ナレーションは本当に必要?映画『小学校』山崎エマ監督が語る、日本のドキュメンタリーのガラパゴス化

山崎エマ監督がCINRAのPodcast番組『聞くCINRA』に登場した。

山崎監督はイギリス人の父と日本人の母を持ち、東京を拠点とするドキュメンタリー監督。『モンキービジネス:おさるのジョージ著者の大冒険』『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』が代表作だ。

最新作の『小学校〜それは小さな社会〜』は日本の小学校に焦点を当て、新年度の入学式から1年生と6年生の姿を1年間追う作品で、同作から生まれた短編版『Instruments of a Beating Heart』は、『第97回アカデミー賞』の短編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされた。

インタビューやナレーションがないドキュメンタリー作品である『小学校〜それは小さな社会〜』についてのお話しから、日本と海外のドキュメンタリーの違いや、山崎さんが考えるドキュメンタリーの面白さを聞いた。

給食のシーンは100回以上撮影。1年間の試行錯誤

─『小学校〜それは小さな社会〜』には印象的なシーンがたくさんありますが、どうやって撮影することできたのかお聞きしたいです。

山崎:毎日学校にいたから撮影できたんだと思います。基本的に私が監督で、カメラマンと音声さんの3人体制で約150日間学校に通ったんですが、もう情報合戦でした。1000人の子供たちがいる大きな学校で、1年生と6年生に絞るとはいっても、各学年4〜5クラスあって、時間割り以外の場所でも面白いことが起きていきます。

だから、朝行って、先生たちから昨日起きたことや今日起こりそうなことの報告を聞いたり、親御さんとLINEで連絡を取り合ったりしていました。

―1年生のあやめちゃんが2年生に上がるタイミングで合奏をすることになる部分が強く印象に残っています。あやめちゃんはオーディションで希望していた大太鼓を勝ち取るものの、うまく演奏できず、先生に「責任を持って続けるか、それともやめるか」と聞かれて、涙しながらも続けることを選び、先生と練習を重ねて本番を迎えます。

山崎:あやめちゃんのシーンは1年間の終わりのほうに、先生方や子供たち、親御さんととても近い距離で信頼関係や関係性ができたからこそああいうふうに撮れたんですよね。

ドキュメンタリーは映像がすべて、と言ってもいいくらい大切だと思っているんです。今作ではとくに、ナレーションも使わないですし、昨日起きたことを説明するようなテロップも入れない、撮れたものだけで勝負しました。映像と音にこだわったので、急に素敵な場面が目の前に起きても、携帯で撮るようなことはしませんでした。だから、撮れていないものがいっぱいあるわけです。肉眼だけで見た、子どもたちの素敵な頑張りを撮れなかった悔しさもあります。

学校では一年中素敵なことが起きていて、私が肉眼で見たことを凝縮した真実みたいなものを映画に詰めているつもりですが、なかでも後半の1年生の最後の頑張りぶりは象徴的だとは思います。

─映画を見ていて、インタビューのシーンがほとんどないことが印象的でした。

山崎:実は膨大なインタビューを撮っているんです。でも、それを使うか使わないかはあとにならないとわからない。最初からインタビューを絶対使わないと思っていたわけでもないけれども、編集のなかで作品のスタイルとしてほとんど使わないことに決めました。

ストーリーとして確約されていることは、1年生が2年生になることと、6年生が卒業していくことだけで、それ以外は何が起きるかわからない。

何が無駄になるかわからないとも言えるし、無駄なものは何もないとも言える。そんな環境下で、1年かけて試行錯誤をしました。制作チームの最大限を尽くしましたが、やっぱり撮れなかったものもあるので、撮れたもののなかで作っていくしかなかったですね。

─カメラマンは約2年探した結果、加倉井和希さんと出会ったとうかがいました。

山崎:撮影クルーに関しては、私の意図を汲んで私以上のことができる音声さんとカメラマンが必要だと思っています。

ドキュメンタリーは映像が撮れればいいというものではないと思っていて、戦場などにいない限りは映像美やシネマティックな経験を提供することを考えています。

同じ現場に百何十日も入れるのはそのチャンスで、給食だって100回撮るわけですよね。掃除だって100回撮りましたが、実際の映画では1回か2回の給食に見えるっていう。

