今年8月20日、ある詩人が他界した。死因は、急性呼吸不全だ。
詩人の名は、chori(チョリ)。
11月には、40歳の誕生日を迎えるはずだった。
生誕40周年と詩人生活25周年を祝うプロジェクトも昨年から進行中で、11月20日にはベストアルバム『ちょりびゅーと』のリリースも予定されていた。その矢先の訃報に、彼を知るだれもが驚きと悲しみに包まれた。
詩人choriは、何者だったのか。
その人生と活動を振り返るため、また、これから彼と出会う人たちのために、親交の深かった3人に集まってもらった。
choriの同世代の友人、狂言師の茂山千之丞と詩人/演劇作家の谷竜一、そして、『ちょりびゅーと』のプロデューサーでもある詩人の小島基成。
彼らの言葉を通して、詩人choriの姿を追い求めたい。
choriと3人の出会い「若くて『詩人』を名乗るやつに会うのは初めてだった」
―じつはCINRAでは、小島さんから相談を受けて、ベストアルバムのリリースにあわせて、choriさんと千之丞さんに対談してもらう予定で準備を進めていたところでした。なので、choriさんの突然の訃報に、まず率直に驚きました。
茂山千之丞(以下、千之丞):正直言って、まだこの件で人と何かを話せる気持ちになれないんですよ……。
小島基成(以下、小島):僕も、この記事を含めてどうするべきかいろいろと考えたんですけど、もともとchoriと話して大事に温めてきたプロジェクトだったので、生前の彼の意志を前に進めるしかないな、と。なので、本日は無理言って、みなさんにも集まってもらいました。
―これからchoriさんと出会う人たちのためにも、その軌跡を残しておければと。
千之丞:choriとのつきあいで言うと、いちばん古いのは谷さんだよね?
谷竜一(以下、谷):ええ、つきあいは高校生からでしたね。僕もchoriも、1984年生まれの同い年なんです。いま振り返れば、インターネットが普及してきて、詩の投稿サイトもいくつか誕生して、それが出版やライブシーンにもつながってくるような時期でした。
最初にchoriの名前を認識したのも、そういった詩の投稿サイトの一つです。形而上的なことがらを写生するかのような面白い詩だったので、「どんなルーツのやつなんやろ?」と気になったんです。そしたら、高校3年のとき、僕が原付でこけて入院したことがあって、ずいぶんヒマをしていたら、サイトのつながりでchoriが連絡してきてくれたんです。
そこからのつきあいですね。彼がやっていた「くぐもり」という同人活動に参加したり、「paorett」という名義のイベントプロデュースを手伝ったり、「Eddie Walker」という詩のユニットを組んだり……まあ、いろいろやりました。でも、基本的には一緒に飲んだくれているような、そんな関係でしたね(笑)。
―千之丞さんとの出会いは?
千之丞:僕は彼より1つ年上で、出会ったのは20代前半でしたかね。当時、僕のいる狂言の大蔵流茂山家の若手で「TOPPA!」というユニットを組んでいて、KBS京都のお昼の情報番組のMCを持ち回りでやらせてもらっていたんです。その僕の回のときに、ゲストでchoriがきたんです。
番組での印象は覚えていないんですけど、若くて「詩人」を名乗るやつに会うのは初めてのことでした。なので、普段は絶対そんなことしないんですけど、「近所に美味しい蕎麦屋があるから、食べにいきません?」って誘ったんです。そこから親しくなって、一緒に何かやったりするような関係になっていった感じですね。
―小島さんは、choriさんより少し後輩ですよね。
小島:そうです。僕は高校から詩を書きはじめて、のちに京都精華大学に入るんですけど、進路の準備とかで調べたら、卒業生の欄に「chori(詩人)」とあったんです。で、ネットの投稿詩も見つけて、それがすごくよかったんですよね。だから、最初は憧憬から入っているんです。こんなこと、生前、choriには一度も言えなかったけど。
ラップでも、レゲエのDJでもない。「ポエトリーリーディング」という表現
小島:それで大学に入って、大学コンソーシアム京都が主催するイベントで詩の朗読会があったんです。そこにパフォーマーとしてchoriが呼ばれて、初めて実際に会いました。壇上で並んだら、すっごく甘い香水の匂いがしたんですよ(笑)。「こんなキザな詩人がいるのか!」っていう衝撃を受けて。
千之丞:それはお香とかじゃなくて?
