耳をつんざく黄色い歓声が、満場の館内にこだまする。赤や青、ピンクや水色、緑や白といったカラフルなハッピを身にまとい、ポンポンとペンライトを手にした親衛隊たちが叫ぶ。
「チーグサッ」「アースカッ」
女子中高生たちの視線の先にいるのは、長与千種とライオネス飛鳥のクラッシュ・ギャルズ。1983年に全日本女子プロレス興業(以下、全女)で結成された伝説のスーパーアイドル女子プロレスラーだ。
1984年に『炎の聖書』でレコードデビューすると、「格闘技の聖地」である後楽園ホールで開催される大会チケットが入手困難になった。翌1985年、中学生だった中山美穂のドラマデビュー作となった『毎度おさわがせします』(TBS系)に本人役でレギュラー出演すると、人気が噴火。フジテレビのゴールデンタイムで試合中継がレギュラー放映され、テレビCMにも出演するようになった
テレビ番組では、昭和を代表する大人気番組の『笑っていいとも!』や『オレたちひょうきん族』(いずれもフジテレビ系)、『徹子の部屋』(テレビ朝日系)や『ザ・ベストテン』(TBS系)、『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京系)や『カックラキン大放送!!』(日本テレビ系)ほかを網羅。試合、単独コンサート、主演ミュージカル、アイドル番組の公開録画ほか、あらゆる会場にティーンエージャーたちが殺到した。
そんなクラッシュの対角線に立っていたのが、Netflixシリーズ『極悪女王』のモデルとなったダンプ松本。昭和55年組同期の長与と飛鳥がアイドル道を爆走したことで、ダンプは1984年に同期のクレーン・ユウ、後輩のブル中野に、阿部四郎レフェリーを加えたヒール(悪玉)集団「極悪同盟」を結成。ユニットカラーを黒に統一し、顔は刺すような目に見えるド派手なペイント。手には竹刀(ダンプ)、チェーン(クレーン)、ヌンチャク(ブル)などの凶器を持って、リングを血で染めた。
いまなお語り継がれる名試合と、ダンプ引退後に誕生した真の「名作」
40年近くたったいまなお語り継がれているのは、ダンプと長与による敗者髪切りデスマッチ(1985年8月28日、大阪城ホール)。
国民的女子プロレスラーの座に上りつめていた長与を丸坊主にしたダンプは、日本中を敵に回した。しかしその一方で、ここまで悪に徹したキャラクターは芸能界に不在だったため、タレント需要が爆上がり。ドラマ、レコード、CM、サイン会、バラエティ番組、アイドル雑誌、週刊誌ほかメディアを制圧し、クラッシュを超えて全女の稼ぎ頭となった。
『極悪女王』では、敗者髪切りデスマッチの凄惨さが見事なまでに完コピされている。ダンプと、同期の大森ゆかりによるダブル引退式も描かれており、同作はそこでエンディングを迎える。
しかし、真の「名作」はその後にも誕生していた。そのひとつが、ダンプの引退セレモニーだ。
ダンプは大森と1988年2月25日、川崎市体育館で引退したが、ほんとうのラストマッチは3日後の28日、地元の埼玉県・熊谷市体育館で行なわれた。すでに人気は下降気味だったが、昭和の一時代を築いた「最恐タレント」の最後を報じるために多くの報道陣が集まり、翌日のワイドショーで放映された。
ファイナルゴングを聞いたダンプは、強烈に施したはずのメイクが涙と汗でほとんど落ちた状態で、「いままでチーちゃん(長与の愛称)とトンちゃん(飛鳥の愛称)をいじめてすいませんでした」と、嗚咽しながら謝罪。頭を深く下げた瞬間、クラッシュファンが大号泣した。リングサイド最前列で見守っていた父の五郎さん、母の里子さん、妹の広美さんも、あふれる涙を何度も拭った。これにて、極悪伝説が終結。ダークヒーローは、最後の最後で愛された。
