日本を代表する名脚本家・山田太一が1987年に発表した長編小説『異人たちとの夏』。2003年に英訳され、世界的に広く読まれているこの名作を、『荒野にて』(2017年)のアンドリュー・ヘイが映画化した。それも、特別にパーソナルなかたちで。
舞台は現代のロンドン。40代の脚本家・アダムは、幼いころに両親を交通事故で亡くしてから孤独な生活を送っていた。ある夜、アダム(アンドリュー・スコット)は同じタワーマンションに住む若い青年・ハリー(ポール・メスカル)と出会って恋に落ちる。一方、幼少期を過ごした家を訪れたアダムは、この世を去った当時と同じ姿をした両親と再会。家族との失われた時間を取り戻そうとしながら、アダムはハリーへの愛情を深めていくが、その幸福なひとときは決して長く続かなかった――。
1973年生まれのヘイは、以前から、自らと同じく1980年代に成長したゲイ男性を表現する映画を構想していたという。しかし、なかなかそのアイデアを実現するにふさわしい物語を見つけられずにいたなか、偶然出会ったのが『異人たちとの夏』だったのだ。
幼くして両親の離婚を経験し、エイズが社会問題となった1980年代には激しい同性愛嫌悪にさらされ、のちに両親へのカミングアウトを経験したヘイ(*1)。小説の脚色にあたっては、自らのエピソードを物語に織り込み、両親と暮らした幼少期の我が家で撮影を実施するなどパーソナルな映画づくりにこだわった。原作者の山田とその家族は、男女の恋愛関係ではなく、主人公とその恋愛相手をゲイ男性に変更することを快く認めたという。
『TIME』誌のインタビュー(*2)で、ヘイはこう言っている。「人生は複雑で、誰しも複雑なところで人生を終えるもの。自分が死ぬ前に、ほとんどの人が両親を失い、2人に1人はパートナーを失うかもしれません。人生とは喪失と向き合うことです。しかし、そこから生まれる愛こそが本質的で大切なのです」
山田太一の想像力に、個人的かつ独創的なアイデアが融合して誕生した映画『異人たち』。そこに描かれた「孤独」と「愛」の本質を、監督・脚本のアンドリュー・ヘイに聞いた。
山田太一の小説を大胆に翻案。監督自身の痛みや喪失、過去の経験を織り込んだパーソナルな物語に
─『異人たちとの夏』を個人的な物語として翻案するうえで、フィルムメイカーとして、原作小説のどのようなところに創造的な可能性を感じたのでしょうか?
ヘイ:小説を読んだとき、「過去に戻って両親に再会する」というコンセプトがとても気に入りました。より正確に言えば、主人公は両親に再会するというよりも、年老いた自分や若い日の自分に出会うことで、それまで忘れようとしてきた、あるいは抑圧し、隠し続けてきた過去に直面するのです。自らの抱える痛みに向き合わなければ、その痛みが消えることも、また癒やされることも決してない――そのことが描かれているところに強く惹かれました。
この映画は、人生を前進させるために過去の痛みから脱却しようと試みる人の物語です。だからこそ、観客に影響を与えられるよう個人的な映画としてつくりたいと思いました。自分の感情や人生をなるべく個人的かつ正直に語ることができれば、観客もそれぞれの人生をこの物語に投影できるのではないかと思ったのです。「私が自分の人生を語ったら、あなたも自分の人生について語ってくれるでしょう?」というように。観客にとっても個人的な映画になればと思っていたので、観た人に感情を揺さぶる体験をしてもらえたら本当にうれしいです。
─ご自身の過去や恋愛、人間関係などの実体験を、この物語にどう組み込んでいきましたか?
