「目覚めた人 ブッダ」と「神の子 イエス」。仏教とキリスト教の祖であるお兄さん2人が、外界へ有給休暇に来ていたら——? 2006年から連載が始まった『聖☆おにいさん』は、宗教あるあるが目白押しだ。
作者である漫画家・中村光氏は、幼少期から宗教書に触れて育ち、この背景が物語に散りばめられている。
生涯にわたって「学び続けること」について探求する連載企画『駒澤大学と探す、「学び」のカタチ』。第2回では、中村に駒澤大学仏教学部の石井清純教授の協力のもと、駒澤大学の人気授業である宗教教育科目「坐禅」を体験していただき、創作活動において宗教を学ぶ楽しさや魅力について、話をうかがった。
テレビが映らない山奥で、漫画と宗教書だけが娯楽だった
駒澤大学駒沢キャンパス内には140人以上が同時に坐れる坐禅堂があり、授業のほか、一般の人向けの「公開講座」でも使用されている。
石井教授が鐘を3回鳴らして坐禅がスタート。呼吸の方法や姿勢について解説しながら10分が過ぎた。
石井清純教授(以下、石井):駒澤大学では、全学部に「仏教と人間」という授業があります。座学がベースですが、年に1度、この坐禅堂で坐禅を行ないます。今日は、中村先生にその坐禅を体験していただきました。
中村光(以下、中村):以前、実家に帰った際に父の紹介で近所のお寺で坐禅をしたことがあるんです。完全にプライベートの時間で行ったのですが、そのときは警策(坐禅で用いられる棒状の法具)で背中を叩かれるものだったので、緊張しました。
石井:いろいろな指導の仕方がありますからね。坐禅は「心を無にする」という言い方をする方もいらっしゃいますが、この授業では「しがらみや計らいなどを払拭して、心に浮かんでいることはそのまま浮かばせる」ことを目指しています。
脳波を計測すると、坐禅を組むと最初はリラックスしているα波が出て、次第に深い瞑想状態を指すθ波に変わっていくとされています。
—坐禅を体験して、新しい発見だったり、過去の記憶が呼び起こされたりしましたか?
中村:私の目の前にある木目が、だんだんとロング丈の服を着ているような人の後ろ姿に見えてきて面白かったです。坐禅中に仏様のことを考えているから脳のイメージが浮かび上がってきたのだと思いますが、五感が研ぎ澄まされていくような感覚でした。
そういえば、実家の茶室で父が似たようなことをしていました。父は日常的に坐禅を組んでいたんだ……と腑に落ちました。
—中村先生のお父様は陶芸家だそうですね。
中村:はい。父の仕事柄、実家は山奥にあったので、テレビが映らない環境でした。砂嵐混じりのNHKが見られるぐらいで、バラエティ番組は『コメディー お江戸でござる』しか見たことがない。学校で「昨日ダウンタウンの番組見た?」と聞かれても、誰だかわかりませんでした。
娯楽といえば宗教書か、父と兄が好きな漫画ぐらい。トイレには手塚治虫先生の『ブッダ』が並べてあって、小学生の頃から読みふけっていました。いま思えば特殊な家庭だったように思います。
—宗教に興味を持ち始めたのも、お父様の影響でしょうか。
中村:父は仏画や陶器をつくっていたので知り合いに住職の方が多かったんです。幼い頃からお釈迦様の誕生を祝う花祭りの手伝いに呼ばれたり、お寺に行っては仏教の教えが書かれた児童書や甘茶をいただいていました。
父は仏教だけではなく、いろいろな宗教が好きな人で、教会のミサに家族で行くこともありました。父は子どもが生まれると、それぞれの子にちなんだ天使の宗教画を描いていて、実家には、姉、兄、私の天使の絵が置いてあります。
父の仕事場に行くと宗教書ばかりで、食卓でも「この仏様が一番かっこいいと思ってる」「この天使が強いと思ってる」という話を聞いていました。私にとって、いろいろな宗教が共存している世界が、幼い頃からの日常だったのだと思います。
—中村さんも10代の頃から宗教書をよく読んでたのだとか。
中村:父の仕事場で勉強をしていたのですが、仏教書や聖書を現実逃避的に読んでいました。厨二病のような……宗教の知識があることはかっこいいと思っていた節もあり、ドストエフスキーを読む感覚だったのだと思います。
—背伸びするにしても、難解な内容そうですが……?
