吊り上がっているし、ツノが何故かU字で三日月みたいにも見えるんですよね。
コムアイ:この「しし」が表しているのは、鹿や猪など「獣の集合体」で、あのキッと見開いた目の奥には、山の神が見える気がするんです。遠野の村の人たちは山に入って獣を狩り、それを食べて生きてきたわけじゃないですか。自分の体がそれによってつくられていることと、美しい獣たちが死んでいくことが同時にある、その矛盾を「芸能」に昇華しないと辻褄が合わないと直感的に思ったんじゃないかなと。
神様に捧げる芸能。コムアイは踊りながら何を感じている?
─遠野の伝統的な踊りを習ったことで、コムアイさんにどんな変化が訪れました?
コムアイ:いまは、自分の所属している団体のお囃子は太鼓や笛のイントロクイズがあったとしたら、すぐわかります(笑)。その音色に、身体が懐かしさを感じてきたことがもうたまらなくて。遠野のしし踊り団体は10以上あるのですが、他の団体のお囃子や踊りを見て、こんなに違ったんだ! と気づけるようになりましたし。神楽など他の芸能とも少しずつ似ているところがあって、比較する基準ができました。
それから、踊りや衣装のことで、遠野の人たちにはお世話になりっぱなしですが、芸能があったからこそ、遠野のおじいさん、おばさんたちと深く話すきっかけができました。「しし踊り」は、東京に住んでいる遠野出身の先生に教えてもらっているのですが、最近亡くなった彼女のおじいさんがしし踊りを愛していた方で、「踊っていると、おじいちゃんと踊っているような感じがする」とおっしゃるんです。
コムアイ:踊りって、踊ってきた人たちとバーッとつながる感覚があるんですよ。盆踊りの仕組みもそうだと思うのですが、決して一人で踊っているわけではなくて、個が溶けていくような感じがある。私が惹かれる理由もそこにあるのですが。
─それは、どこか神様とつながるような感覚にも近いのですかね?
コムアイ:そうかもしれないですね。その地域に棲む精霊、死者、もっと大きな神様……一神教ではないから、そこに境界線があまりないのかなと。踊りを踊ることで個が溶けて、神様や自分の先祖とつながっていくことと、亡くなったおじいさんの面影を纏いながら踊ることって、そんなに遠くないんじゃないかなと思います。
─神様に踊りをはじめとする芸能を捧げる気持ちもありますか?
コムアイ:菅原神社でしし踊りを踊らせてもらったときは、もう本当に捧げる気持ちだけでした。でも、私は何に対して捧げていたんだろう……。菅原神社に祀られているのは菅原道真ですけど、そこが菅原神社と名づけられる前からきっと地元の人にとって大事な場所だったはずで。神社を窓口にして、早池峰山の方へ気持ちを向けていたと思います。
踊りでは私が人間の役で、東京からの移住者で先輩の踊り手である富川岳さんがししの役。私は刀を振り回しながらししに向かっていく踊りを踊るのですが、目の前で目をギラギラと光らせ、白いかんながらを振り乱している山神のような存在に少しも油断できない、その恐れと勇気の純度を高めれば高めるほど、捧げるという意識になっていく感じがしました。
─それは、五穀豊穣への祈りを捧げているのとは違うのですね。
コムアイ:五穀豊穣を祈るというと、たとえば翁舞のような朗らかな喜びのイメージがありますが、ししと闘うところではちょっとその余裕はないですね。食べるために奪ってきた命、これからも奪っていく命に対しての弔いだと思います。
もともと私たち人間は自然界と一体であり一部でもあったけど、日常のなかでは獣の命を殺めるという、自分たちの一部である自然をむしろ削るようなことをして、それで生かされているところがあるわけじゃないですか。自分たちの体がなぜ動いているかといえば、切り離されてしまった自然界のおかげ。だから、それに対して祈りを捧げているのかもしれないですね。
しし踊りが教えてくれる人間界と自然界の調和
─しし踊りには、弔いを実際に感じさせる動きがありますか?