小島:香水ですね。
谷:うん、香水に凝ってる時期、あったわ(笑)。
小島:でも香水はともかく、朗読のパフォーマンスは素晴らしくて。それから少しして公開された、“すべて光”というPVがまた衝撃でした。音楽のトラックに乗せて、ポエトリーリーディングするわけですけど、ラップでもないし、レゲエのDJでもない。すごい表現だなと思って。
誰のものにもならない 大きすぎる 哀しみと- chori“すべて光”より
分け合うことすらできない 小さな哀しみ
そのちょうど 真ん中くらいで
そして そこから喋りかける何かを ぼくは信じたい
小島:その後、いまは場所が移ったんですけど、河原町三条のVOXhallというライブハウスでchoriがブッキングマネージャーをやり始めて、僕にも「出てみない?」って声をかけてくれたんです。それが、僕にとってパフォーマンスを始めるきっかけになりました。
―同人活動やライブハウスのブッキングなどで、シーンづくりみたいなことは意識されていたんですかね。
小島:日本のポエトリーリーディングのシーンを活性化したいというのは、ずっと念頭にあったと思います。あとは、ライブハウスがわかりやすいですが、音楽の場所に打って出て、そことつながっていくようなことも意識的にしていたんじゃないかなと。
谷:そうね、音楽はたしかにそうなんだけど、バックボーンとして、若い頃にインターネットで知り合った詩人たちの影響も強く受けていたと思う。現場に関わった詩人で、とりわけchoriがリスペクトしていたのは、当時、大阪で「ココルーム」というスペースを運営していた上田假奈代さんとか(参考記事:ホームレスと日雇労働者の街が生んだ、おじさんたちのアート)。
千之丞:上田さんは、お師匠さんのような存在でしたね。大阪の西成で日雇い労働のおっちゃんたちと面白い表現活動などをしていて、choriもワークショップの手伝いとかしていました。
谷:その頃からすでに上田さんは実験的なパフォーマンスの形式を獲得していて、choriが相当影響を受けたのはまちがいない。先行する世代が「ウエノ・ポエトリカン・ジャム」のようなフェスをやっていたりもしますし、ビート世代への憧れも強くあったようです。だからこそ、自分でも、そして京都でも独自の動きを模索しなくては、というのもあってライブハウスに行き着いたのもあるんでしょうね。といっても、戦略的というよりは、なんとなくここなら食い込めるんちゃうかな、ぐらいの感覚だったとも思いますが。
きみに光が射すとき ぼくに光が射すとき- chori“すべて光”より
呑み込んだことばのひとかけらさえ
すべて 光
千之丞が語る「台風直撃ライブ」での体験
―choriさんが朗読する際のバックトラックは、その多くを谷さんがつくっていたと聞きましたが、音楽的な影響となるとどうでしょうか。
谷:基本的にchoriは、同時代のインディーロックやヒップホップは、よく聞いていたと思います。お互いスピッツやくるりなんかも、カラオケに行ってよく歌ってましたよ(笑)。僕はクラシックや現代音楽もそれなりに聞いていましたが、choriと共有して音楽的にリスペクトしていた人を一人あげるとすると、「ウッドベースの吟遊詩人」とも言われるタカツキタツキさんですね。音楽とポエトリーリーディングが自然に融合していて、活動形態もトライブ的で、拠点としてFlying Booksという書店もあったり。choriからすれば、影響もさることながら、それはもうむちゃくちゃ嫉妬していたと思う(笑)。
それと、choriと僕の共通する点として、サンプリング世代なんですよね。これは、詩を書くことについても言えるかと。実際、choriの詩として発表しているものでも、僕と1連ずつ書いてできあがったものも多い。
でも、そもそも詩を書くことは、結果的に、誰かの構築した言語文化のうえでそれをどう継承していくか、破綻を企図するか、ってことなんちゃうかと思うし、その上で、「自分で何かを生み出す」ってどういうこと? みたいな話は、彼とやっていたEddie Walkerでもよく考えていました。
―千之丞さんとのユニットはどんな感じだったんですか。
千之丞:常に模索していましたよね。choriは詩人ですから、僕が言葉を持たない表現者なら、初めから親和性が高いですけど、僕も狂言師なので台詞のある芸能なんですよね。
その上でわかりやすいのは、音楽を流して、彼が詩を読む、僕が舞う、というパターンです。ただ、それ以外にもいろいろやりましたね。「おまえもちょっとコントに参加しろや」って、choriを芝居に巻き込んだり。
谷:謎のアフロ、かぶらせたりしてな(笑)。
千之丞:いまのところ僕の生涯でいちばん楽しかった舞台も、choriとやったやつですね。マイルス・デイヴィスの『Bitches Brew』というアルバムを全編まるまるトリビュートした『ブラックアウト』という作品でした。
すべて即興の舞台なんですけど、1か月半ぐらい稽古もしまして、結果、お互いに何が起きても対応できるような状況に仕上がったんです。そしたら、京都錦市場商店街の駐車場での野外ライブだったんですけど、当日、なんと台風が直撃しまして(笑)。
観客席にいちおう屋根はあるんですけど、雨漏りはするし、風もビュービュー吹きつけてて。そんななか、舞台上には脚立を1台だけ置いて、そこにchoriが座って詩を読み、周りのスペースで僕が舞ったり、叫んだりするという。
凄まじい環境でテンションも上がるし、しかも即興のための膨大な稽古もしていますから、とんでもなく濃密で、インスピレーションに溢れた時間が流れていきました。あのレベルの体験は、あとにも先にもないですね。
choriにとっての「裏千家」の存在
―choriさんを語るときにどうしても外せないのが、茶道裏千家の家元・千宗室氏の長男という出自のことだと思います。一方で千之丞さんは狂言大蔵流の名門・茂山千五郎家に生まれて、「千之丞」という名跡も継がれました。
千之丞:裏千家の宗家の長男に生まれながら家督を継がなかったのは、史上初めてのことだったそうですからね。僕も、KBSの番組で会ったときから、興味がなかったといえばウソになります。また、彼のほうからしても、僕は、他の人よりも引っかかる釘が1個多かったというのもあったとは思います。
出会った頃は、まだ、家を継ぐか継がないか微妙に迷っていて、ガソリンスタンドで働きながらフラフラしてたんちゃうかな。
谷:そういう千之丞さんだって、若い頃はアメリカを放浪して、フラフラしてたんじゃないですか?
