アメリカで幾度も発生し、多くの死傷者を出して社会を不安に陥れている、銃乱射事件。2023年2月10日より日本で公開される映画『対峙』は、学校での銃乱射事件を題材に、被害者の両親・加害者の両親の4人が、自分たちの苦しい葛藤を乗り越えるため、一つの部屋のなかで「対峙」し語り合うという内容の作品だ。
4人がやりとりする場面は、ドキュメンタリー作品や舞台劇のように撮られ、劇伴を排したリアルな演出がなされている。わかり合うことが困難に思える、立場の異なる親たちの対話は、はたして相互理解にまでたどり着くことができるのだろうか。
各国で43もの映画賞を受賞し、批評家からも高い評価を得た『対峙』だが、脚本・監督は驚くことに本作が映画初監督となる、俳優のフラン・クランツだ。そんな新たな俊英に、『対峙』を撮った理由や、作中で示された、現代社会において「対話」が持つ意義や可能性について質問を投げかけた。
銃社会の問題をパーソナルな視点から描く。「悲劇を、数字や見出しではないかたちで伝えたかった」
─まず、俳優として活躍しているクランツさんが、映画監督に挑戦しようと思った経緯を教えてください。
クランツ:私はもともと映画を撮ることが夢で、ホームビデオを自分で撮影していたような子どもだったのですが、20代になったら演技をするほうに夢中になって、俳優業にのめり込んでいました。でも映画づくりへの情熱は継続していて、やっと撮る側に戻ってきたという感じです。映画監督としてのスタートは遅れましたが、ある程度成熟した年齢から手がけられたというのは、逆に良かったのではないかと思っています。
俳優やスタッフに最高の仕事をしてもらえるよう背中を押したり、ビジョンをブレずに持ち続けたりすることは、自分としてはある程度の年齢を重ねているからこそできたことだと感じます。
クランツ:また、「自分が本当に伝えたいことを見つけないといけない」ということにも、大人になってから気づきました。『スター・ウォーズ』みたいな作品を観ながら育ち、エイリアンの地球侵略を描いた脚本を書いたこともあって、われながら完成度も高いと思っていたのですが、そこに自分にとってどんな意味があるのかを見出せなければつくる理由がないのだと気づきました。
─銃乱射事件を題材にしようと思い立ったきっかけは何だったのでしょう。
クランツ:2018年に、フロリダ州のパークランドで「マージョリー・ストーンマン・ダグラス高校銃乱射事件」が起こりました。そのときに父兄が泣きながらインタビューに答える姿をニュースで見て、非常に動揺したことを覚えています。当時自分が子育てしていたのもあるとは思いますが、なぜこんなにも心を揺るがされたのだろうと疑問に感じて、事件の内容や、親たちが示す感情など、いろいろなリサーチを始めました。その途中で、これを映画にできると思い至ったんです。
パークランド以外の銃乱射事件についても調べていきました。「コロンバイン高校銃乱射事件」の加害者の一人の母親である、スー・クレボルドさんや、「サンディフック小学校銃乱射事件」の加害者の母親ナンシー・ランザさんの発言は印象的で、本作の登場人物のリンダを描くにあたって大きなインスピレーションを受けています。被害者やその家族、さらに加害者の家族のディテールを知れば知るほど、それぞれにシンパシーや思いやりを抱くようになり、これは自分の問題でもあるのだと思い始めたんです。
─銃社会問題の政治的な面ではなく、事件当事者や関係者の個人的な感情の方にフォーカスしていったのですね。
クランツ:アメリカではこういった悲劇があまりにも続き過ぎていて、議会でも抜本的な議論が行なわれなくなっているのが現状です。銃社会の問題解決に向けて、なかなか前に進んでいませんし、発展性を期待する人々が少なくなってきているのではないかと感じています。
同時に、あまりにも同種の事件が多いために、市民はその出来事をニュースの見出しとしか感じられなくなり、シンパシーを感じることすらできなくなってきているのではないか。だからこそ、われわれの日常生活の延長線上にいるリアルな登場人物を提示して、観客に自分の問題だと感じてもらうような体験が提供できないかと思ったんです。悲劇を、数字や見出しではなく、よりパーソナルで、より親密なかたちで伝えることにしました。
