メタ・サピエンス

インターネットは「作者」を増大させた。やがて訪れる大発明時代をどう生き抜く? 武邑光裕が考える

テクノロジーが進化した未来。リアルとデジタルの境界線が曖昧な世界で、ホモ・サピエンスからメタ・サピエンスに進化した人間は、なにを考え、どんな生活をしているのだろう。

「Humanity(人類史)」と「LIFE(生活・文化)」、「Society(社会基盤)」という3つの領域から、リアルとデジタルが解けた世界を生きる「メタ・サピエンス」の生活や営み、行動心理を考えていく。

今回は「Humanity(人類史)」のリーダーであるメディア美学者の武邑光裕が登場。カンブリア期の生物誕生から人類史を振り返り、「虚」のなかに生きる現代の私たちが未来で生き抜くために必要なことはなにかを探る。

「目」を持ったことで、生物は大きな進化を遂げた。これから必要になるのは「課題を発見するための目」

ーこれからの未来、テクノロジーの進化で人はどんな変化をしていくのか。それを考える大前提として、まずは人類の進化の過程から私たち人間がこれまでどのような進化を遂げてきたのか教えてください。

武邑:地球上には、約5億5,000万年前の「カンブリア爆発」で多様な生物が生まれました。「カンブリア爆発」が起こったのは酸素濃度が高くなったなど諸説ありますが、多種多様な生物が生まれる一番大きな要因は「目」が生まれたことだと考えられています。目を獲得したことで、生物は世界を認識せざるを得なくなり、それによって生存本能が成熟し、弱肉強食の世界が生まれたわけです。

ー「目」は人間の進化にどう影響を与えたのでしょうか。

武邑:目が生まれてからの人間の進化は、あらゆる欲望も含めて非常に大きな展開を迎えます。例えば、「自分の見ている世界と他者が見ている世界は、ある程度の個体差がありつつも同じ世界だ」という共通認識が生まれる。しかしほかの生物と比べると、人間とは世界の見え方が全然違うことがわかっています。

つまり人間が現実(リアリティー)だと思っているものは、幻覚、幻想のなかに存在している、ということです。そう考えるとぼくらは現実を根底から考え直さなければいけません。現代のようなVRやメタバースの時代になったことで、より「現実」というものを捉え直す必要が出てきたと考えています。

松尾芭蕉の十哲(とくに優れた門下10人)である各務支考(かがみ しこう)が、「言語は虚に居て実をおこなふべし」と書いています。虚実論といわれるものですが、ぼくらは「実」にいて「虚」を語ること、つまりぼくたちは現実にいてナラティブを語ったり、ストーリーテリングをしていると思っているけれど、じつは、「虚」にいて「実」を語るべきである、というのです。

ー現実にいると思っていたけれど、じつは虚構のなかにいる。そこで「実」を語るためにはどう立ち振る舞えばいいのでしょうか。

武邑:19世紀に電気ができ、20世紀にはマスメディアという公共メディアが真実を伝える守護者のような役割になりました。マスメディアの登場で、人間は自分で真実を考えなくて済むようになった。ところが、インターネットやソーシャルメディアが登場したことで真実の所在が不明瞭になってしまった。だから現代は、自分で真実を探すしかないのです。

ー進化の過程で目をもたずに退化した生物がいるように、情報格差は一部の人を退化させてしまうのでしょうか。

武邑:実際、現実がいろいろなかたちで滑り出していることを考えると、現実を見るための目の機能をアップデートしないといけません。ぼくは目の手術をしていて、ある意味、サイボーグのようなレンズが入っている状態です。しかし必要なのはそういう機能的なことではなくて、メタリアル、新しいリアルの課題を発見する能力です。

