グレッグ・アラキ『ドゥーム・ジェネレーション』『ノーウェア』が描いた、若者たちの生と性と怒り

メイン画像:『ドゥーム・ジェネレーション デジタルリマスター版』©1995 UGC and the teen angst movie company

グレッグ・アラキ監督の2作品がデジタルリマスターされ、11月から劇場公開されている。11月8日に『ドゥーム・ジェネレーション』、15日には『ノーウェア』が公開された。ニュークィアシネマというムーブメントを牽引し、インディ映画界で知られた存在であるグレッグ・アラキ。そもそも、ニュークィアシネマとは? そのなかでアラキ作品の独自性とは? 劇場公開の2作品の解説も交えながら、ライターのセメントTHINGが綴る。

インディ映画界の巨匠、グレッグ・アラキ。リマスター機に再注目

「グレッグ・アラキ」という名前を聞いたことがあるだろうか? 日本において「知る人ぞ知る」存在(※1)であるこの映画監督は、一方本国であるアメリカにおいては、インディ映画界の巨匠として尊敬を集めている。

1987年に長編映画『途方に暮れる三人の夜』でデビューしたアラキは、90年代を通し挑戦的な作品を次々と発表。映画界に衝撃を与え、瞬く間にカルト的な知名度を獲得した。その後も新作を発表するたび話題を集め、2010年に『カブーン!』(2010年)で『カンヌ国際映画祭』のクィア・パルム初代受賞者となるなど、着実にその名を高めていった。

そんな彼の人気は近年も衰えることなく、むしろファッションや音楽など各方面を巻き込んだ盛り上がりをみせている。KENZOからの依頼で製作された短編『Here Now』(2015年)。『トータリー・ファックド・アップ』(1993年)から着想を得たHeaven by Marc Jacobsのコレクション(※2)。直近ではアラキの新作『I Want Your Sex』に、ファンを公言するCharli XCXの出演も決定している(※3)。

さらにそんな再評価の機運における決定打となったのが、去年のサンダンスやトロントでお披露目された「ティーン・アポカリプス・トリロジー」(※4)4Kデジタルリマスター版の公開だろう。アラキ自身が「ひどい出来」(*1)と語る劣悪なクオリティのソフト版でしか鑑賞できなかった3部作が、まさかの復活を遂げたのである。

そしてそれらの作品は、かつての賛否両論ぶりが嘘のように批評家からの称賛を集めた。なかでも米『IndieWire』誌は、「28年前に撮られたグレッグ・アラキの『ドゥーム・ジェネレーション』こそが、今年の最も大胆不敵な映画的達成だった」(*2)とまで言い切った。時代のはるか先をいっていたアラキの表現に、ようやく世間が追いついたのだ。

そしてその伝説的3部作より、『ドゥーム・ジェネレーション』と『ノーウェア』がとうとう待望のリバイバル公開を果たす。作品の背景にある文脈を解説しつつ、グレッグ・アラキの作品がもつ、色褪せない魅力へと迫る。

※1  アラキの作品は90年代にはミニシアターブームもあって同時代的に日本でも紹介されていたが、2000年代に新作の公開は途切れてしまった。新作を観るためには映画祭にしか頼れない状況が長く続き、過去作のソフトもプレミア化していたため、今回のリバイバル公開は彼の作品に触れることのできる久々の機会となる。

※2 Instagram

※3 2024年夏の文化現象となったCharli XCXの『Brat』のデザインには、アラキの『スマイリー・フェイス』(2007年)のレイヴカルチャーを感じさせるクレジットタイトルが影響しているそう。

※4 『トータリー・ファックド・アップ』(1993年)、『ドゥーム・ジェネレーション』(1995年)、『ノーウェア』(1997年)の3本の映画からなる3部作のこと。どの映画にもクィアなティーンエイジャーが登場し、退廃的で死や終末を感じさせるムードがある。

時代へ反逆する「ニュークィアシネマ」。エイズ・アクティヴィズムの存在

グレッグ・アラキについて知るためには、まず彼が属する「ニュークィアシネマ」(以下NQC)という1990年代前半に起こったインディ映画界のムーブメントについておさえておく必要がある。これを提唱したのはアメリカの映画批評家、B・ルビー・リッチだ。リッチは1992年に『ヴィレッジ・ヴォイス』誌で様々な映画祭でクィアな作り手(※1)による先鋭的な作品が次々と発表されている状況に触れ、一連の作品を「新しいクィアな映画」と名付けた(*3)。

むろんその「新しさ」とは、単にクィアなテーマをもつことを指しているわけではない。映画における性的マイノリティの表象を追ったドキュメンタリー『セルロイド・クローゼット』(1995年)が示すように、映画がクィアな人物を直接的・間接的に描写することはこれまでにもあった。では90年代以前の映画と、NQCを区別するものとはなんなのだろう?