ヘイ:この映画は自伝ではなく、私の両親はまだ生きているので、それが現実と根本的に異なる点ですね(笑)。しかし、脚本を書くなかでは、私と両親の関係や、いまだ両親と話していないことについて熟考しましたし、劇中で語られる内容には、私自身の学生時代や若いころの経験もたくさん含まれています。子どものころに住んでいた家を撮影に使用したことも含め、この映画では自分自身の物語とフィクションが融合しているのです。
ほとんどの映画監督は、どんな作品であれ、撮った映画に自分の人生哲学が表れるものです。私自身、自分なりの世界の見方を映画のなかで表現しようと心がけてきました。作品がとても個人的なものに感じられるのは、そこで私が「いかに人生を送るか」という意思を示しているからでしょう。
同じ時代に育ったアンドリュー・スコットと交わした会話。世代間で異なる体験と、社会が変わっても変わらないもの
─40代のアダムと若いハリーには世代のギャップがあります。原作の主人公の恋人よりも若く設定されていると思いますが、この脚色にはどのような狙いがありましたか。
ヘイ:私にとって世代差は非常に興味深いもので、特にクィアの観点でいえば、現在20代の若いクィアは、40代や50代のクィアとはまるで異なる経験をしています。まったく違う時代を生き、まったく違う視点で世界を見ていると思うのです。アダムの父親も、クィアではありませんがまた別の時代を生きてきた人ですよね。
私が探求したかったのは、アダムとハリー、そしてアダムの父親のそれぞれにどんな違いがあるのか、世界がどれだけ変わったのかということ。同時に、世代を超えても変わらないことがどれほどあるのかということです。だって、世界が変わったとしても、現在の27歳が孤独を感じていないわけではないでしょう。時代の流れによってどれだけ大きな変化があったのか、その一方でいかに何も変わっていないのか、その両方を描くことに関心がありました。
─アンドリュー・スコット(※)さんはアダム役の第一希望だったそうですね。「この映画のクィアネスの探求には多くのニュアンスがあり、それを深いレベルで理解できる人が必要だった」と映画のプロダクションノートで語られていましたが、創作のなかでどんな話し合いをされたのでしょうか。
※ドラマ『SHERLOCK/シャーロック』『Fleabag フリーバッグ』やNetflixシリーズ『リプリー』などへの出演で知られるアンドリュー・スコットは、2013年にゲイであることを公表している
ヘイ:お互いの過去や経験についてたくさん話し合いましたね。私は51歳、彼は47歳(※2024年4月現在)なので、私のほうが少し年上ですが、2人とも同じような時代に生まれ育ったのです。私はイギリス郊外の小さな町、彼はアイルランドの小さな町に住んでいました。
1970~80年代は、クィアにとって良い時代ではなく、とりわけ80年代は本当につらい時代だった。子どものころの自分たちが何を感じていたのか、いまは当時のことをどう捉えているのかを話し合いました。お互いに成長し、充実した生活を送っているいまでも、そのときの気持ちははっきり覚えているのです。
私たち2人にとって、それはかつての痛みにアクセスすること。私個人にとっては、人生の喪失や悲しみ、痛み、トラウマに深くつながるもの――つらい時代に自分の奥深くに埋めたものを、ふたたび浮かび上がらせるような作業でした。
大切なことは、「他者から何をもらうか」ではなく、「他者のために何ができるか」
─ハリー役のポール・メスカルさんとは、役柄や演技についてどんな話をされましたか。
ヘイ:ポールは27歳とまだ若く、いままさに自分自身を発見しようとしているところです。しかし彼には、孤独や寂しさ、悲しみへの深い理解がある。彼自身がそういった苦しみを抱えているわけではないように思いますが、孤独や悲しみを理解し、また共感しようとしている、人間としての深い共感力がある人だと思います。
ハリーの役目は、アダムが自分の気持ちを自由に表現し、ありのままでいることに自信を持てるようにすること。ポールとはそのことについてたくさん話しましたが、ハリーはアダムを精神的に支える役割なので、典型的な補助役だと言えます。しかし、映画のなかでハリーもまたアダムを必要としていく。そこに、私の考える「愛」の定義があります。愛とは何か、どんなものになりうるのか。いかに愛は生まれ、育ってゆくのか。私たちはいかに愛を維持し、愛に向き合うのか。
大切なことは「自分が何を感じ、他者から何をもらうのか」ではなく、「いかに大切な人を支えられるのか、自分を必要としている人のためになれるのか」だと思います。すなわち、他者のために何ができるかなのです。子どもに対する親の愛だけでなく、私は恋愛もそうであるべきだと思う。しかし、そんな愛が難しいのは、私たちが自己中心的で、すべてを我が物にしたいと考えてしまいがちだからです。
原題『All of Us Strangers』に込められた、観客への問いかけ。私たちは互いにとっての、「異人たち」なのか?