「観客に、自分がその場にいるような気分を味わってほしかった」
─シーンのほとんどは、限定された空間での会話劇です。ドラマティックな内容であると同時に、前衛的な作品だとも感じました。何か参考にした既存の作品はありましたか。
『対峙』予告編。アメリカのある高校で生徒による銃乱射事件が発生し、多くの同級生が死亡。犯人の少年もそのまま校内で自ら命を絶った。それから6年、事件で息子を殺された被害者の両親と、事件を起こした加害者の両親が、セラピストの勧めで対面することになる
クランツ:「前衛的」と言ってもらえるのは、とても嬉しいですね。一つの場所を舞台にした作品や、会話劇を中心とした作品をたくさん参考にしましたが、なかでも影響を受けたのは、ルイ・マル監督の『My Dinner with Andre』(1981年、※)です。会話だけでもしっかりと物語が語れるという例を見せてくれて、自信が持てました。会話が続くシーンでは、見せ方のバリエーションが『対峙』よりもさらに少ないんですよね。
※『My Dinner with Andre』:『死刑台のエレベーター』などのルイ・マル監督による1981年の作品。マンハッタンのカフェを舞台に2人の旧友が繰り広げる会話のみで作品のほとんどが構成される。日本では劇場未公開
─クランツさん自身が俳優であることも影響しているのだと思いますが、俳優の魅力を発揮する舞台演劇のようでもあります。
クランツ:オフ・ブロードウェイのパブリックシアターで、戯曲家・演出家のリチャード・ネルソン氏と、役者として仕事をした経験があるんです。
彼のリアリスティックなスタイルというのは、例えば料理をする場面があれば、舞台の上で実際に野菜を切ったり、調理したりしてしまうんです。椅子の向きが観客に対して背中を向いていれば、そこに座る俳優は、背中を向けたまま演技をする。実際に私は、観客にずっと背を向けて演技をしていたんですけど(笑)。
普段喋っているようなボリュームでセリフを言わなきゃならないので、客席の後ろまで声が届かなかったりして、観客はフラストレーションがたまったかもしれませんが、そんな舞台を観ているうちに、観客は現実の状況に接しているような気持ちになるんですね。当時、ネルソン氏のもとで役者として演技をしているときは、あまり彼のやり方は好きにはなれなかった。でも、今回の映画では観客に、あの舞台のように、その場にいる気分を味わってほしかったんです。
教会で働く人たちが、話し合いの場で食事を用意するのかしないのか、椅子を出すのかどうかという、日常的なやりとりを冒頭で用意しましたが、あれも「リアルライフ」を見せることで、観客を作品世界に没入させる工夫なんです。
「未知なるものが存在するということを受け入れると、人は謙虚になれるのではないか」
─『対峙』では、教会や神の教えなど、宗教的な要素が散りばめられ、物語にも影響を与えていきます。映画を観たあとに、監督がクリスチャンではないと知って意外に思いました。
クランツ:キリスト教をベースにした教育を受けてきてはいるのですが、私自身は、とくにキリスト教徒というわけではありません。ですが、そう思うのは無理ないと感じます。観客の方たちもそうでしょうし、本作の編集スタッフにさえ、「監督ってクリスチャンなの?」と聞かれたくらいです(笑)。
人権活動家であり、キリスト教の司祭でもあるデズモンド・ツツ(※)は、著作のなかで、「赦しや償い、回復、和解といったものは、政治的な場所や裁判所などで交わされる会話という『通貨』ではない」というようなことを言っています。それは、コミュニティセンターや家、あるいは教会など、より市民に根ざした場所で扱われるべきものなのだと。舞台となる教会の一室も、市民のミーティングルームとして開放された、教会のなかにおける世俗的な場なんです。だから、キリスト教そのものは主題ではないということです。
※デズモンド・ツツ:南アフリカのアパルトヘイト政策撤廃に尽力した南アフリカ聖公会の元大主教。非暴力による反アパルトヘイト運動を展開し、1984年にノーベル平和賞を受賞、2021年に逝去した。クランツ監督は、大学時代に、アパルトヘイト後の南アフリカに設置された真実和解委員会(TRC)の研究を行なっており、デスモンド・ツツの言葉は本作の制作のインスピレーションになっている。
