向坂くじら&百万年書房・北尾修一の文芸をめぐる対話。『とても小さな理解のための』に見る「詩」の尊さ

詩、エッセイ、小説、そして国語教室の先生。向坂くじらは、さまざまな角度から言葉と向き合い続けている。小説デビュー作『いなくなくならなくならないで』(河出書房新社)が第171回『芥川龍之介賞』の候補作となり注目を集めたことでも記憶に新しい向坂は、この秋、第一詩集『とても小さな理解のための』の増補・新装版を上梓した。

『とても小さな理解のための』は、向坂が2021年に『びーれびしろねこ社賞』大賞を受賞した際にしろねこ社から刊行された詩集だ。大きな注目を集めた本作だが、一度は絶版となった。

そんな同作を新たなかたちで世に届けようとするのが百万年書房だ。ここでは、向坂と百万年書房代表であり本書の編集を担当した北尾修一との対談を実施。復刊までの経緯や向坂の詩人・作家としての魅力、独自性を探る。

名著を生み出す「向坂 × 北尾」コンビは如何にして生まれたか?

―お二人はエッセイ集『夫婦間における愛の適温』『犬ではないと言われた犬』でも一緒にお仕事をされていますよね。どんなきっかけで知り合ったのでしょうか?

向坂:諸説ありますが、2018年くらいでしょうか?

北尾:最初にお会いしたのはそう、たしか6年前くらいですね。

向坂:かつて存在していた「しょぼい喫茶店」というお店で、週に1回、わたしが間借り営業をしていたんです。その喫茶店の店長さんが、百万年書房で『しょぼい喫茶店の本』っていう書籍を出すことになって。北尾さんが店長さんとの打ち合わせで喫茶店に来たときに、たまたま会ったのが最初のようです。と言いつつ私は記憶にないのですが……。

北尾:くじらさんは覚えていないみたいですが、自分にとっては強烈な記憶です。くじらさんが「わたし、詩を書いているんです」ってその場でノートを見せてくれたんです。それが、すごく良かったんですよ。ただ、当時は僕も百万年書房を立ち上げたばかりだし、詩集の編集をしたことがなかったから、引き受ける自信がなくて何も言えませんでした。

向坂:その後、2019年に『東京ニューソース』というイベントで再会したのが2回目ですよね。私も出演していたのですが、そこで北尾さんと名刺交換をした覚えがあります。

北尾:『東京ニューソース』は、2019年にs-kenさんといとうせいこうさんが仕掛けたイベントです。1980年代に『東京ソイソース』というクラブイベントがあって、それの復刻版だったんです。

僕は大学生のころ、この『東京ソイソース』にめちゃくちゃ影響を受けていて、『東京ソイソース』で人格の半分くらいつくられたと言っても過言ではない(笑)。そんなご縁で『東京ニューソース』のお手伝いをしていたのですが、出演者の名前を見たら「向坂くじら」とあって、「あ、しょぼい喫茶店で会った人だ!」となりました。

─その後、しろねこ社から詩集『とても小さな理解のための』が出るわけですが……。

北尾:くじらさんから『とても小さな理解のための』を発売直後に送っていただいて。読んですぐ、「これは傑作だ」と思いました。でも、そのときは「悔しい」とか「百万年書房で出したかった」とかは全然思いませんでした。世の中には詩集を専門に刊行している版元があるし、そういう版元から刊行されたほうが百万年書房から出るよりも信頼度も高いだろうし。ただ、何かしらくじらさんと一緒に仕事したいな、とはさらに強く思いました。

─そこからどういう経緯で、百万年書房から増補版を出すことになったのでしょうか?

向坂:今年の6月に『芥川賞』の候補になりまして、その影響で『とても小さな理解のための』の注文対応が追いつかなくなっちゃったんです。しろねこ社は福岡で代表の方がお一人でやられている小さな出版社なので。それで、何か別のかたちで『とても小さな理解のための』を出せないかと悩んでいたときに、北尾さんに拾っていただきました。

北尾:うちも一人でやっている小さな出版社ではあるんですけどね(笑)。でも、『夫婦間における愛の適温』『犬ではないと言われた犬』という2冊のエッセイ集を刊行した結果、その流れの延長線上で、今回は「うちで新装版を引き受けます。詩集専門版元に負けないくらい、読者にきちんと届けます」と言えた。向坂くじらの本と言えば百万年書房でしょう、という妙な自信が生まれていたんだと思います(笑)。

向坂:捨てる神あれば、拾う神ありですね。

「詩と詩が影響し合わないように」。掲載順や章立て、装丁などから見る詩人&編集者のこだわり

─新装版を出すにあたってとくにこだわったポイントはありますか?

向坂:私より、どちらかというと北尾さんのほうがいろいろこだわりがあるんじゃないでしょうか?