それは簡単に言えば、時代へ反逆する姿勢ということになるだろう。映画研究者の菅野優香はNQCが登場した背後に、1980年代のエイズ禍、そしてエイズ・アクティヴィズムの存在があると指摘する(*4)。

1980年代に世界的に流行したエイズ。それに対する同性愛嫌悪的な偏見や政府の対応の遅れを受けて生まれたのが、患者の権利や対策の迅速化、正しい知識の啓蒙などを求める市民たちの運動、エイズ・アクティヴィズムである。その運動の範囲は多岐にわたり、芸術もまた例外ではなかった。メディアが流布する差別的なイメージにあらがい、アートによってそれを刷新しようとする動きが、どんどん活発化していった。

けれどそんな必死の運動も虚しく、90年代後半に画期的な治療法が確立される(※2)まで、エイズの死者数は増加の一途を辿った。そんな変わらぬ現実に対する「絶望と怒り」(*5)に応答するように生まれたのが、NQCなのである。

NQCの作り手はクィアな人物をあからさまに映画の中心におき、実験的な語りや構成、演出などを積極的に取り入れながら、偏見にまみれた「クィア」のイメージを全力で拒否した。NQCは、複雑で人間臭いリアルなクィアの描写を、社会との衝突を恐れずに追求した。菅野はそれらの作品がもつ特徴を「ポジティヴで正しいLGBTのイメージ、語り、キャラクターに抵抗し、内容と形式において欲望を徹底的に肯定するような映画的実践」と端的に表現している(*6)。

グレッグ・アラキもまた、そんな状況に急き立てられるようにカメラを手に取った作家の一人だ。彼が90年代に発表した作品は、上述したNQCの特徴を多く備えている。だがアラキはその大きな流れに同調しつつも、彼ならではの独自の作風を構築することにも成功した。それがなんなのか、作品内容に即しながら解説していく。

※1 この時代に活躍したのがトッド・ヘインズ、シェリル・デュニエ、トム・ケイリン、ローズ・トローシュ、クリストファー・ ミュンチなど。特にヘインズは後年『エデンより彼方に』(2003年)『アイム・ノット・ゼア』(2007年)などの成功により、世界的に著名な映画監督となった。

※2 HAART療法(俗にカクテル療法)のこと。患者それぞれの状態に合わせて複数の抗ウィルス剤を組み合わせ投与、ウィルスの増殖を防ぐ。1997年頃に導入が始まり、エイズによる死亡率はそれ以降劇的に低下、予後も大きく改善した。

NQCにおけるアラキ作品の特徴は? パンクロックやオルタナティブミュージックの影響

「グレッグ・アラキによる無責任な映画」。そんなタイトルカードが示されたかと思うと、次のシーンに映るのは血のように赤いスプレーで描かれた「世の中クソくらえ」のグラフィティ。アラキの1992年の映画『リビング・エンド』はそんな強烈なイメージで始まり、HIVに感染したゲイ男性二人の行くあてもない彷徨へとなだれ込む。

不治の病にかかり、もはや残された時間は多くはない。残酷な事実に二人は当惑し、恐怖し、自分たちを見捨てた世界に激怒する。アラキは彼らの暴力的で野放図な行動に寄り添い、「かわいそうな犠牲者」ではない、等身大の若者としての二人を生々しく描き出す。エイズ禍のアメリカに対する怒りを、まっすぐに描いた衝撃作だ。

ただここで指摘しておきたいのは、ここまで荒々しく直球で怒りを表明する作風は、NQCにおいては例外的なものだったということだ。

フェイクドキュメンタリーとフィクションを融合させたり(※1)、過去作品の無数のパスティーシュを混沌とした編集によってつなげたり(※2)、有名な史実に取材して虚構をそこへ忍ばせたり(※3)。NQC作品においては、暗喩や引用を散りばめ実験的な構成をとる、複雑な寓意が込められた作品が目立っていた。それは眼の前の現実や歴史をクィアな想像力によって読み替え、遅々として変わらぬ社会を効果的に批判するための戦略だったといえる。

