デジタルとリアルの境界線が溶けていく世界で、人間はより多様で高次な存在になっていくのだろうか。その実現を想定し、「メタ・サピエンス」と名づけた未来人たちの生活や行動などを考察する本特集。今回は、東京大学 生産技術研究所の特任教授であり建築家の豊田啓介に、「都市」や「産業」の観点から話を訊いていく。
街や建物などの現実空間と同じ環境をデジタル上に再現し、それぞれの情報が共通認識できるようになる基盤「コモングラウンド」の実現を豊田は推進している。これが浸透すれば、移動手段や情報収集など、人々をとりまく環境は劇的に進化するだろう。
しかし、豊田によれば現在、実空間における都市の情報の記述は、いまだごく限られた範囲にとどまっている。その先にある圧倒的に複雑な情報を複合的に置換・記述するのは、Googleやマイクロソフトなど世界を覆い尽くす巨大情報プラットフォーマーですらも単独ではなし得ないという。
そうであるならば、いかにしてコモングラウンドを都市に実装していくのだろうか。そして、それが実現して人と人以外の世界を取り込んだとき、社会や人の行動はどう変わっていくのだろうか。豊田が考える都市の課題や、コモングラウンド実現に向けたビジョンから考察していく。
「日本は一気に乗り遅れてしまった」。現在のテクノロジー×社会における世界との比較
―まず、デジタルテクノロジーが社会や都市に浸透してきた過程と現状について、あらためておさらいしたいです。現在に至るまで、日本と世界の産業はどのように変化してきたのでしょうか。
豊田:戦後の高度成長期に世界を席巻した日本企業のものづくりは一つの成功モデルでした。80年代のバブル期には、世界の時価総額ランキングの多くを日本企業が占め、その中心はものづくり企業でした。これが第1世代です。
しかし、そのバブルが崩壊し、さらに情報プラットフォーマーが世界のビジネスの中心にシフトしました。GoogleやYahoo!といった、情報流通における新しいパラダイムを起こした情報プラットフォーマーが90年代に台頭した第2世代の時代です。
「ものづくり」と「情報プラットフォーミング」では、ビジネスモデルから必要な知見まですべてが根本的に異なりますから、後者において劣る日本はここで一気に乗り遅れてしまった。そうしたシフトチェンジが起きてしまったのは日本にとって悲劇で、乗り遅れた状態が今日まで続いているというのが日本の現状です。
─ものづくりに優れていた日本は世界をリードする存在だったけれど、時代の変化とともに追い抜かれていったと。
豊田:そこからさらに、Amazonのような「動かすことが可能なモノ(可動産)」を扱う情報プラットフォーマーが現れた第3世代、そして都市に存在する不動産を部分的に扱うUber、Airbnb、WeWorkのような海外企業が現れていく第4世代と進化していきます。
ちなみに、第3世代と第4世代の違いを端的に説明すると、物理的なモノを動かす前者に対して、後者はモノの意味や価値などの情報を再編集して動かします。
─モノの意味の再編集とは、どういうことでしょうか?
豊田:例えばUberのサービスが開始される以前は、需要のあるなしに関わらず、地域によって対応できるタクシーの台数はだいたい決まっていました。一方、Uberができてからは、ニーズに合わせて乗用車がタクシーに変わるようになった。これにより、需要に伴って50台にも150台にもなるのです。
豊田:つまり、「物理的」な属性が「情報的」に置換されて、情報を編集することによって、ニーズにあわせて瞬間的にモノを移動したり増減したりすることが可能になるわけです。
Uberはタクシー、Airbnbは宿泊場所、WeWorkはオフィスといった具合に、単独のサービスのドメインであれば、こうしたモノの属性や所属を編集する技術も、現実の都市で扱えるようになりました。そういう意味で、情報プラットフォームが都市に現れている、といえるのが現在です。
いま世界的なIT企業が直面している課題。「第5世代」では、ふたたび日本企業に望みも?
─そうしたなかで、「第5世代」はどのようになっていくと思いますか?
豊田:より都市の既存機能を複合的に編集できるようになっていくはずです。しかし、都市に存在するモノの情報は圧倒的な複雑さを持っていて、複合的にあらゆる情報を置換して記述することは、いまの情報技術ではとてもできません。
ただ、現時点でデジタル技術が記述可能なものは都市においてほんの数%でしかないにも関わらず、すでに人々の生活に変化をもたらすような革命が起きているのです。ですから、まだ解明できていない領域には当然、これまでとは比較にならないゴールドマインが眠っていると思います。
─その領域を解明するためにはなにが必要なのでしょうか?
