自分が熱心に応援していたアイドルや歌手が、犯罪者になってしまったら? 映画『成功したオタク』の監督オ・セヨンは、「推し」に存在を認知されるほど熱心なファンだったが、ある日、その人が性犯罪で逮捕されてしまう。突如訪れた受け入れ難い事実に苦悩し、同じように傷ついて葛藤する友人たちにカメラを持って会いに行く──。
『成功したオタク』は、自分の「推し」が犯罪者になるという経験をした、さまざまなファンの声を集めた韓国発のドキュメンタリー映画だ。登場するのは、監督のオタク仲間から、罪を犯した別の芸能人のファン、そして監督自身の母親まで。「信じていたのに裏切られた」「思い出が汚された」「彼を応援していた自分も加担していたのかもしれない」……作中では熱心なファンだったからこその率直な言葉が飛び交い、監督自身の気持ちも揺れ動いていく。そもそも「成功したオタク」とはなんなのか。芸能人とファンの適切な心理的距離とは。さまざまな問いが観客に投げかけられる。
「ファンダムという集団ではなく、一人ひとりに葛藤や複雑な考えがあることを見せたかった」と語るオ・セヨン監督に、本作を通して経験した心情の変化や、芸能人に課される「影響力を持つ人」としての期待、そして「それでもオタクをやめられない」理由などについて聞いた。
映画づくりを通して、傷ついたファンたちと話すことが、慰めのプロセスになった
─この映画は、事件(※1)があってもファンをつづける人、ファンをやめる人などさまざまな立場の人がいることを監督が知り、ご自身の友人である傷ついたファンたちにカメラを片手に会いに行くことにした、というところから展開していきます。「推しが犯罪者になったファン」という題材で映画を撮ろうと考えたのは、事件そのものというよりも、まだファンでいつづける人がたくさんいることを知って驚いたというのが直接的なきっかけだったのでしょうか?
オ・セヨン:この作品はドキュメンタリーとはいえ、ある程度のナラティブを持たせなくてはいけなかったのでそのように見えたかもしれないのですが、実際は、事件を知って、たくさんの人と話すなかで映画をつくろうと思うようになりました。この事件は、芸能界の性犯罪のなかでももっとも深刻な事件であり、私がその事件の中心にいる人物の「成功したオタク」だったので、周りの人に「これを題材にして撮ったら?」と言われたこともきっかけのひとつです。
事件があってもファンでいつづける人が多いということを知ったのは、私が彼のファンカフェ(※2)から脱退しようとしたときでした。自分はファンだったことすらも恥じているのに、まだファンでいる人がこんなにもいるんだと驚きました。それでこれを映画にしようと思いました。
※1:2018年に韓国の江南にあるクラブ「バーニング・サン」で起きた暴行事件に端を発し、関係者による違法薬物取引や性接待、売春斡旋などの疑惑が浮上。その過程で違法に撮影された性的動画がグループチャットで共有されていたことが明るみになった。この一連の事件で、オ・セヨン監督の「推し」であった歌手のチョン・ジュニョンや、「バーニング・サン」を所有していた元BIGBANGのV.I.をはじめ、複数の芸能人が逮捕され、韓国芸能界を揺るがす一大スキャンダルとなった。本作の助監督キム・タウンも当時V.Iのファンだった。
※2:公式ファンカフェ(ペンカフェ)は事務所が運営するコミュニティサイト。掲示板でファン同士が交流したり、芸能人本人が書き込みをしたりする。
─当時はMeToo運動が世界的に活発になって少し経ってからの時期だと思いますが、映画をつくるにあたってそのような社会状況からも影響を受けましたか?
オ・セヨン:MeTooも当然多くの影響があったと思います。韓国では2018年、2019年頃にMeToo運動が活発になったのですが、チョン・ジュニョンは2016年に性犯罪に関連する疑惑が記事になったことがありました。その頃の私はとても熱心な高校生のファンだったのでその報道を信じず、映画にも出てくる、その記事を書いたパク・ヒョンシル記者に対して「こんな記事を書くなんて悪い人だ」と憤っていました。
でも2019年に事件が起きたときに当時を振り返り、私がその人を応援していたという過去も含めて映画にしなくては、と思ったんです。
『成功したオタク』予告編
─映画でもパク記者に会いに行く場面は印象的でした。自分が多くの時間や情熱、ときにはたくさんのお金も注ぎ込んで応援した人が犯罪者になるというのは、非常にショックで受け入れ難いことだと思います。監督にとってこの映画を撮るということは、そのショックと向き合ううえでどのようなプロセスでしたか?