それなのに、どうしてアラキはそこまで前のめりで攻撃的なトーンを選択したのだろう。その鍵は彼が青春時代を過ごした1980年代のカルチャー、特にパンクロックやオルタナティブミュージックにある(*7)。これこそが、アラキを他のNQC作家たちと区別するうえでの、最も重要なポイントだ。

1980年代にロサンゼルスで20代を過ごしたアラキ(1959年生まれ)。それはニューウェーブ(※4)が人気を集め、全米各地のアンダーグラウンドなシーンでハードコアパンク(※5)が隆盛を誇った時代だった。アラキはそれにどっぷりと浸かり、その反逆精神やユニークな美学、DIYな姿勢に刺激を受けた(*8)。

主流の価値観に迎合せず、売れなくても自分が良いと思うことを追求する。資金がないなら、自作でなんとかする。行動を起こし、声をあげるのを恐れない。彼はそんなパンクスの哲学を、低予算をものともせずラディカルな映画をつくり続けることで実践した。アラキの映画作りはある意味で、クィアコアやライオットガール(※6)のようなマイノリティ主導のパンク運動に連なるものだったといえるかもしれない。

LAパンクのエッジの効いた精神性が、NQCと交差した場所から登場した作家。それがグレッグ・アラキだった(※7)。そして彼は『リビング・エンド』で映画界を揺さぶることに成功し、より大きな規模で新作を撮るチャンスを手に入れる。それが1995年に発表された記念碑的作品、『ドゥーム・ジェネレーション』だ。

※1 シェリル・デュニエ『ウォーターメロン・ウーマン』(1996年)

※2 トッド・ヘインズ『ポイズン』(1991年)

※3 トム・ケイリン『恍惚』(1992年)、クリストファー・ ミュンチ『僕たちの時間』(1991年)など。

※4 70年代の終わり頃から登場した、ロックやポップにおける新しい音楽的潮流のこと。ディスコやレゲエ、アフロポップなど他ジャンルを取り入れたり、ジェンダー規範に対して反抗したり、電子音楽との融合を図ったりするなど、とにかくあらゆる点においてスタイルを刷新しようとする実験精神が特徴的。

※5 70年代パンクの反体制的・攻撃的・政治的なエネルギーをハードなサウンドを通しより強調したジャンル。80年代アメリカにおけるそれは特に「アメリカンハードコア(USハードコア)」と呼ばれる。

※6 異性愛者男性中心主義や性差別、主流社会への同化を目指す姿勢などを否定し、第三波フェミニズムやクィア理論を背景に80年代中期から90年代初頭にかけて登場したクィアや女性(またはそのいずれも)によるパンクムーブメント。ライオットガールに影響を受けた有名なアーティストの一人がミランダ・ジュライである。

※7 90年代のクィア映画へパンクの精神性を持ち込んだ映画作家には、カナダのブルース・ラ・ブルース(1964~)もいる。クィアコアの出発点となったZine『J.D.s』を制作し注目を集めた彼は、やがてハードな性描写を堂々と展開する前衛的なインディ映画を多数発表するようになった。度重なる作品の公開禁止にも屈せず、2024年の今も精力的な活動を続ける。日本でもBOREDOMSや花電車、暴力温泉芸者がサントラで参加した『ハスラー・ホワイト』(1996年)などが公開された。

『ドゥーム・ジェネレーション』が描いた、性的指向の柔軟さ

『ドゥーム・ジェネレーション』は、なんとも人を食ったような文言から幕を開ける。「グレッグ・アラキによる異性愛映画」。これまでクィアな人物を描いてきたのに? と誰もが思うことだろう。だがこの宣言はまったくの嘘というわけでもない。主人公たちは実際に、エイミーとジョーダンという男女のカップルだ。二人は刺々しいムードを身にまとってはいるが、基本的には仲睦まじい恋人同士である。

それが大きく変わるのは、危うい雰囲気の放浪者、グザヴィエが乱入してきてからだ。道端で彼を拾ったエイミーとジョーダンは、すさまじく暴力的な事件に関わってしまい、3人はあてどもない逃避行へと繰り出すことになる。

『ドゥーム・ジェネレーション』が『リビング・エンド』の延長線上にある映画なのは間違いない。破滅的なロードムービーなのも同じだし、『赤ちゃん教育』(1938年)などから影響を受けた、予測不可能なめまぐるしい展開を導入しているのも同様だ(※)。だがゲイ男性のヒリつくような怒りを主軸においた『リビング・エンド』と比べると、今作において探求されているのはまた別の領域であることがわかる。