豊田:都市に実装していくには、かなり大がかりな取り組みが必要でしょう。すでに世界屈指の情報プラットフォーマーは、都市計画の実証実験を進めています。
例を挙げると、トロント市に莫大な持参金を支払ったGoogleの兄弟会社Sidewalk Labs(※2020年にプロジェクトの撤退を発表)や、マイクロソフトのアリゾナ州における未来都市構想「ベルモント」、アリババが杭州市で進めているスマートシティ戦略「城市大脳(シティブレイン)」など。これらの取り組みを見るに、やはり都市ごと買って実証実験を進めていくしかありません。
とはいえ、都市に散らばった建造物や製品などのモノの扱いに関するノウハウは、巨大IT企業といえでも、一朝一夕で参入できる領域ではないこともわかりはじめています。
つまり、フィジカルとバーチャルの双方向からの融合を対等に進めることが必要なのですが、それは思ったより難しいことも見えてきてしまった状況です。デジタル領域からの方向性が見えているだけではだめで、フィジカル側からのノウハウが不可欠です。
─だとすれば、置いてきぼりをくらっている日本の製造産業はものづくりに優れているので、ある種の望みが出てきたともいえるのでしょうか?
豊田:そのとおりです。リアリティーを徹底的に追求してきたものづくりのノウハウこそ、いまIT企業がもっとも求めているものです。
モノの扱いに長けているが情報領域で乗り遅れた日本のあらゆる製造業と、世界のビジネスを牽引しているがモノの扱いに苦戦する情報プラットフォーマー。長所と短所が真逆な両者は、いま同じスタートラインに立ちはじめていると私は思います。
だから、日本の製造業においては、モノの製造にまつわる物理的な特性や社会的な特性も含めた「情報」のすべてを扱うことのできる人材が、絶対的に必要になっていくはずです。
自動運転を社会に実装するには?現実世界の「動的な空間」をデジタル記述できるかがカギ
─ここまでお話をうかがって、物理世界のモノとデジタル世界の情報の共通基盤になる「コモングラウンド」の実現がより重要そうだと感じます。あらためて、コモングラウンドの特徴とはどのようなものでしょうか。
豊田:デジタル空間を記述する試みは、メタバースやデジタルツインなど、さまざまなところですでに行なわれています。コモングラウンドの重要な点は、それらが持ち合わせていない、現実世界の「動的な空間」をデジタル上に記述することにあります。
コモングラウンドの解説動画 ©︎gluon
─「動的な空間」とは具体的にどういったものでしょうか?
豊田:その説明は、「静的な空間」を例に出すとわかりやすいかもしれません。例えば、GoogleMapや建物情報をデジタル化したBIM(Building Information Modeling)などがありますよね。
これらは、現実空間の情報を複合的に統合するものですが、あくまで建築物や都市などのいわば「動かないモノ」の情報を統合したもので、「静的な空間」の技術体系です。
一方で「動的な空間」は、現実空間で「動くモノ」が必要とする空間記述の体系です。例えば、ロボットや車の自動運転などがそうですが、現実の空間と連動して、空間の記述もつねに変化し続ける必要があります。具体的には、ロボットや自動運転を大量かつ本格的に社会実装するとなると、100分の1秒単位での空間記述性能が求められてきます。
加えて、空間の情報を瞬時に統合する仕組みや、物理世界と情報世界の双方向のインタラクションが大前提になってきます。しかし、このような「双方向での動的空間」の記述の体系は、汎用なかたちではまだ実現していません。
─たしかに、リモートでのロボット操作やバーチャルアバターなども出てきていますが、あくまで個別の行動に対する記述ですね。
豊田:はい。個別のアプリケーションやサービスに閉じてしまっているのが現状です。例えば、A社とB社のロボット、さらにC社の人間やバーチャルアバターを横断的に連携させようとしたとき、空間の記述形式が違うので連携が難しく、実社会で現実的には機能しなくなってしまいます。
簡単にいってしまえば、それらを都市や社会全体に実装する共通基盤になり得るのが「コモングラウンド」なんです。
ロボットがより自律的に動く。人間以外の「ノン・ヒューマン・エージェント」が社会にもらたすもの
─本特集では、デジタルとリアルが溶けた世界に生きる新人類を「メタ・サピエンス」と呼んでいます。コモングラウンドが社会実装された先に、メタ・サピエンスやその社会にはどのような変化が起こると考えていますか?
