メイン画像:『牯嶺街少年殺人事件』©1991 Kailidoscope
映画『牯嶺街少年殺人事件』が8月11日から1週間限定上映される。
今回の上映は『エドワード・ヤンの恋愛時代』4Kレストア版が8月18日から公開されることを記念したもの。『牯嶺街少年殺人事件』はBBCが1995年に選出した「21世紀に残したい映画100本」に台湾映画として唯一選ばれたエドワード・ヤン監督作品となる。
8月11日にはTOHOシネマズ シャンテで『エドワード・ヤンの恋愛時代』と『牯嶺街少年殺人事件』を一挙上映。濱口竜介と岨手由貴子によるトークショーを含むプログラムが開催される。
今回の発表とあわせて『エドワード・ヤンの恋愛時代』に寄せた著名人コメント、高妍のイラストも到着。
【玉城ティナのコメント】
芸術は、めんどくさい。恋愛はもっともっとめんどくさい。
それでも、いつの時代も人々は情けないほどに愛を求め、自分の空虚な穴を誰かが埋めてくれないかと喚き散らかしている。
それぞれのやり方で。色褪せる事のない名作。
【尾崎世界観(クリープハイプ)のコメント】
どこまでも満たされないし、こんなにも理解されないのに、人を愛さずにはいられない。
正直で、不器用で、自分勝手。そんな登場人物たちを愛さずにはいられない。
【吉田恵里香のコメント】
常に満たされたい。些細なことで落ち込むし浮かれる。脆いけれど図太い。
そんな私たちが凝縮された作品だ。
だが、どうか普遍という言葉で片付けないでほしい。私たちと彼らを取り巻く事柄が、何が今と変わり、何が変わっていないのか。目をそらさず見つめてほしい。
2023年にこの作品に触れられることに心から感謝したくなった。
【濱口竜介のコメント】
必然的に人間性を失わせるこの社会で、人はいったいどう生きていくのか。
エドワード・ヤンの映画の価値は時間を経ても失われない。
それどころか『エドワード・ヤンの恋愛時代』に含まれる洞察は、私たちにとってより切実で、必要なものとなっている。
『恋愛時代』は深い絶望の後にしか訪れない希望を描き出す。
希望があるとすれば、互いに動く人と人の出会いと関わりのうちにしかないのだ。エドワード・ヤンは「どうしたら私たちはこの社会で、他者とともに生きていけるのか」という問いを決して投げ出さなかった。
彼の映画にいつまでも敬意と愛を抱かずにおれないのは、そのためだ。
【岨手由貴子のコメント】
都会で若き日を過ごす孤独と高揚は、この映画の大半を占める「誰かといるのに寂しい」というシーンに似ているかもしれない。
俗世間で煩悩にまみれるどこにでもいそうな若者たちは、それぞれに混乱しながら、唯一無二の美しい瞬間を獲得していく。
そうやって紡がれる清々しい真理は、素晴らしいラストシーンへと繋がり、観るたびにまたこの世界を信じさせてくれる。
【三宅唱のコメント】
人の人生がはっきりと変わる瞬間が何度も映っている映画で、何度も息をのむ。
夜が暗いからこそ生まれたとしか思えない会話、隣に座ったからこそ続いた会話、向き合ってしまったせいで終わった会話。
夜明けの暗がりである人がふと話すのをやめ、無言で体の向きをぐいと変える瞬間、すべてが一変する。
二度と元には戻らない。なにもかもが致命的で革命的で、目が離せない。
不幸な時間も幸福な時間もとりかえしがつかない。
そう感じだすと生きるのが怖くなる。
けれど、それが悦びに変わる瞬間も映っていたと受け止めたい。
【温又柔のコメント】
幸福でないからといって、不幸とは限らない。
本物でなければ偽物だとも限らない。私たちはしょっちゅう二項対立の罠に陥る。
でも、大丈夫。エドワード・ヤンのこの映画が、掻き乱してくれる。
突破口はあると示し、その先に溢れる光に気づかせてくれる。
【高妍のコメント】
彼らは人生の中で様々な答えを探そうとした。
しかし、多くのことは意味を持たず、答えもないかもしれない。
全ての終わりは“They just had a bad day”だ。
そして、全ての始まりもまた“They just had a bad day”なのだ。
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