コリン・デクスター著『モース警部』シリーズを原作とし、イギリスで大ヒットしたサスペンスドラマ『主任警部モース』。主人公・モースは、本国で「シャーロック・ホームズをしのぐ人気を誇る」と言われるほど国民的に愛されており、その人気は日本でも高い。そんなモースの若かりし頃を描いた『刑事モース〜オックスフォード事件簿〜』の最終章がWOWOWプレミアで8月26日に日本初公開となる。
かねてよりコリン・デクスターの著作や「モース」シリーズを愛好してきたというミステリー作家・阿津川辰海が、公開を目前に『刑事モース』を振り返り紹介。ひと足先に視聴した最終章や、製作の裏側に迫ったドキュメンタリー作品についても語ります。
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WOWOWプレミア
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コリン・デクスター原作の3つのドラマシリーズ。『主任警部モース』『ルイス警部』『刑事モース』
モース。この世でもっとも名探偵に近い警察官。閃きと論理の力を武器に、悪と戦う。女性を愛し、また愛されるが、独身を貫く。オックスフォード大学を中退し、警察官になった異色の経歴を持ち、クロスワードパズルとクラシック音楽を愛する。車もレトロなものを好み、赤のジャガーがトレードマーク。
彼が私たちの前に最初に姿を見せたのは、1975年のことだった。イギリスの小説家、コリン・デクスターが書いた一冊の本、『ウッドストック行最終バス』によってである。彼が書いた『主任警部モース』シリーズは、全部で13冊の長編と1冊の短編集にまとまっており、日本でもそのすべてが邦訳されている。このシリーズは人気を博し、今までで、三つのドラマシリーズが本国でつくられてきた。
最初の一つ『主任警部モース』(全33話、1987~2000年)は、デクスターの原作長編13作品の他、ドラマオリジナルのエピソードも豊富につくられ、モースはジョン・ソウ、彼の相棒であるルイスはジョン・ウェイトリーが演じた。原作ではモースとルイスは同い年だが、ドラマではルイスはモースより若い人間に改変され、さながら親子のような関係性を味わうことができる。
次のドラマ『オックスフォードミステリー ルイス警部』(全33話、2006~2015年)は、原作ではモースの部下だった「ルイス巡査」の「その後」を描いた後日談である。原作の第13長編にして最終作『悔恨の日』において、病によって死に瀕しているモースの捜査方法を受け継ごうと、ルイスはモースの推理方法を真似する(原作のなかでも屈指の名シーンであり、涙なしに読むことはできない)。ルイスは文字通り、モースを「受け継いだ」男なのだ(『ルイス警部』の知性担当は、相棒であるジェームズ・ハサウェイではあるが。彼はケンブリッジ大卒で、神学を専攻していた)。ケヴィン・ウェイトリーがルイス役を続投し、老成した姿を見られるのも感慨深い。
シリーズ3番目『刑事モース』の3つの魅力
さて、ここからが本題である。三番目のドラマ『刑事モース』(全36話、2013~2023年)は、モースの若かりし日を描いたドラマだ。モースを演じるのはショーン・エヴァンス。彼自身が監督を務める回もあるくらい、モースという役に入り込んでいて、脚本も『主任警部モース』『ルイス警部』と同じラッセル・ルイスが書いており、さながら原作者のデクスターが本当に書いたかのようなエピソードも存在する。しかも、ラッセルは毎回90分、全36話のエピソードを、一人で書き上げてしまったのだ。
1.師弟関係
この『刑事モース』の魅力は、大きく分けて三つある。一つ目は、師弟関係の魅力だ。ショーン・エヴァンス演じるモースは、オックスフォードを中退した異色の経歴から、独自の推理方法を繰り出し、最初は警視からも煙たがられるのだが、ロジャー・アラム演じるフレッド・サーズデイだけは、彼の凄さに気が付く。
彼に刑事としての手ほどきをしながら、時にたしなめ、モースもそれに応えていく。この師弟関係と、ショーンとロジャーの絵力が素晴らしい。そして、この師弟関係は、『主任警部モース』におけるモースとルイス、『ルイス警部』におけるルイスとジェームズ・ハサウェイの関係性をなぞりつつ、変化をつけたものになっているのだ。この時代を変えた師弟の繋がりが、このシリーズが長く愛される要因になっているように思う。
