若槻千夏から、芸能界に飛び込んだばかりの自分への手紙。夢や自分らしさに悩んだら「目的地」を決めて

タレントとしての活動や、自身のブランド「WCJ(ダブルシージェイ)」のデザイン・プロデュースなど、マルチに活躍する若槻千夏。『ラヴィット!』など人気テレビ番組にも出演するほか、2児の母親としても多忙な毎日を送っている。

そんな若槻が、新しい生活をスタートする社会人や学生たちの背中を後押しするFRISKの「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」プロジェクトにて、若き日の自分に宛てて手紙を綴った。

人気絶頂の2006年から、芸能活動を約10年休止していた若槻。そんな自身の人生を振り返りながら、「夢、自分らしさみたいな壮大なものは大人でもわからない」と悩める若者に寄り添いながら、代わりに身近な「目的地」について考える大切さを語ってくれた。

芸能界に飛び込んだばかりの、あの頃の若槻千夏へ。「モーニング娘。に入りたかった」

ー今回、若槻さんには若い日のご自分に宛てたお手紙を書いていただいたのですが、冒頭から、ユーモラスで引き込まれました。事務所であったプラチナム・プロダクション(若槻は2024年に退所し独立)にスカウトされる前から、芸能界に関心があったのでしょうか?

拝啓 芸能界にスカウトされた自分へ

ワクワクしてるでしょう? 
けどちょっと不安でしょう?

もっと不安にさせて申し訳ないのだけど

あなたはモーニング娘。には入れません。 
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若槻千夏(以下、若槻):幼い頃からもともと芸能人は好きで、卒業文集でも「タモリさんに会いたい」と書いているようなミーハーでした。ただし芸能界に入りたいというより、モーニング娘。に入りたかったんです。『ASAYAN』(※)世代で、後藤真希さんたちの活躍もあって流行していたので。

※1995年から2002年までテレビ東京系列で放送されたオーディションバラエティー。モーニング娘。は本番組から輩出された。

ー芸能事務所にスカウトされて、どう感じましたか?

若槻:昔、読者モデルをしていた経験があった母は、表に出る仕事に憧れがあって。だから「1回、面接行ってみない?」と母に言われて、一緒に話を聞きに行きました。当時、事務所にはタレントがまだ1人もいない状態。私が第1号ということで、「これからの事務所なんです」と言われて……そんな話、むちゃくちゃ怪しいじゃないですか! 

しかも当時、これまでお茶といえば緑色をしているのが一般的だったんですけど、黄色い色のお茶が発売されはじめたタイミングで。それを知らないなかでコップに注がれて出されて、母親も「こんな色のお茶は見たことない。飲まないほうがいい」って言っていて(笑)。後に、そういうお茶が発売されたことを知ったんですけど、そのときは相当怪しく見えました。

ーよく入りましたね(笑)。

若槻:担当してくれた方がみんないい方だったのと、「モーニング娘。には入れますか?」と聞いたら「努力次第で、可能性はなくない」って言われたのもあって、「じゃあ入りたいな」とスイッチが入りました。いま振り返ると、「(モーニング娘。に入れる)可能性はないだろ」と思うんですけど。

ー実際に活動が始まると、モーニング娘。のような仕事ではないわけですよね。

若槻:最初から本格的な芸能の仕事があるわけではないので、当時の感覚は「アルバイトの延長」でした。だからズル休みもしましたね。レッスンに行ったり、オーディションを月20本受けたりしていました。そうした日々を送っていると、自分がモーニング娘。に入れるわけがないことは、さすがに気づくんですよ。それで「つんく♂さんに会えるまでがんばろう」というように、目標を切り替えていきました。そしてそのためには「個人として有名にならないと」という感情が芽生えてくるんです。