中村:当時きちんと理解できていたのかは自信ないのですが、漫画の『ブッダ』にもあるとおり、ブッダの物語はどれもスーパーヒーロー的で、読み進められてしまうんです。敵対するマーラも好きで、10代独特の悪に憧れる気持ちにぴったりでした。ひとくくりに仏教と言っても、宗派や国、地域によってとらえ方が少しずつ違うので、その差異を見つけるのも好きでした。
キリスト教は、『新世紀エヴァンゲリオン』がきっかけでのめり込みました。兄が突然24話のビデオを何も言わずに見せてきて「何これ⁉︎」と衝撃を受けました。『エヴァンゲリオン』には作品全体に聖書の要素が散りばめられていて、その答え探しのように天使の名前を調べるのが好きでしたね。聖書漫画も好きで、藤原カムイ先生の『旧約聖書―創世記―』を読みふけっていました。
16歳で漫画家デビュー。親が出した条件が意外な方向に…
—中村先生は16歳で漫画家デビューされていますよね。漫画が好きだったからだと思うのですが、若くしてこの道に進まれたのはなぜでしょう?
中村:中学では美術部に入っていたのですが、あるとき顧問の先生が「もっといろいろなものを描いてみたら? ストーリー性を持たせるといいよ」とアドバイスしてくださったんです。たぶん、いつも厨二病全開の同じポージングの絵ばかりを描いていたからだと思うのですが……(笑)。そこから物語を持った人物を描き始め、次第に漫画製作に発展していきました。
職業にしたいと思ったのは、近所のお兄さんの影響だと思います。母の友だちのご自宅へたまに行っていて、そのときに遊んでくださる方が商業漫画家さんでした。当時の私は「児童文学の挿絵を描いている方」程度の認識だったのですが、じつはものすごい巨匠で……。
締め切り間近のタイミングでうかがってもいつも優しくて、余裕を感じました。その姿がかっこよくて「自分もああなりたい」と思うようになったんだと思います。お兄さんがどれだけ偉大な方か知っていたら、「自分には無理だ」と思っていたような気がします。
—好きな作品は重厚なストーリー漫画が多いと思うのですが、どうしてギャグ漫画を描くようになったのですか?
中村:高校に進学しないで漫画家になろうと思ったときに、親を説得する条件が「3年以内に漫画家、もしくはアシスタントになる」と「漫画賞に必ず応募し続ける」でした。何回かは賞に出せて手応えもあったのですが、あるとき、描きたい内容が100ページほどの大作になってしまったんです。圧倒的に時間が足りないなかで「ギャグ漫画にすれば20ページに収まるかも」と思いついたのがきっかけです。賞には無事間に合って、いまに至ります。
デビューしてからストーリー漫画のネームを出しても、編集者さんからは「これをギャグ漫画にして欲しい」とフィードバックをもらうこともあったので、たぶん自分に合っていたんだと思います。
—笑いに関するセンスはどこから……?
中村:お笑いはテレビを見てなかったので詳しくなかったのですが、ギャグ漫画はたくさん読んでいました。うすた京介先生、増田こうすけ先生、野中英次先生、吉田戦車先生、中崎タツヤ先生、ギャグ漫画ってこんな感じなのかなと、見よう見まねで原稿にして、なんとか。下手だから真似にもなっていませんでしたが。
宗教を背負う2人の物語はどう生まれた?
—『聖☆おにいさん』は、中村先生の幼少期からのバックボーンが反映されているのですか?
中村:もうすぐ連載を始めて20年経つので、はっきり思い出せないな……。たしか最初は喫茶店で仕事をしながら落書きをしていて、それをブログにあげていたんですよね。
そこからイエスが生まれて、「イエスが下界に休みに来たとして、一緒にいて安らげる人は誰かな?」と考えたときに、同じような苦労を知っていて、似た立場の人なんじゃないかと思い、ブッダが生まれたんだと思います。
—男性二人の物語は最初から決まっていたのでしょうか。
中村:『モーニングtwo』編集部から『男の友情ものを』と言われていました。……ですよね?
『モーニング』編集次長・田渕氏(以下田渕):当時は恋愛至上主義的な流れとは言わないまでも、男女両方のキャラが出てくる方がいいとされていました。そういう潮流のなかで「縛られなくてもいいのでは?」というカウンターだったと思います。
『聖☆おにいさん』は男性2人になりましたけれど、女性2人でもよかった。当時から恋愛要素のない作品をたくさん掲載するようにしていました。
—宗教を背負う2人の物語をつくることは難しそうですが、プレッシャーはありませんでしたか?
中村:当時は20代前半だったので勢いだけだったように思います。ネームができて「いけるかも!」と感じるくらいで……。宗教について描こうという意気込みはまったくありませんでした。
掲載後に周りから「大変なテーマを選んだね」と言われて「もっと考えるべきだった」と気がつきました。いま、同じ選択ができるのかと聞かれたら、できないかもしれません。
田渕:『モーニングtwo』は『モーニング』の増刊号という立場なので比較的自由に作品を発表できる場所だったように感じます。『聖☆おにいさん』は完全なフィクションですが、ブッダやイエスが登場する物語は漫画にとどまらずいろいろな場所でつくられています。内容に関しても、ギャグでありながら敬意を感じる物語だったので、問題ないという編集判断でした。
—宗教のエッセンスをアウトプットするにはかなりのインプットが必要そうです。
中村:ネタ出しの際は宗教書ありきにはしないようにしていて、草むしりをしたり水族館へ行ったり、バーベキューをしたりと、ほぼ私の日記です。ただ、私は、日常的に宗教書や宗教を書いた小説を読むようにはしているので、自分の内側から自然と湧き出ているのかもしれません。
—描くときに気をつけられてることはなんでしょう?