2.若さ
二つ目は、モースの「若さ」が描かれることだ。事件の闇に怯え、間違いを犯し、反省する。その若さゆえの姿が活写されているからこそ、人は惹きつけられる。モースは原作でも、仮説を先に立てて、それに従って論理を組み立て、それが行き詰まると推理を一気に放棄して次の仮説を立てる――という変わった思考法を行なっていたため、日本では「本格ミステリー」「謎解きミステリー」の文脈で受け止められたが、『刑事モース』では、この試行錯誤の論理が、モースの葛藤と成長の軌跡にそのまま生かされている。これが情熱的で、心揺さぶるのである。
3.時代の雰囲気
三つ目は、1960年代後半から1970年代前半の時代の雰囲気である。1975年にモースが「主任警部」として読者の目の前に現れたというのを絶対の基準としているので、若かりし頃のモースを描くとなると、必然的にその時代設定が選択されるというわけだ。1960年代の音楽業界を描いた事件や、プロサッカーリーグが深く関わる事件など題材の見せ方も豊富だし、ラストシーンでケネディ大統領暗殺のニュースが重く響いてくるエピソードもある――このドラマにおける「時代」の断層の覗かせ方は、実にシャープだ。画作りもノスタルジーをくすぐるもので、これは『主任警部モース』の頃から、このドラマがイギリス国民に愛される要因になっていると思う。
『刑事モース』各シーズンの見どころ・あらすじを総ざらい
それほど充実したシリーズではあるのだが――この度、シーズン9の放映をもって、全36話で完結する運びとなった。原点となった『主任警部モース』を超えるロングランだったが、いよいよ完結である。以下では、駆け足ながら、各シーズンの見どころとあらすじを総ざらいしておこう。
1話「華麗なる賭け」
パイロット版となった1話「華麗なる賭け」は、シリーズを代表する傑作だ。推理の試行錯誤が、モースの葛藤と完全に重ね合わされる。往年のコリン・デクスターが書き下ろしたかのような作品だ(おまけに事件の手掛かりはクロスワードパズルなのだ!)。
このドラマシリーズの原題は『Endeavour(エンデバー)』なっているが、これはモースのクリスチャン・ネームであり、原作では第12長編『死はわが隣人』の結末でようやく明かされるものだ。
「華麗なる賭け」の魅力はなんといってもラストである。車のなかでサーズデイに「20年後の自分の姿を想像してみろ」と言われたモースが、車のミラーのなかに未来の自分の姿――ジョン・ソウが演じる「主任警部モース」の姿を見出す。サーズデイはボーっとするモースに「モース……」「エンデバー!」と呼びかけ、モースは車を発進させる。隠されていた彼の名が、彼の背中を押すかのように、快く響き渡るのである。シリーズ全体の成功を象徴するかのような、輝きに溢れた名シーンである。
シーズン1(2~5話)
シーズン1(2~5話)では、レギュラーキャラクターであるブライト警視正からは煙たがられ、同僚であるストレンジ(彼は原作にも登場するキャラクターだ)には「お前は知性派かもしれないが、俺は度胸でやっている」と突っぱねられるなど、まだまだチームと打ち解けられていない。シーズン1では、むしろサーズデイとモースの関係性を深めることを重視しているように思える。
3話「殺しのフーガ」において、モースは犯人の悪意に曝されておののき、サーズデイに「仕事を家に持ち込まない秘訣」を聞く。ここのサーズデイのセリフが素晴らしい。
シーズン2(6~9話)
シーズン2(6~9話)では、このシリーズのもう一つの軸である「VS腐敗警官」の構図が早くも立ち上がってくる。9話「腐ったりんご」は、腐敗の構造を暴き立てる最初のエピソードで、これは最終シーズンにもつながるエピソードなので、忘れている人がいたら再視聴を促したい。
少年矯正施設「ブレナム・ベイル」を巡る、かなり重いエピソードであり、シリーズでもかなりの問題作だ。なお、ミステリー好きの最注目は7話「亡霊の夜想曲」。100年前の殺人事件を解き明かすと現代の殺人事件も解き明かされるという、アクロバティックな離れ業をやってのけている。
シーズン3(10~13話)