世界との関係が「フラットネス」で、過去も現在も未来も時間の制約がない「ナウネス」な時代を生きている、いま

ー進化の過程で、人間はなにを得てきたのでしょうか。

武邑:人間は、四足歩行から二足歩行になり手が自由になったことで、身振りでコミュニケーションをとるようになりました。動物同士は噛みついて戦うために口角が進化しましたが、コミュニケーションをとりあえるようになった人間はその必要がなくなったために口が縮小した。縮小した口角は声帯機能を得て、言葉が生み出されたわけです。このように言語は、人間の遺伝学的な進化のプロセスのなかで生まれてきた、というわけなのです。

そしていま、言語で伝えられる歴史、時間、空間、さらに遺伝子情報なども、もう一度再構成していかなければならない時代に入ってきています。

例えばスティーブ・ジョブズがiPhoneを発表した10年後に、iPhoneⅩを発表しています。iPhoneⅩではホームボタンと周りのフレームが取り払われ、「すべてがフラットになった」と考えられます。これは無限に続く世界との関係が「フラットネス」になり、しかも過去も現在も未来も、時間の制約がない「ナウネス」であることを意味します。これは「The Big Flat Now(ビッグフラットナウ)」という考え方です。

iPhoneX発表時の様子

武邑:例えば、みなさんはブラウザにものすごい数のタブを放置していないでしょうか。そのなかには例えば「カンブリア爆発」から「昨日検索したレストラン」、「今日のニュース」など、いろいろな出来事が歴史や場所という制約を超えてタブとしてフラットに並んでいます。これ自体が、フラットネスでナウネスな状況の象徴といえます。

こういう感覚は、若い世代は当たり前に持っている。つまり、人間の根源的な変化が起きていると考えています。

インターネットは「作者」を増大させた。いまだかつてない、多くの作者を生み出す時代の到来

ー具体的にどのような変化が起きているのでしょうか。

武邑:かつてマクルーハンは、車輪は足の延長、服は皮膚の延長、火薬や爆弾は筋肉の延長と考えました。そして、デジタル技術が人間のなにを変えたのかがわかるのは、数十年先だろうと言われています。そのなかで、インターネットが人間にどんな影響を与えたのか、現段階でぼくが予測できることは「作者の膨張」だと考えています。

武邑:1450年頃、グーテンベルクの印刷機が登場して「読者の解放」が起こりました。これまでは、聖職者や権力者しか識字能力がなく、書物が多くの人の目に触れることがなかったものが、広く解放された。これが「読者の解放」です。

そしてインターネット時代の大きな変化は、「多くの作者が生まれた」ということです。6,000年の人間の歴史のなかで、作者は3億人と言われています。当時の作者といまの表現行為を同じレベルでは捉えることはできないとしても、インターネットが普及した現代において表現する技術的基盤を持った人たちは20億人以上います。これがあと数年で、50億人になると考えています。これがインターネットの普及による圧倒的な変化、「作者の膨張」です。

これまでの歴史で、表現する作者をこれだけ生み出してきた時代はありませんでした。そのなかでも、言語の支配や呪縛から抜け出す方法として、「メタバース」がある。つまり、もう一度架空の世界を構築することによって、ぼくらは新しいコミュニケーションを導き出すことができるんじゃないか。その可能性がメタバースにあるんです。私たちが「現実世界」を構築している世界観そのものをアップデートする可能性がある、ということです。

デジタルが拡張したものは「人間の記憶」。新しい世代から、新しい発明が生まれる大発明時代が到来する

ー言語の世界を超えた新しい世界がメタバースで構築できるということでしょうか。

武邑:50億人に膨張した作者たちが日々プラットフォームに提供している言葉や行動履歴は「記憶」です。Googleブックスが世界の英知を十数年かけて、記憶をスキャナーで読み取って集積したように、現代の人間たちの行動はAIが集積しています。

AIはとてつもない指数関数的な速度で進化をしています。人間にとってAIは大きな危険性をはらむという警鐘はあるものの、同時に、人間を圧倒的に開放する、人間そのものをアップデートする可能性もあるのです。

