※本記事は『機動戦士Gundam GQuuuuuuX Beginning』の本編に関する記述を含みます。あらかじめご了承下さい。
1月17日、テレビ放映に先駆けて『機動戦士Gundam GQuuuuuuX Beginning(以下、ジークアクス)』が全国映画館で公開された。
『エヴァンゲリオン』シリーズ、近年は『シン・ゴジラ』『シン・仮面ライダー』などの実写特撮でも知られる庵野秀明率いるスタジオカラーと、長年『ガンダム』シリーズを制作してきたサンライズのコラボレーションということもあり、発表時から大きな話題になってきた同作。
特報映像の断片的な情報や、一部海外でのリーク情報から「ファーストガンダムと同じ世界観の物語ではないか?」という熱い考察がファンのあいだでは交わされ、1日も早い劇場公開が待望されてきた。
そしてついにお披露目された『ジークアクス』。SNS上で飛び交っている膨大な感想とまったく同じく、筆者も「いったい何を見せられているのか」という興奮と驚きと共にスクリーンに釘付けになってしまった。ここからネタバレしかないです。
「ガンダムの映画を見に行ったらガンダムの映画が始まった」
おおかたの予想どおり、本作はガンダムシリーズの原点である1979年放送の『機動戦士ガンダム』の続編であった。それも、本来は地球連邦軍に敗北したジオン公国が勝利した世界線、パラレルワールドの物語であった。
ファーストガンダムでは、戦禍に巻き込まれた主人公アムロ・レイがたまたまガンダムに搭乗し、ジオンのモビルスーツ(大型人型兵器)・ザクを撃破してしまったことで『十五少年漂流記』から着想された物語が動き出すが、『ジークアクス』ではそのライバルであるシャア・アズナブルがガンダムとその旗艦であるホワイトベース(本作では「ペガサス」そして「ソドン」とのみ呼ばれる)を奪取し、その開発技術を活用してジオンに勝利をもたらす。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズや『フリクリ』などで知られ、本作のメガホンも取った鶴巻和哉監督は、「元々、仮想戦記ものが好きだった影響があると思います(…)『もしあの時、別の行動をとっていたら、その後の歴史はどう変わっていたか?』を描く」とインタビューで回答しており、現時点で『ジークアクス』には、本来の主人公であったアムロは存在すらしておらず、アニメではほんの脇役に過ぎなかったシャリア・ブルに物語を牽引する重要な役割が与えられている。
『機動戦士ガンダム』でシャリア・ブルが搭乗したモビルアーマー「ブラウ・ブロ」の解説動画
そして、後日放送予定のテレビ版一部話数を劇場用に再構築した『ジークアクス』の驚きは、さらにその上を行く。
宇宙に浮かぶスペース・コロニーの内部を映し出し「人類が増え過ぎた人口を宇宙に移民させるようになって既に半世紀〜」という馴染みのあるナレーションが流れ、ファーストガンダムが描く一年戦争の顛末が語られ、続いてガンダムファンなら親の小言より繰り返し聞いたタイトルコールと共に「Beginning」の文字が画面に躍る。
そして、1979年放送時のテレビ版と寸分違わぬ構図とBGMでザクによるコロニーへの侵入作戦が描かれる。
そのあとも、上映時間の約3分の1をかけてファーストガンダムの主要なシーンが(シャアを主役に置き換えるかたちで)たっぷり描かれる。SNSでは「ガンダムの映画を見に行ったらガンダムの映画が始まった」というトートロジックな感想がバズっているが、まさにその通り。事前に主役として紹介されていた子どもたちはいずこに……?
映画の後半で彼らは無事に登場するが、2008年のテレビアニメ『餓霊-零-』を想起させる驚愕の仕掛け(第1話で主要キャラクターが全滅し、第2話からは主役が変わる)は、脚本を担当した庵野秀明によるものだ。
「庵野秀明的志向」が持つ呪縛と見事な転回
映画パンフレットでの座談会で鶴巻は「そもそも一年戦争の顛末に関しては、かなり短く済ませる予定でした。それが山下(※メカニカルデザイン担当の山下いくと)から『シャアがガンダムを奪取する話、もっと長く描いてもよいのでは?』という話になって……そこに庵野(秀明)ものっかってきて」と述べている。
劇場にかけつけたファン全員を「あ……ありのまま今起こったことを話すぜ」的状況に叩き込み「ネタバレされる前に、みんな早く劇場に走れ!」とSNSでのバズを促すアイデアは、興行の手段として冴えている。こういうケレン味のある商売っ気は映像作家・庵野秀明のもう一つの才能だが、一方で「またこのパターンなのか」と、前半でやや落胆してしまったのも偽らざるところだ。
2016年公開の『シン・ゴジラ』以降、庵野は原典回帰を強め、オタクとしての自己の遍歴をさかのぼる作風を全面化させてきた。オリジナルのBGMやSEをそっくりそのまま採用し、原作にあるマニアックなネタ(脚本を担当した『シン・ウルトラマン』では、1960年代の雑誌や書籍に掲載された誤情報を採用した)を拾うなどして、長年のファンが喜ぶサービスを作中に散りばめている。
2021年公開の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』では、オタク的教養主義・原点回帰が庵野自身のアバターとしてのシンジ≒ゲンドウの自己肯定を助ける物語として読み解くこともでき、それは作品に独創性を与えはするものの、一方で自閉の度合いを強化する印象も拭えなかった。