撮影の現場としては、私が女性だったから、チームには違うタイプの男性も入ってもらったほうがいいと思っていました。子どもたちがどちらかに喋りやすかったら、ドキュメンタリーとして可能性がより広がりますよね。そのようなバランスも考慮して、カメラマンは加倉井和希さん、音声は岩間翼さんにお願いしました。この2人は私の右腕、左手どころじゃなくて、右目、左目、右耳、左耳っていうくらい一緒にやりました。そういうチームワークはどこで学んだかというと、やはり日本の公立小学校教育なんだと思うんですけど。

自分が全部できないから、自分よりもできる人たちを信じるっていうのは、映画制作、ドキュメンタリー制作のいいところで、監督の仕事の何パーセントかは、そういう人たちを鼓舞していくことかもしれないですね。

重い機材を持って頑張るわけで、しかも何百日も同じ小学校で風景が変わらないなかで撮影をするから、対被写体も大事な仕事だけれども、対クルーも大事です。「監督のために」って思ってもらえるようじゃないと、監督をやるのは難しいかなと。自分の場合は、もう仕事の域を超えて仲間みたいになる必要があると思います。

─撮り終えたあとの段階で、大体何割くらい完成のイメージがついているのでしょうか?

山崎:可能な限り毎週末に1週間の素材を確認して、夏休みには1学期にどんな素材があるか把握し、2学期の優先順位を決めていく、というような進め方をしました。完成までは撮影全部が終わってから1年かかりました。

どの素材をどう並べていくか、何百通りもできるなかで、何回も作り直しました。ナレーションがない分、受け取り方に幅はあっていいんだけれども、私が意図しているのと全然違う受け取り方をみんながしていたら失敗だと思うので。

特に海外の人たちは、4月から学校が始まる時点で混乱しますよね。大体9月からなので。だから説明はしないけれど、1学期、2学期、3学期ってグラフィックは入れているとか、コロナ禍で子どもたちがマスクをしてるなかで、何回ぐらい名前を出せば観客に覚えてもらえるかとか、いろんな微調整をして、編集をして、最終形になりました。だから膨大な時間かかるんです。

あと、制作中に妊娠、出産もしたので、結構お腹が大きくなりながら撮影を行い、最後は息子を抱っこ紐みたいなものに入れて編集していました。親としての責任感という視点も入れながら制作できたので、大変でしたがプラスだったと思います。

ほとんどの作品がナレーション付き。日本のドキュメンタリーの幅の狭さ

─ナレーションがない部分は印象的でしたが、山崎監督のこだわりなのでしょうか?

山崎:私はニューヨーク大学というところで勉強して、その後ニューヨークに約10年いてから日本に帰ってきました。アメリカでは、そもそもナレーションありきのドキュメンタリーは誰も考えていないんです。物によってはあるけれども、必要に応じてという形です。

日本では、特にテレビドキュメンタリーはほとんどナレーションが入っていますよね。上映が始まってからのも、「これナレーションなかったけど、ドキュメンタリーなんですか?」という質問をいただくことも何度かありました。それぐらいイメージが固定化されていて、幅が狭いんです。

さっき言った、給食を100回撮って1回に見せる手法というのは、いろんなディテールを重ねて1つの給食に見せるというものなんですね。そういう手法ももしかしたら「記録」や「リアル」の意味が固定されていると驚くかもしれないですよね。でも、私の映画に入っている給食のシークエンスがリアルじゃないかというと、めっちゃリアルだと思うんですよ。

日本のドキュメンタリーはナレーションでわかりやすさを重視したり、情報を重視したり、手法についても「やらせ」に対して過度に敏感だったり、リアルの定義が狭いんですよね。15年〜20年ぐらいは、海外と比べて手法の面でガラパゴス化していると思います。