もっと根源的に言うと、ぼくらの数千年に渡る記憶を日々吸い取ってそれを産業化してきたのがこれまでの経済です。監視資本主義と批判されてきましたが、それ以上にここまで記憶を吸い取ってAIをつくることで、ぼくたちはとてつもない恩恵を受ける時代を迎えようとしているのです。これもひとつの事実です。

ーAIの進化のポジティブな面はどのような点でしょうか。

武邑:若い世代の方と話していると、話している最中からものすごい速さでスマホで検索しますよね。ぼくは彼らを見たとき、彼らはスマホのなかに自分の外部記憶を持っているのだと確信しました。つまり彼らにとってスマホは自分の臓器になっているのです。彼らはスマホのある時代に生まれ、記憶を代替的に新しい情報臓器として増強させています。

このようにデジタルが拡張したものは人間の記憶であり、ぼくはこの新しい世代から、新しい発明が生まれる大発明時代がくると考えています。リスク含めて考えないといけないけれども、いい意味でも悪い意味でも、人間自体を変えてしまうかもしれない巨大な変革の時代を迎えています。

20世紀に原子力や自動車などあらゆるものが発明さたことで、現代は新しい発明が枯渇していると指摘されています。しかしぼくらはビッグフラットナウを生きていて、これまでの歴史のありようを簡単に現在に引き出すことが可能な時代に、新しい発明が起こらないわけがない。

これからの「記憶の拡張の時代」は、人間そのもののパフォーマンスを圧倒的に拡張する時代だと思っています。例えば映画『トップガン マーヴェリック』(2022年)は、エンターテイメントとしてよくできている映画ですが、本当にすごいのは、AIと人間のどちらが優れているかを描いている点です。無人機のほうが精度が高いと考えられているなかで、アウトローで制度に組み込まれない主人公のマーヴェリックは、人間のパフォーマンスを最大化するわけです。AIはマーヴェリックのパフォーマンスに到底かなわない。

ぼくらは人間に過剰な期待を寄せているわけではないですが、そういう角度で見ていくと、まだまだ人間がやるべきことが多々あるということです。

ー今後、記憶産業、データ産業がより盛んになっていく未来で、私たち人間はどう変化していくと思いますか。

武邑:データプライバシーが勝手に吸い取られ、それを原資としたターゲット広告でGAFAは莫大な利益を得てきました。これらは批判されてきましたが、それ以上に人間に与える影響を考えると、とてつもない貢献があると考えています。6,000年分の人間の英知+現代人の日々アップデートされる言語情報や行動データによってAIはとてつもなく進化します。それによってぼくらの医療とか生活、さまざまな環境のなかに大きな影響力や貢献を与えます。

もちろん一人ひとりの人間はものすごく拡張していますが、目に見えて足が車輪になったり筋肉が爆薬になっていく進化というよりも、環境の変化のなかで記憶が拡張し、人間の可能性、創造性が開放される時代が来ると思います。

ですから、発明がもう終わっているというのは大きな間違いです。原子力もアップデートされてくるし、宇宙というものに対する考え方もまったく変わってきています。地球そのものをどうやって維持できるかを含めて、いろいろな考え方のアップデートが起こってきていると思います。

これまでは問題の「解決」を求められたが、これからは問題を「発見する」能力が求められる

ー優れたAIが人間の代わりに判断してくれると思うと、人間は自分自身の頭を使って考えなくなってしまうようにも思います。

武邑:たしかに人間は自分自身で思考しなくなるように思えますが、それ以上に記憶の拡張は人間に大きな影響を及ぼします。記憶容量が圧倒的に外在化したことで、人間の脳は新しい疑問を見つけ出します。この「新しい問題を発見する」能力が、発明を生み出します。いままでは環境問題や社会的問題をいかに「解決するか」がイノベーションでしたが、これからは問題を「発見する」能力にシフトしていきます。

これこそカンブリア紀において目を持ったことや、デジタルが記憶を拡張したこと、20世紀の電子メディアが身体を拡張したプレ拡張の時代と異なる点だといえます。これらと記憶が拡張される未来が根本的に違うのは、問題を発見できる能力が生まれることです。