シーズン3(10~13話)は、シリーズ上の重要キャラクターの一人、サーズデイの娘・ジョアンのエピソードが掘り下げられる。警察組織に絶望したモースの原動力として、恋のエピソードが脇を固めるような構成になっているが、果たしてその結末はどうか。13話「愛の終止符」のラストシーンは、これまた泣かせる名シーンである。
シーズン4(14~17話)
シーズン4(14~17話)は、シーズン3の結末を受けて、精神的にかなり荒れてしまったサーズデイがモースにもつらく当たる場面があり、胸が締め付けられる。とはいえ、ミステリーとしての充実度は素晴らしく、特に16話「呪われたベッド」は出色。「10番ベッドの患者は亡くなる」というオカルトめいた噂を巡る、連続殺人の構図は見応えがある。
シーズン5(18~23話)
シーズン5(18~23話)ではモースに後輩ができる。この後輩、ジョージ・ファンシーは、最初はちょっと頼りない刑事で、モースのような冴えは感じさせないが、話が進むに従って成長してくるので見守ってもらいたい。そしてこのシーズン5では、次のシーズンに向け、とんでもない事件を最後に起こしてくる。容赦がない。ミステリー的には、ホラー映画を題材にした19話、鉄道ミステリー風の20話など見所が多い。
シーズン6(24~27話)
シーズン6(24~27話)は、過去最悪の状況下で始まるシリーズである。カウリー署が解体され、テムズ・バレー警察に再編されたことで、市警メンバーは散り散りになってしまうのだ。ブライト警視正は交通課へ、ストレンジは出世街道へ、そしてモースは制服警官へ(なお、ショーンはこのシリーズだけ口ひげを生やしていて、これも見所の一つ)。
制服警官の立場では、サーズデイに助言することも、捜査に口を挟むこともできない。このかなり厳しい状況下で、それでも手を取り合いながら警察内部の腐敗の構造に立ち向かっていく。そう、このシーズンは「VS腐敗警官」の総決算なのだ。27話「新世界の崩壊」のラストシーンに、興奮しない者はいないだろう。
シーズン7(28~30話)
シーズン7(28~30話)では、モースの一つの恋、その始まりと終局を紡ぐ。28話「愛の序曲」はショーン・エヴァンス自身が監督した作品であり、ヴェネツィア休暇中のヴァイオレッタとの恋や、オックスフォード時代の旧友との再会が描かれ、モースのパーソナリティーに深く食い込んだ話になっている。
30話「永遠のアリア」はシリーズのなかでもかなりシリアスな回で、シリーズの重要人物が死んでしまうことや、結末の切れ味も含めて、見逃せない作品だ。
シーズン8(31~33話)
シーズン8(31~33話)では、前シーズンで負った心の傷を癒すため、モースは酒に溺れる(見ていて非常に辛い)。プロサッカーの世界を描いた31話「殺しのホイッスル」は意外な展開が目を引く傑作だし、33話「白銀の終着地」はある意味「雪の山荘」ミステリーと言える作品だ。
32話「死を告げる時計」はタクシー運転手殺しのエピソードで、暗号は捻り過ぎだが、この回にはモースの義母が登場し、シリーズ中の重要なエピソードになっている。モースが子どもの頃、両親は離婚し、義母とは未だに折り合いが悪い。彼が15歳の頃に傷を抱えたことは、『主任警部モース』でも語られている話だ。この義母との口論の場面は、かなり胸が締め付けられる。傷ついていくモースをよそに、ストレンジはジョアンとの距離を縮めていく(モースからしてみれば寝取られである)。
いま駆け足で辿っただけでも、モースとサーズデイ、そして彼らを取り巻く人々のライフイベントが、緻密に設定され、進展していることがおわかりいただけるだろう。このシリーズのすごいところはまさにそこで、1話見るごとに、登場人物たちの「その先」を知りたくなってしまうのである。この物語の歩みの確かさが、ドラマが長く愛される理由ではないだろうか。
見事なグランドフィナーレを迎える、最終章
さて、いよいよ最終シーズンである。この最終シーズンにおいては、謎解きの趣向と、モースの成長物語、そして「VS腐敗警官」の構図が、渾然一体となって見事なグランドフィナーレを迎える。その完成度たるや、舌を巻くほかはない。
第34話「終幕への前奏曲」
第34話「終幕への前奏曲」は1972年が舞台。前シーズンの終わりで休暇に入っていたモースが帰還し、オーケストラを巡る事件に巻き込まれることになる。タイトル通りシーズンの「前奏曲」という位置づけの事件だが、このシリーズらしい音楽の描写へのこだわりと、意外な毒殺トリックを味わえる作品だ。