ーお手紙に「あなたは巨乳時代にグラビアをやります。」とあるように、その後、実際にグラビアでご活躍され、知名度が確立されます。

若槻:今はSNSなんかで自分を発信して有名になる道もありますよね。でも当時、若い女性でテレビに出る枠に入ろうと思ったら、グラビアアイドルを経験しないといけなかったんですよ。テレビは、グラビアをやって売れないとその席に座れないという場所だったから、その道を進むしかなかった。

だから私も、父親には内緒でグラビアをやっていました。自分が親の立場になってより実感したんですけど、自分の子どもがグラビアに出ているのってしんどくないですか? いくらきれいだとしても心配になる。母親は「これをきっかけにテレビに出られるなら」と思うタイプでしたけど、父親はそういうタイプではないので、母親と「売れるまで内緒にしよう」と相談していました。

実際、私がグラビアをやっていることを父親が知ったのは売れたあとです。父は電車の運転手だったんですけど、私が表紙を飾った『ヤングジャンプ』が電車の中吊り広告になっているのを後輩に指摘されて気づいたらしくて。そのときには表紙を飾れるくらいには売れていたから、さすがに父親も「芸能のお仕事、がんばりなよ」と認めてくれました。

ーグラビアで成功し、テレビの出演も増えていきました。その一節は、お手紙にもありますが、テレビの現場はハードでしたか?

たくさん働いて 本当にやりたい事か分からなくて
芸能界を10年休みます。
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若槻:最近、テレビに復帰してから感じるようになったのは、現場の雰囲気がかなり変わって、自分の意見がはっきりと言えるようになったこと! かつてのテレビの現場は「空気を読むこと」がすごく求められていたんです。例えば「天丼とカツ丼どちらが食べたい?」という企画があるとしますよね。明らかにカツ丼が美味しそうだったら、みんなカツ丼のほうが本当は食べたいんです。でも、年上の人たちがカツ丼を選んだら、若手は「天丼にいかないといけないんじゃないか」という空気が流れていました。今のテレビではみんなカツ丼を選んでも、現場スタッフも一般の視聴者さんも「空気読め」とは言わないんですよ。

20年くらい前は「いやいや、空気読みなよ」という雰囲気がありました。だから、たとえ自分の本心がどうであれ「こうしたほうがウケるんだ」と思ったらそれを選ぶようになってしまっていたんです。20歳という若さもあって、そういうことが蓄積されると本音よりもウケるほうを選ぶことになって、自分の本当の気持ちもわからなくて、苦しくなっていきます。そうした苦しさと忙しさも相まって、一度休みに入ろうと決めました。

苦しさと忙しさから芸能と距離を置く。その時間は、次の可能性につながった

ー2006年に芸能活動を休止されて、その期間に海外へ行かれますね。どうしてその決断をしたのでしょう?

若槻:事務所には「古着の買付でバイヤーをやりたいから」と告げて海外に行きましたが、実際にはテレビ・芸能の仕事と完全な距離を置きたかったんです。事務所の人から「どうしても」と頼まれれば断る自信がなかったから、中途半端になると思ったんです。それでスマホも解約して、mixiの連絡先だけを事務所に教えて海外に行きました。

私は「0か100か」という性格だから、当初は芸能事務所もやめようと思っていたんです。でも事務所の社長から「籍だけは残しておいて、戻ってきたときに判断してもいいんじゃないか」とアドバイスを受けて、その通りにしました。休むこと、海外に行くことに関して反対はなくて、「これまでがんばってくれたから、好きなことをしてほしい。ご苦労さま」という感じで、温かい言葉をもらいました。

ー海外ではLAを拠点に、生活がはじまりますね。芸能の仕事からどんな変化がありましたか?