クランツ:一方で、悲しい出来事があったときに、最初に扉を開いてくれるのが、教会などの宗教的な場であることも確かです。悲劇の当事者は、愛する者の生や死に思いを馳せるし、自分の心を探求することも必要とします。本来、広い視野で観たときに「生と死」というものには意味がありません。でも、そこに意味を見出そうとするのが人間ですし、それを描くために教会という場所を設定しました。
もちろん、「宗教に入りなさい」と言いたいわけではないのですが、人間はどこかで、未知のものと対峙するときに、ある種のスピリチュアルと関係を持たなければならないとは思っているんです。「未知なるものが存在する」ということ自体を受け入れることで、人は謙虚になれるのではないか。そして、謙虚になることができれば、お互いを頼るようになると思うんです。
これも、デズモンド・ツツからの引用ですが、「われわれは、お互いに必要なものが何なのかをわかるために、それぞれ違うのである」ということです。
「対話」は社会を変えることができるのか?
─民族間の紛争やファシズム、陰謀論の広まりやヘイトクライムなど、話し合いがなかなか通用しない場面が現実に増えてきていると感じています。「対話」が状況を改善する可能性を、どこまで信じるべきだと思いますか。
クランツ:正直に言うと、それはわかりません……。この映画を撮っても、最終的な答えは見つからなかったですし、それを認めることは、私にとって辛いことでした。ここ数日の間でも、大規模な銃乱射事件が2つもアメリカで起きていますし、党派性のぶつかり合いによる断絶が一般市民のあいだにもあって、敗北感に苛まれています。
政治など大きな枠組みで、事態の解決ができない状況にあるのであれば、個人や家族など、もっと小さなレベルから始めるしかないのではと考えています。例えば、お互いの癒しにつながるような会話であるとか、「修復的司法(※)」のような仕組みには希望があるのだと。だから、『対峙』のなかで行なわれる話し合いというのは、一つの素晴らしいプロセスになり得ると思いますし、これがもっと普通のこととして知られてほしいと思うんです。
※修復的司法:犯罪の関係者である被害者や加害者、家族や地域の人々が一堂に会して対話することで、犯罪によって生じた害悪を修復しようとする取り組み
自分の映画が、問題解決への助けになるのかはわかりません。次々に起こる新しい事件や、現在の社会の状況を見ていると、この作品の意義を見失いそうになるときもあります。でも、人生における経験や苦しみを分かち合うことで、少なくとも互いにつながりを持てるはずだということは信じています。
そして、私にとってはこの思いを伝えることが、映画を撮る理由になったんです。だから、これからも映画を撮っていくなかで、「人と人とのつながりが最も大事だ」という価値観を描くことができればと思っています。
- プロフィール
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- フラン・クランツ
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1981年、アメリカ・カリフォルニア州生まれ。1998年、テレビシリーズで俳優としてのキャリアをスタートし、70本を超える作品に出演。出演作に、テレビドラマ『ドールハウス』(2009~2010)、『ジュリア -アメリカの食卓を変えたシェフ-』(2022)、映画『ダークタワー』(2017)、など。『対峙』(2021)で初めて脚本・監督を手がけ、世界各国の映画祭で絶賛され、数多くの栄えある賞に輝く。
- 作品情報
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『対峙』
2023年2月10日(金)からTOHOシネマズシャンテほか全国公開
監督・脚本:フラン・クランツ
出演:
リード・バーニー
アン・ダウド
ジェイソン・アイザックス
マーサ・プリンプトン
配給:トランスフォーマー
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