ー未来で必要なのは、問題解決能力ではなく、問題発見能力ということでしょうか。

武邑:ぼくたちは子どものときから「問題を解決しなさい」と言われているけど、「問題を発見しろ」とは言われてきていないですよね。問題が見えなくなっている。ぼくたちは環境問題にしても、どういうアプローチで解決できるかを提案するだけで、新しい問題は発見していない。だからぼくがいま話していることを新しい問題だと思っていただければと思います。

デジタルネイティブとそうではない人の格差はますます増大する。そこで本当に必要なこととは?

ー未来において人間自体はどう変化していくのでしょうか。

武邑:「魚は水を認識しているのか」という例があります。2匹の若い魚が泳いでいると、古参の魚がやってきて「今日の水はどうだい」と聞きます。2匹の若い魚は顔を見あわせて「水って何?」と聞きます。これはつまり、もっとも身近な環境は、ほとんど知覚、認識ができていないという喩えです。

だからテクノロジーによって人間が拡張して変化し、サイボーグ化していくことはあり得ることだと思いますが、そのテクノロジーの本質を、我々はどこまで見ているのかということです。マクルーハンは、魚はまず水を見ているのか、濡れているという感覚を持っているのか。魚が魚であることから進化するのは、両生類にジャンプしたときだと言います。

カンブリア期に目を持った生物は弱肉強食を生き続けて進化していくけれど、目を持たなかったものはどんどん死滅していくわけです。それと同じように、デジタルネイティブとそうではない人々の格差は今後ますます増大していきます。多くの人が「DXが必要」と言っても、本当に必要なのは根源的な問いです。

そこで、メディアが果たす役割が非常に大きくなるだろうと考えられます。ドイツの社会学者であるハーバーマスは1962年に公共性の構造転換について語りますが、60年後、いまのソーシャルメディアを放置しておくことは非常に危険であるという見解を出しました。ハーバーマスは、現代は誰もが作者なれる時代だけど、誰もが編集者にはなれないと言うのです。コンテンツモデレーション(投稿のモニタリング・監視)がまったく機能しない社会が生まれてしまったことがソーシャルメディアの根本的な問題点です。この「編集」がこれから起こる次のソーシャルメディア革命で非常に重要な役割を果たすと思います。

ー自分で真実を探さなければならない時代で、個人はどう動けばよいのでしょうか。

武邑:日本で個人主義というと、協調性に欠けるすごく利己的な人と考えられがちですが、そこには利他も含みます。自分がやりたいことがなんなのかを利己的に考え、いくつかの利己を試しながら、自分が社会でできることを見つけ出すことが人間の生き方です。そこではじめて社会に貢献できる自分を見出していく。これが個人主義です。

日本は最初から公益や利他を考え、利己的であることを極力抑圧していく傾向があります。これから公私混同の時代だと思います。公私を隔ててきた壁を取っ払うことが次の時代に起こってくるのだと思います。

プロフィール
武邑光裕 (たけむら みつひろ)

メディア美学者、「武邑塾」塾長。日本大学芸術学部、京都造形芸術大学、東京大学大学院、札幌市立大学で教授職を歴任。1980年代よりカウンターカルチャーやメディア論を講じ、VRからインターネットの黎明期、現代のソーシャルメディアからAIにいたるまで、デジタル社会環境を研究。2013年より武邑塾を主宰。著書『記憶のゆくたて―デジタル・アーカイヴの文化経済』(東京大学出版会)で、第19回電気通信普及財団テレコム社会科学賞を受賞。2017年、Center for the Study of Digital Life(NYC)フェローに就任。著書に『さよならインターネット GDPRはネットとデータをどう変えるのか』(ダイヤモンド社)、『ベルリン・都市・未来』(太田出版)、新著に『プライバシー・パラドックス データ監視社会と「わたし」の再発明』(黒鳥社)がある。2015年よりベルリンに移住、2021年帰国。



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