北尾:いやいや、そんなことは。新装版では、収録する詩の数を大幅に増やしたのですが、増補しようって言い出したのはくじらさんでしたよね?

向坂:そうでしたっけ? まあ、せっかく出すなら同じものをつくっても、と思って。あと、しろねこ社版は2022年夏までにつくった詩が入っているのですが、いまとは少し違う問題意識や方針に基づいてつくられている作品も多いんですよね。だから、プラスアルファでいまの自分としての作品も入れたいと思いました。

装丁などは北尾さんにお任せして、素晴らしい仕上がりにしていただきました。

北尾:ブックデザインに関しては鈴木成一デザイン室と自分でやらせてもらいました。ただ、タイトルはしろねこ社版から変えませんでした。同じタイトルだとややこしいかな?とも思ったのですが、『とても小さな理解のための』を超えるものがなくて。

向坂:しろねこ社版のときは、章立てや詩の掲載順、カバーまで自分でやったんですよ。WordとPower Pointを駆使しました。

北尾:本文の組版もできる詩人(笑)。なかなかすごい話です。詩の掲載順は、しろねこ社版のときにくじらさんが決めた並びをほとんど踏襲しています。自分なりに入れ替えてみたんですが、くじらさんのつくった並び順にはかなわなかった。

向坂:一応頭から読むことを想定しているので、並び順は大事です。もちろんバラバラに読んでもらっても良いのですが、私としては、それぞれの詩の意味が宙づりになるほうが良いんですよね。別の詩であっても、並ぶことによって影響し合ってしまうこともあると思っていて。そこを、あえて流れを切っていくというか、意味が接続しすぎないような並びにしたかったんです。

お気に入りは「マリッジブルーのときに書いた詩」。向坂と北尾が語る「そのときにしか書けないもの」とは

─今作のなかで、お二人がとくに気に入っている詩はありますか?

向坂:わたしは「牛乳を一杯わけてください」が好きですかね。思い入れがあります。一回しかこの詩について褒められたことはないけれど。

この詩を書いていたのは結婚するちょっと前くらいだったんですけど、かなりマリッジブルーで、スランプだったんです。詩とか書けなくて、「マリッジブルーかるた」なんてものをつくっていたくらい。

北尾:「マリッジブルーかるた」の話、何回聞いても好きです。「お、親の長所が目に付く」とか(笑)。

向坂:「と、独身という響きのほうがかっこいい」とか(笑)。そういうカルタしかつくれなかったときに、高橋順子さんの『時の雨』(青土社)っていう詩集を買って。高橋さんは小説家の車谷長吉さんとご結婚されているのですが、結婚が決まったときに周りがどう言ったとか、二人で一つの家に住むのがどうかとか、車谷さんが精神的に病んだときにどう思ったかとか、そういったことが書かれていて。

それが、平易な言葉で書かれているんですけど、すごく響いたんです。私も、とにかく書ける言葉でいいから結婚前の状態を残しておこうって思って書いたのが、「牛乳を一杯〜」だったんですよ。ほかにも「玄関口」の章にはマリッジブルーのときに書いた詩がいくつか入っています。

北尾:結婚前後の詩は、とくにそのころのくじらさんじゃないと書けない詩ばかりですよね。

向坂:いじけた日記みたいな詩ですよね。

北尾:自分も好きな詩はいっぱいあるのですが、何か一つを選べ! と言われると悩みます。というより、この詩集全部を通して味わうのが良いというか。内容もだし、言葉の使い方も、どれを読んでも「くじらさんだな」と思うんですよね。

向坂:北尾さん、よくわたしに言いますよね。「くじらさん、ずっと同じ話してますよね」って。

北尾:そうなんです。詩だけではなくて、エッセイでも、小説でも、くじらさんはずっと同じ話をしている。さっき話したような、その瞬間じゃないと書けない感情を書きつつ、同時にどれを読んでもすごく一貫性を感じる。やっぱりくじらさんはくじらさんなんですよ。

向坂:同じことを何回も言ってやろうと思っているわけではないんですけど、同じことを何回も言うことにビビらないぞとは思っています。わたし、サンボマスターが好きで、サンボマスターの歌詞って、ずっと同じこと言ってますよね。でも、それに励まされる感覚もあって、わたしも同じことを何度も書いてしまうのかもしれません。

向坂が「詩人」と名乗り続ける理由。詩・エッセイ・小説の違いとは

─エッセイ集『夫婦間における愛の適温』『犬ではないと言われた犬』についても聞かせてください。詩人である向坂さんがエッセイを書くことになった経緯は?

北尾:百万年書房で「暮らし」というレーベルを立ち上げようと思いついたとき、すぐにくじらさんに声をかけました。詩だけではなく、くじらさんはエッセイを書いても面白いことはその前から知っていたので。

向坂:当時、わたしは仕事としてきちんと書籍化を目指して作品をつくっていくのが初めてでした。

─向坂さんは詩もエッセイも、小説も書かれていますが、何か作品の種を見つけたときに、アウトプットの手法はどうやって決めるのですか?

