『アンナチュラル』や『MIU404』の制作陣によるTBSの日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』が、12月22日(日)に最終回を迎える。神木隆之介が主演を務める本作は、海底炭鉱によって栄えた長崎・端島で暮らす人々の姿を生き生きと映し出している。
中心人物の一人である百合子(土屋太鳳)は、敬虔なカトリック教徒の一家の娘だ。11月17日に放送された第4話では、原爆被爆者としての百合子が抱える困難と葛藤が描かれ、放送後に大きな反響を集めた。脚本家の野木亜紀子は、「戦後十数年の長崎を舞台にした物語なので、避けて通れない話だった」と語る。
栄枯盛衰を極めた激動の島を舞台にした背景や、長崎の原爆被害を描いた第4話に込めた思いなどについて、インタビューで聞いた。
端島をドラマの舞台にした理由 「島国である日本と重なるところもある」
―まず、端島(※)のどんなところにドラマの舞台として魅力を感じたのか、聞かせてください。
野木亜紀子(以下、野木):最盛期は5,000人もの人がひしめき合うように暮らしていたという特殊な環境だけあって、生活状況が普通ではないんですよね。離島は日本にたくさんありますが、後にも先にも同じシチュエーションの島は存在しない、唯一無二の場所だと思ったことが大きいです。TBSの緑山スタジオで端島の鉱員住宅を再現したセットに入って、窓の外を眺めてみると、隣の家との距離が本当に近いんですよ。
そして、島全体が石炭を掘る仕事に従事し、短いあいだでいわゆる栄枯盛衰を体現している。ほかでは見たことがないようなドラマになり得るだろうなと感じました。
(※)端島…長崎港から約19kmの海上にある海底炭鉱の島で、外観が戦艦「土佐」に似ていることから軍艦島とも呼ばれた。岩礁の周りを埋め立てて造られた人工の島で、1960年代の最盛期は5,000人以上の人が暮らし、日本一の人口密度だった。
―番組の公式サイトに、端島の監修を務めている黒沢永紀さんのインタビュー(*1)が掲載されています。黒沢さんは、ライフラインを島外に頼る端島を東京などの大都市と重ねて、「東京だって価値がなくなったら都市機能が別のところへ移る可能性がある」と指摘していました。「都市」としての端島について、どう感じましたか?
野木:いま端島を訪れると、そこは廃墟になっています。都市が廃墟になった姿が私たちの身近にあるということですし、島国である日本という国そのものにも、規模は違えど端島と重なるところがある。そのことは、企画書の時点から念頭に置いていました。
その発想を突き詰めていくと日本が廃墟になることを目指して書いていることになってしまうので、ストレートには結びつきませんが、コンクリートの高層住宅が朽ちている光景は、見ているとすごく考えさせられるものがあります。
「端島はただ時代に振り回されただけではない」
―石炭から石油にエネルギーの主役が変わることで、徐々に都市としても衰退してしまう。ある意味で時代に振り回された存在とも言えるのかなと……。
野木:たしかにエネルギー政策の転換は実際に起きたことで、端島を悲劇的な島だととらえている人は多いかもしれません。でも、故郷を失うという悲しみはありつつも、実際にはそれだけではないんですよね。取材を通して、ただ時代に振り回された島というわけではないと感じたので、今回のドラマで描きたいことの一つとして、その誤解やイメージを解きたいとも思っています。
―そうなんですね。観光地として存在は知っているものの、詳しくは知らないことだらけだとドラマを見ながら感じています。取材を通して当時の端島の人々にどんな印象を持ちましたか?
野木:とにかく人々がすごく一生懸命働き、生きていたんだなと感じました。元島民の方々はとても楽しそうに昔のことを語るんです。不便は多いけれど、その環境を当たり前としながら暮らしていた姿を想像して、人間ってそれだけ逞しいんだよなと思います。
いまの価値観で捉えると労働讃歌のように聞こえてよくないけれど、そういう時代が確かにあったんだなと。もちろん、いいことばかりじゃなかったでしょうけどね。
野木:今回のドラマでは軽く触れた程度ですが、狭い島だからこそ文化活動も体育活動も盛んで、バレーボールや百人一首かるたなども強かったそうです。
写真や絵画を趣味にしている人も多くて、毎年文化祭が開かれて作品を出品してみんなが見に行くとか、狭い島内でいかに楽しく暮らすかという工夫や貪欲さも感じて、すごく面白いなと感じました。
『海に眠るダイヤモンド』はホームドラマであり、青春群像劇
―狭すぎるからこそ共存できるように、バランスが保たれていたのかもしれないですね。野木さんの作品は『アンナチュラル』では法医学など、はっきりとしたテーマや題材があるように感じているのですが、今回は端島や炭鉱という題材はありつつ、家族や恋愛、友情の物語でもあります。作品の一貫したテーマはあるのでしょうか?