若槻:もう、変わったことだらけです! それまでは仕事で大阪に行くときも、スタッフさんが用意したチケットを渡されるだけで、自分では何もしなくてよかった。でも海外に1人で行くとなると、自分ですべて手配しないといけない。1つ1つは小さなことなんですけど、自分の仕事をするうえで、こんなにいろいろな人が準備をしてくれていたんだと理解できました。同時に、自分でやってみないとわからないことがすごく多かったので、休んでいるあいだに社会人としての経験を身につけられてよかったなと思います。何も知らないまま大人にならずに済んだので、あの期間に感謝してます。

ー2009年に海外から戻って、お手紙にあるようにアパレル業界でのキャリアをスタートさせます。

若槻:「海外に買付に行く」と宣言した手前、10枚くらい持って帰るくらいだと、ただの買い物じゃないですか(笑)。だから古着を1000枚、手に入れるまでは帰国しないようにしようと思って、会社にもそう伝えました。数百枚くらいだと、すぐに帰れちゃうとも思って。

目標を決めると、自分のなかでスイッチが入るんです。ただ、もともと古着は好きだったし、こだわるタイプの人間だから、適当には選べない。だから大量に古着は見るんですけど、「これだ」と思うものにはなかなか出会えなくて、1日中探しても1〜2枚しか見つからない、そんな毎日でした。

だから、mixiの「古着大好き」みたいなコミュニティの管理人をしているロス在住の日本人にメッセージを送って、バイヤーの基礎を現地で教えてもらったりしていました。あとは海外の人に話を聞いて、フリーマーケットに一緒に連れていってもらったりもしましたね。

ーすごい行動力ですね。実際に1000枚集められているわけですよね。

若槻:はい! そして、古着だけを集めたネットショッピングサイトを立ち上げました。それも話題にしてもらったおかげで、半年くらいで1000枚すべて売れちゃうんです。ただ、いまのようにビジネスを理解していなかったので、自分で買ったのと変わらないくらいの値段で出品してしまって……。ホームページの制作費もかかったので、すべて売り切ったはいいけど、結果的に赤字になっちゃったんですよ(笑)。

そんな動きをWEGOの社長が見ていてくれて、「一度、ごはんに行きませんか」と誘ってもらって。社長も「何もわからないなかで海外に行って、1からバイヤーの仕方を学んでいった」という方で、意気投合し、「一緒にアパレルを立ち上げませんか?」と誘ってもらいました。

期間限定でブランドを立ち上げて、ロサンゼルスにいるあいだに友達と一緒に考えた「クマタン」というキャラクターを出したら、すごく反響があって。それで「継続しませんか」と言ってもらって、私も「もっと楽しくなりそうだな」と思ったから続けたんです。それが「W♥C(ダブルシー)」になりました。

ー芸能の道だけではない可能性が開けたのは、休む期間が重要だったことがわかります。それまでの道からはそれてしまうこと、長く休むことに躊躇はなかったですか?

若槻:20代だからこそできたことだと思います。早めにいろいろなことを経験したほうがいいと思っていて。後輩からも「(今の仕事を)辞めたいんですけど、どう思いますか?」と聞かれることがあるんですけど、そのときは「やめたいなら、やめたほうがいいと思う」と言います。続けること自体は素晴らしいけど、同じくらい早めに「やめる」と判断できることも素晴らしいこと。やめたい気持ちがあるなら、中途半端にいやな思いを抱えながら続けるよりも、スパッと一度やめてしまったほうがいいと思うんです。

ただ、もし元の道に戻りたいと思ったときに戻れる環境をつくったうえでやめられるのが一番いい。突然とんでしまったら、戻るのは難しいじゃないですか。でも「いい奴だったな。ほかに夢があったなら仕方ないな」と思われる辞めかたをすると、周りの印象が全然違う。

私は休みを取ると決めてから1年間は、有名な人とコミュニケーションを積極的に取ろうとしていました。それで「あいつ、がんばってたな」と印象を残しておく。そうすると、もし新しい仕事で失敗したりしても、「あの人の電話番号を知っているからなんとかなるだろう」と思えたんです(笑)。

ー心のお守りみたいなものですね。

若槻:うまく甘えられる辞めかたをすることが重要だと思います。人生って、もう一度スタートをすることは何度でもできるんですけど、結局はずっとつながっている。だから自分が甘えられる「戻れる場所」をつくれるかが大切になってくるんです。