向坂:日々、暮らしのなかで思ったことはスマホにメモをしているのですが、その時点でなんとなく「これはエッセイ」「これは詩」といったようにジャンル分けしています。ジャンル分けを無視しちゃうときももちろんありますが。

感覚としては、どんなアイデアでも詩にはなる。そのつぎが小説。でも、小説は一つひとつが長くて体力が要るんですよね。だからノリでたくさんつくれないんです。そして、1番ネタとして貴重なのが、エッセイ。お恥ずかしい話、周囲の人の目が気になるので、他人との関係が持続できる程度のことしかエッセイには書けないんです。

向坂:こう言うと詩が1番雑な感じに聞こえるかもしれませんね。でも、小説にもエッセイにもならないことが詩になっていて、結局それが自分にとって1番大事なことという感覚もあります。

─活動の幅が広がったいまでも、向坂さんが肩書きとして「詩人」を使っているのは、そういった意識も関係していますか?

向坂:そうですね、何にしても「詩人」という肩書きを最初に出しますね。大学を卒業してうっかり無職になってしまったときに、詩人の大島健夫さんが「詩人って名乗ればいいじゃん」というようなことを言ってくれたんですよね。

わたしとしては、本を出しているわけでもないし、売れているわけではないのに、良いのかな?と思いつつ、周りを見たらそれでも詩人と名乗っている人がいて。稼げているとかそういうことと関係なく、詩人である人たちがいることを知っていて、そこに誇りを持っていたいという気持ちもあります。

北尾:詩人って、最後の駆け込み寺感がありますね。覚悟さえあれば、じつは名乗ればなれる。もちろん資格なんて必要ないし。

向坂の詩が持つ「広まる力」。詩人と編集者が企む「詩を多くの人に届ける取り組み」とは?

ーあらためて、向坂さんの作家としての特徴はどこにあると思いますか?

北尾:くじらさんの詩は、もともと詩を読むのが好きな人だけではなく、もっと多くの人たちに伝わるものだな、という感覚があります。『とても小さな理解のための』の発売にあたって、郊外のチェーン書店で先行販売イベントをやったのですが、くじらさんのことを知らずに立ち読みしていた子連れのお父さんお母さんたちが、口々に「この本はすごい!」と言っていた。

向坂:中学生でも読もうと思えば読めるくらいの作品にはなっていると思います。

北尾:そうそう、タイプとしては谷川俊太郎さんに近いというか、読む人を選ばない詩です。

それから、詩に限らず、エッセイでも最初から編集の必要がない原稿がいつも届きます。自分は普段、著者の原稿にかなり赤字を入れるタイプなのですが、くじらさんの原稿はほぼスルー(笑)。僕が思いつくような選択肢はすべて考え尽くしたうえで、この言葉を選んでいるんだなということが、文章を読むとわかるんです。だから、ベタな言い方ですが、1番頼りにしている書き手です。

向坂:そう言っていただけるのは嬉しいですが、わたし自身はあまり精密な書き手ではないと思っています。「つねに最高傑作を」とは思っておらず、どちらかというと数をたくさん書いて、そのなかで良いものができれば良いと自分に言い聞かせています。

ー最後に、今後の展望や目標を教えてください。

向坂:何も決まっていませんが、言葉の展示をやってみたいですね。詩人の和合亮一さんが『国際芸術祭「あいち2022」』で展示をやっていらっしゃって、圧力のある良い展示だったんですよ。

詩をもっと多くの人に読んでもらうことを考えると、本だけではなく、展示もいいなと思いました。そういった、文字の形式の広がりに関心があります。

北尾:いいですね。なんで今まで思いつかなかったんだろう。すぐにやりましょう。

書籍情報
『とても小さな理解のための』

2024年10月30日発売
著者:向坂くじら
価格:2,000円(税別)
発行:百万年書房
プロフィール
向坂くじら (さきさか くじら)

詩人。1994年名古屋生まれ。「国語教室ことぱ舎」(埼玉県桶川市)代表。Gt.クマガイユウヤとのユニット「Anti-Trench」朗読担当。著書にエッセイ集『夫婦間における愛の適温』『犬ではないと言われた犬』(ともに百万年書房)、小説『いなくなくならなくならないで』(河出書房新社)ほか共著など。慶應義塾大学文学部卒。

北尾修一 (きたお しゅういち)

1968年、京都生まれ。編集者。1993年から2017年まで太田出版に在籍し、本や雑誌の編集に携わる。2017年9月、株式会社百万年書房を設立。著作に『いつもよりも具体的な本づくりの話を。』(イースト・プレス)『自分思い上がってました日記』『調子悪くて当たり前日記』(ともに百万年書房)などがある。



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