武田砂鉄が見る、国際芸術祭『ヨコハマトリエンナーレ2017』

約40組のアーティストが見せた「接続性」と「孤立」

例えば、自分は蠍座だけど、星と星に線を引っ張って天体図に浮上させた蠍座を見ても、正直あれを蠍とは思えない。無理あるな、と思っている。おそらくみんな思っている。でも、夜空に広がる星々を繋ぎ合わせて、「これが蠍だ」と言い張った誰かの主張は、今に至るまで伝承されている。そもそも、星と星を線で結び、これで何かに見えないだろうかと画策した時点で無理はある。その無理やりな接続が意味を作り、伝承された。もはや、「蠍に見えないから見直したほうがいい」と申し出るものはいない。

さて、2001年から開催され、今回で第6回を迎えた『ヨコハマトリエンナーレ』。今回のタイトルは「島と星座とガラパゴス」。約40組のアーティストが集結した本企画の作品それぞれに「接続性」と「孤立」とのテーマが敷かれている。

個人と社会の接点が多様化しながらも希薄化する、という特異な事態に置かれ、その時々の権力者がいたずらに強権を行使し、分断を推し進める昨今。今回の展示は、民族や国家という枠組みを主体的に問い直し、個を取り戻す意識に満ちている。最初に「これが蠍座」と言い張った人のように、自らの主観で、点と点を線にする。

ただし、その主観を暴走させずに、異なる個や集団との融和のために接続を試みる。世界のあちこちで生み出されている憎悪による分断を問い質す展示であり、私たちが自由にイメージを膨らますことこそが、見知らぬ人との対話を発生させることを教えてくれる。「複雑化する社会」と言われるけれど、それって、「入り込む回路がいくらでも増えた社会」と変換する事ができるのかもしれない。

「難民」を無慈悲に片してきた事実を突きつけられる、アイ・ウェイウェイ作品

メイン会場の一つ、横浜美術館の外壁と柱に施された中国出身のアイ・ウェイウェイの大型インスタレーションは、「今、この時代における個人と社会の接点とはいかなるものか」を強烈に問うてくる。ギリシャのレスボス島に辿り着いた難民が実際に着用していた約800着の救命胴衣を大きな柱に巻き付け、救命ボートを壁に垂らす。

アイ・ウェイウェイの巨大インスタレーション

アイ・ウェイウェイの巨大インスタレーション
アイ・ウェイウェイの巨大インスタレーション

私たちが「難民が」と口に出した時の茫漠としたイメージには、それが個人の集積であることを忘却させる歪みがある。彼はかねがね、「あらゆる活動は、あらゆる芸術作品は社会的でなければならない。たとえ中世の時代であっても、それは社会の政治的に強いメッセージだった」(H・U・オブリスト『アイ・ウェイウェイは語る』)と語ってきたが、救命胴衣に残存する土汚れも、繊維のほつれも、複数形で把握される難民が個々に持つ政治的メッセージという、単数形に引き戻してくれる。

「接続性」と「孤立」を謳う展示で、まず私たちは、難民という集団を無慈悲に片してきた事実を突きつけられる。既存の社会通念を疑う作品を投じてきた彼からの玄関口での告発に目が覚めた。

プラバワティ・メッパイルの作品から、線引きされた空間が、人の記憶に作用してくることを知る

私たちは、絡まった電話線にストレスを感じることは少なくなった。線は、その多くの場合において、見えないものになっていく。あらゆる有線が無線になり、利便性に気付かぬまま、安穏と享受する。「線」を意味するはずの「LINE」は、人と人との繋がりに対して、むしろ線を設けずに寸断して接近するコミュニケーションツールとして重宝されている。線が見えない。線が消えた。しかし、私たちが規定してきた「線」というのは、そもそも存在し得ないものが多かったのではないか。

プラバワティ・メッパイル『yt/forty two』2017

プラバワティ・メッパイル『yt/forty two』2017

プラバワティ・メッパイル『yt/forty two』2017
プラバワティ・メッパイル『yt/forty two』2017

ティム・インゴルド『ラインズ 線の文化史』から拾うと、私たちはこれまで「幽霊のライン」を作り、世界を象ってきた。星と星を繋ぎ合わせることで星座を作るかのように。緯度経度、赤道、回帰線、それらは全て人間によって策定された線だ。「幽霊のライン」によって線引きされた空間が、人の記憶に作用してくることを知らせるのが、プラバワティ・メッパイルの作品『yt/forty two』2017である。細いワイヤーが幾層にも折り重なり、線と線との緊張関係を表出させる。こちらとあちらを区分けする直線。それは分断の証左であるものの、それらが極めて静かに佇む、という、まったく不可思議な感覚に導かれる。