夢や自分らしさの圧、不安とどう対峙するか。「悩まないで、考えたほうがいいよ」

ーお手紙の後半、「夢」「自分らしさ」という言葉が持つ、あまりの大きさに疲れてしまうという懸念を書かれている箇所が印象的でした。

夢は何とか 自分らしくとか
そんなでっかい言葉は重すぎるから。

 そんな時は
自分の目的地を決めてください。

自分がどこに行きたいのか。
その目的地の手段を決めていく。 
-

若槻:年長者たちが、若者に「夢」や「自分らしさ」を壮大なものとして押し付けすぎなのかもしれない。大人たちだって明確に自分の夢や自分らしさを語れる人なんて、実はひと握りだと思うんですよね。なのに「夢がない」と言われるのも、若者にとってはプレッシャーなんじゃないかな。

あと「自分らしさ」は自分ではなく、他人が決めていることかなと思います。私にも自分らしさなんて、実はないんですよ。私は他の人から「好き勝手に生きてますよね」と言われがちなんですけど、全然、好き勝手に生きているわけではなくて。だから他人から見えている側面が「若槻千夏らしさ」なんです。だから自分らしさという言葉に囚われて、深く悩むのはもったいないと思います。「これが好き」くらいのレベルでいいんです。

ー夢という壮大なものではなく、「目的地」でいいという趣旨のことが続けて書かれています。

若槻:「夢」だと、壮大すぎて答えられない人が大人も含めて多いと思うんです。でも「目的地」なら答えやすいかもしれない。私も後輩の相談にのることがあるんですけど、そういうときも「目的地はどこなの?」と聞くと答えてくれることがあります。夢だと、それに向かって一貫して邁進するイメージだし、途中でやめちゃうとそれまでって感じ。だけど目的地ならドライブ感覚で、途中で行き先を変えてもいいし、寄り道とかもしていいじゃないですか。

ー途中で行き先を変えることに、不安を感じることはないですか?

若槻:もちろん不安はあります。ただ若者だけではなく、大人も含めて、誰だって不安になるんじゃないですか。不安なんだけど、大人になってうまくやり過ごせるようになるだけ。大人になると現実を目の当たりにするから、どういう壁があるかがより冷静に見えるようになったり、支えなければいけないものが増えたりして、だんだんと「こうかな」とうまく対処できるようになるだけなんですよね。

むしろ私が一番不安になるのは、何もやることがないとき。例えば1000枚Tシャツが集まったあと、暇になったんです。そのときにタイに良い古着屋があるらしいよ、と風の噂で聞いて、足を運んだんですけど実際には全然なかったんですよ。それで途方に暮れて、「自分は何してるんだろう……」と感じて。そういう次の身近な目的地がなくなったときが一番、不安になります。

ー不安なときは誰かに相談しますか? 1人で考えるタイプですか?

若槻:1人だけ相談する相手がいるんですけど、大して役に立つアドバイスはされない……(笑)。韓国ドラマあるあるなんですが、起業とか何かに失敗すると「屋台から人生はじめよう」みたいなことを言うんですよ。それに影響されて、その人はすぐ「何かあったら、屋台からまたはじめればいいじゃん」って言うんですよ。私も相手も屋台経験なんかないのに(笑)。でもそのくらい適当なアドバイスをくれる人のほうが、相談するのも気楽です。

ー今の若者に、不安な気持ちを切り替えるためのアドバイスはありますか?

若槻:誰に言われたか思い出せないんですけど、若い頃に言われたアドバイスで「悩まないで、考えたほうがいいよ」という言葉を大切にしています。誰しも悩みはあると思うんですけど、ただ悩むだけだと時間を無駄にしちゃう。でも「悩む」を「考える」に変換すれば、自分の未来につながるんですよ。自分のきらいなこと、苦手なことを見つけて、それについて考えるのはマイナスなイメージもあるかもしれないけど、じつは未来につながっている。「これはやめておこうかな」とか、自分の指針になるから。

ー素敵な考えかたですね。若槻さんはもともとポジティブなタイプでもあったんですか?