─この映画は「幽霊もの(ゴーストストーリー)」としても解釈できるようにと思います。あなたにとって、アダムの両親は幽霊なのでしょうか、もっと抽象的なものの象徴なのでしょうか。
ヘイ:私はこの映画を両方のレベルで成立させようとしていたので、仮に「幽霊もの」として解釈していただいてもまったく問題ありません。私が思うに、アダムの両親やハリーの存在、それだけでなく劇中に登場するすべてのものは、アダムが人生で切望し、必要としてきたことの現れです。
しかし、それらを幽霊だと解釈してもかまわないのは、そもそも幽霊とはそういう存在だから。幽霊とは幽霊そのものであり、また私たちの憧れや欲望、願い、恐怖の象徴でもあり得るということですね。
─原作小説『異人たちとの夏』の英題は『Strangers(異人たち)』ですが、本作の原題は『All of Us Strangers(我々みな異人たち)』です。非常に意味深いタイトルに変更されたわけですが、ここにも監督の人生哲学が表れているのでしょうか。
ヘイ:タイトルを変更した理由は2つあります。ひとつは、『Strangers』という映画はたくさんあるので、わざわざ同じタイトルにしたくなかったから。インターネットで検索しても別の映画がたくさん出てきてしまい、この映画にたどりつけないでしょう(笑)。
またもうひとつの理由は、私の描いた物語が山田太一氏の小説を翻案したものであり、お互いに独立していながら、どこか対話しているように思えたからです。そのとき、同じタイトルにしないほうが良いと思いました。
私は映画館の客席にいる観客に向けて語りかけたいし、この映画が観客の人生に何を語りかけているのかをじっくりと考えてほしい。だから、タイトルを『All of Us Strangers』としたこと自体がひとつの問いかけなんです。「私たちは自分の家族やパートナーにとっての、そして観客それぞれにとっての『異人たち』なのか?」という。
映画の素晴らしさは、たとえ観客全員が見知らぬ人(strangers)同士で、お互いのことを知らなくとも、スクリーンを通じて感情的につながりあえること。だからこそ映画は特別なのだと思います。
この宇宙で一番大事なものが愛であるという考えは、希望に満ちている
─これはあなたにとって個人的なテーマではなかったのかもしれませんが、この映画は現代の都市に暮らす人びとの孤独にも触れているように感じました。もしかすると都市に限らず、現代人に共通するどこか普遍的な孤独と言いかえてもいいのかもしれません。
ヘイ:とても興味深いことです。私はそうした孤独を、自らと過去のつながりが希薄になることでもあると考えています。多くの人びとが人生のなかで移動を経験するように、私も郊外で育ちましたがいまは都市に住んでいます。少なからぬ人たちが、大勢の人びとに囲まれていれば自分の進むべき道が見つかるだろう、疑問に答えが出るだろう、と思って都市に引っ越してくるわけですよね。しかし、必ずしも答えが見つかるとは限らないし、それどころか都市のなかで孤立することさえありうる。また、そのことが自らの過去に思いを馳せるきっかけにもなり得ます。
おそらく私たちは、自分の過去にある安心感と、現在の都市だからこそ味わえる自由との狭間にいるのです。それは非常に複雑なことで、私たちは自分の居場所を探しながら、つねにああでもない、こうでもないと考えている。都会に住んでいると、たくさんの人びとに囲まれるがゆえに楽しいこともあります。しかし、自分以外のみんながあたかも人生を謳歌し、成功しているように見えて、恐ろしい孤独を感じることもあるのです。
─世界中が経験した新型コロナウイルス禍における「孤独」も作品に影響を与えたと思われますか?
ヘイ:もちろん無縁ではありません。私が脚本を書いたのはコロナ禍のロックダウンの最中で、当時はアメリカに住んでいたので、イギリスの家族とは離れて過ごしていました。ですから、あのころ誰もが感じていた孤独感とも確実に関係しているでしょう。
しかし、私たちが当時の状況から抜け出せたかと言われれば、それはわかりません。少なくとも、私自身はいまも抜け出せていないように感じるのです。プライベートの交友関係はそれ以前ほど広くありませんし、以前ほど外出することもなくなりましたから。
私は映画監督としていろいろな仕事をしていますが、決して社交的ではなく、むしろ内向的な性格です。私のような人が、パンデミックの期間で自分の内面にじっと向き合ったあと、それ以前の世界に戻ることはかなり難しいようにも思います。
─具体的な言及は避けますが、この映画は非常に小さな物語で始まりながら、最後には宇宙的なスケールへと広がっていきます。私自身は切なくも希望のある結末だと考えましたが、監督自身はどう感じていますか。
ヘイ:おっしゃるとおり、まさしく希望にあふれた結末です。人によっては悲劇的な結末だと思われるかもしれませんが、私にとってはそうではなく、ひとつの希望なのです。
ただの理想論だと思われるかもしれませんが、この宇宙で最も大事なものは愛であるという考えは、とても希望に満ちていると感じます。それは誰もがその達成のために努力できるということだから。
そしてクィアな愛だって、宇宙的に重要であり、地上のスケールで非常に大きな意味を持てるのだということ――それは、かつてクィアの子どもだった私にとって、たいへん大きな希望と解放を意味しました。ほろ苦さと悲しみのある物語ではありますが、私にとって、これはまぎれもなく希望に満ちた結末です。
『異人たち』予告編
- 作品情報
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『異人たち』
2024年4月19日(金)から公開
監督:アンドリュー・ヘイ
原作:山田太一『異人たちとの夏』(新潮文庫刊)
出演:
アンドリュー・スコット
ポール・メスカル
ジェイミー・ベル
クレア・フォイ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
- プロフィール
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- アンドリュー・ヘイ
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受賞歴のあるイギリスの監督、脚本家。手がけた作品に、『荒野にて』(2017)、『さざなみ』(2015)、そして『WEEKEND ウィークエンド』(2011)などがある。また、ジョナサン・グロフとマーレイ・バートレットが出演したHBO作品『Looking/ルッキング』(2014〜2016)では、製作総指揮と脚本・監督を務めた。最近のテレビプロジェクトに、BBC&AMCの5部編成作品『北氷洋』(2021)がある。
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