「不動」の存在を「浮動」させる、クリスチャン・ヤンコフスキー『重量級の歴史』

横浜赤レンガ倉庫1号館にある、クリスチャン・ヤンコフスキーの作品『重量級の歴史』は、ややバラエティー番組的なアプローチを用いて、身体と芸術の分断を問うてくる。ポーランドの重量挙げの選手たちが集まり、ワルシャワ市内にある偉人たちの彫刻を持ち上げようとする。彫刻が鎮座する、ということはつまり、その存在はこれから永続的に不動であり、誰よりも評価の確定した人物であるということ。言葉遊びのようだが、そういった「不動」の存在を「浮動」させる。

クリスチャン・ヤンコフスキー『重量級の歴史』2013


クリスチャン・ヤンコフスキー『重量級の歴史』2013

重量挙げの選手は、その対象を、人物としては見ずに物体として見る。持ち上がるか、持ち上がらないか。どこに手をかければ、大きな力をかけられるか、だけを考える。ある個体に対する価値、ある人物に対する価値は、本来、人それぞれ抱えているもの。

価値を変転させることに恐怖を覚え、固有の価値を堅持しようとする。しかし、こうして異なる目的を持っている人がやってくると、ことのほかスムーズに思考は変わる。公共彫刻とは何か、その存在意義を問う作品でありつつ、価値観をひっくり返すためにその価値観の重さを計測してみようとする、ユーモアが作り出す説得力に唸った。

分断は取り除くのではなく、まずは凝視すること

とりわけ、アメリカのトランプ大統領就任や、イギリスのEU離脱についての報道で「分断」というキーワードが繰り返されるようになった昨今。分断を覆すための共存があちこちで持ち出され、あちこちで連帯が生まれる。安堵を急ぐあまり、その連帯が新たな分断が生じさせるという、喜ばしくない派生も生じている。今回の『ヨコハマトリエンナーレ2017』の作品群を見ながら感じたのは、分断を取り除く、ではなく、まずは分断を凝視すること、から始めるべき、ということ。

しきりに連呼される「分断」の中には、それこそ「幽霊のライン」のように、無意識に把握され、叫ばれている可能性もある。そのラインを意識的に想像し、接続を途絶えさせないことが今この社会に求められている。容易く答えは出ない。だからこそ、夜空を見上げて、星と星から星座を作り上げてしまったような柔軟性が必要になる。分断の解消に、万能な処方箋は無い。処方箋はない、だから個々が思案せよ、そう知らせてくれる体感が繰り返し続いた。

(メイン画像:アイ・ウェイウェイ(艾未未)『安全な通行』 2016 『Reframe』 2016 © Ai Weiwei Studio)
イベント情報
『ヨコハマトリエンナーレ2017 「島と星座とガラパゴス」』

2017年8月4日(金)~11月5日(日)
会場:神奈川県 横浜美術館、横浜赤レンガ倉庫1号館、横浜市開港記念会館 地下
時間:10:00~18:00(10月27日~10月29日、11月2日~11月4日は20:30まで、最終入場は閉場の30分前まで)
参加アーティスト:
アイ・ウェイウェイ
ブルームバーグ&チャナリン
マウリツィオ・カテラン
ドン・ユアン
サム・デュラント
オラファー・エリアソン
アレックス・ハートリー
畠山直哉
カールステン・ヘラー、トビアス・レーベルガー、アンリ・サラ&リクリット・ティラヴァーニャ
ジェニー・ホルツァー
クリスチャン・ヤンコフスキー
川久保ジョイ
風間サチコ
ラグナル・キャルタンソン
MAP Office
プラバヴァティ・メッパイル
小沢剛
ケイティ・パターソン
パオラ・ピヴィ
キャシー・プレンダーガスト
ロブ・プルイット
ワエル・シャウキー
シュシ・スライマン
The Propeller Group
宇治野宗輝
柳幸典
プロジェクト『Don't Follow the Wind』



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