加えて懸念してしまうのは、その庵野的志向が持つ重力が他監督の作品をも呪縛してしまうことだ。たとえば『シン・ウルトラマン』を監督した樋口真嗣は庵野と長い盟友関係を結んできた同志と言ってよいが、エンタメ的な快楽を斜に構えることなく造形化できる陽性にこそ作家性を持つ人物で、どうしても私小説的な内省に立ち返ってしまう庵野とは、根本的に資質が異なるように思う。『シン・ウルトラマン』ではその資質がうまく噛み合っておらず、また予算の乏しさも重なって悔いの多い作品になっていた。
樋口が特技監督を務めた特撮映画『ガメラ2 レギオン襲来』(大傑作!)が『シン・ウルトラマン』より安い予算で制作された奇跡を思うと、座組みの重要さを痛感する。
だから今回の『ジークアクス』の冒頭約40分も、驚きと楽しさに満ちてはいるが、鶴巻の監督作でありながら庵野が侵食してしまう危うさも感じさせた。実際、SNSでは本作を庵野作品の新たな展開として見なす感想は少なくない。
だが、前半こそ庵野成分たっぷりだった『ジークアクス』は、後半で見事に転回し、鶴巻和哉の作品として観客を送り出すものになっている。とてもよかった。
鶴巻監督が描く「家族の外にいる他者と出会う物語」
先に述べたリクリエーションされた一年戦争が終わり、物語が6年後に移ると、キャラクターの頭身や色彩設計、音楽の質感、世界観もまるで異世界に転生したかのように大きく変わる。おじさんだらけの軍記物は、子どもたちを主役にした、時代の影に光がさしこむ青春物語にシフトする。
映画の主舞台となるイズマ・コロニーについて、鶴巻はこのように語る。「準備不足のまま大量の難民を受け入れたエリアで、一部には違法建築など含め治安が悪くなっているところもある。清潔で計画都市的なスペース・コロニーではなく、そういう生活感増し増しのコロニー」「サイド6(※イズマ・コロニーを含めたコロニー群)は、戦後の日本をモデルにしていると思っています」
筆者の印象としては、『ジークアクス』の世界は、戦後日本よりも、2020年頃の民主化運動が鎮圧される直前の香港を思い出す。官公庁やオフィスビルが立ち並ぶ香港島北沿岸部の現代的な街並みを若者たちが埋め尽くし、決して暴力的なだけではない抵抗のためのブロックパーティーがあちらこちらで催される、文化祭的な熱さがあった頃の香港だ。
よく知られるように、その後の香港は警察によってデモが鎮圧され、報道機関は閉鎖され、運動の中心だった若者は逮捕され、多くが海外に亡命した。2014年の「雨傘運動」のように平和的に社会を変えられるはずという期待の熱と、それが容赦なく叩きつぶされる冷たさのあいだに奇跡的に現れた小さなコミューンだ。
それは、異なる社会階層で生きる中産階級のマチュと難民であるニャアンが二人の距離を近づけることになる、非合法なモビルスーツ決闘競技「クランバトル」のコミュニティに似ている。スペース・コロニー内の使われなくなった地下隔壁通路を行き来して、システムの盲点を突きながら続けられるバトルは、子どもたちがかろうじて自分らしさの熱を発することのできる隠れ家だ。
鶴巻が脚本の榎戸洋司(同性愛的関係性のなかで成熟やジェンダーの揺らぎを描く『少女革命ウテナ』が代表作)と共に手がけてきた『フリクリ』、『トップをねらえ!2』、舞城王太郎の原作をアニメ化した『龍の歯医者』は、どれも父親や母親ではない、家族の外にいる他者と出会うことを描く物語だったが、それは『ジークアクス』にも引き継がれているだろう。
そして主人公たちを閉じた家族の世界から外に導くのは、音楽やファッション、『ジークアクス』での地下格闘といったサブカルチャー、アンダーグラウンドカルチャーであるのも共通している(そういうところも香港のデモや、昨年末からの韓国の大統領辞任デモを思い起こさせるのだが、後者では少女時代の“Into the new world”が運動のアンセムになり、若者たちは「日本のアイドル来韓公演成功開催祈願同好会」「お金もなく病気がちな芸術家連合」「内気な人」といった冗談みたいなグループ名の団体を即席で組んで、デモのあり方を遊戯的に広げていた。クリエイティブ!)。
音楽やファッション、アニメーションといったカルチャーは大衆の側に立つ。そしてエンタメは、ときに社会を揺り動かす。
娯楽と政治を結びつける言説はしばしば嫌われるが、多種多様な人たちの居場所や、生きづらさから迂回する回路をつくることが娯楽には可能で、それはとても政治的なことなのだ。
とはいえ『ジークアクス』はとても楽しい。まだテレビシリーズの放送日時も話数も発表されていないが、キャラクターデザインの竹によれば終盤では驚きの展開が待っているそう。
ファンの多くが気になっているのは、サイコミュの光とともに消えたシャアの行方や、さらなるファーストガンダム、宇宙世紀との設定的合流だろうけれど、願わくば、過去に引きずられることのない新しい物語と結末が描かれてほしい。そして予想外のアーティストやジャンルとのコラボレーションもたくさん見たい。アニメにこんなにわくわくさせられるのは本当に久しぶりだから。期待してます。
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