それは性的指向の流動性である。画面上ではほぼ異性間のセックスしか描かれないとはいえ、それと同じぐらいの比重を持って、グザヴィエとジョーダン、男性二人の性的な緊張もこの作品ではしっかり描かれる。ジョーダンはエイミーを愛しているが、同時にグザヴィエにも惹かれるようになり、それはエイミーにとっても同じだ。若い3人は自分たちがどのような存在かを定義せず、それぞれの欲望やアイデンティティを旅の中で自由に探っていく。

30年近く前に発表されたこの映画が、性的指向のもつ柔軟さをいきいきと捉え、ポリアモリー、パンセクシャル的な関係をさらりと描いているのは驚くべきことだ。アラキはロードムービーの定石を踏まえながら、登場人物たちの行動を大胆に逸脱させていくことで、彼独自の世界観をもった映画を作り上げたのである。

ただ『ドゥーム・ジェネレーション』は愛とユーモアに満ちた映画でもあるが、「破滅の世代」と題された通り、絶望的な死と暴力が世の中にはびこり閉塞する様を描いた映画でもある。それはエイズ禍を経たアラキの、アウトサイダーを迫害する世界に対する率直な怒りを反映したものに違いない。

けれど三人の愛が旅を経て強まっていく過程からは、閉塞する世界を乗り越えていく希望の存在も垣間見える。そしてアラキは次作『ノーウェア』において、その可能性をさらに追求していった。

※ アラキは『赤ちゃん教育』とジョナサン・デミ『サムシング・ワイルド』(1986年)が『リビング・エンド』と『ドゥーム・ジェネレーション』の下敷きになったことを認めている。

集大成的傑作『ノーウェア』。愛の描写と冷めた視点の共存

1997年に発表された『ノーウェア』は、90年代アラキ作品の集大成的傑作である。若者たちが言葉を交わし、愛し合い、パーティーで騒いで楽しむ。そんな一夜を描くこの群像劇は、カラリと明るいトーンも相まって、あらゆる欲望を丸ごと肯定するかのようだ。

ここに登場する多くの人物たちは、性別や立場も関係なく愛し合う。SMを楽しむ人もいれば、様々な相手との逢瀬を楽しむ人もいる。だがもはやそれに眉をひそめる人はいない。前作において非難の対象だったクィアな欲望は、今作においては特別ではないのだ。ここであらゆる差異は融解し、人々は思い思いに欲しいものを追い求める。

そんなハイパーリアルな世界に彩りを与えているのが、ドラマチックな美術設計だ。アラキは表現主義(※1)に倣って(*9)ティーンエイジャーたちの激しく揺れ動く内面を画面に反映させ、極彩色の照明など強烈にサイケデリックな意匠を過剰なまでに多用した。グレッグ・アラキの感性と美学が生んだ、クィアでキャンプなユートピア。それが『ノーウェア』なのだ。

だがそんな世界を夢想しながらも、同時にアラキは暴力や孤独と無縁でいられる場所など存在しないことも理解していた。『ノーウェア』は楽しい雰囲気の映画だが、本当に愛する相手に巡り会えた人は実はごくわずかであり、突発的に恐ろしい暴力も起こってしまう。

アラキは祝祭的な空間に、残酷な要素を乱暴に投げ込んでいく。若者たちの愛は、クィアな欲望は、酷薄な現実を耐えて進んでいけるのか? そんなアラキの切実な問いかけが、驚くような展開へとつながっていく。

ほとばしるような情熱的な愛の描写と、シニカルで冷めた視点が激しく入り混じる『ノーウェア』。アラキが夢見た陶酔的なロサンゼルスの情景は、いまなお忘れがたい印象を残す。

※1 20世紀初頭に起きた芸術運動。内面を主観的に表現することを重視し、描かれるものの形態を歪めたり、強烈な色彩を使用したりして、目に見えないアーティストの感情を鑑賞者に伝えることを目指した。その影響はあらゆる分野に及び、映画においては『カリガリ博士』(1919年)が有名。グロテスクに歪んだセットデザイン、禍々しいメイクや衣装、誇張された演技などによる恐怖や不安の表現は、後年の映画に絶大な影響を与えた。