野木:『アンナチュラル』は法医学ドラマではありましたが、法医学自体はテーマたり得ません。また別のテーマを自身で設定していました。今回は、炭鉱の島の話ではありますが、現実問題として炭鉱内のシーンを映像で描くことには限界があります。
端島の炭鉱は海底940mに達するほど深く続いていて実際は傾斜がすごい。今回、炭鉱のシーンは現存している明延鉱山(編集部注:兵庫県養父市。かつてスズの鉱量で日本一を誇っていた)で撮影をしていますが、登場させるのに今の分量が精一杯です。もともと端島という島の生活や特殊性に着目して始まった企画なので、その特殊環境における状況をベースとしたヒューマンドラマをつくるという前提で、青春群像劇かつ家族のドラマとしてつくっています。
野木:このドラマのテーマは何かという質問自体、面白いなと思っています。いきなり答えを訊いちゃうんだ? って。もしいま『北の国から』の第1話を放送したら、同じようにテーマは何かと聞かれるのかもしれません。
伝説の作品と並べるつもりはなく、あくまでジャンル論の話として、『北の国から』は何の話か? と言えば、一家が北に移住した話。物語は、そこでの生活だったり家族だったり友情だったり成長や初恋がありつつ、北海道で生きた人たちの話なんですよね。このドラマも「端島で生きた人たちの話です」ということなんですが、それだけだとあまりピンときてもらえないというか……。ホームドラマや青春群像劇というジャンル自体が消滅しかかっているので、馴染みがないということもあるのかなと思います。
―たしかに……。いま野木さんの言葉を聞いて、自分自身が作品に過度にテーマ性を見出そうとするクセがついてしまっているかもと感じました。
野木:明言されたテーマという「正解」がわかりやすくあるほうが、レビューなんかも書きやすいだろうし、書く側の気持ちとしてはわかります。私自身はもちろんテーマを持って脚本を書いていますが、それはぜひ最後まで見ていただいて、各々に感じていただければと思います。
長崎原爆をカトリック教徒の視点で描いた4話。「避けて通れない話だった」
―第4話では、長崎の原爆投下がカトリック教徒である百合子の視点から描かれました。長崎はキリスト教の布教の中心地でしたが、原爆被害とキリシタンの人々の記憶を描くにあたって、どんな思いがありましたか?
野木:そもそも、1955年からの長崎の端島を舞台にいまドラマを描こうとなったとき、原爆の話をしないという選択肢はありませんでした。第4話は1958年の話なので原爆投下から13年経ってはいるんですが、その傷はまだ生々しくある。
当時の端島にもカトリックの方たちが何家族かいて、ドラマで描いたように、毎週日曜日は長崎から牧師さんがいらっしゃって部屋でミサをしていたそうです。さらに、さだまさしさん演じる「説教和尚」の宗教や宗派を問わない、禅宗をもじった「全宗」のお寺があり、キリスト教徒の方のお葬式をしたこともあるそうです。このお寺は端島らしい特色の一つなので、描きたいというのがまずありました。
野木:広島の被害については原爆ドームもあるし、爆心地がどこだったかなど比較的知られていると思いますが、長崎は浦上天主堂という教会の付近が爆心地であったことがそこまで知られていないと思います(※)。ドラマというかたちで記録に残すことに意味があると私は思っているので、端島にはお寺があり、全宗で、そして戦後十数年しか経っていない長崎が舞台の物語であるとなったとき、避けて通れない話だと思いました。
(※)浦上天主堂は爆心地から北東へ約500mの位置にあり、原爆によってわずかの堂壁を残しほとんどが倒壊、焼失した。旧天主堂の遺構や、がれきから見つかった頭部だけが焼け残った「被曝マリア像」は現在も保存されている。
「沈黙」というタイトル、百合子と和尚のシーン。「私たちが今後どうするか」
―第4話のタイトルである『沈黙』は、隠れキリシタンへの迫害を描いた遠藤周作さんの小説が由来になっているのでしょうか?