中村:まず、お勉強漫画にはならないように心がけています。パラパラと読み進められるギャグ漫画なので「これは何?」と止まってしまうと興ざめしてしまう。3コマ使って説明しなければ伝わらないネタは潔く「描かない」ことにしています。
あとは、ブッダとイエスは必ず2人でいるようにしていること。絵であっても、どちらか1人が登場することはほとんどないようにしています。あとは、登場人物たちは基本的にどんな人でも「否定しない」ことでしょうか。「受け入れる」姿勢を必ず示すようにしています。
田渕:表現について不安がある際は、宗教学の専門家の方に監修していただいているんですよ。
中村:最終チェックをしていただいているので安心して筆を進められてます。漫画の内容監修だけではなくて、毎月いろいろな宗教や神話を織り交ぜた資料をつくっていただいてます。
これはキリスト教のネタになるのですが、縁結びの守護聖人でもあるアンデレに片思いの成就を祈るときは「聖アンデレの日(11月30日)に裸で竈(かまど)に顔だけいれて叫ぶ」という形式だった話は、このレポートから得た知識です。
メンタルが乱高下するなかで、救いになるブッダのことば
—中村先生は、2009年に『聖☆おにいさん』で『手塚治虫文化賞』の短編賞を受賞されましたが、その直前までは気を病んでいた時期もあったとうかがいました。
中村:当時はまだ若かったですし、10代の頃から朝から晩まで漫画しか描いていなくて、急に休みが取れたときに会える友だちもいませんでした。
一度、ポッと休みが取れたときに、近所の旅行会社に飛び込んだのですが、そこはパプアニューギニア専門の旅行代理店でした。犯罪発生率が高いので、女性一人で行くような場所ではないのですが、衝動的にツアーに申し込みました。それぐらい休みがなかった。
20代は睡眠不足だったり過労状態が続いたりしていたので、メンタルは乱高下していました。すべてに対して疑心暗鬼で何も面白いと感じない。精神が不調でまっすぐ歩いてられない時期もありました。本当に怖かったです。あの状態にはもう戻りたくないです。
—そこからどうやって復活したのでしょうか?
中村:幼い頃から敬愛している手塚治虫先生の冠のある賞をいただけたことは大きかったと思います。あとはなんだかんだ日頃読んでいる宗教書に救われている部分は大きいように思います。
例えば、父がくれた中村元さんの翻訳本『ブッダのことば スッタニパータ』は、これまで何度も繰り返して読んでいるのですが、そのなかにある「犀(サイ)の角のようにただ独り歩め」という言葉がすごく好きです。これは「サイの頭にある一本の角のように、誰かの言葉とか人間関係にまどわされずに、ひとりでも自分の道を進みなさい」という意味で、些細なことを気にしてしまう性分の自分にはすごく響きました。憧れますね。こうありたい。
ほかにも、私は仕事で疲れてイライラすると「なぜこんなに自分は大変なのか」と考えこんでしまう癖があるんです。自分が疲れているのは、体調が悪いからだ、仕事がうまくいかないからだ、家族が家を散らかすからだ……と、原因を探す。でも、探したところで原因なんてないことのほうが多いので、考えることをやめるように心がけています。
たぶん、私のイライラは禅で言う「雑念」で、根があるわけではないから放っておくと消えていく。雑念を浮かばせるだけで追わないようにすると、いつの間にか気持ちも落ち着くんだと思います。
さきほど坐禅している最中に、石井先生が「静かにしているといろいろな考えが湧き出てきますが、考えを追わないでください」とおっしゃっていたのですが、「これだ!」と腹落ちしました。坐禅はたった数分でも雑念がリセットされて、いまいる環境を新鮮にとらえることができるような気がします。
—駒澤大学の講義「坐禅」は抽選が行なわれるほどの人気講義のようです。仏教の魅力は、どこにあると思いますか?
中村:仏教の魅力は、生活に取り入れやすいところでしょうか。悩みがどうでもよくなったり、人間関係が良くなったりするアプローチを教えてくれるものなんだと思います。駒澤大学の学生さんは楽しく学べる機会があって羨ましいです。
—最後に、大人になってからも「学び続けること」の意味や意義について考えをお聞かせいただけますか?
中村:私は学歴的には中卒になるんです。高校生の頃からずっと働いているので、大学生に少し憧れもあります。働いている分、教養を身につけることが楽しくて、ここ数年は英語をずっと勉強しています。知識が増えると世界が違って見えるところがいいですよね。漫画もそうですが、宗教学はいろいろな作品のモチーフになっていることも多いので、勉強を重ねていくと、意外なところで趣味とつながることも多いと思います。
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