オ・セヨン:映画をつくり始めたときは、まだすべてを受け入れることができていなかったのですが、映画をつくるのに2年半くらいかかったので、完成する頃には気持ちは落ち着いていたと思います。
「受け入れる」というのは結局、この事件を思い浮かべたときに、心のなかで湧き上がってくるものがなくなる状態だと思うんです。最初はただ本当に腹が立って、あまりにも悲しかったですね。私の時間、私の青春を失ったみたいで、とても惜しいような気持ちでした。
でもその人が犯罪者になったとしても、私がそのとき、その人のおかげで幸せだったことは否定できません。彼は私の一部でした。悲しいけれどそういう気持ちもありました。映画をつくりながら、似たような経験をした友達とたくさん会い、その人たちにインタビューをする過程が私にとっては慰めになりましたし、考えを整理する時間になったと思います。
ファンダムという集団ではなく、一人ひとりに葛藤や複雑な考えがあることを見せたかった
─監督と助監督のタウンさんが、それぞれの「推し」のグッズを捨てる「グッズの葬式」をしようとしていたはずが、だんだん捨て難くなってきてハッとするというところなどに、まさにそんな複雑な心情が表れていると感じました。この映画では、そういった白黒はっきりつけることのできない、一人ひとりのファンの感情に焦点を当てることが重要でしたか?
オ・セヨン:そうですね。やはりファンダムという集団として見られることも多いと思うのですが、映画をつくる過程で、そのなかにいる個人個人がさまざまな顔や声を見せたり、聞かせたりしてくれるなかで、つまるところ、この人たちも人間なんだ、というふうに思いました。
「ファンダム」というと、単純で無知だとか、すごく乱暴だというようなイメージもあると思うのですが、そのような集団ではなく、そのなかにいる一人ひとりに、さまざまな葛藤や複雑な考えがあるのだということを見せたかったです。
─制作時は観客の存在も意識しましたか? こんな人に見てもらいたいという考えはあったのでしょうか。
オ・セヨン:一人ひとりの観客のことをすべて想像することはできないけど、この映画を見に来る方だったら、似たような経験や感情を共有できるんじゃないかという思いはありました。「たくさんの人にこのファンダムカルチャーを認めてもらいたい」というよりは、似たような経験をしたコアなファンの人たちに、「これは私たちの物語だ」と言ってもらえる映画をつくらなければならない、という考えをたくさんしたと思います。
─監督のステートメントで、ご自身がファンだったときを振り返って、「『成功したオタク』になれたこととは別に、”推し活“はそれ自体が幸せだった」と書かれていましたが、映画をつくる過程で、「推し活」や「誰かのファンでいること」そのものに宿る幸せについては、どのように考えが変わりましたか?
オ・セヨン:そもそもこの映画のタイトルである「成功したオタク(ソンドク)」という言葉には、辞書的な定義があったんですね。その人に会ったり、握手をしたり、サインをもらったりといった接触をして、認知されたら、「ソンドク」です。私もかつての自分を「ソンドク」として定義していました。でもそれは過ぎ去ったというか、時間が経って、それは「成功」ではないという気がしました。
「成功」は、なにか量的なものだったり、達成すべきスコアなどで決まるのではない。長くその人を好きでいられて、そのことが恥ずかしくなければ、最終的に「成功したオタク」になれるということなんだと思います。だから結局、「成功したオタク」になりたいと言ってなれるものではなく、私の好きな人が正しい生き方をすることで、私を「成功したオタク」にしてくれる。映画をつくりながら、そんなふうに考えがかなり変わりましたね。
なぜ「裏切られた」と感じるのか。好きなアイドルや俳優に対して、「正しい人であってほしい」というファン心理
─映画のなかでも「影響力のある人たちが持つべき責任感」について話している人がいましたね。「裏切られた気がして腹がたった」といった声もあったと思います。
性犯罪は芸能人でなくても言語道断ですが、別の論点として、芸能人はたとえば「影響力のある立場にいる以上、つねに模範的な姿を示すべき」というような「正しさ」を期待される傾向もあると思います。そしてその期待は私生活も追われる芸能人にとって、ときに過度な心理的負担につながる可能性もあるのではないかとも感じます。
「推し」に犯罪を犯してほしくないという願いや、性犯罪への怒りは当然のものとして、「正しい生き方をしてほしい」というファン心理の難しさについて、撮影中さまざまな元ファンの方々の声を聞くなかで、何か考えることはありましたか?