翌1989年5月6日、プロレスこけら落としとなった横浜アリーナで長与が引退した。スーパーアイドルを華やかに送りだすべく、巨大な横浜アリーナにはプロレス界初の2面リングが設営された。この2面をフルに使って、前半戦と後半戦のあいだにクラッシュのファイナルライブ。ラストマッチでもクラッシュが組み、フィニッシュ後のエクストララウンドでは、長与がセコンドに付いていた選手全員と飛鳥の技を受けきった。
引退セレモニー恒例の花束贈呈で、最後にリングに上がったのは、父の繁さんと母のスエ子さん。この日のために地元の長崎県大村市から駆けつけた両親の顔を見た瞬間、長与は顔面をくしゃくしゃにして泣きじゃくり、膝からマットに崩れ落ちた。童心に戻って、声をあげて泣く長与に、元競艇選手で九州男児の繁さんは、「立て」と命令。アイドルという仮面をかぶりつづけた長与が最後に見せた、生身の自分だった。
このおよそ3か月後の8月、片翼飛行だった飛鳥も後楽園ホールで引退。クラッシュ伝説は封印された。
俳優全員が身を削り、命をすり減らしながら、女子プロレスラーになった
さて、本稿も終盤に差しかかったタイミングで、僭越ながら自己紹介をさせていただく。
齢50を過ぎている私は、高校生から大学生にかけてクラッシュ・ギャルズ公認親衛隊員、ライオネス飛鳥公認親衛隊長、飛鳥の公認ファンクラブ会長として、青春のすべてを女子プロに注いだ。20代から30代後半にかけては、プロレス月刊誌やプロレス週刊誌の女子プロ担当記者として、あまたの取材現場に足を運んだ。そんな数奇な人生で、柳澤健著の『1985年のクラッシュ・ギャルズ』(文藝春秋、光文社)に「3人目のクラッシュ」として登場した。
そんな私が『極悪女王』を称賛すると、贔屓目と思われかねないが、それを承知で私的感情を吐露しよう。主役のダンプを演じたゆりやんレトリィバァ、長与を演じた唐田えりか、飛鳥を演じたる剛力彩芽を含む全12人の女子プロレスラー役を演じた俳優たちは、立派な女子プロレラーだった。
オーディション合格からクランクアップまでのおよそ2年間(ゆりやんは3年間)、プロレススーパーバイザーの長与と女子プロ団体「マーベラス」、管理栄養士、トレーナーなどの監修・指導のもと、苦しすぎる増量、プロレスの基礎、トレーニング、受け身の練習、技の習得、自主練習ほか、見えないところで鍛錬を積んだ。何度も悔し涙を流しただろう。技ができると、喜びを分かち合っただろう。日増しに強靭な肉体を手に入れ、俳優は「選手」に、撮影は「試合」に昇華した。
プロレスのシーンに代役は立てず、俳優たちで演じきった。ほぼ順撮り(冒頭からほぼ順番通りに撮影する方法)のため、話数が進むにつれて筋肉は隆起している。背中や上腕、太ももには無数のアザができている。流した汗と涙は、ガチだった。だから、私はすべての感情を奪われた。泣いた。彼女たちのおぞましいガチに、泣かされた。
正直。ダンプなんて、太れば誰でも演じられると思っていた。完全無欠のトップアスリートである飛鳥を、細い剛力が演じられるわけがないと思っていた。偉才の長与を演じられる俳優なんて、この世に存在しないと思っていた。私は、アホだった。殴ってやりたいほど、アホすぎた。彼女たちは、「演じた」のではない。「なってしまった」のだ。
ゆりやんも唐田も剛力も、12人の俳優全員が身を削り、命をすり減らしながら、女子プロレスラーになった。撮影を終えてすでに1年以上がたっているため、俳優たちは体重を落とし、その後の人生を歩んでいるだろう。実在する女子プロ団体や選手も、それぞれのスピードで前に進んでいる。
『極悪女王』は、育ってきた環境や実情は違えど、愚直なまでに強くなることを求めた女性たちの物語だ。俳優も女子プロレスラーも、昭和も令和も関係ない。具象化できない生命力が濃縮されている。
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