豊田:まず、人間以外の自律的な存在である「ノン・ヒューマン・エージェント(Non-Human Agent)」が当たり前になっていくのは、大きな変化でしょう。
わかりやすくいえば、現実世界ではロボットや自動運転できる車などの人間以外の存在が、もっと自律的に動ける社会になる。そうしたエージェントの視点も含めて街や社会を設計することで、人間社会も確実に変化していくと思います。
─ノン・ヒューマン・エージェントの視点が加わると、人間社会がどう変わるのでしょうか?
豊田:前提からお話すると、19世紀、生物学者・哲学者のユクスキュルが、人間以外の生物の視点で物事を考える「環世界(ウムヴェルト)」という概念を提唱しました。
トンボの複眼で見る世界と、紫外線領域を感知できる鳥の目で見る世界は異なり、さらに世界への働きかけ方も違う。ユクスキュルによれば、ありとあらゆる生物に異なる環世界があるとしましたが、センサーとか通信機器などの器官やシステムが異なるという意味では、ロボットやAI、さらには都市や地球(環境)も含まれるはずです。LiDARやBIMデータをとおした世界の見方だって存在するわけです。
人間をその幅広い生態系のうちのいち生命種という位置づけで見た場合、これまで唯一絶対の行為者かつ受益者であった、「人間の人間による人間のための」社会構造は、確実に変化し、拡張していきます。
例えば、現時点で一般的な「バリアフリー」とは身体に障がいがある人や高齢者のためのものですが、いずれロボットやバーチャルエージェントが認識しやすかったり、建物が車を認識しやすくなったりするなどの文脈でも重要になるでしょう。いわば、「ノン・ヒューマン・エージェント・フレンドリー」な空間の構造を考えていく必要性も出てくるんです。
─なるほど。ノン・ヒューマン・エージェント・フレンドリーな空間構造が構築されると、どんなことが可能になるのでしょうか?
豊田:ノン・ヒューマン・エージェントの環世界を疑似的に考えることで、社会の流動性や選択肢が増えるでしょう。例えば、いろんな空港で案内ロボット、お掃除ロボットなどの実証実験も取り組まれていますが、場所自体が人間の過ごしやすさを重視してつくられていますよね。だから、ロボットからすると、すごく動きにくい場面もたくさんある。
そうした場所をノン・ヒューマン・エージェント・フレンドリーにつくってあげられたら、ロボットも過ごしやすくなるから、人が移動する際の選択肢や社会の流動性も増えるはず。
ですから、人間がこれまで独占していた権威をノン・ヒューマン・エージェントに奪われるという考え方ではなく、結果的に人間社会全体の受益の機会が増えることにつながっていく、という発想の転換が人々に理解してもらうための肝になってくるでしょう。
どうやって「人類への受益性」を理解してもらう?コモングラウンドを浸透させるための考え方
─「長期的に見れば人類全体の受益性が高まる」ことを多くの人に認識してもらう必要があると。一方で、一人ひとりの人間は小さいタイムスパンのなかで生きているため、自身の時間や認知の限界を超えるような、長期的な時間軸で物事を見られない側面もあると思います。どうすれば「人類への受益性」の理解を、人々や社会に浸透させられると考えていますか?
豊田:これまで人間社会のなかで二律背反であった「全体最適」と「部分最適」を両立させられる可能性が出てくるので、そのメリットの経験を多くの方にしてもらうことが、コモングラウンドを浸透させていくポイントにもなると思います。
例を挙げるなら、個人がそれぞれの行き先に最短で移動しようとしたとき、朝の通勤帯のような社会全体としては効率の悪いラッシュアワーが発生し、個別最適と全体最適の衝突が生じますよね。
そのときに「社会全体としてはこの行き方のほうが効率的に良いので、こっちで行きましょう」とシステムが提案しても、人間はなかなか受け入れられません。
ですが、例えば『ポケモンGO』をやっている人に対して「その行き方は混んでいるし、珍しいポケモンがいるから先にこっちに行きましょう」みたいなかたちでインセンティブを設計したとします。
すると、単純な移動としては少し遠回りになるけど、個人的な満足感を得られますし、自分が納得できる範囲での効率性も担保できる。そのうえで、全体最適にも貢献しているといった状態がつくりだせるはずです。
─たしかに、そうした経験を得られると理解も納得感も深まりそうです。
豊田:とはいえ、全体最適のシステムを個別最適にいかに落とし込んでいくかは、これからの知恵の出しどころです。学術的・科学的な部分と、利益分配などの社会的・行政的な仕組みの部分などアプローチはさまざま。ぼくとしては、空間記述の領域から新しいモデルを提示することで、ほかの可能性も示唆したいと考えています。
コモングラウンドが実装した先で、人類はどこまで急激な変化に対応できるのか?