コムアイ:私がしし踊りを踊っていて感動したのは、ししと人間が対峙しているときに拮抗しているバランスが、どちらかというとししに有利になって人間を追い込んでいくところ。普段は奪ってばかりいる命に対し、こうやって芸能を用いてバランスを取っているように私は感じたし、その美学が弔いになっているのかなと私は思ったんですよね。
さらに感動したのは、踊りの最後の方に「引き波」というセクションがあって、この間ししと二人で踊ったときは、まるで私たちの間に鏡が置かれているみたいに、お互いの動きがシンクロして左右対象になるんです。戦って拮抗した動きを見せたあと、「人間界と自然界は表裏一体であり、その調和で成り立っている」ということを踊りで表現しているように思いました。そういうテーマを伝えるために振りがつくられたかどうかわからないですが、私は踊りながら戦慄しました。
コムアイ:「人間が刀で向かっていき、ししが追いやられていく」というだけだとなんだかバランスが悪くて気持ち悪いし、こうやってシンクロしているところを見せるとなんか心地良く終われる気がする。そうやって、言葉にしなくても遠野の民の自然に対する考え方や死生観みたいなものが踊りに反映されているんじゃないかなと。
─実際にまつりや踊りに参加したことで、きっと見えてくることもあるのでしょうね。
コムアイ:そう思います。遠野まつりでびっくりしましたが、「ここは芸能の民の集落なのだな」と思うくらい、遠野にはいろんな団体があって、さんさ踊りや神楽、南部ばやしなどパレードのようにあちこちでやっているんです。
その郷土芸能人たちの一人として遠野まつりに参加させてもらえたのは本当に幸せでした。別に上手くなくてもいいから、たとえば地域のおまつりや御神輿に参加してみたりすることで「大きな流れのなかに自分が立っている」という感覚が、じわーっと滲んでくると思うんですよね。
コムアイ:見るだけでなく、実際に参加したほうがより実感できる。顔も見たことのないたくさんの人たちがどんどんつながっていったり、自分が楽しんでいるうちに、それが周りにも影響を与えて受け継がれていったりするんだなって。
そこで重要なのは、「形を変えず守り継がなきゃいけない」と最初から固く思わず、まずは素人として、とにかくその瞬間を楽しむこと。楽しいところに人は集まってくるし、楽しそうだとやりたくなるから。そうやって結果的に守り継がれて、続いてきただけじゃないかとさえ思います。
人生を通して関わりたい、日本という島のあちこちに根づく美しい芸能やまつり
─過去から現在、そして未来へとつながってはいるけど、それは結果であってそれぞれは、いま、この瞬間を踊っているだけなんですよね。
コムアイ:そうなんです。盆踊りを踊る瞬間は、ただただ自分の魂を喜ばすために踊っているということだけでいいんです。
─いわゆるナショナリズムとは違う、本当の意味での共同意識に近づいていくことなのかもしれないですね。
コムアイ:ナショナリズムは境界がはっきりしているじゃないですか。でもそもそも、ナショナリティーがひとつじゃない人がたくさんいるし、多様性のなかで踏み絵みたいにほかを軽蔑して、縄張りのなかだけでの共同意識を強めようとするのは、私としては気持ち悪い。
国なんてどんどんまたぐし境界線なんてない。特に日本は島国だから境界線があるように感じるかもしれないけど、人はずっと行き来してきたし、混血してきたわけですからね。そうして混ざった結果として、他国と同じように、この国にも特別なものがある、という意味では誇りを持っています。
─伝統芸能を習うことは、コムアイさんの普段の活動にも影響を与えていますか?
コムアイ:水曜日のカンパネラに在籍していたときも、能楽などの影響を受けていたのですが、最近はもっといろんなものが自分のなかで混ざってきているのが楽しくて。前に少し習ったバリ舞踊、小さい頃に習っていたバレエ、ハマっていたキューバンサルサ、そして今回のしし踊り……。クラブで踊っているときに無意識に出てくる動きもそう。なんかめちゃくちゃ混ざり合ってきていますね。
ライブは完全即興なので、歌っても踊っても何をしてもいいし、何が起きても大丈夫。そのときの自分が何をしたいかということを信じ切れます。お酒を飲んでやっているのも大きいと思いますけど(笑)、そのほうが芸能の神様も喜んでくれているような気がします。
─最後に、コムアイさんにとって「まつり」とはどんな存在ですか?
コムアイ:私のなかでは、芸能とまつりで日本のマップができています。この列島の文化がものすごく好きだし、芸能とまつりがなかったら私は日本を好きになれなかったかもしれないし、絶望して死んでいたかもしれない。
能やしし踊り、郡上やおわらとの出会いがあったことで、この列島のあちこちに私の知らない美しい芸能やまつりがまだたくさんあるんだろうなと思えます。そして、受け継がれてきた踊りや唄が、いまの時代も生きて楽しまれていることが本当にすごい。そういうものに思いきり惚れ込んで紹介していくことが、自分の使命というか、人生でやりたいことのひとつなのかなと思います。
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まつりと 日本のまつり探検プロジェクト
全国各地の伝統行事等や民俗芸能がコロナ禍で大きな打撃を受けたなか、キヤノンマーケティングジャパンは文化庁からの委託を受けて、映像制作や写真撮影、オンラインによる情報発信、現地での運営サポートなどで伝統行事等をサポートしています。ウェブサイトでは、「日本の祭りを探検する」をテーマに、祭りや伝統行事等の魅力を多角的に発信しています。YouTubeチャンネルでは、今年開催された祭りの踊りの映像もお楽しみいただけます。ユネスコ登録予定の「風流踊り」は現在5本公開中。
- プロフィール
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- コムアイ
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アーティスト。声と身体を主に用いて表現活動を行なう。日本の郷土芸能や北インドの古典音楽に影響を受けている。主な作品に、屋久島からインスピレーションを得てオオルタイチと制作したアルバム『YAKUSHIMA TREASURE』、奈良県明日香村の石舞台古墳でのパフォーマンス『石室古墳に巣ごもる夢』、東京都現代美術館でのクリスチャン・マークレーのグラフィック・スコア『No!』のソロパフォーマンスなど。水にまつわる課題を学び広告する部活動『HYPE FREE WATER』をビジュアルアーティストの村田実莉と設立。俳優として、NHK『雨の日』、Netflix『Followers』などにも出演。音楽ユニット・水曜日のカンパネラの初代ボーカル。
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