─日本と海外で大きく乖離があることは初めて知りました。

山崎:日本のドキュメンタリーのいいところは、素直で忠実で純粋なアプローチだと思います。ある意味欧米は行き過ぎで、だんだんフィクションなのかノンフィクションなのかの線が怪しくなっているような部分もあるので。そこは私も日本に帰ってきて気づいたことです。

でもやっぱり手法は幅が大切だと思います。引き出しがあればあるほど、作品のテーマについて視聴者に考えてもらえるはず。

これだけ世界が日本に興味を持っているなかで、世界まで届くドキュメンタリーは日本の人が作ったものではなく、海外の人が来て撮っているというようなことになりがちなのは、手法のところが理由だと思うんですよね。

私は日本から世界に届くドキュメンタリーを作りたくて帰ってきたところがあるので、自分の作品ではナレーションを使わないというような部分を示しつつ、私のやり方だけが正解ではないので、手法の幅を増やすためのコミュニティも作っていきたいなと思います。

イチローと学校教育きっかけ。山崎にとってのドキュメンタリー面白さとは?

─山崎さんがドキュメンタリーと出会ったきっかけはなんだったのでしょうか?

山崎:小学生のとき、読書感想文の課題図書で、たまたま野球選手のイチローさんの本を読んだんです。そのときまだ夢とか好きなことがなかったんですが、彼の本を読んで学んだことは、早く好きなことを見つけて、努力を重ねて一流になりたい、大きな夢を持って、それを実現したい、そういう生き方をしたいということだったんです。

その後、小学校を卒業してインターナショナルスクールに移り、積極的に自分の職業を見つけないといけないと思っていたなかで、映像を編集する授業があり、すごく難しかったけど面白くて、可能性を感じました。

ニューヨーク大学では90パーセント以上がフィクションを目指しているので、1年生のときは混乱しました。ドキュメンタリーは、実際にある世界のなかで自分というフィルターを通して何かを伝える、ゼロから作る世界じゃないけど、世界を自分の解釈で通すみたいな部分にハマったんです。

私は飽きっぽいんですが、ドキュメンタリー監督は撮る対象に対して超プロにならないといけない。もうこれ以上読めないぐらい本を読んで、今回は小学校教育、前回は高校野球、その前は『おさるのジョージ』の原作者と、何年かごとに対象が変わり、エキスパートに近いことをやるのが面白くて、そこも含めて飽きずにやれてるのかなって。

─最後に、CINRA読者に向けて、ドキュメンタリー映画の魅力をお伝えいただきたいです。

山崎:実際にある話というのが面白いんだと思います。ノンフィクションやドキュメンタリーはまだお堅くてすごく真剣とか、敷居が高いというイメージが強いですが、世界中のドキュメンタリーにアクセスしてみると、劇映画に負けないエンターテインメント性があったり、ハラハラドキドキのスリリングさやドラマ性があったり、そういう面がいっぱいあるんですよね。

そういったフィクションにも負けない面白さもありつつ、自分の知らない違う世界を垣間見ることができるというドキュメンタリー作品ならではの面白さが、日本ではこれからもっと知られるはずだと思ってるんです。そうなれば、観ていて面白い、エンターテインメント性のある作品がこれから増えていくと思います。

実際に存在する、まだ経験したことのない世界――今作で言えば、映像に出ている小学校に1回も行ったことない皆さんがまるでそこにいるかのように感じて、そのなかで自分の子どもの経験であったり、自分が小学生だったときの経験であったり、いろんなことを考える機会になる。それがドキュメンタリーの面白さですよね

真剣な話をしたり、教育について考えるところまで至らなくても、ドキュメンタリーを見て泣く人は大勢いるんですよね。泣くのにはいろいろな理由があると思うんですが、そこにいる人間たちと共感しあえる、すごいメディアだと思う。だからこそ作る側の責任も重大なんですが、ドキュメンタリーの概念を変えていきながら、少しずつ発信していきたいと思っています。



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