─コモングラウンドが浸透した際、現状では想像つかないような社会の機能や仕組みも生まれると思います。ただ、その機能を人間が完璧に使いこなせるようになるには、また別の課題がありそうですね。
豊田:もちろん人によって使いこなせる範囲の限界はそれぞれあると思いますが、人間の脳は人間が思う以上にフレキシブルです。だから、人類がこれまで体験したことのない状況にも、人間の認知は相応に対応ができるものです。
例えば、後から追いかけるドローンの映像を見ながら歩くと、最初は脳が混乱しますが、次第に慣れて自然に体を動かせるようになるのと同じです。
豊田:とはいえ、もちろん数百万年かけて進化してきた生物的な構造までは、なかなか変えられないという現実もあります。例えば、トレーニングすれば4、5本くらいまでは同時に筋電義手を動かせるかもしれないけど、さすがに100本は無理でしょうね。
ぼくが以前、ドイツの高速道路で自動運転の体験をした際に、自律走行から手動走行に切り替えたときも、たった30分で身体が完全自動運転に慣れてしまったせいで、ブレーキの踏み方が明らかに甘くなっていたり、最後の駐車でオーバーランしてしまったりしました。
身体や個人と集団の境界線が曖昧になり、拡散し、多層化することで、人間が制御できる認知の限界を超えてしまうこともあるはずです。
─停止中のエスカレーターにつんのめったり、加速度を感じずにVRをするとVR酔いになったりなんかは、その一種ですよね。
豊田:そうですね。社会のなかにある無数のトランザクションを人間が無意識で情報統合し、処理できる範囲にはリミットがあると思います。
現実世界とバーチャルな世界での「ズレ」を回収するのは、やはり「モノ」の強み
─自分の身体が本能として持っている所属や認知の関係性と、バーチャルな世界によって生じる「ズレ」は、ほかにも問題になってきそうですね。
豊田:はい。ただ、そのズレを回収するのがモノの強みであるとぼくは思います。モノは全情報を強制的にフィジカルに束ねるのでバグることがありません。金属は木にならないし、存在を瞬間移動させることもできない。拡散したさまざまな情報を強制的に集約してくれるのが物理的な「モノ」なんです。
認知症の方が、特定の場所を訪れることでそこでの出来事を思い出す、といったことがあることからも、「場所」や「都市」についても同じことがいえます。だからこそ、その価値が必ずもういちど浮上してくるはずです。
やっぱり夕陽がきれいな場所に直接行ったり、枯葉の匂いを嗅いだり、疲れて歩き回ったりといった、統合的な物語の価値が相対的に浮き彫りになっていく。こうした空間の価値を、編集可能かつ多くのエージェントに読みやすいかたちでデジタル上に記述していくことが、コモングラウンドの実現のために不可欠なのです。
─冒頭での「世界の流れに乗り遅れてしまった日本のものづくり産業にも望みが出てきた」というお話にも通じますね。建造物やあらゆる製品など「モノ」のクオリティーが高いとされる日本ですが、リアルとデジタルの融合した社会を築くために、これから取り組むべきことはなんでしょうか?
豊田:山ほどありますが、まずは教育がカギになると思います。ぼくが専門としている建築界においても、日本と海外を比較すると、やはりまだまだ後者のほうがAIやデジタルに強い人材は多い印象なので。
これまでの「ものづくり」に限った技術やノウハウだけを持っている人材のみでは、リアルとデジタルが溶けた世界は実現できません。建築、AI、データサイエンス、生物学……などあらゆる領域に精通するハイブリッド人材がどんどん出てくるのが理想ですね。
ぼくが東大生産研の特任教授に就任したのも「建築界の教育から変えていかなくてはダメだ」と感じたからです。異なる分野の共通理論が理解できるハイブリッド人材を、どう育てていくのかは、これからの重要なテーマだと思っています。
- プロフィール
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- 豊田啓介 (とよだ けいすけ)
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東京大学 生産技術研究所 特任教授、建築家(NOIZ、Gluon)。1972年生まれ。安藤忠雄建築研究所、SHoP Architects(ニューヨーク)を経て、2007年より建築デザイン事務所NOIZを設立。2017年、領域横断型プラットフォーム gluon設立。2017年、『2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)』誘致会場計画アドバイザー。2022年、一般社団法人Metaverse Japan 設立理事。
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