第35話『ブレナム・ベイルの亡霊』
第35話「ブレナム・ベイルの亡霊」は、タイトル通り、シーズン2の9話「腐ったりんご」に登場した「ブレナム・ベイル」の事件が蘇ってくる、実に不吉なエピソードである。シリーズ最大の問題作であり、モースたちにとっても苦い結末をもたらしたエピソード「腐ったりんご」が、文字通り「掘り起こされて」、新たな角度で描かれる。実にスリリングな一作だ。
第36話「終曲(フィナーレ)」
そして第36話「終曲(フィナーレ)」である。大学教授の死亡事件を追うモースは、さっそく現場の新聞記事のクロスワードパズルに目を付けるが、今回の事件の着眼点は別の点にある。事件の捜査を進めていくうちに、彼が対峙することになる恐るべき事件の真相とは。実に素晴らしい幕引きだ。
ラスト15分、片時も瞬きは許されない。ここでは第1話のあるシーンが残酷に裏返され、あるいは見事に活かされ、物語は文句一つつけようのない完璧なグランドフィナーレを迎える。おまけに、モースがなぜ結婚せず独身を貫くか、なぜオックスフォードに残るのか――デクスターの口からは語られることのなかった、モースという風変わりな人物が内包する謎のすべてに、決着がつくのである。一つだけ言わせてもらうなら――これはまさしく「名前」を巡る物語だったのである。
舞台裏に迫るドキュメンタリー『最後の刑事モース〜知られざる舞台裏〜』
ドラマの放映に合わせて、ドキュメンタリー「最後の刑事モース ~知られざる舞台裏~」も放映される予定で、こちらも併せてオススメしたい。
イギリスではシャーロック・ホームズよりも人気を博している、と聞いて、私は常々「本当に?」と思っていたのだが(日本では、原作があまりにも「本格ミステリー」として読まれすぎており、その複雑怪奇なプロットばかりが取りざたされていたからだ)、このドキュメンタリーを見ると、キャストやスタッフへのインタビューから、彼らにとっていかにモースというのが愛すべきキャラクターであったか、いかに国民に愛されてきたかが、ひしひしと伝わってくる。モースファンにとって、これ以上幸せな光景もない。
原作ファンとして恥ずかしい限りだが、原作者コリン・デクスターが『刑事モース』にカメオ出演していたことを、このドキュメンタリーを見て初めて知った。往年のヒッチコックのように、『主任警部モース』『ルイス警部』でもひょこっと出演して、それを見つけるのがドラマの愉しみにもなっているのだが、『刑事モース』の頃は晩年なので、出演していると思っておらず、油断していたのだ。
2017年にデクスターは亡くなっているが、その直前の姿を見ることができる貴重な映像である。デクスターは大好きな作家だったので、亡くなったと知った時、心にぽっかり穴が開いた気分になったが、カメオ出演のバスのシーンで笑っているデクスターの映像を見て、また少し、涙ぐんでしまった。
1975年に幕を開けたモースの物語は、2023年、48年の時を経て、今また一つの終局を迎えた。3つのドラマの話数を合わせれば、なんと102話にもなる。また会える日は来るのか、それともこれが本当の最後になるのか。ともあれいまは、ファイナルシーズンの素晴らしい結末を噛みしめ――その「続き」となる、最初のドラマ『主任警部モース』を再視聴したい。どうかしていると思われるかもしれないが、『刑事モース』を見れば、きっとあなたもそうしたくなる。
- プロフィール
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- 阿津川辰海 (あつかわ たつみ)
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2017年、本格ミステリ新人発掘プロジェクト「カッパ・ツー」第1期に選ばれた『名探偵は嘘をつかない』でデビュー。作品に『録音された誘拐』『阿津川辰海・読書日記 かくしてミステリー作家は語る〈新鋭奮闘編〉』『入れ子細工の夜』『星詠師の記憶』『透明人間は密室に潜む』『紅蓮館の殺人』『蒼海館の殺人』がある。
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