オ・セヨン:うーん、難しいですね。私はファンがプレッシャーを与えているわけではないと思うんです。それは他人のせいにしすぎているような気もするというか……。彼らが「僕たちは本当にいい人で、あなたの周りの普通の男性とは違う」というマーケティングをしているからこそ、ファンがより失望し、傷つくんじゃないかなと思います。人との違いを強調して、その差異を売っているからこそ、「この人は清廉潔白な人なんだ」と私たちがもっと信じるようになるんだと思うんです。
「模範的な人であれ」と私たちが言っているわけではなく、彼らが「自分は素敵な良い人」だと言っていたのでそれを信じた。だから、そうじゃないということを知った瞬間に、「あなたはこんな人じゃない」「裏切られた」と言うようになったんだと思います。
─ファンに対して、自分は他の人とは違う特別な人であるというふうに見せていたにもかかわらず、まったくそうでなかったということへの失望ということですね。
オ・セヨン:そうですね。犯罪を犯さないということが人として一般的な基準だとしたら、それより悪い行動を見せられたときにファンが傷ついて失望するのは当然だと思います。それに、犯罪を犯すというのはとても特殊なことでしょう? そんなに多くのものを望んでいるとは思えないんですよね。
ファンが負担を与える存在になるかどうかということについては、私はわからないですね。自分が売った自分自身の姿、そのイメージを守ること自体がプレッシャーになるというのはわかるのですが、それはファンが直接与えたプレッシャーではないようにも思います。
オタク仲間は戦友。「そのアイドルがどうなっても、私たちの友情は変わらない」
─韓国のファンダムは、一方で自分が応援するアイドルや俳優のために、ときには事務所に対して直接的に声を上げるなど、集団的に行動を起こす意識が強いような印象もあります。映画のなかで、かつて大好きだった「推し」であってもしっかり怒りを表明する女性たちの姿に励まされるところもあったのですが、そういった姿勢もファンダムのなかでは一般的に浸透しているものなのでしょうか。
オ・セヨン:韓国のファンは、自分が応援している人を守ろうとする気持ちが強い人もたくさんいますが、間違ったものを間違っているとちゃんと指摘する風潮もとても大きいと思います。ファンダムのなかで、ファン同士で話し合っていたようなことが、この映画みたいにパブリックに語られるという場面はあまり多くないですが、自分たちで何かを正していこうという自浄作用みたいな動き自体は、ずっとあるように思います。
─映画のなかで、監督とお友達がすごく率直に「推し」に対する考えを言い合う様子も魅力的でした。オタク仲間というのは、たとえば学校の同級生や職場の同僚などとはまた違う、自分の社会的な立場や属性から離れたところでつながることのできる特殊なコミュニティという側面もあるように思うのですが、監督にとってオタク仲間の方々はどういう存在ですか?
オ・セヨン:映画をつくってからかなり時間が経っているのですが、いまでもとても仲良くしている友達が多いです。オタク仲間のことを、「タクメ(オタクメイト)」って言うんですけど、映画に登場した友達のなかでも、同じ時期に同じ人の魅力にハマった人たちは好みが重なるんですよ。結局ほかのいろんなことでも趣味が合ったりするので、いろんな可能性を持った友達なんですよね。
オタ活というのは、基本的には何かを好きになるということだけど、じつはやりながらいろいろと乗り越えなきゃいけないことも多くて。その混乱を長い時間かけて一緒に潜り抜けてきたことで、もっと強い絆が生まれる関係になりました。結局そのアイドルがどうなっても、私たちの友情は変わらないなと感じました。
─素敵な関係ですね。ちなみにオタ活をやっているうえで乗り越えなきゃいけないこととは、どんなことなのでしょうか?
オ・セヨン:サイン会のため朝から並ぶとか、コンサートのチケット予約を一緒にやってくれるとかですね(笑)。戦友のような感じだと思います。
─監督自身も映画に出てくるお友達も、「もう誰のファンにもならない」と言うほど以前のオタ活でとても傷ついたけれども、時が経ってまた別のオタ活をしているという描写がありました。そのような経験をしたとしても、やはり誰かのファンでいつづけているのはなぜだと思いますか?
オ・セヨン:心臓があるからだと思います(笑)。
─なるほど(笑)。
オ・セヨン:もっと言うと、私たちは誰かを好きにならずには生きていけないような気がするんです。誰かを好きになったからこそ感じた気持ち──幸せだったり、慰めだったり、そういう感情を一度味わってしまったら、さらに一層誰かを好きになるしかないように思います。なぜなら、そういう気持ちが自分の人生におよぼす影響を知っているからです。
ただ同時に、この映画でも描いているように、私が幸せを感じた分だけ苦しむ可能性もある。そのことを毎回忘れてしまうような気がしてならないです。オタ活をするうちに、今回は違うだろう? と思うようになってしまうから。
- 作品情報
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『成功したオタク』
2024年3月30日(土)からシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
監督:オ・セヨン
配給・宣伝:ALFAZBET
- プロフィール
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- オ・セヨン
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1999年釜⼭⽣まれ。2016年〜2019年まで釜⼭国際映画祭市⺠評論団として映画レビューを執筆。2018年韓国芸術総合学校映像院映画科⼊学。本作が⻑編デビュー作となる。
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