千之丞:まあ、たしかに(笑)。ただ、僕は狂言を選びましたけど、choriは家を飛び出した。
でも、スパッと切ったというよりは、誰かに背中を押してほしいような、ほしくないような、このままグズグズいければいいのに、という感じで、実際その通りになった気がしますよね。明確に突き放すには、choriは家族のことが好きすぎた。
小島:母方の宮家(choriの母は、三笠宮崇仁親王の次女)についてもそんな感じでしたね。自分から家のことを話す人ではなかったですけど、前提として知っている相手とは、フラットにしゃべる人でもありましたよね。
千之丞:一緒にイタリアへ行ったときも、お茶のセットを持ってきていた。それで現地の人に茶を点てて、喜ばせたりしていましたから。けっきょく茶道も好きなんだよね。
―「chori」(チョリ)という名前も、メモの最後に書かれた「千ヨリ」という文字を友達が読みまちがえた逸話からきているとか。
千之丞:そう、10代の頃、ちょっと好きやった女の子らしいね。
谷:だから千の家を出た段階で、「chori」と名乗りつづけていくのにはどこか居心地の悪さもあったのかな。分家というかたちで菊地姓を名乗り、ほどなく韓国読みの「キクチミョンサ」(菊地明史)という名前も並行して使いはじめた。ハタから見れば、アーティストポリシーは迷走しているんですけどね(笑)。
ただ、そういう家柄であるがゆえに、彼自身は大衆に受け入れられたいという気持ちが強かったんちゃうかな。つねに、大衆の側に立とうとして、そのとば口(入り口の意)として、詩があるじゃないか、というたより(態度)が一貫してあったと思います。特殊な人でいたくなかったんじゃないか、と。
千之丞:……うーん、もっと生きててほしかったな。
生ける屍になりたい- chori“しけるいかばね”より
できれば普通の人間になりたい
けれどこの人生はぼくのものです
―生前から、お酒にまつわるエピソードが多い印象もありますが、生き急いでいる感じはありましたか。
千之丞:お酒はねえ、嫌いじゃなかったとは思うけど、もっと正しく評価されて、もっともっと忙しくしていたら、あんなに飲んだかな? というのを思ってしまうんですよ。
小島:ここ数年は体調を悪くして、ほぼほぼ飲めへんようにはなりましたね。
谷:でも、生きる気満々だったとは思うで。去年の終わりぐらいにXのスペースでしゃべってて、「ベスト盤つくるから、よろしく!」って。カネの話もせんと、なにが「よろしく」やって(笑)。まあ、僕とchoriとの間に限ってはぜんぜんいいんですけどね。
ベストアルバムは「詩人choriという存在が正当な評価を得られていない」という想いへのアンサー
千之丞:ベストアルバムの収録曲は、どうやって選んだの?
小島:まず大枠は、choriと一緒に選びました。だいたい36曲ぐらいですかね。そのなかから、さらに17曲を僕が選んで、choriに確認してもらって決めた感じです。
―選曲する際に、念頭においたことはありますか?
小島:先ほど千之丞さんも言ってましたけど、僕の感覚としても、詩人choriという存在が正当な評価を得られていない、という想いがあります。それへのアンサーになるものをつくりたい、というのが第一でした。そのうえで、1枚のアルバムとしてもストーリーを感じられる構成を目指しました。
千之丞:……正直ね、いまこの瞬間の気持ちを包み隠さず言ってしまうと、choriがもういないのに、「これから知られたところで……」という気持ちもあるんです。でもね、音楽好きが昔のミュージシャンを発掘するみたいに、こうやってかたちにしておけば、将来、思わぬところから光が当たることもあるのかもしれないですね。
谷:choriって、「詩人」ということになっているけど、自分でも、自分のことがよくわかっていなかったんじゃないかなという気もするんです。
すごくホスピタリティがあって、いろんな会やイベントを生み出して、その夜をそのときのみんなが楽しめるものにする。自分も楽しむ。そこにプライオリティのある人だったなと。だから選り好みしてパッケージ化するのはちょっと矛盾しているんだけど、このベストアルバムから、choriのそういう好きだった夜が伝わるといいな。
小島:あとはchoriのそうしたホスピタリティや活動も、僕らなりに受け継いだり、発展させていければ、ということも思っています。
『ちょりびゅーと』トレーラー映像
- 作品情報
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chori
『ちょりびゅーと』
2024年11月20日(水)リリース
価格:3,300円(税込)
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