チバユウスケへの献花の会『 Thanks ! 』に寄せて。色褪せずに残る声

去年11月26日に亡くなったチバユウスケへの献花の会『 Thanks ! 』が1月19日、東京・Zepp DiverCityで執り行なわれた。正午から始まった一般参列者向けの献花式には多くのファンが駆けつけ、日本の音楽シーンに大きな影響を与えたロックミュージシャンとの別れを惜しんだ。

チケットの応募者が多数となり追加枠が設けられ、The BirthdayのInstagramでは現地にいない人に向けてライブ配信も実施された。21時の最終枠に参列したときの様子とそこで感じたことを少しだけ綴りたい。

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1月19日、冬晴れとなった東京でチバユウスケの献花の会が開催された。

1991年から2003年までロックバンドTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのフロントマンとして活動し、その後はROSSO、Midnight Bankrobbers、THE GOLDEN WET FINGERS、The Birthdayなどで活動したチバユウスケ。去年4月に食道がんの治療に専念するため休養を発表していたが、惜しまれながらもこの世を去ってしまった。

未発表のままとなったが、The Birthdayは2023年秋にツアーを予定していて、チバが亡くなった11月26日はZepp DiverCityでツアー最終日の公演が開催されるはずだったという。年が明けて同じ会場で献花会が開かれることが発表されたが、抽選制のチケットは応募者が相次ぎ、追加枠を設けた上で再受付も行なわれた。

筆者がチバユウスケを知ったのは大学生の頃である。すでにミッシェルは解散していて、アベフトシが亡くなってしまった直後だった。当時はミッシェルのライヴ映像を収録したDVDボックスが発売されたり、ラストライブの爆音上映が実施されたりして、幸運なことに遅まきながらもミッシェルの音楽を楽しむ機会を何度か得て、The Birthdayのライブにも足を運んだ。

休養すると発表があったとき、きっと元気に戻ってくるのだろうと悠長に考えていた。突然の訃報には実感がなく、受け入れられないような喪失感を抱えていた。

筆者が参加したのは最終枠である21時だった。すっかり日が落ちた時間帯だったが最寄りの東京テレポート駅は賑わっていて、Zepp DiverCityまで向かう途中で革ジャンを羽織る人やモッズスーツに身を包む人をちらほらと見かけた。20時半の集合時間ぴったりに会場に着くと、外には長蛇の列が続いている。仕事帰りに駆けつけたであろう人や、多様な人々が並んでいた。

開始時間になり、地下に潜るようなかたちで入場すると、エントランスではThe Birthdayのライブ開演時に流れるお馴染みのSEであるThe Crests“16 Candles”が流れていた。花を手向けにきたにもかかわらず、まるでライブが始まるかのような雰囲気。不思議な感覚だった。メインホールまでの道のりには新保勇樹やアミタマリらが撮影したチバの生前の写真が並べられていて、多くの人がその姿を眺めながら涙ぐんでいた。

ホール内にはThe Birthday、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT、ROSSO、チバのソロプロジェクトSNAKE ON THE BEACHなどの楽曲がライブさながらの爆音で流れ、ステージ側には大きな献花台がそびえ立っていた。

星空を背景に16本のキャンドルや十字架、マリア像が添えられ、ガーベラが大きな星形にかたどられたチバらしい祭壇。マイクを高々に突き上げる写真の前にはグレッチギターとアンプ、絨毯の上にマイクスタンドが置かれていた。

ホールには音楽が鳴り響いていたが、参列した人たちの悼む気持ちがそうさせるのか、なぜか静寂を感じた。献花台に並んだファン一人ひとりは、手渡された一輪のガーベラを手向けて、それぞれの時間をかけて黙とうを捧げていた。

スタンディングエリアの後方には一時的に留まるスペースが設けられており、献花を終えた人たちがなごり惜しむようにその場にとどまり力強い歌声に耳を傾けていた。筆者がいた時間帯は“星の少年”、“愛でぬりつぶせ”、“KAMINARI TODAY”、“ローリン”、“READY STEADY GO”などさまざまな楽曲が流れ、最後の方では、曲が終わると次第に拍手が沸き起こるようになっていった。

花を手向ける人が途絶え、献花台の前に誰もいなくなったメインホールで、最後に流れたのはThe Birthdayが2019年に発表した“OH BABY!”だった。この曲のみライブ音源となっていて、演奏が終わると、最後にチバの「サンキュー! ありがとう」「またここで会おう」という声が響き渡った。反射するかのように客席からは「チバ、ありがとう」という声が上がった。

献花の会のタイトルにもなったこの言葉、ライブの最後に観客に向かってチバがよく叫んでいたこのフレーズ。彼のバンドの音楽を聴き、心から楽しむ観客たちに向けて、ただ真っ直ぐに伝えられてきた言葉であるのだろうと考えると、私たちが受け取ったものはあまりにも大きく、だから悲しい。

The Birthday “OH BABY!”
Apple Music

筆者は、彼の音楽に影響を受けた数ある人間のうちの一人にすぎず、ここで追悼の言葉を送るのはなんとなく気が引ける。それでも自分の人生にたくさんの彩りと喜びを与えてくれたミュージシャンであったことは間違いなく、この気持ちは多くの人と共有ができるものだと思う。圧倒的なエネルギーと高揚感。音楽が生み出す力というものを初めてこの身で心の底から体感したのはチバユウスケの音楽を通してだった。

献花の会に参加した人、参加することが叶わなかった人、参加しなかった人。忙しくて献花の会があったことを見逃していた人もいるかもしれない。まだその死を受け入れられないという人もいるだろう。さまざまな見送りかたと向き合いかたがあると思うが、彼の音楽に触れた人の数だけ、それぞれの思い出があり、それは特別で、色褪せずに残っていくはずだ。

2023年は多くのミュージシャンが去ってしまった悲しい年であった。残された私たちにできることは、彼らから受け取ったものを大切にしながら、その音楽をこの先も聴きつづけて、生きていくことしかないのだろう。会場でも流れた“星の少年”でチバはこう歌っていた。<俺はまだまだ ここでやること ありすぎるから 生きるしかない サンズの川の向こう行ったら またケンカゴマ 飯までやろう>。日常に喜びを見出すことをあきらめずに生きていきたいと、背筋をしゃんとさせられる。

今年春には、The Birthdayのフジイケンジ、ヒライハルキ、クハラカズユキによって、生前にレコーディングされた新曲3曲がリリースされるという。またチバユウスケの新しい音楽に触れる機会を残してくれることに心から感謝するとともに、いまはただ故人を偲びたい。



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