若槻:もともとポジティブなほうではあると思うんですけど、最近、アンミカさんとごはんに行く機会が増えて、さらにポジティブな人がいるんだと感じました。「好きな人としかごはんに行かないですよね」って言うと、アンミカさんは「気もいただくしなあ」って。いや、こっちは気をもらおうというつもりはなかったけど(笑)、でも私の言うことが全く否定されないから気持ちいいですね。食事のときに箸を落として「すみません」と言ったときも「千夏ちゃんのせいやない! 重力のせいや」って(笑)。マイナスのこともポジティブに変える力がすごいです。

そういう明るい気持ちにさせてくれる相手がいるのは大切だと思います。明るさって大事だと思っていて、私は晴れている日のほうが仕事もはかどるんです。雨の日が好きな人もいるかもしれないけど、私は晴れの日に洋服をつくるようにしていて。晴れ・雨でなくてもいいけど、自分が「こういう日は気分がいいな」と思う基準を見つけて、大切なことはそういう日にやるというのも、気持ちを切り替えるきっかけになるかもしれません。

イベント情報
「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」supported by FRISK

新たな一歩やチャレンジを前向きに踏み出すことを応援するFRISK「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」では、11組のアーティストやタレント、クリエイターが「あの頃」の自分に宛てた手紙を執筆。手紙の内容について、CINRA、J-WAVE、me and you、ナタリー、NiEW、QJWebでインタビューやトークをお届け。直筆の手紙全文は4月10日(木)から下北沢BONUS TRACKで開催されるFRISK『あの頃のジブンに届けたいコトバ展』で展示される(詳細はこちら)。
イベント情報
『あの頃のジブンに届けたいコトバ展』

©️Akikoisobe

第一線で活躍する11組の「あの頃のジブンに届けたいコトバ」。悩みを抱えていたかつての自分に書いた直筆の手紙を展示。この春、新生活を迎えるすべての人へ贈ります。

会場:下北沢・BONUS TRACK GALLERY(東京都世田谷区代田2-36-12)
会期:2024年4月10日(木)〜15日(水)11:00〜20:00(全日程共通)※営業時間は変更になる場合がございます。


手紙展示:アオイヤマダ、あっこゴリラ、宇垣美里、空気階段、崎山蒼志、柴田聡子、玉置周啓(MONO NO AWARE)、長濱ねる、藤森慎吾、ゆっきゅん、若槻千夏

主催:NiEW 後援:FRISK

■アオイヤマダさん登壇のスペシャルトークショーも実施!
展示に加え、本プロジェクトにメッセージを寄せていただいた〇〇さんに登壇いただき、ご自身が何者でもないフレッシャーだった頃を振り返りながら、新生活における悩みや迷いとの向き合い方、気持ちを前向きにする方法などについてコトバを贈るトークショーを開催します。

場所:BONUS TRACK LOUNGE(東京都世田谷区代田2-36-15 BONUS TRACK 中央棟テナント2F)
日時:
「アオイヤマダさんトークショー」 4月12日(土)14:00~15:00(13:30開場)

会場の席数に限りがございますので、参加をご希望の方は下記リンクよりお申し込みをお願いいたします。抽選の上、当選者のみご連絡を差し上げます(メールにてご連絡を差し上げますので、「@niew.jp」をドメイン指定受信に設定いただくようお願いします)。

→詳細はNiEWの特設ページをご確認ください
プロフィール
若槻千夏 (わかつき ちなつ)

1984年5月28日生まれ、埼玉県出身。2001年グラビアアイドルとしてデビュー。2007年に芸能活動を休止し、渡米。古着の買い付けをロサンゼルスで学び、2009年に自身のプロデュースブランド「W♥C(ダブルシー)」を設立。2015年からテレビに復帰し、現在バラエティー番組などに出演。2019年、新ブランド「WCJ」を設立。



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