野木:もちろん念頭にはありましたが、遠藤周作さんの小説はざっくりと言うならば「神は沈黙している」という話ですよね。そして、「沈黙しているけれど、つねにそばにいて共に苦しんでいる」という悟りが描かれている。今回の物語の場合は、それに加えてみんなが黙ってしまうというか、語り得ない戦争の傷を描くという意味でも「沈黙」というタイトルをつけました。
進平(斎藤工)も戦争のことを語らないし、一平(國村隼)にも語れない思いがある。鉄平(神木隆之介)や幼馴染たちも同じです。朝子(杉咲花)は当時、鉄平たちより幼く、原爆のキノコ雲を見ていないし、覚えていない。自分のちょっとしたいたずらがなければ違う未来があったのではないかと百合子が思っていることを知らない。百合子の被爆は島内で隠されているし、幼馴染たちもいまさら言うことができない。そういった意味での「沈黙」でもあります。そして、私たちだって語るべきことを語れていないじゃないかという皮肉も少し入っています。
―さだまさしさん演じる和尚と百合子のシーンが印象的でした。「神は何もしてくれない」と嘆く百合子に対して、和尚は「私たち大人の罪だ」と代わりに謝ります。原爆投下の直接の当事者ではない和尚が、いまあなたが苦しんでいるのは私たち大人の責任だと代わりに謝るのはすごいことだと思いました。
野木:いろいろな理由はあるけれども、結局その状況をつくってしまったわけですよね。私たちだって、いまやっていること次第では、未来の子供たちに謝らなきゃいけない状況をつくってしまうかもしれない。その意味では、これからにかかっています。
4話はなかなか私だけでは背負いきれないというか、限界があるなとも感じていました。百合子が、浦上に原爆が落とされたのは、苦難を与えるため神に選ばれたからという当時提唱された説について話しますよね。それを頭から否定できるかというと、難しいところもあって。その説がなぜ唱えられたのか考えると、当時の信徒の方たちは、そう思わないとやっていられなかった。彼らの心を救うために、そう唱えたのだと思います。
ただ、そこから少し引いて考えたとき、「神の御業」としてしまうのはどうなのか……原爆を天災にしてしまっていいのか。原爆を作ったのは人間で、落としたのも人間で。ではなぜそうなったのかというと、実験的に原爆を投下したという点ではアメリカに責任がありますが、そこに至るまでのたくさんの背景がある。何がそれを引き起こしたのか。被害は受けたけど、加害もあったじゃないか。それは両輪として反省すべきことではないのか。そういったことを考えていました。
広島にヨハネ・パウロ2世が訪問したとき、原爆は人間の起こした惨事であると明言しているんですよね。聖職者としてきちんと言っている。だから、私だけでは背負いきれない百合子と和尚のシーンは、大司教の後押しを得ながら書きました。
大人の信徒はともかく、まだ信仰が浅い子供だった百合子にとって、到底納得できなかったと思うんですよね。大学にも進んで、勉強すればするほど、外を見れば見るほど、自分が置かれた状況を理不尽に感じていったのだと思います。大人たちはともかく、子供には本当に責任がない。ただそこに生まれて、生きていただけなので。
―大人として「代わりに謝る」というのは、なかなかできないことだと思います。
野木:でも、本当に私たちが今後どうするかですよね。いまガザで起きていることだって誰も止められていない。そこで亡くなっている子供たちには謝りようもないし、百合子に対しても、どんな言葉をかけていいかわからないですよね。謝るだけでいいというわけでもない。
―たしかにそうだと思います。和尚を演じるさだまさしさんは長崎出身で、炭鉱夫の人たちも長崎や九州出身の俳優をできる限り起用しているとのことですが、キャスティングは野木さんの希望もあるのでしょうか?
野木:長崎弁も自然なほうがいいですし、それができるならそうするに越したことはないですよね。プロデューサーも同じ考えです。
沖縄を舞台にした『フェンス』のときも沖縄出身の登場人物の役は、50人以上の沖縄出身の方に演じていただきました。ただ、今回は舞台が端島であり、端島はいろんなところから集まった人たちが暮らしている島なので長崎弁だけじゃなく、出演者にはなるべくご自身の地元の言葉を話してもらっています。鉄平は、親友の賢将が親の方針で標準語なこともあり、大学生活時代を経ていまは標準語中心になっているというバックボーンです。
さだまさしさんには、引き受けていただけなかったらどうしたらいいかわからない! という状態でした。長崎出身であることはもちろん、原爆のことや反戦に対して思いをお持ちの方ですし、大人から子供までみんなの相談役になれる人がほかに考えられなかった。オファーは4話の台本までができた段階でお渡しして、引き受けていただけて本当に嬉しかったです。
―最後に、今後の展開について期待してほしいことについて教えてください。
野木:セリフ以外の表現が多いドラマなので、「ながら見」ができない、見ようによっては難しい作品になっているので、真剣に見てくださっている皆さまには感謝しています。端島の最後までを描いてゆくので、そこから何を受け取ってもらえるか。どこまで伝わるのかわかりませんが、現代パートとのつながりも含めて楽しんで見ていただけたら嬉しいです。
- 番組情報
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『海に眠るダイヤモンド』
毎週日曜夜21:00〜放送
神木隆之介、斎藤工、杉咲花、池田エライザ、清水尋也、土屋太鳳、國村隼、宮本信子ら豪華キャストが集結した『海に眠るダイヤモンド』。1955年からの石炭産業で発展した長崎県・端島と現代の東京を舞台に、愛と友情、家族の壮大な物語を描く。
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