クールな衣装と、絶妙なセンスのサウンドと。

またアラキの映画について語るなら、そのファッションと音楽について言及しないわけにはいかない。彼の作品はまるで1990年代のスタイルブックのようで、『ドゥーム・ジェネレーション』や『ノーウェア』の衣装は、いまみてもびっくりするほどクールである。

その秘密は映画に関わったスタッフたちのDIY精神にある。古着屋を巡り、スタッフや知り合いの私物も活用し、なければ自分でつくり上げる(*10)。低予算映画であったことが結果的に功を奏し、それらのルックは当時のオルタナティブ、パンク、クラブキッズファッションの貴重な映像資料となった。

オーバーサイズなレザージャケットとドクターマーチンのブーツ。ダークなボブヘアに赤いリップ。シルバーアクセサリーにキャットアイサングラス。ミニストリーなどのバンドTシャツ。星条旗にカウボーイハット。色とりどりに染め抜かれたヘアに、ヴィヴィッドなカラーメイク。グラフィックTシャツやクロップトップ。シースルー素材を使ったユーモアたっぷりのセットアップ(*11)。

創意工夫によってカジュアルなアイテムを昇華させたスタイルは、思わず真似してみたくなる魅力たっぷりだ。ヴィンテージが当たり前になり、「自分らしさ」をシビアに追求するファッションラヴァーが増えた現代において、その訴求力はむしろ増しているといえるかもしれない。ジェレミー・スコットが2011年秋冬コレクションで『ノーウェア』にオマージュを捧げた(*12)のも無理からぬ話だろう。

90年代のムードを詰め込んだサウンドトラックもアラキの映画には欠かせない。『ドゥーム・ジェネレーション』の冒頭で流れるNine Inch Nailsの“Heresy”を筆頭に、彼の作品の破壊的なエネルギーを支えているのは、インダストリアル、オルタナティブの名曲たちである。さらにSlowdiveやRIDE、Cocteau Twinsなど、シューゲイザー、ドリームポップへの傾倒も特徴的。それらのバンドがもつ切なく幻想的な叙情性は、アラキの映画の人物たちの刹那的なきらめきと鮮やかに共振している。

またRADIOHEADやBlurといった、有名アーティストの曲を思いもしないようなタイミングで引用する姿勢も面白い。アラキ映画のサントラがよくある懐メロ集になっていないのは、彼が取り上げる曲の幅広さと、その使い方の絶妙なセンスの良さにある。相当な音楽ファンだったとしても、きっと意表を突かれる瞬間があるはずだ。

エイズ禍による死が蔓延する世紀末。アラキはそんな時代にも確かに息づくクィアな愛や欲望に寄り添い、無軌道で危なっかしい若者たちのリアルな生の感触を、怒りをもって活写してきた。

「終末」の閉塞を全力で生き延びようとするアラキの姿勢には、いまの観客にも訴えかけるものがきっとあるはずだ。鮮烈に蘇った彼の作品をぜひ劇場で鑑賞し、その唯一無二の世界を体感してほしい。

参考文献:菅野優香『クィア・シネマ 世界と時間に別の仕方で存在するために』(フィルムアート社)

作品情報
『ドゥーム・ジェネレーション デジタルリマスター版』11月8日(金)
『ノーウェア デジタルリマスター版』11月15日(金)
渋谷ホワイトシネクイントほか全国順次公開
プロフィール
グレッグ・アラキ

ロサンゼルス生まれ、サンタバーバラで育った日系三世。自身もゲイであることをオープンにしており、ティーンエイジャーや同性愛をテーマとした作品を多く制作。90年代ニュー・クィア・シネマを牽引した監督のうちの1人。カリフォルニア大学サンタバーバラ校で映画を専攻したのち、南カリフォルニア大学映画芸術学部映画・テレビ制作学科で芸術修士号取得。これまでサンダンス映画祭をはじめ、カンヌ、ベルリン、ヴェネツィア、トロント等での名だたる映画祭で作品が上映され、『途方に暮れる3人の夜』(1987)でロカルノ映画祭で3つの賞を受賞、『カブーン!』(2010)では同年のカンヌ国際映画祭にてクィア・パルム受賞。近年では、TVシリーズ『ナウ・アポカリプス 〜夢か現実か!? ユリシーズと世界の終わり』(2019)にて監督・脚本・製作を務めるほか、『13の理由』(2017-18)『ダーマー』(2022)などのNetflixドラマシリーズの数エピソードを監督。



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